異世界転生、死に腐れ。
エリー.ファー
第一章 転生は不可能だが、転生したつもりで生きることは可能である。
1-1
私には、名前がある。
しかし、不特定多数の人間に明かすのは非常に躊躇うくらいに羞恥心というものは持っている。
なので、本名は明かさない。あだ名としよう。
ウメハラ。
私の名前はウメハラである。
ウメ、と呼んではいけない。ハラ、とも呼んではいけない。
ウメハラである。
ちなみに、苗字ではない。苗字と名前から二文字ずつ取ると、ウメハラになる。さすがにヒントを出し過ぎた、ここから先は名前については黙っておくことにしよう。
ウメハラは、早く帰りたい。仕事などさっさと終えるものだと思っている。心を殺して、時間が過ぎ去るのを待つのが吉という考えを持っている。
こうやって、自分のことを、ウメハラと呼ぶことによって客観視し、できるかぎり傷つかないような冷静さを、心にまとわせる。重要なことである。
特に、つまらない毎日の中では必須のスキルと言える。
私のいる部屋は、鼠色の壁に白い天井。冷たい蛍光灯の光が部屋の中を弱々しく照らしている。蠅の羽音が聞こえた気がしたが、蛍光灯から発せられている謎の音だった。まぎらわしいと思ったが、蛍光灯の方も、濡れ衣を着せるな、と思ったに違いない。
パイプ椅子が三つ、出入口の扉を避けるようにして、段ボールが積み上がり、その横には壁に寄りかかるようにして倒れている棚がある。壁に、床に大きく傷をつけたところから、おそらく性格はやんちゃだと思われる。
やんちゃな棚。
やんちゃ棚。
やん棚。
や棚。
「やだな」
言葉が漏れた。
「ウメハラ。今、あんた、あたしに向かってなんか言った」
「いえ、何も言っていませんよ。勘違いさせたのなら謝ります。失礼しました」
部屋の中には、女性がいる。目は鋭く、耳は尖っていて、顎の先が尖っている。触れたものを傷つけようとする思いが、言葉から、体から、溢れていて誰もよることができない。彼女を篭絡しようとする男性も近づけないし、彼女と仲良くしようとする女性も近づけない。
名前は、そう。
許可をとっていないので、本名を明かすことはできない。
あだ名は、アールである。
ちなみに、これは苗字にも名前にもアールのどちらも入っていないので、本名の推測は難しいだろう。
「僕だけじゃなくて、ウメハラにもあたるなんて。アールはなんでそんなに怒ってるんだよ」
部屋の中にはもう一人いる。男性で、天然パーマを後ろでまとめており、碧い瞳をしている。身長は二メートルほどで、座っていても高い。姿勢がよく、まるで背中に鉄板を入れているか、背筋を悪くすると身内の誰かが不幸になる祟りが降りかかっているかのようである。いつも、少しばかり困っているような表情をしていて、肌は真珠のように美しい。
名前についてだが。
ここまでくると、もう明かしたくない。
というか、本名なんてなんだっていいと思う。
田中太郎だと思っていた人間が、京極蜂蜜介だったとしてなんだというのか。確かに、座敷牢で蜂蜜を舐める妖怪の姿を想像してしまうが、田中太郎だって素晴らしい名前である。偏見はよくない。
偏見はよくないので、とにかくあだ名にする。あだ名が偏見を助長しているという考え方もあるが、あだ名を頭ごなしに否定するのは偏見である。
ちなみに、この男性のあだ名はモチである。
理由は、バカみたいにモチを食ってそうだからである。
偏見ではない。
私とアールとモチは警察官で、同期だ。
三人で動くことが多く、こうしてよく一つの事件について話していると意見が割れて議論になってしまう。
「あたしは別に当たり前のことを言ってるだけだから。あのさ、まずトラックに人が轢かれた。で、轢かれた人は意識不明の重体になっちゃった。ここまではいいよね。だからあたしは、この事件を交通事故として処理しようと考えてる。トラックは現場にいなかったから、まずトラックを探さないといけないし、証拠集めもするべき。これの何がいけないの」
「だから、僕が言いたいのは、僕らは警察官なんだから色々な可能性を鑑みるべきだってことだよ」
「だから、何を鑑みればいいわけ。言ってみなさいよ」
「異世界転生用トラックの可能性だよ」
一瞬静かになる。
アールが足を組み、ため息をつく。
「確かに、その可能性はあるけどさ」
そう、マジでありえるから困るのだ。
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