友人の定義
友人の定義はなんだろうかと、私は時々考える。
内向的な性格をしている私は、当然のように幼少期から周囲に馴染めず、ひとりで時間を過ごすことが多かった。
べつに人嫌いなわけじゃない。
他者からの視線に敏感で、注目されることは苦手だけれど、誰かと喋ったり、一緒に行動することに抵抗はない。
人に合わせることもそこまで苦じゃないから、特別自己中心的な性格だとも思っていない。
人がたくさんいる場所だって苦手意識はないというか、むしろ人混みに紛れて目立たなくなるから少し安心すらする。
それにも関わらず、私が自然と一人ぼっちになってしまうのは、単純に受け身だからだと思う。
そう、私は、自分から他人に近づくという行為が極端に不得意だった。
来る者は拒まず、去る者は追わず、といえば聞こえはいいが実際は、基本誰も来ないし、去る者は追えない、と言った方が正確だ。
他者からの注目が苦手な私は、当然のように目立たない。
典型的な、あんなやついたっけ、と言われるタイプ。
私はわりとクラスメイトや知人の顔と名前はすぐに覚えて忘れない方だけれど、向こうは私のことなどすっかり忘れてしまうというか、そもそも最初から全く記憶していないといったことばかりだった。
この極端に影の薄い性格のおかげで、これまでは消極的で卑屈な性格のわりには平和に過ごせてきた。
だけどそれが最近、崩れ始めている。
理由は明確で、ある程度予想だってできた。
でも、私は何も対策をしなかった。
どうせもう、あと一年もこの場所にはいない。
だから、耐え切れると思った。
この程度の苦痛になら、受け身な私のままで、現状維持のままで過ごせると確信していたから。
「ねーね、
クスクスと、笑い声にしてはねっとりとした暗い囁きが聞こえる。
午前中の授業が終わった真昼。
普段なら誰も近寄ってこない私の隣に、小柄な女子が一人立つ。
猫に似たどこか無機質な瞳に、毛先が若干重めなストレート系のボブヘア。
幼さと知的な雰囲気が入り混じった相貌は、中学生の時に見たレオンという映画に出てきた女の子を思い出させる。
彼女の名は
私の数少ない、“友人”、だった。
「……父さんだよ、あれは」
「あー、やっぱりそうなんだぁ。そうだよね。うち、白樺くんのお母さんは見たことあったからさぁ、違う人だと思って。でも、白樺くんのお父さんって、なんで女性物の服着てたの?」
「さあ、なんでだろうね。好きなんじゃないかな。ああいうファッションが」
「えー! それだけ? なんか、白樺くんって、やっぱり冷めてるよねぇ。もしうちのパパがあんな格好したら、そんな冷静でうちいられないもん」
あくまで、純粋な疑問です、みたいな大袈裟に驚いた表情を宇井さんはみせる。
彼女は高校一年生のときに同じクラスで、二年では別になって、今三年目でまた同じクラスになった。
私とは違って社交的で、他人からの注目を集めることを苦としない、いわゆる人気者。
少し毒舌というか、私だったら言い淀むようなことも迷わず口にすることができる人。
彼女は他の人とは違って、私の顔と名前を忘れない。
「白樺くんのお父さんっていつもあんな格好してるの?」
「そうだね。僕が物心ついた時には、あんな感じだったよ」
「まじ? やばぁい。それ、筋金入りってやつだね」
「でしょ。芯があるんだよ」
「ウケるんだけど」
けらけらけらけらけせらせら。
心底おかしそうに、宇井さんは手を叩いて笑う。
彼女は私によく声をかける。
他のクラスメイトは用事がなければ私に何か話しかけることはないが、特に理由もなく彼女だけは私に近寄ってくる。
意味のない雑談をふり、連絡先だってクラスメイトの中で唯一交換している。
だから、きっと彼女は、“友人”、だ。
私は今のところ、友人をこう定義している。
意図もなく他愛のない会話を交わし、いつだって繋がろうと思えば繋がれる存在。
「でも恥ずかしくないの? 自分のパパがあんな格好してるの」
「恥ずかしい?」
どっちが、だろうと思った。
私と父、どちらが恥じているかどうかを疑問に感じたのか。
質問が厳密に把握できなかった私は、両方の答えを探す。
私は、恥ずかしくない。
父本人も、恥ずかしがってはいない。
ただ、一緒にいるのは、たしかに耐えられない。
——あれ、まじキモかったよな。
しかし、私が選んだ言葉を口にする前に、誰かが言葉を発した。
その誰かはわからなかった。
野球部の
「てかさ、そもそもお母さんは?」
獲物を狙う猛禽のような鋭さを孕んだ視線。
宇井さんが、私にまたいつものように雑談を投げかける。
きりり、きりり、と臓器のどこかが痛む。
この痛みに、私は覚えがある。
下腹部を手で押さえながら、私は周囲を盗み見る。
目、目、目、目、目、目、目、目、目。
クラスメイトたちが、私を見ている。
いや、私ではなく、もしかしたら、宇井さんのことを見ているのかもしれない。
ただ、私と宇井さんの方に向かって、幾つもの視線が集まっているのは確かだ。
ああ、気分が悪い。
喉のあたりが酸性に乾いていく。
目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目。
嫌だ。
やめて。
私を見ないで。
べとっとした脂っぽい汗が、全身から滲み出す。
吐き気が、していた。
限界を感じた私は、そこで思わず立ち上がる——、
「おーい、白樺。一緒に自販機いかね? 俺、飲みもんねぇんだよな」
——ひゅるりと、小風のように通り抜ける爽やかな声色。
ちょうど立ち上がった私の横に、細身で長身の少年が一人。
気の抜けた笑っているんだか眠いだけなのかよくわからない表情で、そいつは悪びれもなく手をにょきっと伸ばしてくる。
「ちな、財布忘れた。明日返すから、金、貸してくんね?」
「……またかよ。学習能力ないの、君って?」
「驚くことなかれ。ないんだなこれが」
「あ、平太……」
というわけで、行こうぜ、とそのクラスメイトは私の返事も聞かずに腕をとる。
教室中の視線が私から、彼の方に移り、喉元にまで迫り上がってきていた波が引いていく。
何か言いたげに固まる宇井さんのことを無視して、私をATM扱いする彼も、よく私にどうでもいいことを喋りに近づいてくる。
彼もまた、数少ない、私の名前を正しく覚えている一人。
「白樺、お前はなに飲むん? 好きなの選べよ」
「まるで自分が奢るみたいな言い方するな」
総代はよく財布を忘れて、私からお金を借りるが、返さなかったことはない。
だから今日も、私は彼と二人で昼の時間を過ごす。
だけど、総代平太は、私の友人じゃない。
たしかに彼は私の名前を覚えていて、大した用事もないのに近づいてきて、どうでもいいことをよく喋る。
でも、違う。
定義から外れている。
だって私は、彼の連絡先を知らない。
私と彼の関係性はこの一瞬にしか存在しないんだ。
そんな私の友人の定義から外れる少年は、そして笑いながら聞いてもいないのに昨日食べた夕ご飯の話をし始める。
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