第6話 決戦その2

 関ヶ原の戦い時はまだ若すぎる秀頼であったが、歳のわりに身体はでかいし、中身は成人のおれだ。度胸とハッタリで勝負している。


 那古野城下の決戦が行われていたその頃、大垣城を守る秀家軍が、東に進んでいた徳川方の田中吉政軍を見つけると城を出て戦闘状態になり、壊滅させたとの報告がある。



 だが翌早朝である。那古野城を包囲する西軍の背後が俄に騒がしくなった。


「殿、敵襲で御座います!」


 旗指物から加藤嘉明と思われる軍が、背後から奇襲を掛けてきたのだった。

 敵は次々と西軍の兵士を討ち倒し、秀頼本陣に向かって凄まじい勢いで突き進んで来る。

 徳川軍を追い詰め、包囲している西軍の側に油断が有ったかもしれない。

 しかし秀頼の周囲を取り囲んでいた黄母衣衆の前面までたどり着いた時、その数は激減していた。

 黄母衣衆も秀吉が選りすぐった武将達である。激闘を繰り広げると加藤嘉明を含めて奇襲軍は皆討ち死にをする。最後の武将もおれの目前で刃を突き出したまま切り倒される。

 安兵衛が刀で払おうとした直前であった。


「安兵衛、敵ながらあっぱれな最後であったな」

「はい」

「歳三、佐助、バルク、他にも周囲に敵の遊軍が居ないか調べろ」

「はっ」


 史実で加藤嘉明は岐阜城攻防戦で、「敵は守りを充分固めておらず一気に討ち抜くことができる」と冷静に分析した。そして勇猛果敢に攻め寄せ陥落させて、諸将は嘉明の能力を絶賛したという。戦さでは勢力差よりもタイミングが重要なのである。嘉明はこの奇襲により秀頼を討つ、そこに追い詰められた東軍唯一の勝機を見出していたのではないか。




 岡崎城から連絡があった。

 勝家の隊が城の内側に突然現れると、呆然とする城兵達の首に無言で刀を当てて、素早く門を開け放ってしまう。それを合図に秀元の軍がなだれ込むと、岡崎城はあっという間に陥落してしまったと。




 おれは周囲を見回し声を掛けた。


「ところで吉川広家殿はおられるかな?」


 探し出された吉川広家が、何処からか神妙な顔をしておれの前に現れた。


「家康に降伏しろと言ってきて欲しい」

「…………」


 徳川方に内応していたとはいえ、この男も毛利の行く末を思えばこその行動であった筈だ。しかし、その吉川広家が家康とどのような話をしたか分からないが追い返される。


「広家殿、子供の使いでは無いのだぞ」


 再度交渉に行かせるも、門前払いを食わされる始末である。


 広家は遂に泣き出しそうな顔になってしまった。


「恵瓊殿はどちらかな?」


 次に声を掛けた安国寺恵瓊殿には、家康本人と東軍の将兵全員の命を保障するので、降伏するようにと交渉してもらう。

 しかしそれでも話し合いは難航する。



 それにしても史実で関ヶ原を制した家康はやはり後の天下人たる素質が有ったのだろう。明らかに情報戦で勝利したのだ。それは紛れもないな事実である。

 秀吉は当時としては抜きん出た才能を発揮して、家康などを圧倒していた。古い世代からはなかなか周囲の理解を得る事が難しかったようだが、明らかに二歩も三歩も先を行っていた男である。

 だから家康ではなく秀吉の政権が続いて、大阪商人が幅をきかせる日本になっていたら面白かったではないか。江戸幕府よりも豊臣幕府のほうが陽気な社会になっていたかもと想像してしまう。


 毛利輝元などは戦さで担ぎ上げられた総大将の責務でさえ全う出来なかった。やはり全国の大名達にとって両軍陣営のどちらを選ぶかは、家運が掛かっている大問題であったのだ。輝元ではと二の足を踏んだのではないか。なにしろ一族郎党死ぬか生きるかの選択を迫られていたのだ。内応や離反を単純に非難することは出来ない。



「秀頼様」

「どうした」


 秀元の配下が追撃していた秀忠を山中で捕らえたと報告して来たのだった。

 流れ弾で重傷を負っている秀忠殿は、恵瓊殿に頼み家康の元まで送って頂いた。




「歳三」

「はい」

「城兵の様子はどうだ?」


 城内を探った歳三に聞いてみる。

 東軍が那古野城にこもってもう六日以上にもなるのだ。

 数十年も廃城となっている城には、慌ただしく東軍が持ち込んだ僅かな水や食糧以外は何も無い。多くの将兵は早くも飢え始めているという。

 食糧事情は当初西軍もあまり潤沢では無かったが、岡崎城を押さえて余裕が出てきている。


「恵瓊殿、交渉を続けてくださらぬか」

「分かりました」



 史実で秀吉の鳥取城攻めでは、1400人ほどの兵と農民ら2000人以上が城に逃げ込み、兵糧はあっという間に枯渇し、人肉を食べた記録が残る。

 秀吉の進軍からわずか1か月で兵糧が尽き、その後は餓死者が続出します。傷付いた者は、まだ息があっても飢えに耐えかねた人々によって解体され、食べられたといいます。

 凄惨な状況にいたたまれなくなった経家は秀吉への降伏を決意。経家自身と有力者たちの切腹を条件に、兵士や民衆の助命を嘆願した。


 開城後、秀吉は兵士らに食事を振る舞ったそうですが、空腹のあまり勢いにまかせて食べた人々が次々とショック死という悲惨な記録が残っています。



 東軍の将兵はまだ10,000近く居るだろう。那古野城に籠城して10日目、既に食糧はもちろん、城内の井戸は埋まっており水も完全に底をついているようだ。


「秀頼様」

「どうした」


 城内を度々偵察している歳三が声を掛けてきた」


「遂に最後の決意を固めたようで御座います」


 歳三の見てきた限りでは、家康は自分の元にあった最後の水を皆に分け与え、全員が水盃を交わしているという。

 遂に全軍で討って出る決意を固めたではないのか。


「恵瓊殿」

「はい」

「至急城に食糧を届けて下さらぬか」

「……あの、食糧をで御座いますか?」

「そうだ。それに水もな」


 東軍の兵士達を飢えさせるつもりは無いのだ。そうかといって力攻めをする気も無い。粘り強く交渉するつもりである。


 そして更に数日後、ついに家康が降伏して来た。中途半端な食糧支援が城内を動揺せしめて、討って出る決意を鈍らせてしまったようだ。

 おれは東軍の武器を全て提出させると、約束通り全員を解放して粥を食べさせた。


「急いで食べるなよ。腹を痛めるからな」


 西軍勝利の報が伝わると、伊達政宗の戦場でも江戸城が降伏開城している。


 そして戦後処理として、東軍に属した大名達の処分は保留したが、徳川家だけは直ちに改易とする事を決めた。

 和平の方向が間違ってなければ良いのだ。これからは敵を取り込み、戦さを避ける事にする。


 大きな時の流れの中で、小さな逆流にこだわるのは小人のなすところではないか。

 面白いのは、時間軸を幕末まで伸ばすと、東西両軍の子孫は立場が逆転した事である。400年間で二転三転してしまう。

 歴史も糾える縄の如し。



「トキ」

「なあに」

「今日はトキの事教えてくれないか」

「私の事を?」

「うん」


 トキが時空を超えて宇宙を旅しているのは知っている。断片的ではあるが、時々それらしい話を聞いた事が有るからな。とんでもない能力を秘めているらしいのだが……」


「トキ」

「なあに」


 この返事は何度聞いても、やっぱり色っぽい…….


「あの、トキの生まれた時からもう何年経っているんだ?」


 おれはトキと出会ってから400年もの時空を超えた旅をしている。


「年数で答えるの?」

「あ、いや、それはないな」


 ちょっと愚問だったか。


「この星でビッグバンって呼ばれている現象が14回あったわ」

「…………」

「ビッグバンは宇宙の鼓動みたいなものだから、私が生まれてから14回宇宙は脈を打った感じかしら」


 もう想像の限界をはるかに超えている。それでは年数で答えようとしても無理だな。聞くだけ無駄だった。



 時空を超えて参戦した傭兵騎馬軍団を率いるバルクはもちろんだが、カヤンの領主ヤング殿や元海賊のウィリアム・ハックにも、大阪城のインゴットをたっぷりと渡した。


 そして、おれ自身の去就だが……



「安兵衛」

「はっ!」

「トキ」

「なあに」

「歳三に佐助」

「…………」

「腹が減ったな。粥でも食うか」

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時空破壊の関ヶ原 始末 @erawan

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