交わされぬ盃
言葉を失う二人に、中佐は両手を広げてみせた。
「な? 狂人に思えるだろう? だが、本当のことだよ。連隊には一人、最初からおかしな奴が組み込まれていた。まあ、選んだのは私かもしれないが、経歴をみて決めたに過ぎないよ。誰だか分かるかね? 分隊長を務めていた」
ヘイズルとミチカは顔を見合わせた。フロキに、バートリ夫妻、リヨール……皆が皆どこか歪んでいたが、最初から人として歪んていたと言えるのは――。
「マダム・バートリ……?」
呟くようにミチカが言った。中佐は深く頷き、カップを取った。
「そういえばディーロウくんと結婚したんだったか。彼女の本名は――あまり意味はないな。上には秘密で調査員を立ててみたが、出自を含めたほとんどすべてがまやかしだったよ。もちろん、気づいた以上は除隊に――とも考えたがね、なにせ能力が高い」
仕方なしに使い続けてきたが、好色のケと連隊内ですら孤立するほどの異常な嗜虐性は看過し難い。正当な名目がついたことで、医師集団による面接と検査を行えるようになった。
「結論から言えば、彼女は人ではないそうだ。彼女と言っていいのかも、よくわからん。医学的には虫に近いそうだが、最悪、この星の生き物ではないんじゃないかというのが、学者どもの結論だ」
中佐は思い出したように指を振り、続けた。
「大事なことを忘れていた。奇妙な偶然というのは、彼女とフィアーキラーの関係だ。力の発現条件を探っていた研究者はついに結論に至らなかったが、私は遺された資料から異形化の条件に気づけたんだ。被験者のなかに二一一連隊の隊員がいたからだがね」
「……条件とはいったいなんなんですか」
ミチカは今にも拳銃に手を伸ばしかねない気配だった。
「簡潔に言えば、彼女との体液交換だ。厳密には、彼女の細胞に含まれる――なんといったかな、ウィルスだとかなんだとかいう、肉眼では見えないくらい小さな……種とでもいえばいいだろうか。ともかく、異形化を示した被験者は――まあ数は少ないが、どれも男で、彼女と関係をもった可能性が高い。私が把握している限りの話であって、本当にただの偶然である可能性も捨てきれないがね」
ヘイズルはミチカと顔を見合わせた。
異形化したのはアーミテイジとその部下たち、ディーロウ、そしてバリモア伍長以下ボイラー王国を形成した残りの突撃招待だ。全員がマダム・バートリと性的接触をしていたとは思い難い。まして、彼女は隊内で孤立していたはず。いくらかの可能性はあったとしても、
「他にも条件があるか、まったくの思い違いだと思いますよ」
ヘイズルはカップを満たす茶褐色の液体を見て言った。
「アーミテイジや……その部下なら多少の可能性はあると思います。ですが、部下全員となると話は別です。何か他の要因が――」
閃光のうちに叫ぶ螺旋の柱が、ヘイズルの脳裏を過ぎった。彼の異能は<託宣>だ。恐怖に震える者を配下に引き込む。ミチカの話によれば、彼は敵であるゲリラでさえ、その力で部隊に引き込んでいたという。もし、教会の壁に吊り下げられていた夥しい数の遺体が、異形の仲間に引き込めなかったゆえに殺されたのだとしたら――。
「あの女も一因かもしれませんが、あれだけの数の異形化はアーミテイジの仕業としか思えません。彼の隊は他に比べて多量のフィアーキラーを使っていたんでしょう? 尋常ではない数だった。関係をもつのが異形化の条件だとしても――」
「ふむ……」
中佐は胸元で腕を組み、空を睨んだ。狐のような瞳が獲物を探してグルグルと動いた。やがて、一点で止まると、唇の端を冷たく吊り上げた。
「なるほど……ミチカくん。君の話だと、連隊が機能不順に陥ってから急速にアーミテイジくんと、あの生物との距離が縮まった――そうだね?」
急に問われたミチカは一度ヘイズルに視線を投げ、小さく頷き返した。
ぐん、と振り子のように躰を揺らし、中佐は地獄の門を見つめて唇を撫でた。
「もしかしたら、あいつはアーミテイジの力に目をつけたのかもしれないな。隊の分裂が奴の孤立を解消し、延々と続く恐怖がフィアーキラーの使用を助長する。そこにきて、アーミテイジくんの力は恐怖をばら撒くのにも向いていた」
「ですが、俺がガルディアに入ってからは鐘の音を聞いていません。もし、仲間を増やそうと力を使っていたなら、俺も奴の声を聞いていたはずでは?」
「ヘイズルくん。自分で忘れてしまったかな?」
中佐は指を指揮棒のように振りながら続けた。
「ヘイズルくんが登場する以前の――いや登場してからもか。塹壕戦の基本は何だい?」
「……兵力を溜め込むこと?」
「そのとおり。奴は私の連隊で支援部隊としての戦い方を学んだ。ディーロウという自分を守護する兵隊蟻を確保し、次にアーミテイジという女王蟻を確保した。次にするのは? そう、巣作りだ。アーミテイジに仲間を増やさせていた――」
「中佐。マダム・バートリが人ではないというのは」
ミチカがおずおずと問うと、中佐は深く頷いた。
「所詮は学者の見解だ。今している話も仮説の一つでしかない。ただまあ、話を聞く限りでは昆虫に近いと言うのも納得だがね。――ほら、虫というのは、生殖を中心に活動するし、獣よりも無慈悲だろう?」
「ですが、彼女は明らかに特殊な性的嗜好を持っていました」
「うん。蟻蜂という蜂を知っているかね、ミチカくん。蟻によく似た姿で、雌に至っては羽すら持たない。普通の蜂とは一線を画す強靭な外骨格を備え、蟻に紛れて巣穴に潜り、あるだけ食い尽くしてしまうんだ。まるで突撃兵だよ」
中佐はヘイズルに流し目を送った。
「よく似ていると思わないかね」
「俺たちは蟻でも蜂でもありません。兵士です」
うん、と頷き、中佐はケーキスタンドに手を伸ばした。
「話を総合するに――条件には多少の修正が必要なようだ。まずは短期間でのフィアーキラーの過剰摂取。次に奴との接触。最後に補足として、異能の発現に関わるのかもしれないが、アーミテイジくんのような、特殊な力の作用――」
ヘイズルは中佐の手の内にある、クリームがたっぷり乗った、蟻が好みそうなケーキを見つめる。俺たちが甘いものを好むのは、もしや、と詮無きことを思う。
「……マダム・バートリは、捕らえた捕虜と性交渉を重ねながら、何錠ものフィアーキラーを飲ませていました。もしかしたら、奴の拷問好きは――」
ミチカが昏い目をし、誰に言うでもなく言った。
中佐が、やっぱり、と微笑む。
「自分でも繁殖を試みていたのだろうな。なにしろほら、フィアーキラーの進化には彼女の細胞が大きく寄与しているわけだから」
ヘイズルは思わず眉を寄せた。
「フィアーキラーの進化に?」
「そう。まぁわかりやすく言えば、彼女の細胞片から切り出した、恐怖の抑制と理性の
んん、と咳払いをして中佐は続けた。
「――まとめよう。異形化の条件は、おそらく、フィアーキラーの過剰摂取と奴との体液交換――つけくえるなら、アーミテイジのような異形化により繁殖能力を得たものと、といったところか。どうだ、少しは安心したかね?」
がぶり、とケーキを食いちぎり、唇についたクリームを舐め取った。
「――では、今度は私が話を聞かせてもらおう。英雄候補はどちらにおられる? ヘイズルくんか? それともミチカくんか? 必要なら高待遇の病院を紹介しよう」
「俺は英雄になんてなりませんよ、中佐殿。俺は英雄に相応しくない」
ヘイズルの回答に、中佐は手を広げたまま固まった。
「理由を訊いてもいいかな?」
「まだ、獣が生きています」
ヘイズルは唇に湿りをくれて言った。
「言ったはずです。英雄は武器を捨てたとき、はじめてそう呼ばれる。俺はまだ武器を捨てるつもりはありません」
中佐は唇を引き結び、ミチカに視線をくれた。
「高待遇の入院生活というのは魅力的ですが、私もお断りします。英雄なんてガラじゃありません。昔から目立つのは嫌いなんです。どうしても目立ってしまいますが」
「――残念だな」
円卓の布巾で手を拭い、中佐は腕を組んだ。視線はガルディアの峡谷に向いていた。
「では、死者と、逃亡した連中に賭けるとしよう」
そうくるだろうなとヘイズルは息をついた。自分でも同じことを考える。
中佐は高くもなく低くもない声で言った。
「今、ウチの人間が残りのゾディアックを追っている。まだ痕跡も見つからんが、まあ時間の問題だろう。それまでは死んだメンバーの名を英雄として奉っておこう」
ズズ、と紅茶をすすった。
「――ああ、そうだ。もし生き残りの状態がアレなようなら、君たちに始末を頼むかもしれない。英雄候補を連れてこなかったんだ。それくらい頼まれてくれるな?」
予想通りの言葉に、ヘイズルとミチカは互いを見合う。戦争が終わってもなお暗殺を頼まれるなど、想像するだにぞっとしない。しかし――、
「それだけじゃありません。大量に作られたフィアーキラーは、どれだけ回収しようと、必ず街に流れます。中には大量に使う者もでるはず。これから平和になろうという世の中に、あんな凶獣は必要ない」
「同意します。仕事をやり残したまま死ななくてよかった」
クフフ、と含み笑いをするミチカに苦笑しつつ、ヘイズルは続けて言った。
「戦争は終わるんでしょう? なら、せめて、少し長休暇を頂けますか?」
「……休暇」
中佐は何度も瞬き、表情をやわらげた。
「もちろんだとも! 他でもないヘイズルくんの頼みとあらば、望み通り叶えてあげよう。――いや、実は、少々、度肝を抜かれたよ。望むにしろ望まないにしろ、大変な目に遭わせてしまったばかりだからね。私はてっきり、君たちが退役を希望するものと思っていたよ」
言って、中佐はカップを突き出した。
「ヘイズルくんとミチカくんの愛国心に敬意を表し、皆で乾杯しようじゃないか!」
ヘイズルとミチカはカップに手を乗せ、首を横に振った。
「中佐と乾杯する日が来ないことを祈るばかりですよ」
「……残念だ。では今日に限り、命令するのも控えておこうか」
とってつけたように唇の端を下げ、中佐は悠々とカップを口に運んだ。
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