2-2
「おい、なに言ってんだ。このクソ女」
つい言葉が漏れてしまい、慌てて口を抑えたが、アールもモチも全く聞いていなかった。
モチは開いた口がふさがらず、アールはどこか緊張しているような表情をしている。
「それで、いいよね。モチ」
「君、なに言ってんの。そんなことできるわけないよ。ちゃんと調べるべきだって」
その通りだ。
ご祝儀だけではなく、結婚式への不参加と、祝福しないでいいなら考えてやってもいいが。
「なんで、あたしをお祝いしたいと思えないの」
「え、別にそうは言ってないというか」
「それは、モチはヤリチンのくせして、女の子の幸せも祝えないような男だってことだよね。女の子を傷つけるだけじゃなくて、足を引っ張ったり、後ろ足で砂をかけたりするクズヤリチンってことだよね。いいの、それで。そういうヤリチンでいいの。ねぇ、違うでしょ。モチはヤリチンなだけで、クズヤリチンじゃないでしょ。ヤリモチであって、クズモチじゃないでしょ」
急に葛餅が食べたくなってくるから不思議である。ちなみに私はお茶を習っていたことがあるので、たてることくらいはできる。流派は裏千家である。
意外にも、私は良い家の子どもなのである。
へへん。
「あたし、モチのこと。信じてたのに」
私もモチも、お前をまともだと信じていたのだ。
まぁ、こちらを棚に上げておいて本当に申し訳ない話ではあるが。
私は咳ばらいを一つする。
「アール。申し訳ありませんが、プライベートに関係する事柄を仕事に持ち込んで交渉をするのは如何かと思います。それに、アールも天界に確認するべきとの点では一致していることが分かりました。結論としては、調査依頼をすることでいかがでしょうか」
「あのさ。あたし、今度ね」
また、今度。
結婚ときて、次は出産か、それともスピード離婚も予定に入っているというのか。
「出世するかもしれないんだよね」
「それはそれは、おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。まぁ、その内々で決まってる話で、まだ表にはなってないんだけどさ。まぁ、何事もなければこのまま一つ上に行けるというかなんというか」
「同期の中では、一番ですね」
「そう、そうなの。色々勉強してきたから、ちょっと努力が報われてきたかなぁって思ってる」
「なるほど」
「で、ここからが本題なんだけどさ。二人も出世したいよね」
ほう。
これはちゃんと聞いた方がいい話かもしれない。
「続きをお願いします」
「うん。あのね、あたしたちの仕事ってかなり特殊でしょ。現世の中だけで発生する事件の解決はもちろん、天界が絡むような転生に関係する事件も解決しなきゃいけない。だからこそエリートとして働いているわけで、給料もそこそこいいのは事実じゃん。ただし、組織的な問題として、転生という公にできない要素を含んだ事件というのは、結果として取り組む警察官を固定化することに繋がって属人化が進んでしまうの。だから、こういう転生がらみの事件を担当できる警察官の数は圧倒的に少ないのが実情。もしもあたしが出世したとしても、一緒に事件にあたるメンバーを集められない可能性もあるから、あたしにはある権限が与えられることになってる。それが、二人までチームメンバーとして推薦できるってこと。あたしほどの出世じゃないし、あたしの右腕左腕みたいな立ち位置にはなっちゃう。でも、半出世みたいな扱いだし、決して悪くないと思う」
「それが、今回の話とどう関係があるのですか」
「この出世話には裏があって、天界側の要請なの。最近、警察官が反抗的だから、天界の神様たちが不満げなわけ。まぁ、ウメハラもモチも知ってる通り、仕事が遅かったり、雑だったり、そもそもやらなかったり。そいういうお粗末な仕事をしてるから恨まれてるわけで、自業自得なんだけどね。でも、神様は、自分たちの下位存在であるはずの人間が、裏で自分たちのことを馬鹿にしてることが許せないわけ。そこで、従順な人間を出世させて、権力を持っているところに、神様の言うことを素直に聞く警察官を配置しようと考えた。元から神様に歯向かわない警察官は出世させるとして、どうせならまだ神様に反抗的ではない若い警察官をスピード出世させて、神様に従順であることが正義であるというイメージを作った方がいいだろうと案が出て、しかも採用された。もう、言いたいことは分かるでしょ。あたしはその若くしてスピード出世する従順な警察官に選ばれたってこと」
ずるい神様だ。そして往々にして、ずるいとは賢いと同義である。
組織運営において、いかに目的と逸脱する人員を効率的に排除するかは非常に重要な問題と言える。その中で、出世という仕組みは良くも悪くも報酬と罰則の両側面を兼ね備えており、活用方法によっては組織を腐らせることも、黄金にすることも、はたまた軍隊にすることもできる。
ちなみに、アールをずるいと表現するのはお門違いである。選ばれただけの人間に罪はない。本当に、選ばれただけならば、という条件付きだが。
「アール。申し訳ないのですが、スピード出世の話はいつから来ているのですか」
「一年前くらい」
「つまり、一年も放置されて今に至ると」
「出世話が流れた可能性を疑ってるわけ」
「信じさせて欲しいということです」
「定期的に、所長と一緒にこっそり神様に挨拶をしに行ってる。まぁ、顔見世だね。証拠はないから信じてもらうしかないかな」
おそらく署長の身辺を洗えば、その証拠は出てくるのだろう。
やはり、賢い女性である。
立場が弱いのに賢いことを隠せない人間は、愚かと言える。アールは、まだ自分の立場が確定していない点と私とモチとの間にある信頼という点をよく考えて言葉を選んでいることが分かる。
まぁ、この女を切り捨てるタイミングは、今じゃないな。
アールが深くため息をつく。
「そういうわけで、仮にこれが本当に異世界転生用のトラックで、資料の送付が遅れていたとしても、神様に催促したくないの。あのバカどもプライドだけは高いから、注意だろうが、提案だろうが、質問だろうが、あたしに何か言われるだけで、苛つき始めるし、そうなったらあたしを出世街道から一瞬で落とすに決まってる。いや、落とすどころか、一度あたしのことを持ち上げてる分、恥をかかされたと感じて濡れ衣を着せて懲戒免職確定。悔しいけど、あたしと年齢が近くて優秀な警察官なんて何人もいるんだから、乗り換えられるのが関の山。仮にあたしがここを上手く切り抜けたって、何かしらのミスが発覚したら、その時点で警察から捨てられるのも間違いない。正直、見方によっては、こんなのただの悪目立ちよ。つまりね、これはあたしにとって最大のチャンスでもあるけど、底なしのピンチでもあるの」
天界の神様に調査依頼をしなかった場合。
ただの交通事故であれば出世コースは維持。
異世界転生用トラックによる事故であった場合は懲戒免職確定。
天界の神様に調査委依頼をした場合。
ただの交通事故であっても懲戒免職確定。
異世界転生用トラックによる事故であった場合も懲戒免職確定。
なるほど。
そう考えれば、調査依頼をしなかった場合は成功確率五割。調査依頼をした場合は成功確率零割となる。
ただ。
本当に残念なことに、ここである一つの事実が浮かび上がる。
この会話には重要な落とし穴がある。
それは。
この問題が降りかかっているのは、アールだけ、ということなのだ。
アールが出世コースに乗って目立っているからこそ、間違った行動も、スタンドプレーもできないという制約は、私とモチにはなんら関係のない話なのである。
出世ではなく、半出世などというお粗末な餌をぶら下げた上に、そもそもお前が約束を守る保証もない状態で、こちらが身を乗り出すわけがないだろう。懲戒免職もののおめでたい頭だ。
私とモチの立場であれば、考えられる未来は次の通りである。
天界の神様に調査依頼をしなかった場合。
ただの交通事故であれば問題なし。
異世界転生用トラックによる事故であった場合は最悪懲戒処分。
天界の神様に調査委依頼をした場合。
ただの交通事故であった場合は最悪でも減給処分。
異世界転生用トラックによる事故であった場合は問題なし。
何でもかんでもアールと比較はできないが簡単にまとめてしまえば、正しい行動はこうである。
天界の神様に減給覚悟で、資料が遅れていないか調査依頼をする。
これしかない。
私とモチは、アールほど注目されていないので、せっかく目をかけたのに恥をかかせやがってと思われることもない。懲戒処分があったとしても万に一つの確率だ。モチは遅刻やその他諸々の失敗を気にしていたが、今回の事件の処理を失敗した場合の罰則も重ねて、懲戒処分が妥当であると判断が下される未来は、異世界転生用トラックによる事故であったのに、天界の神様に調査依頼をしなかった場合に限られる。
つまり、調査依頼さえすれば、モチも最悪の未来を避けることが可能である。
「あたしさ、もう何年も前から自分が事件に下す判断のほとんどは、ウメハラとモチを参考にしてるって、上司にも神様たちにも公言してるの。つまり、上から三人一組として評価されてるから、もうお前らは逃げられないよ」
緻密に組み立てられた提案は、暴力を伴う脅迫と同じ性質を持っている。
拒否できない。
アールが天井を見上げながら後頭部のところで手を組んだ。
「あたしたちってさ、めっちゃ仲良しだよね」
あぁ、全くそう思うよ。このクソ女。
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