1-3

 ただの交通事故なら通常の業務が待っている。

 異世界転生用トラックによる転生のための事故なら、手元に資料がない点も含めて確認のために天界に連絡をした方がいい。

「あたしだって、モチの言ってることは分かるよ。確かに天界のバカどもがまともに仕事をしないせいで、魂が二十四時間放置される事例は幾つもある。そのせいで、転生に失敗して、ただ異世界転生用トラックに轢き殺されただけの人たちの無念については、心を痛めてる。だとしても、なんだよ。まず、天界から資料が届いていない時点で、転生の可能性のある人を探してきて特徴を照らし合わせる業務は、あたしたちの仕事の中に入ってないんだよ。だから、指示のない業務に時間を割くことになるし、至極真っ当な理由で職務怠慢にもなる。それに、天界に質問をしたところで返事なんか二日、三日どころか一週間経っても返ってこないことがある。だから、異世界転生用トラックが起こした交通事故だとしても、確証が得られない状況で動くことはできないの。それに、ほら、これを見なって」

 アールは携帯を取り出してアプリを起動させる。

 そこには、黒色のアナログ数字で零と表示されていた。

「いい、モチだって知ってると思うけど、これは天界のバカどもが資料作りがまだ終わっていなくて送付していないけど、異世界転生用トラックが誰かを轢いた時、人数が表示されるようになってるアプリ。正直、こんなものを作って運営するくらいなら、もうちょいちゃんと仕事をしろって思うけど、まぁ、今回は関係ない。ね、見えるよね、モチ」

「うん、零って表示されてるけど」

「けどって、何」

「表示されてます」

「だよね、ていうことは、今日はまだ誰も異世界転生用トラックに轢かれてないってこと。つまり、モチの考えは取り越し苦労ってこと。はい、おしまい。この仕事は終了。ただの交通事故として処理するからね、ねっ、いいよね」

 アールが携帯を机の上に置き、私の方に顔を向ける。

 笑顔だった。

 怖い。

「あんたはどっちなわけ」

「私は」

 証拠は揃っている。アールが正しい。しかし、モチを落ち込ませるわけにもいかない。

 別に、モチの意見だろうが、アールの意見だろうがなんだっていいのだ。そこまで悪い空気にならず、業務をさっさと終えて、休憩に入れるならそれが一番である。

 仕事をしたい、そんな感情など芽生えたこともない。今後も芽生える予兆はない。少しでも感じ取ったら自ら摘み取る覚悟である。

「アールの言っていることは正しいと思います。このアプリからも分かる通り、零が表示されている以上は、資料が送られてきていないという問題は杞憂でしょう。ただし、確かに二十四時間放置された魂が消失してしまうという痛ましい事件が起きていることは事実です。低い確率ではありますが、この事件がそれに該当している場合もあります。例えば、アプリの表示に少しばかり遅れが出ているとか。まぁ、万が一にもないでしょうが、どんな事象も否定することはできません。他にも、異世界転生用トラックが間違えて無関係な人を轢いてしまう可能性だってあるでしょう。今日は、ただの現地調査だけのつもりで現世を走らせていたのに、事故を起こしてしまい、まだ情報共有が遅れているのかもしれません」

 餅が笑顔で頷く。

「そうだよね。もしかしたら、異世界転生用トラックから運転手さんが落ちて、他の普通のトラックに轢かれたのかもしれないよね」

 仮にそうだった場合、ただの交通事故になるので君の意見が通ったわけではないよ。とは口が裂けても言えなかった。というか、伝えるための時間を節約した。いや、諦めた。

 アールが背伸びをする。

「ここまで話が長くなるなら、こんな狭い部屋なんか入らなかったんだけど」

 話が長くても、広い部屋なら許容できるという感覚が凄い。子どもの頃に、外で校長先生の長い話を聞いている最中、貧血で倒れたふりをしたら保健室に運んでもらえると思い、実行に移したことのある私である。

 ここから先は、考えられる可能性をすべて洗い出してモチにその考えを捨てさせるのが吉である。

 こんなに面倒なことになるのなら、有給休暇でも取ればよかった。

 モチが私とアールが落胆していることに今更ながらに気が付いたのだろう。目を大きくしながら、指をいじりだす。

「でも、ウメハラ。もしも異世界転生用トラックが人を轢いていて、それに気づかなかったら僕たちは懲戒処分になるかもしれないんだよ」

「ですが、それは最悪の場合ですよ。その魂を転生させる予定のものが何かにもよりますが、普通に勤務していれば減給くらいで済みます」

「僕、遅刻とか結構してるし、重要な資料をなくしたり、犯人を捕まえ損ねたりなんて日常茶飯事だし、警察手帳だって失くしたばっかりだし。直属の上司にもすごく怒られて」

 それは知らない。

 警察のためにもお前は懲戒処分された方がいいかもしれない。

「ですが、異世界転生用のトラックで人を轢いた可能性があるのではないか、と天界に伺いを立てるのもあまりするべきではないでしょう。彼らは、かなりプライドの高い生き物です。失敗を指摘されるのも嫌います。場合によっては、私たちの上司に、部下の教育はどうなっているんだ、というように圧をかけてくる可能性もあります」

 モチが落ち込んだ表情で机を見つめる。

 真剣に考えてはいるのだろうから、余りモチを否定したくはない。ただ、この先にある道はすべて提示しておいた方がいい。

 時間は有限である。それ故に、選べる未来も有限である。

「でも、僕はそうやって魂が消失するところを見て来たんだ。本当だったら、異世界という新しい場所での輝かしい未来が待っていたのかもしれないのに、簡単な業務処理の問題だけで死を押し付けられて、しかも、それが表に出ることはないんだ。携わった人たちは処罰されるけど、本来ならもっと社会からバッシングを受けるべきはずなのに、秘密裏に処理されている。この状況は、一見、警察官にとって有利な運用方法だと思えるかもしれない。でもね、大きな間違いなんだ。むしろ、逆なんだよ。この業務に携わる警察官は、誤ってしまった時に償うに値する罰を受けられないんだ。償えないんだよ。僕らは、罰してもらえない恐怖にもっと怯えるべきだと思うんだ。ごめん、喋るのが下手糞で。でも、その。だからさ。どうにかならないかな」

 モチは仕事ができない。

 一応、エリートコースに乗ってはいるが、最後尾と言えるだろう。

 けれど、思考はまともである。

 性格の悪い、ずる賢い、偏屈なエリートばかりの中で、真っ当な人間ではある。

 優秀な人間よりも、良い人間の方が貴重なのだ。

 アールが深く頷き、微笑んだ。

「確かに、モチの言う通り。そうかもしれないね」

 モチが軽く頷く。

 私も顔がほころぶ。

 アールが前傾姿勢になる。

「モチさぁ。轢かれた人って女だったし、超美人だったよね。だからさ、もしも異世界に転生していたら一発やるために会いに行けるなぁって、思ってないよね」

 モチの表情が固まった。

 さあ、きな臭くなってきた。

「あたしさ、聞いたことがあるんだけど。異世界に転生する時って、容姿の良いヤツらは異世界でも容姿の良いものに転生する傾向が高いらしいんだよね。そうなるとだよ、別にあんたのことを疑ってるわけじゃないよ。まさか、チンコで物事を考えるタイプのクソ男どもと、お前が一緒だとは思ってないよ。ただ、万が一にも、と思って確認を取ってるんだけどさ。ねぇ、クソモチ。あの轢かれた女、結構美人だったし、なんとかして一発やりたいなぁ、もしかしたら転生してるかもしれないから、正義感面して確認だけとってもバチは当たらないんじゃないかなぁ、もし転生してたら異世界調査とかそれっぽい体裁だけ整えて会いに行こうかなぁ、とか思って提案をしてるわけじゃないよね」

 モチはモテる。

 同期の中で、隠れて女性を喰っていることをモチると揶揄したこともあった。

「モチ。ねぇ、モチ」

「はい」

「あんた、最近、直属の上司の女、喰ったよね」

 私はモチの目を見た。

 泳いでいた。

 へぇ、このモチってカビ生えてるんだ。

 アールが机を思い切り叩く。

「お前、あたしらを騙して、その女をモチろうとしてたわけ」

「いっ、いやいや、僕は別にモチろうとかそんなつもりはなくて」

「正直に言いなよ。モチろうとしたよね」

「て、天地天命に誓って、モチろうとは思ってないよ。僕は、アールとウメハラを絶対に裏切ったりしない」

 だろうな、お前が暴れまわったせいで同期は壊滅状態。

 そもそもモチが裏切れるほどの信頼が、もう私とアールくらいにしかない。

「あたし、今なら怒らないよ。ねぇ、モチ。あんた、モチる気満々だったよね」

 モチが長く息を吐き、瞳から涙を一筋流した。

「モチりたいと思いました」

 きったねぇ涙だな。

 あと、モチモチモチモチ、マジでうるせぇ。

「あたしは、あんたみたいなのは大っ嫌いだから。死ねゴミモチ」

「だとしても、僕は何度もそういうことをしてるわけじゃないよっ。今回はたまたまさ。弟子の僕なんかより、師匠はもっと凄いんだから」

「その界隈で師匠呼ばわりされてる存在なんか、キングオブゴミだろうがっ。お前もさっさとそんなやつの弟子なんかやめちまえバカっ」

 どれだけ小さい業界にも上下関係が存在している。

 文化とは、時と場所を選ばない尊いものである。

「でもっ、でもさっ。僕の言っていることに間違いはないよね。だって、天界が資料の送付を忘れることはあるし、そのせいで魂の消失問題だって起きてる。確かに動機は不純かもしれないけど、異世界転生のことを知っている警察官として危惧すべき問題に、ちゃんと注目していたことは事実だよ。僕だって申し訳ない気持ちにはなったけど、行動と意見については、表向きにはそこに正義があるし何ら恥じる行いだとは思ってないよ。むしろ、疑いもせずにただ流されるまま業務処理をしようとしたことに問題があるんじゃないかな。だって、アールもウメハラも僕が言うまでただの交通事故だと思っていて、疑っていなかったじゃないか。むしろ、警察官としてアンテナが高いのは、僕の方だ。最悪の事態を想定して行動するのは、警察官の義務じゃない、ある一定の年齢をこえた大人の義務だよ。それに綺麗な女性がいた時に、その人と仲良くなりたいと思うのは不自然なことかな。むしろ、考え方としては自然だし、それを咎めることは誰にもできないよ。あの人と仲良くなってはいけない、あの人と食事に行ってはいけない、あの人と恋仲になってはいけない。周りが一個人の自由を当然のように阻害し、本来なら当事者間の問題をまるで衆人環視の元で解決されるべきだと、社会問題のように扱うのは、プライバシーの侵害だよ。そう考えれば、行動自体に間違いはないし、動機に関しては人間としては自然なこと。何も糾弾されるような点は存在してないよ」

 えっ、モチってこんなに喋る感じなんだ。

 へぇ。

 いつもあんまり喋らないヤツが喋るとマジでキモいな。

「モチさぁ。あたしが言ってるのはそこじゃないから。行動が正しい、結果的にいい方向に導いている。そんなことは別に否定してないの。あんたは、本質が分かってない。動機が間違っていても、誰かを救おうとしているなら問題がないっていう考え方は大問題なんだよ。いい、よく聞きなさいよ。動機が間違っているってことは、その後に行われる行動の正しさに保証がないってことなんだよ。動機に正義があれば、それが第一の目的なんだから、正義のある行いになるけど、動機に私利私欲が混じっているってことは、私利私欲のある行いをするだけで、正義のある行いをするわけじゃないんだよ。例えば、駅のホームから誰かの背中を突き飛ばしたいという動機があって、それを実行に移した場合、偶然にも電車が来ていなくて、駅のホームには連続殺人鬼が現れたから結果的に人を線路に逃がすことができて、その命を救ったから正しいってことになるかどうかって話なんだよ。ならないからね。絶対にならないからね。モチの正体は、駅のホームから人を突き飛ばした、ただのクズだからね。もはや、それは偶然が作用して、状況的には正しい行動をしたっていう、くじ箱から当たりくじを引き続ける場合にのみ、まともな存在として認められるだけの危険因子なだけだから。普通の人は、そもそも、結果さえよければいい、みたいなくじ箱に手を突っ込むギャンブル人生なんか頻繁に歩まないから。動機が間違っていてもいいという考え方は、本人以外も沢山住んでいる社会というコミュニティに許可も取らずに過剰なリスクを背負わせる、横暴さの上にしか成り立たないんだよ。ねぇ、モチは賢いんでしょ。じゃあ、あたしの言ってることが理解できないほどバカでもないでしょ」

 モチは少ししょげているようではあるが、若干の苛立ちを抱えている。

 アールはしょげていないし、苛立ちは烈火のごとくであることを私とモチに分かるよう示している。

 私は二人の間で心配するふりをしながら、早く帰りたいとしか思っていない。

 よくもまぁ、こんなに喋るものである。

 言いたいことのある人生は、聞き手以外にとっては幸福に違いない。

「お二人ともすみません。まず、私たちがするべき行為は、この事件をただの交通事故として処理するのか、異世界転生用トラックによる資料の遅れによって発生した問題の可能性を鑑みて調査するのかのどちらかです。私個人の意見としては、幾つかの可能性は捨てきれませんが、さきほどアールが見せてくれたカウンターが動いていない以上、資料の遅れによって発生した問題とは思えませんので、ただの交通事故として業務処理を粛々と行うのが妥当であると考えます。全会一致でもいいのですが、このまま話しても埒が明かないので多数決ということで如何でしょうか。当然ながら、二票と一票なので、これで決定となりますが」

 私はモチへと目を向けた。

 モチがわざとらしくため息をつく。

「分かったよ。それでいい。でも、僕は自分のした行動自体が悪いとは思ってないから」

 そういう余計な発言をするから、議論が過熱するのだ。負けたのだから黙っておけばいい。

 案の定、アールが何か言おうと口を開いた。だが、自分の意見が通ったこともあり溜飲が下がったのだろう、口を閉じて目を瞑った。

 良かった。本当に良かった。

「では、この部屋を出て準備を進めましょう」

 その時。

 アールの携帯が振動した。

 画面を見ると、あのアプリからの通知であった。

 アールがアプリを開く。

 数値が零から一に変わっていた。

 その下には、次のような文章がついていた。

 実際の状況が反映されるまでにタイムラグが発生する等の問題が起こりうる可能性があります。ご注意下さい。

 モチが手を叩く。

「ほらっ、僕が正しいっ。間違ってなかったっ」

 ちょい、モチよ黙っとけ。

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