第8話 シェア
今日はチキンの残りもあったから、それも食べられる。おにぎりもいくつかもらって、実質の夕飯だ。
彼女は同じ廃棄として残っていたミルクティーを飲んでいた。二人バックヤードに戻って私服に戻ると、折り畳み椅子を広げて狭い部屋でシュークリームの封を開ける。
が、気づけば汗が止まらない。なんだ、おかしい。良く見ればバックヤードのエアコンが止まっていた。リモコンを探そうとすると、
「なんかバックヤードの壊れたらしいよ。さっき準夜の人が来て嘆いてた」
「マジか……暑すぎるだろ」
「早く食べて脱出しないとね」
廃棄を食べている所はさすがに店内から見られないよう、扉を締めなければいけない。
バックヤードは二人座って、もう一人空いてるスペースに座ったら満員になるくらいの狭小空間だ。極狭の体育倉庫みたいな、いろんなものが置いてあるせいで圧迫感がすごい。
そこに彼女と二人きり。いや、店内には他のスタッフさんもいるんだけれど。ただ、じわじわと滲んでくる汗が匂っていないかどうか気になってしまう。何せ密閉されていて、この距離だ。
彼女はスマホを眺めながら、ストローでミルクティーを飲んでいた。俺は譲ってもらったことに改めて感謝しながら、一人シュークリームにかぶりつく。甘くてコク深いクリームと、香ばしいシュー生地のサクサク感。幸せが口いっぱいに広がる。
うん、何を言ってもやっぱりこれだな。思わず頬が綻んでしまう。
「ね」
「ん?」
口にシュークリームがまだ入っているときに話しかけられて、思わず口に手を当てる。もごもごしながら彼女の方を見据えると。
「そのシュークリーム、一口ちょうだい?」
「ん!?」
なんだって? このシュークリーム? いや、いやいやそれはダメだろ。思わず余分な空気まで一緒に飲み干して、咳き込みそうになりながら彼女の方を見据え直す。
「いや、なんで」
「だって松葉が美味しそうに食べるから。ダイエット中だから、一口でいいんだよね」
「いや、でもさ……」
別に俺が意地汚くて躊躇しているわけじゃない。かといって、中学生でもない、今更間接キスがどうとか意識したいわけじゃないが。ないが……ただ、いろんな部分で食べかけを分けるのには抵抗があった。何度も言うけど、嫌なわけじゃない。
なんとか諦めてもらうわけにいかないかと、目で訴えてみる。けれど、こういう時の彼女はダメだ。意思疎通が出来ないどころか、早くしろと急かしてくる目線だ。いや、仕方ない。彼女はシュークリームが食べたいだけなんだから。平常心。
「……分かったよ。その、譲ってもらったし」
「本当!? やったね。それじゃ、いただきます」
彼女がシュークリームを食べる様子を凝視していた。というか、普通に千切って渡せばよかったんじゃ? なんて、彼女は気にも留めない様子。
俺が食べかけたシュークリームは、幸い綺麗に半分くらい齧った後だったから、断面も汚くない。その端の部分から、彼女は小さく口を開けてシュークリームにかぶりついた。俺は背中がむず痒くなって、一層汗が吹き出ていた。シャツの袖で額の汗を拭う。
柔らかそうな唇が、微かにクリーム色に染まっていく。ゆっくりとシュー生地を噛み切って、そのまま小さな口が離れていった。少し味わった後、彼女はその甘味に酔いしれていた。さっきみたいに顔をくしゃっとさせて、小さく笑う。声にならない小さい喜び、叫びみたいな。
そうだよ、美味しいんだよ、このシュークリーム。心の中で共感する。でも、こうやってまじまじ観察すると、彼女は結構大胆に食べるタイプなんだな。口は思ったより小さいし、歯並びは……って、女子の食事をどこまで観察してるんだ、俺は。これじゃ変態じゃないか。
なんて、一人で後ろめたさを感じていると。
「ん、ありがと」
「え? あ、えっと」
「一口って約束だから。食べるでしょ?」
「……あ、あぁ」
彼女は平然と、残ったシュークリームを渡してきた。俺は思わず生唾を飲み込む。そういえばそうだった、と。
いいのか、という顔をして見ても、先と同じだ。彼女は何か問題があるの、という顔をして、シュークリームの余韻で顔を緩めていた。それが妙に可愛くて、憎たらしいほどだった。
ほら、食べなよ、どうして食べないの? もしかして、何か意識しちゃってる?
なんて、言われてもないのに揶揄われてる気分だ。意識するに決まってるだろ。いや、ダメだ。これ以上このシュークリームを意識していたら、おかしくなる。
俺は菩薩にでもなったつもりで、シュークリームを受け取って食べた。
「……うまい」
「美味しいよね、このシュークリーム。一口でも貰ってよかった」
「……そうだな」
「松葉がそんだけ美味しそうに食べてるからだよ。折角ダイエット中だってのに」
「いや、それは堀之内から言い出したことで」
「分かってるって、ちょっとくらい言い訳させてよね」
俺が煩悩を消し去ろうとしているのに、彼女はいつも通りだった。明るくニコニコしながら、飛び跳ねるみたいなテンションで。それでいてマイペース。彼女と付き合う、釣り合う男は、さぞかしハイスペックなんだろう。
「でも、こういうのも楽しかった。シュークリーム、残ってるのが一個で良かった」
「え?」
「ふふ、じゃあね松葉。お先!」
彼女はそう言い残して、バックヤードを後にした。お疲れ様です、という透き通る声を店内に響かせた後、自動ドアが開く音が聞こえる。
「……」
俺は一人、シュークリームの袋を見つめていた。今まで何十回、下手すれば何百回も食べてきたシュークリーム。何度食べても美味しいし、想像通りの味で、この味に飽きることはなかった。
けれど、今日のシュークリームは、初めての味がした。
「はぁ……」
未だに心臓の音は止まない。分かってるんだよ、こんなのは熱に浮かされてるだけだって。自意識過剰なんだってことくらい。でも、もう収まりそうにない。
初めてシェアしたシュークリームの味は、忘れられない。
俺は、確かに恋に落ちていた。
*
遅咲き初恋シュークリーム eLe(エル) @gray_trans
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