第4話 伊達政宗
大垣城が風雲急を告げている。秀家の軍4,000が東軍に攻撃を開始すると、城兵約5,000も出撃してくる。
そこに秀元の軍15,000が到着すると、包囲していた東軍7,000は善戦するも崩壊した。
関ヶ原で東軍と西軍の勢力は、裏切りや内応による反戦等が無ければ対等な勝負が出来る筈だったのだ。
大坂城にとどまっている輝元は、西軍の大名には離反のうわさが飛び交っていると恵瓊から報告を受けているが最後まで対処できなかった。
そんな事より、家康から所領安堵の起請文を受け取るつもりでいたのだ。しかし秀元、立花宗茂、島津義弘らが再び東軍に向かって行ってしまい、所領安堵の起請文どころか自らの進退に迷いがでてきている。
入って来る情報では次第に西軍有利に傾き出している。大坂城から退去するのを躊躇しだした。
兵は神速を貴ぶ。輝元は真逆である。
おれは秀頼の名で全国に書状を送付した。
「家康軍は秀頼の名を語り、上杉を討つと騙り詔を騙し取った。これは豊臣政府に反逆する賊軍である。したがってこれより東軍に与する者は全て反政府軍として裁かれるだろう。直ちに投降して政府の指示を受けるべし」
裏切り者の末路は惨めなものと決まっている。
鉄砲好きな伊達政宗におれは書状と共に、火縄機関銃を一基送った。
「反逆者の城江戸城まで進軍して頂きたい」
伊達政宗は家康がこの戦いに勝てるとは思っていなかった節がある。
家康に対して政治的妥協をして秀頼様に従うようにすすめていたという。だがもちろん家康にとってはあまり耳障りの良い話しではなかっただろう。
家康の軍は主力が殆んど出陣している筈だから、江戸城兵は僅かではないか。
家康軍が30,000で秀忠軍が35,000とすると計65,000だ。江戸城の留守居兵は10,000も居ないだろう。
合戦には勝てそうな陣営に大勢の武者や足軽らが勝手に集まってくる傾向がある。優勢だと知らされている西軍に与する政宗の軍だ。出陣が決まると15,000をはるかに超える17,000が集まった。
「逆賊は秀頼の西軍が包んで討つ。上杉殿は北陸を、伊達殿は関東を取られよ」
これが決め手となり、伊達軍は江戸に殺到した。
上杉景勝殿にも事情を話して、北陸の東軍と見られる諸国に目を光らせて頂く事になる。
「幸村」
「はっ」
「その方に重要な役目がある。中山道を進んで来る秀忠軍の事だ。家康軍本体との合流をなんとしても阻止せねばならない」
「…………」
「昌幸殿と連携して、押さえの兵と小競り合いを起こして注意をそらせ、その方は秀忠軍を追撃してもらいたい」
史実で幸村(信繁)は第二次上田合戦で昌幸と共に戦っていますが、この作品では全く違っていますのでご了承願います。
秀忠の率いる軍は35,000であったが、上田合戦の損失と押さえで3,000程減り32,000になった。
しかしトキの助けを借りた幸村隊の、追撃して銃撃を加える戦法も、秀忠が先を急ぎ殿軍をしっかり置いた為、最終的に29,000が中山道を経て濃尾平野に現れ、山中での足止めは失敗した。
結果、一時撤退中の家康軍34,000と秀忠の軍29,000が合わされば63,000となる。西軍はこの時点で37,000程であった。
史実では9月20日に大津に到着した秀忠に対して家康は、急な行軍で軍を疲弊させたことを叱責している。
上田城攻め只中の9月8日に家康から即時上洛を命じられ、大津に着くまで300キロ近くを10日ほども急行軍させたのだ。日本アルプスの側道を毎日30キロは疲れただろう。しかも戦装束で、刀や槍、鉄砲、輜重まで同行だったのだからたまらない。
大津に着いたのが20日という事は、名古屋の北方に現れるのは17か18日辺りではないか。佐和山城下の戦いの翌日か翌々日くらいになる。家康軍が那古野城付近を東に向かって撤退中に、秀忠の率いる軍29,000が北方に現れた事になる。
「秀元殿」
「はい」
大垣城の戦いを制した秀元に声を掛ける。
「次は山中道を秀忠軍が出て来るところを待ち伏せして頂きたい」
那古野城から北東に向かって40キロ程の距離に、中山道の出口がある。両サイドを小高い尾根に挟まれた山道を抜けると、次第に視界が広がって濃尾平野となる。のどかな風景の田んぼに挟まれた道の脇を、小川が流れている。
秀忠の率いる軍は狭く曲がりくねった山道を走り、軍団は伸びてバラバラになっているに違いない。強行軍で疲れ切っている筈だ。山中道を軍の半数ほどが濃尾平野に出たところで、秀元軍14,000に待ち伏せして攻撃してもらうのだ。
山里にバラバラとたどり着いた10,000程の秀忠軍は待ち伏せしていた秀元軍に次々と狩り取られた。残りの軍は待ち伏せを知って山中道出口付近に止まったが、事情を知らない後続部隊が押し寄せた為身動きが取れない事態となってしまう。
そこに後方から追って来た幸村の隊から銃撃である。さらに前からも秀元の銃撃が加わった。尾根と尾根に挟まれた狭い空間に20,000近い兵士が群がり鮨詰め状態のところを前後から銃撃されたのだ。これはもう戦闘では無い、殺戮である。
さらに白兵戦となるも、疲れ切った秀忠の軍は次第に押されて、山中に逃げる者が続出。
秀忠の率いる軍はなす術もなくほぼ壊滅状態となる。流れ弾に当たり重症を負っていた秀忠は山中に担がれながら逃げ込んだ。
秀元は一部の隊に秀忠追撃を命じる。
おれは秀元の軍を南下させて那古野城付近を迂回し、岡崎城を目指してもらうよう連絡する。秀元の軍は幸村の隊と共に進軍を開始した。
那古野城の南東40キロ程のところに岡崎城があり。東軍の食糧支援基地となっているようである。東海道沿いの諸大名が提供した食糧が保存してあるとの情報を、歳三配下の者から得ている。東軍の補給を断つのだ。
秀元と幸村の奮闘で、家康率いる東軍はまた元の34,000に戻ったわけだ。
「トキ」
「なあに」
「もう一度秀元殿だ」
「なに!」
またもや空間移転してしまった秀元。
「秀元殿」
「あ、はい」
目の前に秀頼が居る。
「度々で悪いが、これより大阪城に行き輝元殿を説得してくださらぬか?」
「……あの、はい……しかし、私めは一体どうなっているのでしょうか?」
22歳と若い秀元も、度々の空間移転で気もそぞろの様子である。
「実はな、我が西軍には天狗の味方が付いておるのだ。気にするな」
「…………!」
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