第7話
ゼペットとピノがうちの宿を拠点に仕事を始めて二週間が経った。
札付きの
通常イエローは札付きの中でも一般人と変わらず触れ合える中で最も危険とされる人種だ。札付きどもと関わりを持とう等と思う者はまずいないし、ましてや一般人かっらイエローに関わろうなんてあり得ない。
何故ならお互いがお互いの事を解らないのだから。解り合おうとしないからではなく、絶対に解らないのだ。
だってそもそも札付きは人間の持つ感情のうち何かが欠け落ちているのだから。
だがあの二人は違った。
解り合おうとすらしていない。しかし一定の距離を保ったまま、感情の触れ合いが起こりえない距離感でしっかりと第二十一自治区の生活に馴染んでいた。
道行く婦人に頼まれごとをすれば対価を請求したうえで引き受け、班長――自治区において更に細かくエリア別けされた班をまとめる首長のこと――が悩んでいれば食事を奢らせ相談にも乗っている。
そしてもれなく感謝されている。
アタシにはその光景が異様に見える。
アタシだって爺ちゃんが死んでから十五年。アタシなりに皆の力になろうと頑張ってきた。無償で手伝いだってしたし、面倒だってかけてこなかったはずだ。
だけど、あの二人ほどアタシはこの地域に溶け込んでいる自信が無い。
そりゃあ親しい人の一人二人はいるし、班長も認めてくれてはいる。
でも何かが違う。
あの二人は恐らく誰一人として人の名前を憶えていないし、呼びつけ合って酒を飲むような仲の者もほとんどいないだろう。それでも、あの二人はこの第二十一自治区にさも当然として居る事を全ての人から許されている……うまく言葉に出来ないけど、そんな気がする。
アタシの十五年が、あいつらの二週間に負けたような、得も言われぬ敗北感で胸が苦しい。
そして何より、あいつらの隣に――一番近くに居るのがアタシじゃない事が、なんというか――。
「お? 壁綺麗になったじゃねえか。」
サルーンドアを開け……ずにその下をくぐった黒猫が、午前中に修繕を終えた店の壁に視線を向けたまま入ってくる。
「ラフトさんたちが頑張ってくれたからね。もっともアンタたちがしっかりうちにお金を落としてくれるおかげなんだけどさ。」
そう言って金づるの片割れを労うと、生意気にも黒猫は目を細めてニヤニヤしだす。
感謝しなきゃよかった。
そういえば、昼時の日課と言わんばかりに絡んできていたロイドがここ二週間は一度も顔を見せてないな。
そういった面でも二人の恩恵を受けてるんだなぁ。
「そういや必死な形相で『覚えてろ!!』とか言って逃げてった兄ちゃん、あれから一度も見てねえなぁ。」
「そうね、忘れちゃったんじゃない? アホだから。」
「覚えてろって言ったヤツが忘れてんのかよ。なにそれ面白い。」
「面白くないわよ。下手すりゃコテンパンにやられたことまで忘れてるわよアイツ。」
「学習しないのは問題だな。あ、コーヒーくれ。」
やれやれと鼻を鳴らした黒猫がカウンターテーブルに座り、そう言うと右手でクシクシと顔を洗いだす。
自分の事
「はいはい十一ドルよ。」
不満をフェイシャルパックのように張り付けたまま、左前脚のインベントリリングを差し出すゼペット。
アタシがそこに自分のインベントリリングを軽く当てると、熱い金属の芯をハンマーで叩いたような音が響く。決済完了毎度あり。
「なぁ、宿代もそうなんだがいい加減物価が高すぎねえか?」
アタシは取り出したサイフォン用のロートにフィルターを収め温める為にお湯を注ぐ。
「なに言ってるのよ、二週間も居ればどこだってこんなもんだって解るでしょ? 特に嗜好品は割高なの。こんなにしょっちゅうコーヒー飲むのもアンタくらいなんだから。」
頃合いを見てフラスコに水を入れ、火を付けたオイルランプにサイフォンをかける。
そしてミルに豆を入れ、粗さが少し残るように手早く、しかし急ぎすぎないようハンドルを回す。
「それにしたって高いわ。コーヒー一杯が宿一泊の二割弱ってのは。」
「うちの豆はパーシヴァルから取り寄せてるからね。言っとくけどかなりの高級品なんだから。」
「パーシヴァル……ってことはインド――モンスーン・コーヒーか……なるほど、どおりで懐かしい香りがするわけだ。」
「インド? 何それ。」
「いや、こっちの話だ。」
「ふぅん。ま、いいけど。」
沸騰したフラスコに温めたロートをセットし挽いた豆を入れると、すぅっとフラスコの湯がロートに溜まり、じわりと褐色に染まる。
「ああ、いい香りだ。」
「同意はするけど……この良さが解かる猫ってどうなのよ?」
しっかりと抽出出来たらオイルランプの火を消し、コーヒーがフラスコに戻るのを確認したら、あらかじめ湯を張って温めておいたカップ――ではなく、皿に中身をそそぎ差し出した。
存分に香りを楽しみ、未だ湯気立つそれをひと舐めしたゼペットは穏やかな表情で目を細めている。
爺ちゃんから受け継いだこのコーヒーの良さを一番理解してくれるのが猫っていうのがなんとも歯がゆいが、やはりこの瞬間は冥利に尽きる。
「ああ、美味い。イヨの淹れたコーヒーは何物にも代えがたいな。」
なんだこの猫!
なんだこの猫!?
なんでそんな穏やかな笑顔でそんな台詞吐けるんだ!?
不意打ちにもほどがある!
っていうか猫に赤面してどうすんだアタシ!!
「そ、そ、そ、そういえばピノは!? 今日はまだ見てないみたいだけど!?」
「お、おう? どうした声がでかいぞ?」
「そんなことないから!!」
「変なヤツだな。わかった! わかったから睨むな! アイツは今日ちょっと探し物をしててな。」
「探し物? それって来たばっかの頃に言ってた目的ってヤツ?」
「んん……まぁそんなとこかな。」
「そう。まだ話してはくれないわけね。アタシってばそんなに頼りないかしら?」
「あん? んなこたねぇよ。率先して巻き込みたくねぇだけだ。もし巻き込んじまったらそん時は話すさ。」
「なんか悪いこと企んでたりしないわよね?」
「そんなんじゃねえから安心しろよ。」
そう言ってゼペットはくつくつと笑い、少し冷めたコーヒーをまた舐める。
そして出したコーヒーを飲み干すまでゆっくりと時間が過ぎた。
アタシもサイフォンやロート、フィルターを洗って布巾で丁寧に水気をふき取りながら穏やかな午後を過ごす。
気が付けばサルーンドアから覗く空が赤みを帯び始めている。
「代わりと言っちゃなんだが――。」
唐突にゼペットが声を掛けてきて、アタシは磨いていたカトラリーを落としそうになる。
「あ、すまねぇ。えっとな代わりと言っちゃなんだが、ひとつ頼みたい事があるんだ。」
「代わり……ってああ、目的がどうのってヤツか。」
「ああ、まぁその目的にも関係のある事なんだが、イヨに
「おおっと? えらくまともな依頼じゃない。」
「まともじゃねぇ依頼ってなんだよ。」
「急に言われても思いつかないけど、まぁカスタムならある程度はいいわよ。」
「おう、んじゃピノが戻ったらその話をさせてもらうわ。」
「おっけー。」
……。
…………。
ん?
物だけ渡してもらうわけにはいかんのだろうか??
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