第4話

 「東境大砂漠とうきょうだいさばくを越えて来たぁ? 冗談にしちゃ笑えないんだけど?」

 『Heavenヘイヴン』の店内にあるカウンターに腰掛ける少年……は、さっき出した料理と水にがっつき話が出来そうにないので、非常に不本意ではあるものの、カウンターの上に座り食後の毛づくろいに余念の無い黒猫に向かって話掛ける。


 あ、ちなみにあのあとブタ野郎ロイドは「覚えてろ!」とか月並みな台詞を吐きながらら逃げ出そうとして、少年が投げつけた取り巻き二人の直撃を受けて失神したので、『Zodiacゾディアック』の店員に回収に来てもらいました。

 その際彼らはいつもすみませんとか謝ってきたので、どうも嫌がらせしたいのはロイドだけなのかもしれない。そういや、ちゃんと話合った事なんて無かったな……。


 普通に考えればアタシは猫と会話を試みる痛い女だろうが、実際目の前の黒猫は人の言葉で話すので仕方がない。

 「なぁ、飯を出してくれた事には感謝するが、この店風通し良すぎないか?」

 アタシの問い掛けなど無かったようにゼペットと名乗る隻眼の黒猫(?)はロイドの取り巻きに壊された壁――があった場所を見た。

 「いや、会話しろよ。あと料理と水は有料だから感謝される謂れは無いわよ。」

 「おいおい、恩人から金取る気かよ銭ゲバ女。まったく若い美空で欲まみれとは痛ましいことで。」

 そういうとゼペットはやれやれとボディーランゲージを交え鼻で笑った。

 「助けてくれた事には感謝してる。でもそれとこれとは別。アタシにも生活があるんだから出すもんはキッチリ出してもらうから。」

 「んぐっ、ゼペットは何もしてない。助けたのは僕。あと。」

 「おまっ、ピノどんだけ食ってんだ!」

 「うん? 美味しいよ?」

 「いやいや、何皿空にしてんだ一、二、三……十三!? 待て待てお前の腹のどこにこんなに入ったんだよ!?」

 「まだ八分目。よゆー。」

 「お前が余裕でも財布の中身が心もとないんだが!?」

 「おい……。」

 ゼペットの首根っこを掴みアタシは声をワントーン下げる。

 「金は、払ってもらうからね?」

 「わ、わかった! わかったから! あとでお願いします!」

 威圧感たっぷりに釘を刺すと、猫がかくはずもない汗が見えそうな表情でゼペットが懇願する。

 喰い逃げ。ダメ! 絶対!


 おかわりが出なかった事に不満の意を満面に貼り付けはしたものの、腹をある程度満たしたピノ少年はそのままカウンターで眠りこけた。

 自由かよ……。

 ピノの奔放さに呆れと多少の羨ましさを含む視線を向けた後、ねむり姫ならぬねむり王子の肩にブランケットをかけて、アタシは話題を戻した。

 「それで? どうやってここまで来たの?」

 「だから歩いてだよ。まぁ俺様はほぼほぼピノの肩に乗ってただけだけどな。」

 食後のコーヒーをご所望の黒猫様に小さめの皿に注いだコーヒーを出してやる。

 「だからさ。無理に決まってんじゃんそんなの。東境大砂漠とうきょうだいさばくってことは第一区から来たってことでしょ? ここまで直線距離で三百キロ以上の砂漠越えよ?」

 「そう言われても実際越えて来たからなあ。」

 「いや、人間じゃねえわそんなの。」

 「いや、俺様が人間に見えるのかよ。」

 「そういう事言ってんじゃないのよ。人間どころか子供の足で越えられる距離じゃないって言ってんの。」


 東境大砂漠とうきょうだいさばくを越えた反対側。そこにあるのはガラハッド第一区。

 第二十一自治区とは違い、天使が治めるガラハッドの首都だ。

 首都とは言っても、西暦時代のような街並みが広がっているわけでは無い。

 この世界の町は全てパノプティコンなのだ。

 首都は大浄化であらわれた十二人の天使が治め、通常はその周囲に波紋状に三十二のパノプティコンが点在している。

 首都以外は自治区であり、それぞれ代表の真人類ニューマンが首長となり取り仕切っていて、首都を含む三十三のパノプティコン群を国家と呼び、とりまとめる天使の趣味によって、独特の発展を遂げてきた。

 そう、恐るべき事に十二人の天使たちは大浄化から千年が経とうとする現在でも外見上老いることも無く、未だに人類の頂点に君臨しているのである。


 とは言え、それで何か不自由があるわけでも無い。

 天使は基本的に人類に過剰に干渉してこない。環境維持を名目に毎年僅かばかりの税を要求してくるだけだ。その税ですら『Heavenヘイヴン』の拙い稼ぎから払ったところで生活が困窮するようなものでも無い。仕事にあぶれた住民には行政から仕事の斡旋もあり、貧富格差は無いわけでは無いが致命的なほど破綻しているわけでもない。

 生産と消費が完結している完全管理されたパノプティコンとは言え、町がSF小説のようなドームで覆われ隔離されているわけでも無く、閉塞感とも無縁でありディストピアという訳では無いのだ。

 話が逸れたけど旧日本の位置関係で説明すると、ガラハッドの第一区は大体福島県と茨城県と栃木県の中心辺りで、今アタシたちのいる第二十一自治区は静岡県の最西端辺りだと言えばその間を埋める東境大砂漠とうきょうだいさばくを徒歩で踏破する事の異常さが伝わるだろうか……?


 「あーわかったわかった。じゃあもう無理って事でいいよめんどくせぇ。」

 「腹立つわこの猫……!」

 「つーかお前口悪すぎだろ!?」

 「アンタ、アタシが貴族令嬢か何かに見えてんの? 自分で言うのもなんだけど、物心ついたころから札付きがメイン客層のジャンク屋の娘なのよ? 口の悪さなんてこう育つべくして育ったに決まってんでしょ?」

 「ま、言いえて妙だな。」

 何かに納得したのかゼペットはくつくつと笑う。

 いや納得されるのも心外なんですけど?

 「ところでジャンク屋って事は素材の買い取りもやってんのか?」

 「それなりの価値があればね。というか素材買い取りも仕事斡旋もやってるし、食事も出すし、簡易の宿も旧時代の遺産アーティファクトの修理やカスタムもやってるわよ。」

 「いやいや、一人でまわせるのかそれ。」

 「逆になんで回せないと思うわけ? 良く周りを見なさいよ。アンタたちの他に客の姿が見えるとでも?」

 「カウンターの一番奥に一人?」

 「い、いないでしょ!? 怖いわ! あれか!? ネコやイヌが何も無いとこジッと見つめるアレなの!?」

 いないと解かってはいるが一応確認――うん、いない。

 別に怖がってるわけじゃないんだからね!

 「ああ、悪かった冗談だ。」

 「ほんっとやめてよね……。」

 「多分……。」

 「三味線にされたいの?」

 すまんすまんとケラケラ笑う黒猫にフラストレーションが溜まる。

 マジで皮剝いでやろうかな。

 とは言え、こんな調子で冗談に付き合ってちゃ何一つ情報が得られない。仕方がないので努めて冷静に、湧き上がる殺意をアタシはぐっと抑え込んだ。

 「まぁ、砂漠の件はこの際どうでもいいわ。で? 目的地はどこなの?わざわざ砂漠を越えて、何か目的があるんでしょ?」

 「二十一自治区に用事があってな。しばらくここに滞在するつもりだ。」

 「珍し。言っとくけどこの周辺のめぼしい遺跡は探索され尽くしてるわよ?」

 「だろうなぁ。昔は油田もあったらしいからこの周辺は大浄化からの復興でまっ先に目星付けられてただろうから。」

 「油田? 初耳だけど……。」

 「サガラ油田つってな。発見されたのはもう二千年以上前だ。それも地殻変動でうまいこと採掘出来なかったようだが。」

 「それじゃあ何しにこんな西の果てまで?」

 「そいつは今んとこ秘密ってことで。もしかしたらそのうち協力してもらうかもしれねえが。」

 「ま、内容と金額次第ね。」

 「へえへえ、しっかりしてなさる。」

 ゼペットは右前足の肉球で顎をさすり、ケタケタと皮肉っぽく笑う。

 なんでこの猫はこんなに表情豊かなんだ。

 ていうか――。

 「ていうか、なんで人の言葉喋ってんの? つか猫じゃないでしょアンタ。」

 気づかないふりをしていた疑問を投げかけてみる。

 気になって仕方ないが知るのが怖いというかなんというか。

 いやだって普通に考えて喋る猫とか怖すぎでしょ?

 「ああ、そういや説明してなかったか? 俺様はこう見えて旧人類ヒューマンだからな。」

 真面目な顔――だと思う――をしてゼペットはそれ以上話すつもりは無いらしい。

 「ああはいはい。真面目に話すつもりは無いってことね。」

 「いやあホントの事なんだがなぁ。」

 そういってフンとひとつ鼻を鳴らしたゼペットの表情に影が落ちたようにも見える。

 とは言えアタシの目に映るゼペットは猫以外の何者でもない。旧人類ヒューマンだとか言っているが到底信じられる話でもない。結局はアタシの事がまだ信用できないという事なのだろう。当然と言えば当然か……。

 彼らとは出会って間もないうえに、第一印象も最悪だったはずだ。

 何せ借金があるわけでも無いのに店を壊されそうになっている旧人類ヒューマンだもの。訳アリにしか見えるはずもない。

 「俺様たちの事は信じられるなら信じてくれればいいさ。」

 そう言ってゼペットは話を終わらせ、料理の支払いを済ませると、ピノの肩をゆすって起こしている。

 そういえばこいつら宿はもう決めてるのかな?

 会話の途中にも出たけれど、第二十一自治区近隣の遺跡は探索され尽くしていて、それに伴って最近じゃ旧時代の遺産アーティファクトハンターもめっきり見なくなっていた。この二人……もしかしなくてもかなり良い金づるなのでは??

 「毎度あり。ところでさ、アンタたち宿はもう決まってんの? どうせならこのままウチを使いなよ。安くは出来ないけど。」

 アタシは少しいたずらっぽくウィンクして腰をくねらせた。

 猫に旧人類ヒューマンのお色気攻撃が効くとも思えないが、折角訪れた商機。易々と逃してなるものか。

 アタシの決死の媚売りはともかくとして、寝ぼけたピノの涎を器用に布巾で拭っていたゼペットは大きく目を見開いて逡巡するも、それほど時間をかけずに、とはいえ少しだけ困ったような笑顔を見せた。

 本当に表情が豊かな猫だなと思う。姿かたちこそ猫にしか見えないけれど、目を瞑っていれば人と会話しているようにしか感じない。いや、目を開けていたってコロコロ変わる表情は人が見せるソレとしか思えない。

 「そう、だな。俺様も今更普通の猫の振りも面倒だし世話になるか。ピノもそれでいいか?」

 「う、ん。いいよ。」

 肯定してピノはすかさず大きな欠伸をした。

 「毎度! 部屋は階段上がって直ぐ。鍵渡しておくけど外出の時は基本いつも店のどこかには居るからアタシに預けて。夕食は無料、それ以外の食事は有料ね。」

 「待て待て世話になるとは言ったがまずは金額を教えろよ!」

 「え? 要る?」

 「要るわ! おっかねえ宿だなオイ!」

 「一泊九十ドルよ。基本は先払いだけど、一週間毎の清算でいいわ。もし早くチェックアウトすることになったら日割りで返金するからさ。」

 「たっか!? トリスタンの宿は一泊六十三ドルだったぞ?」

 「そこはお国柄ってヤツね。トリスタンってあれでしょ? 最近新しい遺跡が複数発掘されたとかいう。それならハンターも集まってるはずだし相対的に宿代も下がるでしょうね。最近じゃめったにハンターが訪れないガラハッドじゃこれでも採算度外視の良心価格なんだから。」

 「ゼペット。イヨは嘘言ってない。」

 ピノから謎の援護射撃が入ると、ゼペットはまたも鼻をフンとひとつ鳴らす。

 「お前がそういうならそうなんだろうな。まったく……しばらくはゆっくり出来ると思ったんだが、こりゃ直ぐにでも働かなきゃならなそうだな。」

 「いい心がけね! 仕事ならそれなりにあるから、しっかり稼いでアタシをたんまり稼がせなさい。」

 「いやお前、若い女が絶対やっちゃダメな顔してんぞ。」

 「イヨ。顔怖い。」

 そう言いながらも、二人とも少しだけ、本当に少しだけ柔らかい笑顔を浮かべ、二階の部屋へ消えていった。

 ちょっとだけ信用してもらえたのかな。

 思い上がりかもしれないけれど、そのちょっとだけが今のアタシにはすごく嬉しい。

 「さてと、まずは何をやってもらおうか、依頼の整理やっとくかあ。」


 ここはジャンク屋『Heavenヘイヴン』。

 旧人類ヒューマンが営む何でも屋。差別の厳しい現代で、真人類ニューマンを頼れない旧人類ヒューマンの為の店。

 仕事が回れば救われる人は思いのほかたくさんいるのだ。

 ならば世の為人の為、明日からも元気に営業しなくては。

 カウンターの皿を片付け、店の外に出て空を見上げるとすでに帳が落ち、噴水広場もすっかり静けさに包まれている。夜の涼やかな風を受けたアタシは大きく伸びをして、明日からの忙しさに胸を躍らせていた。

 退屈だった日々がいい方に変わっていく。

 そんな予感がアタシを満たしていた。

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