第二章 現世と異世界は、観測者の立ち位置によって決まる。
2-1
このアプリを見る限り、一と表示されている。
何度見ても一である。
資料が届いていない可能性は一気に高まったと言える。
このアプリの更新は天界が行っている。つまり、この一という数値の保証は警察や人間ではなく、天界側の神様たちということになる。該当するかもしれない事件が存在しているので確認を取って欲しい、という伺いにはある程度の後ろ盾があると言ってもいいだろう。もちろん、人間如きが生意気にも意見を言ってきた、と思われる可能性は残っているが。
アールの表情は歪んでいる。梅干しのようである。
モチはアールに怒られるのを気にしてか無表情である。しかし、嬉しさがあふれている。オーラが滲み出ているとも言える。
「僕はね。ウメハラが、このアプリの数値を見てどう思うか聞きたいんだよね。どうかなアール、ウメハラに聞いてもいいかな」
お前、めっちゃ性格悪いな。
私にただ聞けばいいのに、何故に一度アールのところでバウンドさせるのだ。
この男、良い人間でも優秀な人間でもない。中々のクズである。
「あたしは、別に」
「僕は、まずアールがどう思ってるのか、聞きたいなぁって」
「何が」
「いや、色々だよ。そんなに変かなぁ」
「変ではないんじゃない。どうでもいいけど」
「何が、どうでもいいの。ねぇ、どういうところがどうでもいいのか教えて欲しいなぁ。ほら、アールって僕よりも賢くて、物事をちゃんと考えられるでしょ。だから、今後の勉強のためにも知りたいなぁって」
アールが机を思い切り強く叩く。
机どころか部屋が爆発したかと思った。
「ごめん。あたしには蚊がいたように見えたから」
怖い怖い怖い怖い怖い。
傍から見てる分には面白いけども。
こんなに殺伐とするものなのか。
モチが一度笑い、前傾姿勢になってアールを見つめた。
「僕の顔にもついてるかも。ねぇ、探してみたら」
お前も、なんでそう地雷原でスキップできるんだよ。バカモチ。
「で、僕はウメハラの意見を聞きたいんだけど。どうかな」
モチはアールから目を離さない。
「そうですね。私としては、一と表示されている以上、無視はできないと考えます。天界に確認を取るのが良いかと」
「ということは、僕とアールのどっちに一票を入れるの」
「その言い方ですと。そうですね。モチに一票というところでしょうか」
「だってさ、アール」
アールが表情を変えずに挙手をする。
喋る時って、そういうルールだったっけ。
アールが私を見つめる。
「えぇと、では、アールさんご意見がありましたら、どうぞ」
「そもそも、このアプリは天界のバカどもが自分たちの仕事の遅さをカバーするために作ったもので、これによって魂の消失問題にある程度の対策がたてられた側面はあると思う。思うけど、でも、このアプリの運営をしているのは、その仕事の遅い天界のバカどもであって、信頼性という点においてどこまで高いのかは疑問の残るところだというのは、皆が知ってる事実だよね。現に、この数値の下には、実際の状況が反映されるまでにタイムラグが発生する等の問題が起こりうる可能性があります。ご注意下さい。と文章があるわけでしょ。ここには、数値が実際のものよりも低い場合だけじゃなくて、高い場合も含まれていると考えるべきで、これをあてに業務をすることは、結果として危険であるし、また天界側の責任を取ろうとしない性格からも、この一文を入れたことで行動の責任をすべてこちらに背負わせようとする魂胆は間違いない。実際、異世界転生業務に携わる警察官のほとんどがこのアプリを見ていないことは周知の事実で、あたしたちもただの交通事故として処理をしようとしていたのは、さっきの多数決の結果からも明白。やっぱり、天界に質問をするのは、避けた方がいいだろうね」
モチが挙手をする。
モチが私を見つめる。
「では、モチさん、どうぞ」
「アールの意見は分かったよ。でもね、じゃあ僕たちは結局どうしたの。このアプリを見たの、見なかったの。答えは一つだよ、見たんだよ。一度実行し、確認した事実を打ち消すことができない以上、僕たちは多数決なんてしなくても会話の延長でこのアプリを開き、数値を確認することに同意していたんだよ。つまり全会一致で、あてにしていたことは事実だ。それに、このアプリの数値の信頼性がないと言ったけど、それで言うなら、異世界転生用トラックで人をはねた場合に天界から来る資料だって怪しいということになる。だってそうだろう。君の言うことが正しいなら、天界で仕事をする神様たちは、仕事が遅く、浅はかで、ミスも多い可能性がある。だったら、そもそも、その前もって送付されてくる資料の信頼性だって低いということになる。それで言うなら、資料が送付されてきても、アールはその資料は天界の神様たちが作った資料だから信頼に値しないと無視しなければ矛盾していることになるよね。でも、君だって資料が送付されてきたらその内容を確認して、実際に轢かれた人を確認しにいくわけだろう。無視なんかしないわけだ。じゃあ、天界の神様を信頼していないんじゃなくて、アプリを信頼していないということになるよね。だとするなら、アプリと資料の違いは、どこにあって、どういう理由からアプリの数値は資料よりも信頼に値しないと言えるの。このアプリは、実際に運用されるまでに、幹部と呼ばれる神様たちの承認も得たし、数値が反映されるまでに辿る承認経路は、資料がこちらに送付されてくるまでに通る承認経路ほどではないけど、ちゃんとした承認は得ているんだよ。ねぇ、アールはどう考えてるの。そこを説明してみせてよ」
モチがまともなことを言っている。
めっちゃ怖い。
アールがまたも挙手をして、私を睨む。
私はアールに向かって丁寧に指を揃えて向けた。
「それは歴史の問題でしょ。要は、資料の送付はもう五十年以上も使われてきた伝統的な業務処理の方法で、全員が受け入れていて、かつ実績がある。大してアプリの方はたかだか五年くらいの歴史しかなくて、特に最初の方は機種によっては文字化けしたり、アプリ自体が起動しなかったりして、問題が多かったことも事実でしょ。資料にもアプリにも問題があることは分かるけど、採用されてきたという長い時間は結果として、その業務の問題の洗い出しにも貢献していると言っていいの。つまり、アプリよりも資料の方が信頼できるというのは、明白な事実じゃない」
「いやいや、それは違うよ。もしも、アプリよりも資料の方が信頼性が高いなら、そもそもアプリが開発されて、運用なんてされるわけがないんだよ。逆だよ、アール。資料の信頼性が低いから結果として、アプリが採用されて今に至るんだ。ドミノ倒しだってそうだろう。ドミノ倒しは、ドミノを並べて倒していくけれど、完成前に倒してしまうと失敗してしまうからストッパーをかませるよね。じゃあ、そのストッパーは倒されるドミノよりも倒れやすい形状をしているかい。答えはノーだよ。ストッパーは、ドミノよりも倒れにくくて優秀だ。もちろん、ドミノよりもシンプルな形をしているわけではないし、ドミノを並べ終えたら完成前に抜かなければならないという面倒さはある。でも、この場合重要なのはそこじゃない。ストッパーは、ドミノよりも倒れにくく、そのためドミノ倒しの失敗を食い止めてくれるし、それがストッパーがストッパーたる所以なんだよ。分かるだろ、ドミノよりも倒れやすいストッパーなんて存在しない。そして、倒れてしまうストッパーがあるならそれはストッパーじゃなくて、ただの歪な形をしたドミノなのさ。僕たちは、今まさに暗闇でドミノ倒しに挑戦をしている。しかし、暗闇だからこそ資料が来ていないかもしれないという問題に気付いていない恐れがあって、今この瞬間もドミノが倒れているかもしれないという不安と戦っている。そんな最中、ストッパーを置いたところで、カチっと、音が聞こえた。必死に並べていた僕たちはドミノの倒れていた音を聞き逃したかもしれないが、そのストッパーに何かが当たったような音をかろうじて聞くことができたんだ。そう、それがこの問題のストッパーである、アプリに数値が一と表示されたということなんだよ。音が聞こえたことは間違いない、みんなも聞いた。じゃあ、答えは簡単じゃないか。そのストッパーの前後の確認をすればいいんだよ。なんで、こんな簡単なことをしないんだ。アール。君がやろうとしているのは、音も聞こえて、自分でも不安を感じていて、ドミノに倒れやすいという潜在的な問題があることも分かっているのに、ストッパーを引き抜いてしまうという、ただのはた迷惑な暴走だよ。それは、冷静に状況を分析しているんじゃなくて、目も耳も潰して何も感じなくなったから問題を認知できずに安心しているだけなんじゃないの」
おい、お前、ほんとにモチか。
ちょっと、怖くなってきたんだけど。
「それに、アール。僕はね。本当は君も、僕と同じ意見なんじゃないかと思っているんだよ。もしも、君が本当にアプリを信用していないなら、なんで君の携帯にはそのアプリがダウンロードされているんだい。あてにならないなら自分の説得の証拠として使うわけがないし、そもそも、ここまで議論も深まっていないよ。君の携帯でその数値を確認できたことが、何よりの証明じゃないか」
決まった。
完璧である。
残念ながら、警察で配布される携帯には最初からそのアプリが入っていてアンインストールもできないのだが、もうこの際どうでもいい。
良い感じの着地地点が見つかったんだから、よし。
間違ってるけど、よし。
これ以上二人の長い話を聞きたくないから、よし。
アールも反論しようと口を開いたが、ため息を一つついて諦めたような表情をした。
アールが大人で本当に良かった。
「モチの言いたいことは分かったよ。確かに、天界に尋ねてみて慎重に調査した方がいい事件だってことも分かった。うん、その通りだと思う。でね、あたし付き合ってる人がいるの」
ん。
アールに彼氏がいることは知っている。学生の頃から付き合っていて、恋人関係の酸いも甘いも経験したと、本人の口から聞いている。恋や愛以上に、腐れ縁に近くなっているがこれ以上ないほどの理解者であるらしい。
で、それが何なのか。
「その人と、再来月に結婚するの」
へぇ、おめでとうございます。
で。
「結婚式もやろうと思ってて、二人にも出席して欲しいの」
モチが目を丸くしながら頷く。私の目も丸くなっているような気がする。
同期であるという関係なだけで、私もモチも特別アールと仲が良いわけではないので、結婚式に出席するのは面倒以外の何ものでもない。ただ、アールからの一方的な勧誘を無下にするほどアールに嫌悪感を抱いているわけでもない。
これで、再来月あたりに結婚式の予定が入ることになった。
強制的に目の前の二人の幸せを祈らされ、思考の自由を奪われる儀式に参加する覚悟を決めておかなければならない。
「ご祝儀いらないから、この事件はただの交通事故ってことにしようよ」
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