第9話

 ガハラッド第二十一自治区から北東へ伸びる街道を二輪が駆ける。

 Ⅴ型四気筒千七百ccエンジンを大気からオドを吸い込み圧力をかけ爆発力を得る旧時代の遺産アーティファクト大気力内燃機関アウターオドエンジンに換装し、巨大なエアインテークの生えた燃料タンクは取り込んだ大気内のオドを圧縮する炉へと変えたその姿は正に地を蹴る獣。

 咆哮の代わりにエンジンの唸りを。足跡の代わりに一筋のタイヤ痕を残し科学の獣はひた走る。

 そしてその背にいるのはあどけなさを隠しきれない少年と、全身が夜の闇のように深い毛並みの隻眼の猫。


 「ゼペット。」

 「……。」

 「ゼペット。」

 「……聞こえてるよ。」

 「運転しづらいんだけど。」

 「そりゃ運転しづらいだろ、未舗装路だからな。」

 「そうじゃなくて、腹が。姿勢がキツイ。」

 「無茶言うな、俺様だってタンクとお前に挟まれて窮屈なんだ。」


 気だるそうな声で悪態をつきながら、少年の腹部とバイクのタンクに挟まれた状態でまたがり手足をだらりと垂らした猫が少年の顔を仰ぎ見る。


 「ゼペット。」

 「断る。」

 「まだ何も言ってない。」

 「降りて走れって言うんだろ? 断る、死ぬ。」

 「死なないでしょ。降りて自分で走って。」

 「そりゃあんまりだぜ相棒。確かにアレ使えばバイクにだって遅れはしねえけどよ、俺様は使えないんだ。そんなことしたらどうなると思う?」

 「僕がゆったり座れる。」

 「俺様がくたばるわ。我慢しろ。」


 幾度となく繰り返されたそんな二人の言い合いには悪意が微塵も無い。

 ただ目的地への道すがら持て余した暇を潰すための――そう、些細なやりとりである。


 もそんな彼らのやり取りをずっと見守ってきた。

 ずっとずっと。

 振り返るのもはばかられるほど長い長い間。


 少年ピノはずっと少年であった。

 黒猫ゼペットはかつては人であった。

 ワタクシはずっとワタクシであった。


 しかしここに来てワタクシに少し変化が起こった。

 そう、私は今――。


 「――ガラハッドのジャンク屋『Heavenヘイヴン』でメイド服を着て給仕をしている。」

 「誰に言っている誰に。」

 「これはこれはイヨ殿お恥ずかしい所を。何、独り言でございます。歳を取りますと多くなってしまいまして。」

 「いや、見た目アタシと大差無いんだけど歳っていくつなのよ。」

 「女性に年齢を訊くとは! イヨ殿それは無粋で御座いますよ?」

 「女同士で通じるか!」


 「おかしい。出会った当初のイヨ殿はもう少し淑やかな印象を受けたものだ。一体何がお気に召さないのだろう……。」

 「いや、隠せ隠せ。思いっきり声に出すんじゃない。アンタ口調は紳士なのに根本的にアタシを舐めてるでしょ? 舐めてるわよね?」

 「はて……。一体全体なんのことや――痛い痛い! イヨ殿! 腕を捻らないでくださいませ! 本当に痛い!! 肩が!! 肩が抜けまする!!」

 「アンタ旧時代の遺産アーティファクトでしょ!! なんで痛覚があんのよ!」

 「そうは申されましても……としか。例えば、イヨ殿は何故呼吸しているのでしょう? とお伺いしても生きているのだからそう――としか答えようもないのと同じで御座います。」

 「うっ……確かに。」


 そう、ワタクシがワタクシである理由など些末な事なので御座います。

 ワタクシは人工知能AIを搭載した旧時代の遺産アーティファクト。自己成長により人格を獲得した旧時代の遺産アーティファクト:ジミニー。

 ゼペット様とピノ様にお仕えし、サポートをする為に生み出されました。

 そうお伝えした心算つもりでしたが、いかんせんワタクシの自己紹介が一度で受け入れられた試しが御座いません。なんとも悲しい事で御座います。


 はてさてどうしたものか。

 そんな風に考えを巡らせているところに店のサルーンドアが開かれる。

 さてさて、兎にも角にも今はお仕事に精を出さなければ。


 「やあイヨ……と、これは初めまして美しいお嬢さん。イヨよ? こりゃ一体どういう風の吹き回しだ? お前さんが真人類ニューマンを雇うなんて。」


 そう言うのは初老の真人類ニューマン。蓄えた立派な髭は真っ白で、潔く禿げ上がった頭には茶色のハンチングを被っている。


 「どうもこうもないわオーヴァン。最近うちを拠点に活動し始めたハンターの連れよ。」

 「そうかそうか! 例のハマナコ鉱床の調査を受けてくれたって奴らの連れかアンタ。よろしくな、ワシはオーヴァン。鋼材屋を営んどる。」

 「よろしくお願い致しますオーヴァン殿。ワタクシ、ジミニーと申します。どうぞお見知りおきを。」

 豊満な胸に右手をあて、右足に絡ませるように左足をほんの少し引き会釈をする。

 はて? 以前起動したときは胸部にこのような膨らみは無かったはずですが……、まぁ今それはいいでしょう。

 「あ、ああジミニー……さん。なんというか、変わってんな? アンタ。」

 「左様でしょうか。」

 「アンタ言動が紳士なのよ。見た目がソレだからギャップがすげぇ。」

 「ホントだぜ。こんな絶世の美女見たことねえやな。」


 褐色の肌に起伏の激しいボディーライン。そして艶やかな長い黒髪に宝石の如き真紅の瞳。長く反ったまつ毛に厚い唇。女性であるイヨ殿をして「一目見るだけで変な気を起こしそうだ」と言わしめたこの見た目は、今までのワタクシの義体アバターとは一線を画す。

 またゼペット様が何かしたのでしょうか?

 全く困った主だ。


 「お褒めに預かり恐悦至極に御座います。しかしながらこうしてご来店頂きましたお客様を店の入り口に立たせたままというのも不躾でございますれば。僭越せんえつながらお席へご案内致します。」

 「お、ああ、頼まぁ。」

 とは言ってもこの店にはカウンター席しか無いのだが。

 イヨ殿が呆れたように小さく鼻を鳴らしたような気がしたが気づかなかった事にして、ワタクシはオーヴァン様をカウンター席の中央へと案内する。


 「で? 今日はどうしたの? まさか依頼の確認だけしに来たわけじゃないんでしょ?」

 「ああ、それなんだが正にジミニーさんの連れの話でな。ああ、とりあえずスコッチをロックでな。」

 「ん? て言うと?」


 ワタクシがイヨ殿の用意した飲み物を出すと、目尻に刻まれた皺を深くしながらニッと笑いオーヴァン殿は「ありがとよ!」とその右手をワタクシの尻へと差し出した。

 感じた怖気おぞけをおくびにも出さず音も無く躱すと、オーヴァン殿の右手が空を切る。

 「おっといけねぇ手がすべっちまったぜ」じゃありませぬ。こう見えてワタクシの性自認は男性ですのでこういった事はご遠慮願いたい。

 気分を害した様子も無くアルコールで唇を湿らせたオーヴァン殿は表情を整え口を開いた。


 「いや、なに、どうやら二人に用があるって御仁がいらっしゃってな。仲立ちを頼まれたんだよ。」

 「札付きに用がある――って教会の助祭かなんか?」

 「いや、それがな――。」


 おやおや、これは穏やかではありませんね。

 しかし起動目覚めて早々賑やかな主たちだ。

 ワタクシは思考に浮かんだ、不安や期待の入り混じった不思議な感情に少しだけ頬を緩めつつ、事を成し一息ついている主へ小さく言づけた。



『どうやら接触がありそうです。』



 主からの返事は端的に、しかし明瞭なものだった。

 はてさて懐かしい御仁との邂逅、ワタクシも歓迎の準備をしなくてはなりませんね。

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