エピローグ

エピローグ

 あれから数か月が経った。

 三人で言い争いをしたあの倉庫には、今も何となく訪れることがある。意外にも防音は完璧で、鍵さえかければ誰も入れない。サボるにはもってこいである。

「ウメハラ」

「なんですか、モチ」

「アール、本当に出世しちゃったね」

 モチは開いた段ボールの上に寝っ転がり、私は壁に寄りかかっていた。

 もはや自宅である。

「まぁ、アールはあの事件でティクヴィの弱みを握っている状態になりましたからね。出世のための強力な後ろ盾を得られたようなものです。当然でしょう」

「僕たち、出世できなかったね」

 あれから、アールはこの倉庫に姿を現していない。そもそも、用事さえなければ入らないような場所である。もしかしたら、余り良い思い出がないから避けているのかもしれない。

「アールは、出世したらチームメンバーとして推薦するとか言ってたよね」

「まぁ、それらしいことは言っていましたね」

「ちらつかせてたよね」

「ちらつかせていましたね」

「ウメハラは、あのチームメンバーとしての推薦を、本当に僕らにやってくれると思ってたの」

「まぁ、嘘の可能性はあると思っていました。アールに推薦の権限が与えられたとしても、実際に選ばれるかは分かりませんからね」

「だよね」

「それに、推薦の権限自体が嘘だった可能性もあります」

「そりゃそうか。アールが言ってただけだしね」

「モチ、私たちが一番疑わないといけないのは、それよりも前のところなんですよ」

 モチが少しだけ体を起こして、私を不思議そうに見つめる。

「スピード出世の話なんか、最初からなかったという可能性です」

「怖っ」

「アールが署長にティクヴィという神様の弱みを握っていることを伝えると、かなりの高い確率で出世が確定します。何故なら、署長はアールと仲良くなっておけば、ティクヴィという神様に有利な立場をとれると考えて出世競争の中では猛プッシュすると考えられますし、ティクヴィも出世で上がって来たアールを無下にすることはできませんし、むしろ、近い立場に置いて甘い汁を啜らせれば、弱みを握られていても攻撃されることはないはずです。こうなってくると、今回のアールの出世は、前々から決まっていたものに、ティクヴィの弱みというブーストが加わったのではなく、ティクヴィの弱みを握った瞬間から始まったものだと考えることもできます」

 ただ、その場合はティクヴィがアールを標的にした理由がなくなることにもなるので、何とも言えないというのが結論だ。まぁ、このあたりはアールの評判がよく、ティクヴィはなんとなく噂を耳にしたことがあった、であるとか、アールは出世がしたくて神様に顔を憶えてもらおうと動いていた、であるとか、可能性は幾つもある。

 今更考えたところで、何にもならない。それなら、考えないのが吉ということだろう。

「確かに。ていうか、アール、凄いね」

「アールも凄いですが、そのアールに金をださせているあなたの師匠様もかなり凄いですよ」

「うん、確かにそうだ。そんなアールを手玉に取ってるんだからね」

「マリオネットを操っているマリオネットを、また上から操っている。とんでもない話です」

「で、これからどうするの」

「モチは、その師匠様に連絡をして、アールに私とモチを優遇させるよう、依頼をしてください」

「師匠が言うことを聞くとは思えないよ」

「師匠様にとって、アールは金づるです。アールの顔面偏差値を鑑みても、連れて歩きたい女性は別にいるはずですから、そちらを調べ上げてアールに報告すると脅迫すれば大丈夫です。ヒモというのは、金づるが稼いできた金を使って他の女性と遊んでいることが多いのですよ。つまり、金づるが消えることは、生活基盤と女遊びの二つを失うことに直結しているのです」

「そっか、それなら最悪生活基盤を失わずに済むから、金づる、じゃなかった、アールを取るにきまってるもんね」

「まぁ、師匠様に他にアールのような太めの金づるがいるのかを調べる必要がありますが、まぁ、大丈夫でしょう」

「うん、なんだか上手くいきそうだね」

「最悪、モチがその女性を食べてもいいんですよ」

「むしろ、そっちの方向がいいかな」

「では、滞りなく進めましょうか」

「うん、僕、頑張るよ」

 私とモチは顔を見合わせて笑った。

 私もモチも、いやアールも、それを言うならティクヴィだってそうだ。

 誰も勇者にはなれなかった。きっと勇者に転生することもないだろう。転生するチャンスだって来ない。何にもなれないのだ。

 でも、自分をやめることも、社会から出ることも、希望を失うこともできずに、今を生きている。

 転生などしない。

 異世界も目指さない。

 チート能力なんてない。

 すべて、無縁である。

 そんなものは存在しない。

 これが、転生もなく、異世界も目指さず、チート能力もなく、それでも最も自分にとって生きやすい世界を望む限り必ず辿ることになる、普通の人生である。

 転生などしなくても味わえる、自分の人生である。

 異世界などなくとも築き上げることができる、自分の世界である。

 チート能力などなくとも考えを巡らせれば無双できる、自分の実力である。

 もしも。

 もしも、あなたが私を拒絶し、否定し、嘲笑しているなら。

 あなたは正しい。

 私は、あなたのような人間がたくさんいる世界であることを、これからも心から望んでいる。

「ウメハラ、どうしたの」

 私はモチの目を見つめる。誤魔化すように微笑んだ。

「私は、大丈夫ですよ。何か変でしたか」

「いや、その。なんていうか、何か考え事をしている感じだったから」

「異世界転生について考えていました。冷静に考えると、中々凄いことだなぁ、と」

「まぁ、そうだよね」

「でも、私は今、異世界に転生したいと思うほど、自分の人生に絶望していないのです」

「僕もそうだよ。異世界転生なんて、余計な制度に決まってるじゃん。僕の人生にリセットしたいようなことなんて、何一つないよ」

「異世界転生があると表沙汰になったら、すがりたがる人はたくさん現れるでしょうね」

「這いずっても、変なことしても、迷惑かけても、人生なんて何したっていいんだからさ。転生したくない人生を生きるのが一番だよ。異世界転生なんていらないって」

「異世界転生、死に腐れ」

「あっ、いいね。それだよ、それ。死に腐れ精神だよ」

 私はつい鼻で笑ってしまった。

 死に腐れ精神って、なんじゃそりゃ。

 さて、このまま話を長く続けたところで大したオチもない。というか、オチをつけられない。何故なら、私はまだ生きる予定だからである。

 もしも、異世界転生をしたいなら、異世界転生用トラックの情報をどこからか仕入れてきて、見つけ次第その前に飛び出すことをお勧めする。時と場合によっては、対象者と勘違いされて転生させてもらえるかもしれない。

 というわけで、異世界転生、死に腐れ。でした。

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異世界転生、死に腐れ。 エリー.ファー @eri-far-

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