第5話 決戦その1
西軍が反撃しているとの報を受け、逃げていた安国寺恵瓊、長束正家らの軍が復帰している。
関ヶ原の戦いは政治上の権力闘争だが、秀頼は豊臣秀吉が後継者指名した時点で天下人になったと考えるべきだ。
関ヶ原周辺の国々は、はっきりとした豊臣方では無いものの、大阪に近く、そこから西は殆んど西軍に着く事が筋だと考えられる。
石田三成・毛利輝元がなぜ秀頼を推戴して反家康兵力動員が可能だったのか、それは秀頼が天下人であり、家康の行為は秀吉の遺命へ の明らかな反逆であるとする激しい憤りが あったはずだからだ。
政治的正統性の無い家康はいかにこれら豊臣恩顧の大名達を惹きつけるかが鍵だった。だが関ヶ原を選んだ時点で、家康は既に自信を持っていたのかもしれない。
「勝家」
「はっ」
史実で毛利勝家は秀頼に招かれ、父・勝永に従い大坂城に入城。大坂冬の陣・夏の陣ともに父に従軍、天王寺・岡山の戦いでは凄まじい戦い振りを見せて奮戦した。勝永が惜しきものよと口走るほどであったというが、大坂城落城時に自刃した。
「その方に一働きしてもらわねばならない」
「…………」
「岡崎城だ」
岡崎城には秀元の軍と幸村隊が向かっている。勝家隊には岡崎城の表門から二の門、裏門と内側から開けてもらう。徳川家康が生まれた城として知られているが、さほど大きな城ではない。
「やってくれるか?」
「分かりました」
勝家の隊はトキによって移転された。
関ヶ原の合戦では朝から濃い霧が一帯を覆っていたという。霧のせいでお互いに相手の動きをつかめない。慎重に出方を探った西軍と、相手のすぐ面前まで押し出した東軍。この動きの差が小早川秀秋に東軍有利と感じさせたのかもしれない。
関ヶ原の合戦の日を現代の暦にすると、秋雨シーズンは未だ終わっていない10月21日になる。
その3日後、おれ秀頼の率いる西軍と家康の率いる東軍との決戦は濃霧に包まれた早朝から始まった。昨夜は雨が降り続き、今朝は霧がかかっていて肌寒い。
両軍ともこの霧では関ヶ原本戦と同様に動きようもなく、様子を伺っている。
不気味な静寂が支配する戦場であるが、やがて朝日がさしてくると、霧も消えていく。那古野城を背に東軍が、その手前に西軍が並び対峙してその姿を現したのだ。
おれの左右に立花宗茂、島津義弘、毛利輝元、長宗我部盛親、安国寺恵瓊、長束正家、桑名城を出た黄母衣衆、一番左端にバルク、イングランドの海賊ウィリアム・ハック、右端にカヤンの領主ダニエル・ヤングの顔が見える。
前方にびっしりと並ぶ東軍を遠目に、おれは才蔵、輝元殿と順に声を掛けた。
「才蔵」
「はい」
「江戸城を包囲している伊達殿に、こちらは家康殿を追い詰めたと連絡せよ。トキ、頼む」
「分かったわ」
「それから、輝元殿。もう少し近くに来てはくださらぬか」
「……はい」
「この戦の総司令官は誰かな?」
「……それは、もちろん……秀頼様で御座います」
毛利輝元は居心地が悪そうに答えた。
「では輝元殿」
「あ、はい」
「その方に先鋒を申し付ける」
「せ、先鋒……!」
「大阪城に長く居られたので手足が鈍っておられるのではないかな。この際おおいに働いて身体をほぐしてもらいたい」
「…………」
それを後ろで聞いていた立花宗茂が声を掛けてきた。
「先鋒は是非某にご命令下さい」
「よし、ではその方達両名の軍に先駆けして頂こう」
「ははっ!」
「……はっ……」
両軍が前に進み出ると、端にいるヤングに声を掛ける。
「ヤング殿」
「はい」
カヤンの領主ダニエル・ヤングの軍団である重装騎馬兵には、東軍の左翼を大きく迂回して、敵を背後から攻撃して欲しいと伝えた。
ヤングの軍団が行ってしまうと、海賊ウィリアム・ハックに命令を出す。
「撃ちまくれ!」
11基の火縄機関銃が凄まじい火を吹いたが、事前に報告されていた通り、じきに弾が尽きる。
「突撃せよ!」
立花宗茂の軍と毛利輝元軍は先鋒として、徳川勢の細川忠興軍、山内一豊軍と激突するとこれを撃ち破り、後方に控える浅野幸長軍、黒田長政の軍に襲い掛かった。
立花軍は浅野軍の陣中深くまで進んで奮戦した。しかし、輝元軍は黒田長政の軍から予想外の手痛い反撃を受け、さらに隣に陣を張っていた池田輝政の軍との挟撃を受けて劣勢に陥る。
それを見た立花宗茂は全軍の矛先を変えさせると、輝元軍の救援に駆けつけた。
輝元が討死寸前となったところを宗茂が阿修羅のごとく奮闘、周囲の敵を散々に討ち無事に救出する。
東軍の背後に回ったヤングの騎馬軍団もめざまし働きであるとトキの情報から知る。
家康本陣の前衛井伊直政軍、松平忠吉軍は長宗我部盛親軍の攻撃を受け奮戦している様子が見える。
直政は徳川家では新参ながら数々の戦功を評価されてきた経緯がある。小田原征伐では数ある武将の中で唯一夜襲をかけて小田原城内にまで攻め込んだ武将としてその名を知られている。
また松平忠吉は徳川家康の四男であり、関ヶ原本戦では舅の井伊直政の後見の下、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、手傷を負うも島津豊久を討ち取るなどの功を挙げている。
だが両軍共に供回りが数十人になるまで討ち取られた。
さらに安国寺恵瓊、長束正家らの軍が迫ってくると、劣勢を悟ったのか東軍は那古野城に逃げ込み、西軍はこれを包囲した。
バルクは敵味方の区別がつきにくいのだろうか、終始思うように動けないでいた。
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