第10話

 ガラハッド第一区、黄道教会オフィウクス。

 極東のパノプティコンを統括し管理する最重要施設の最奥さいおうにある執務室に、十三番目の司教ガラハッドは居た。


 執務室の暖炉脇の額を軽く引き、煙突のレンガのある個所にオドを流すと部屋の中央に不思議な光を放つ文様が浮かび上がる。

 ガラハッドは姿見の前で軽く身だしなみを整えると文様の中央へ立ち静かに目を閉じる。

 「全ては未だお隠れあそばす主が為に。」

 そう呟くと彼の姿は光に包まれた。


 ガラハッドが目を開けた時、果ての見えぬ闇の中。スポットライトが当たるかのように一筋の光が落ちる中央には十三の椅子で囲まれた円卓があった。

 蛇の意匠が施された椅子の前に立ち、ガラハッドは恭しく膝マづいた。

 「オフィウクス・ガラハッド馳せ参じまして御座います。」


 その言葉に応じるように対面にある羊の意匠が施された椅子から光がこぼれ、その奥からが彫られたモノリスが顕れ言葉が響く。

 「オフィウクス。彼が、現れたそうですね。」

 「はい。相違御座いません。」

 「接触は試みましたか?」

 「いいえアリエス様。現在は監視を付け泳がせております。」

 顔を伏せたままガラハッドが答えると、アリエスのモノリスの二つ左隣、ガラハッドから見て右側の双子の意匠が施された椅子から先ほどと同じように光が漏れ、その奥からジェミニのサインが彫られたモノリスが顕れ言葉っを響かせる。

 「わたしたちは三千年にわたり幾度も失敗してきました。オフィウクス。彼はまたわたしたちの前に立ちはだかるのでしょう。」

 「おっしゃる通りでございますジェミニ様。」

 続いてガラハッドの左隣、水瓶みずがめの意匠が施された椅子から光と共に顕れたのはアクエリアスのサインが彫られたモノリス。

 「主の復活なくしてわたしたちに未来は無い。」

 立て続けにガラハッドの二つ右隣からカプリコーンのサインが彫られたモノリスが顕れた。

 「わたしたちは永劫の時を生きる。しかしこの星は永遠ではない。」

 ガラハッドはゆっくりと顔を上げ、細く目を開くと小さくひとつ頷く。

 再度、アリエスのモノリスから声が響く。

 「オフィウクス――シージ・ペリロスの呪いに打ち勝ちその席に座した十三番目の幼き木よ。」

 「は……。」

 「彼の者に接触し、その真意を見定めなさい。障害にしかなり得ないのであれば、全力を以って排除にあたるのです。」

 ガラハッドは再度まぶたを閉じ、恭しくこうべれると了解の意を口にする。

 「御意のままに。」

 そして頭を下げたまま立ち上がると、向きを変える事無く一歩下がり、そのまま闇の中へと消えていった。


 ガラハッドが姿を消したあと次々とモノリスが顕れ、十二の光に包まれたモノリスが円卓を囲んだ。

 「本当に、幾度目の試みとなる事か。」

 「今思えばシュメールが最も望みがあったのでは無いだろうか?」

 「一理ある――が、アレは自らの手で主を滅ぼしてしまった。」

 「アレも結局ムーと同じだ。アレらはやはり直接の管理が必要であったのだ。」

 「まったく。人間という生物は度し難い。わたしには望んで滅びの道を選んでいるように思えてならぬ。」

 「厄介なものだ。この世界の生き物には遺伝子レベルで滅びのシステムが組み込まれてしまっている。」

 「たかだか数千年で滅びるような脆弱な種では困る。」

 「しかり。個としての寿命が短いのはこの際目をつむるとしても、種として数万年の繁栄は必須。」

 「全く如何したものか……。」

 「自壊せぬよう誘導すれば今度は増えすぎて自らの首を絞めるなど誰に予見できようか。」

 「もしや彼の者は潜在的な敵対者では無いのでは?」

 「タウロス、それは早急というもの。事実彼奴きゃつは幾度となく我らの計画を妨害している。」

 「ライブラ、しかしそれはあの女の件があったからでは?」

 「あの女? ベアトリーチェの事か? たかが女の魂ひとつの為に何千年にも渡って敵対していると? それはあまりにも破綻した考察だタウロス。」

 「破綻しているのです。しているでしょう? 彼の者はあまりに多くのものが欠落している。」

 「そう――そうであったな。彼奴は、いや彼奴らはあまりにも破綻しているのだ。では致命的な読み違いをしてしまう恐れがある。」

 「ときにライブラ。若き木、オフィウクスは彼の者と古い知己であったはず。アレが裏切る可能性も視野に入れた方がよいのでは?」

 「もありなん。何せあ奴は。たかだか二千年ほどでは本性を見極めるには短すぎる。」

 「しかり。ではオフィウクスを含め彼の者らに今後どのように対処してゆくのか、第六十六万六千六百四十六回、円卓会議を始める。」

 「「全ては未だお隠れあそばす主が為に。」」


 黄道教会オフィウクスの執務室へと戻ったガラハッドは、部屋の中央奥に鎮座する豪華な蛇の意匠が施された自身のデスクに着き考え込むように両手を額の前で組む。

 それほど長い時間意識を向けていたわけでは無いはずだが、ガラハッドは極度の緊張と熟考による疲労から強い喉の渇きを覚えていた。


 ガラハッドはひとつ大きく息を吐く。胸中に渦巻く焦燥を吐き出すように深く長く。

 そしてデスクに備え付けのベルを振る。

 「失礼いたします。」

 厳かな佇まいで司祭ラサルハグェが入室し、こうべれる。

 「すまないがお茶の用意をしてくれるか?」

 「承りました猊下。」

 ガラハッドが鷹揚に頷くと、ラサルハグェが廊下に控えていたメイドを招き入れる。女性たちは体のラインが目立たない程度にゆったりとした白いプリーツブラウスに紺色のリボンタイを着け、くるぶしが隠れるほどの黒いタックフレアスカートに身を包み、上品かつ優雅に一礼すると茶器一式と茶請けの菓子を乗せたワゴンを音もなく押し入室し、紅茶の用意を始める。

 ガラハッドとラサルハグェが応接テーブルを挟んで豪奢ごうしゃなソファに腰を下ろすと紅茶の豊な香りが二人の鼻腔をくすぐる。


 奴隷階級を置かない。それが天使たちの下した結論だった。

 それに伴い教会には側仕えに相当する人員がおらず、彼らの生活のサポートには給与が支払われる職務として、市民の中で相応の教育を受けた者たちがあてがわれていた。


 テーブルに茶と菓子が並ぶと、入室時と同じように無言のままメイドたちは深く会釈をして静かに退室していった。


 「えらく準備がいいなラサルハグェ。」

 「僭越ながらそろそろかと思いまして。」

 少し垂れ気味な目尻に細かなしわを蓄え、優し気に目を細めるラサルハグェ。

 「まったく優秀すぎるのも困りものだ。お前は最高位の司祭なのだ。もう少し肩の力を抜け。」

 「恐れ入ります。しかしながら司祭ともなりますと、うまく立ち回りさえすれば中々どうして暇を持て余してしまいまして。」

 気疲れもどこへやら、少し困った笑みを浮かべガラハッドは紅茶に口をつける。

 「それならそれで自適な人生をおくれば良いものを。」

 「恐れながら、私は主へ心身をたてまつった身に御座いますれば。はて、自適と申されましても少々困ってしまいます。」

 「主は真人類ニューマンの繁栄をお望みである。主とてその身を捧げられたところで、それこそ持て余されよう。」


 黄道教会において教皇とは主つまり神である。そして主を支える司教たちは不滅の天使なので、司祭とは黄道教会における市民がたどり着ける最高位の役職である。

 そして黄道教会は主の教えを広める為の組織では無い。どちらかと言えば統治の為の統制機関である。故に彼らの業務は教えを広めたり修行に励んだりといった事はほとんど無く、また信者を広く募る必要も無い。何故なら市民はこの世に生まれたその瞬間から教会の管理下にあるのだから。


 それでも政府では無く教会という形をとったのは、世界に散らばる十三の国家を統一思想で管理する為であった。人という生き物は貧しければ豊になる為戦争を起こした。豊であれば自らの信じる信念や正義を証明する為戦争を起こした。ならば――と天使たちはこれまでと違う道筋を作った。

 全ての人間を統一思想で一元管理しようと。

 争いの火種になりそうな思想には事前に首輪を付け、管理もしくは処分してしまえば争いそのものが起こらないだろうと。

 徹底した管理の元、人類の多様性は認めつつ厳然たる管理の元害悪の種は摘み取る。

 その結果の都市のパノプティコン化であった。


 ふふっとこぼし、ティーカップをテーブルに置いたラサルハグェ。

 「では、代わりに猊下の手足となりましょう。ひいてはそれが主より賜った我が身の喜びで御座います。」

 「そうか。頼もしいが恐ろしいな。」

 「恐れ入ります。」


 未だ湯気を立てる紅茶をゆっくりとすすり、ガラハッドは目を閉じた。


 (どうやら天使様がたは私を心から信じてはおられないようだ。ならば、証を立てねばなるまい――。)


 「古き友――か。」

 ガラハッドの独白を目を閉じたまま静かに聞くラサルハグェの口角が、気を付けねばそれとは気づけないほど僅かに吊り上がった。

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