BLACK LABEL

ネオジム

序章 プロローグ

第1話

 大浄化。西暦三千年――ミレニアムを迎える年に世界四十八都市で同時多発的に起こった大災害。その爆心地の一つ、東京。

 かつて存在した日本という小さな島国の首都であり、一都市でありながら栄華を極め、世界中から物や人が集まり、あらゆる意味で一目置かれた大都市であった。

 未曾有の大災害から千年弱、暦が西暦から新生歴へと変わり最初のミレニアムが近づいた現在。東京は関東一円を巻き込み広大な砂漠となっていた。


 高層ビルが立ち並び、様々な民族が入り乱れ、人と人の触れ合いが希薄となり、国家の光と闇が色濃く出た街を揶揄やゆし「東京砂漠」などと綴る歌もかつてあったが、眼前に広がるのはどこまでも続く砂の丘陵とほんの少しの栄華の名残。風化したビルの僅かな残骸のみ。人々はその様から皮肉にも、東境大砂漠とうきょうだいさばく――と誰ともなく呼んだ。


 大浄化以前日本とよばれた島国は、地殻変動と地軸の極端な変化により現在は赤道直下に位置しており、かつて日本列島と呼ばれた周辺には冬が無い。東アジアからは遠く離れ、太平洋側は広い範囲で海底が隆起し、島というよりは小大陸と言った方がうなずき易い様相を呈している。

 通年を通して気温が高く、全土でみても気温が十五度を下回ることは無い。海流の変化で台風やハリケーンといった大型低気圧の影響は減ったものの、山岳、山脈の多い地形から竜巻や雷の多い国へと自然環境も様変わりしていた。

 雨季こそ多いものの、高い山脈に囲まれ、海からも遠く離れた東境大砂漠とうきょうだいさばくにはほとんど雨が降らない。人が立ち入らない為確認されていないだけかもしれないが、およそ伝聞によればオアシスも無く、灼熱の砂漠に適応した突然変異の動物や虫たちが跋扈ばっこする恐るべき現代の地獄。一度足を踏み入れれば二度と生きて帰ることの出来ない人外魔境である。


 そんな砂の海に残る一筋の人間の足跡がある。

 足跡の主は強烈な日差しを避けるかのように厚手のマントを羽織り、フードを目深に被った少年。足取りは重く、それでも一歩、また一歩と砂に沈む足を抜きながら持ち上げ、西へ歩を進めていた。


 「ゼペット。」

 「……。」

 「ゼペット。」

 「……聞こえてるよ。」

 「暑いんだけど。」

 「そりゃ暑いだろ、砂漠だからな。」

 「毛皮が。」

 「無茶言うな。俺様だって脱げるならそうしてえよ。」


 気だるそうな声で悪態をつきながら、少年のマントの首元から真っ黒な短毛のネコが顔を覗かせる。


 「ゼペット。」

 「断る。」

 「まだ何も言ってない。」

 「マントの外に出ろって言うんだろ? 断る。死ぬ。」

 「死なないでしょ。出て……ていうか降りて。暑い。」

 「そりゃあんまりだぜ相棒。この気温と日差しで日避けも無い中この見事な毛皮の俺様が外に出たらどうなると思う?」

 「僕がほんの少し涼しくなる。」

 「俺様がくたばるわ。我慢しろ。」


 そんな二人(?)の言い合いにも気力は感じられない。

 砂漠の日中、遮るものもなく照り付ける太陽と砂による日光の照り返し、四十度を超える気温と、それを起因とした陽炎かげろう。更には三百六十度視界を埋め尽くすどこまでも続く砂ばかりの地平線という状況は生き物の活力を奪い尽くすのに必要十分であった。

 そんな環境で打ちのめされた生物を狙うかのように奴らは現れる。


 「勘弁しろよ……。」

 「だから、それは僕の台詞。ゼペットは何もしないでしょ。」


 眼前の砂丘がアリジゴクのように地中に飲まれたかと思えば、突然大量の砂を噴き上げ小高い丘のように盛り上がる。流れ落ちた砂の中から現れたのは見上げるほど巨大なミミズ。金属を思わせる硬質な光沢のある外骨格で身を守るアーマードサンドワームだった。

 「ピノ、まだ使えるか?」

 「無理。今日はもう三回撃った。弾切れ。」

 「マジかー。」


 ウンザリといった様子でゼペットが大きく溜息を吐き出すと、音叉おんさの共鳴に似た音が鳴り響く。それと同時にピノの両手には無骨でその身に不釣り合いなほど巨大な金属製のガントレットが装着される。

 「殴る。だから降りて。」

 短いピノの言葉にゼペットは「しゃあねえなぁ」と愚痴りながらスルりとその身を砂に放り出した。

 ゼペットの肉球が砂にめり込む音を戦闘開始の合図としたかのように、砂に足を取られる様子も無く駆け出したピノは砂から生えたアーマードサンドワームの腹部に右、左と立て続けに拳を叩き込む。衝撃でヤツの巨体は浮き上がり、未だ地中にあるが引きずり出されそのまま宙を舞う。

 衝撃を受けた箇所がひしゃげ、内に詰まった肉や内臓を圧迫する。生来体の一部である鎧を剝がすことも出来ず、継続して襲い来る苦痛にアーマードサンドワームは大量の砂を巻き上げながら地に叩きつけられぐねぐねともがき始めた。

 そしてのたうち回るその頭部目掛けて渾身の左ストレートが炸裂した。


 「これ、食べられるかな?」

 「やめとけ。食える食えない以前に食いたくない。」

 大きさとは強さである。巨大であるという事は食料の乏しい砂漠において、食物連鎖の上位にいることを暗に示すものだ。

 眼前に転がる元食物連鎖上位に君臨していたであろうは、小さな少年の手によりその生命の活動を停止した。

 「好き嫌いはダメ。」

 「そういう問題じゃねえ。ミミズは食いもんじゃねえ。」

 不機嫌な視線をピノに向けながら、肉球についた砂を払うように後ろ足をプルプルと交互に振ったあと、ゼペットはピノの肩へと飛び乗りマントの影に身を隠した。

 そして再度ピノの肩口から顔を覗かせゼペットは問いかける。

 「つーかピノ。方角は合ってるんだよな?」

 「合ってる。あとで次の自治区が。」

 「訊くんじゃなかったぜ……。」

 「ゼペットは寝てるだけ。疲れない。疲れるのは僕。」

 「はいはい。兎に角とっととこの砂漠を抜けようぜ……。」

 明らかに不機嫌になりながらピノと呼ばれた少年が肩口の黒ネコ――ゼペットの首元に左手を伸ばした。

 「やっぱり暑い。出て。むしろ降りて自分で歩いて。」

 「ま、待て待てピノ! わかっ、悪かった! 俺様が悪かった! だから首を掴むな、降ろそうとしないでくれ! 肉球が火傷やけどすんだよこの通り!」

 「……次、何か言ったら放り出す。」

 「……はい。」


 これ以降、一人と一匹は言葉を交わそうとはしなかった。

 ただ黙々と少年は歩を進める。

 瞬き一つしない双眸で前を見据え、決して軽くない足取りをそれでも一歩、また一歩と、砂に沈む足を持ち上げ、西へ歩を進める。

 目指すはガラハッド第二十一自治区。


 ゴール迄の道のりは、残すところ百二十四.八キロメートルとである。

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