命の重さ
もう何日たったのだろうか?
薄暗い湿った塔の中には、今にも消えそうなランプの灯りが揺らめいているのみで、外からの明かりはほとんどの届かない。
時間感覚が狂う作りだ。
ここにあるのは、薄汚れたカビの匂いが染み付いたベッドと、汚い木の板でこしらえた貧相な机だったものと、不貞腐れた子供のような自分だけだ…
元々、囚人の中でも重罪を犯した者が収監される部屋だ。
この部屋に私を入れたということは、陛下にはそれなりの覚悟があるらしい。
ベッドに腰掛けたまま身動ぎひとつせず、床を見つめていた。
この塔の中では魔法も使えない。
鉄の足枷で両足を繋がれているので動く気にもならなかった。
大きな樫の扉に付いている小窓から、食事や灯り用の油が差し入れられる。
姉上はどうしているのだろうか?と心配でならなかった。
双子の姉は自分の失態をどう思っているのだろうか?
愚かな弟だと見捨ててくれていればいいのだが、そうでなければ姉上も陛下から不興を買う事になる。
いくら頭に血が昇っていたとはいえ、王を、父を失望させるには十分すぎた。
重用しているメイドと、賓客として扱われていた人間の勇者を手にかけたのだ。
私は王にとって害悪であり、反逆者として処断されても文句は言えない。
もし、同じことを私でない誰かがしたとしたら、この塔に入る前に命はなかっただろう…
私は自分の意思で人間の勇者の首を絞めて殺した…
死んだ者は戻らない。
自分の罪も消えることは無い…
暗い気持ちを抱えて俯いていた私の耳に、何の前触れもなく、扉をノックする音が届いた。
食事も灯りの油も補充されたばかりだ。
「イール…起きてるか?」若い男の声だ。
呼び捨てにして、さらにタメ口を利く相手を持ち合わせていない。
「…だ、誰だ?」
咄嗟に出た声は無様に上擦った。
ノックを続けていた相手は、返事が返ってきたのを確認して手を止めた。
「あ、起きてた?ちょっと話しあるんだけどさ」
「何者だ?」得体の知れない相手に警戒していると信じられない返事が返ってきた。
「ミツル、みんなが《勇者》って呼んでるミツル」
相手の間抜けな返答に驚いて、ベッドから跳ねるように立ち上がった。
足枷の事を忘れていたので思わず転倒しそうになった。
「何の用だ!お前死んで…」
「生きてる生きてる、ちゃんと足もあるよ」
「足…?」訳の分からないことを言われて混乱していると小窓からミツルが顔を出した。
驚愕のあまり悲鳴をあげて尻もちを着いた。
魚のように口をパクパクさせている私に、ミツルは人懐っこく話しかけてくる。
「うわー…なんかカビ臭いし暗くない?
大丈夫?ちゃんと飯食ってる?」
「…お前、何で生きて…」
「アンバーのおかげで命拾いしたよ。
あとマリーから貰った飴がすごく効いたんだ」
ミツルは他人事のようにそう言いながら、ドアの前で勝手に話を続けた。
「中はダメって言われたからここで話すけど、聞こえてる?」
「私を馬鹿にしに来たのか!
人間一人殺せず、愚かにも牢に繋がれた囚人を嘲るために来たんだろう?!」
「そういうの止めようよ。
僕は君に謝りに来たんだから…」
その言葉に、悪態を吐くのも忘れて固まった。
謝る?謝れの間違いでは無いのか?
そう思っていると彼はドアの向こうで深呼吸して話し始めた。
「この世界の事、アンバーからは聞いてたけど、ちゃんと理解してなかった…
馬鹿みたいに何も考えずに、紅茶を啜ってノホホンと過ごしてる間に大変なことが起きているとも知らなくて…
その…ステファノの件は本当に申し訳なかったと思う…」
「…聞いたのか?」
「素晴らしい人だったって皆口を揃えて言ってた。
君の妹のウィオラにも産まれてくる子供にも申し訳なく思ってる…」
言葉を詰まらせながら、震える声で《勇者》は言葉を続けた。
拙い彼の口から出る言葉は、あろうことか、私への《謝罪》であって、私を貶めるような言葉は一言も無かった…
取り繕った感じや、嘘で誤魔化してるようには聞こえなかった。それでも…
「私は人間は嫌いだ」
私の意固地な部分が彼を拒絶した。
それでもミツルは「知ってる」と笑って答えた。
壁越しに奇妙な沈黙が流れる。
「イールが人間嫌いなのは知ってるけどさ、それ以外ほとんどの知らないんだよな…
僕はイールの好きなものも得意なことも、苦手なものも知らないんだ。
君を好きになるにも嫌いになるにも情報が無さすぎて決められない」
「私を憎悪するには、私がお前を殺そうとした事実だけで十分だ…」
「またそんなこと言う。
親友のためだろ?」
甘い言葉に、悪態を吐く言葉も喉に引っかかって止まった。
「僕はさ、親が仕事の都合で引越しばっかりだったんだよ。
友達とは仲良くなったらすぐにお別れしてさ…
だんだん仲のいい気の合う友達とか作らなくてもいいやって思ってた」
彼は寂しそうに自分のことを語った。
「小学校で4回、中学校でも1回引越しをしたんだ。
僕の父は自衛官って仕事でさ、転勤ってのがあるんだ。仕事場がコロコロ変わるから、親元を離れて、祖父母の家に引き取られていた時期もあったよ。
でも結局家族で暮らした方が良いって事で、親元に帰ったけど、両親はほとんど仕事で留守だったから、誰もいない家で一人で過ごすことが多かった…
引越しばかりで仲のいい友達も居なかったから、近所の野良猫にエサをやったり、家でゲームして時間を潰してた。
もっと構って欲しかったけど、クタクタになって帰ってくる親にそんなこと言えなかったし、まぁいいかって思っちゃってた自分がいてさ…
小学3年生の時に拾った野良猫を飼っていいよと言われた時、泣くほど嬉しかったなぁ…
親も親なりに、友達の居ない僕のことを気にかかってたんだろうね…
中学になって、親が家を買って、部活を始めるまでは友達という程の友達が作れなかったんだ」
所々、分からない単語もあったが、彼が寂しい子供時代を過ごしたことだけは分かった。
「だから、僕は友達のために仇討とうとか、そんなことできるほどの熱量がないから…ちょっと羨ましい」
「…気持ち悪いやつだな…」
彼に同情しそうになる自分を認めたくなくて、そんな嫌な言い方をした。
それでも彼は私の言葉に怒るどころか、「そうかも」と笑っていた。
彼は扉の向こうでゴソゴソと何かを取り出した。
「見えるかな…
これが僕の飼ってた猫のルー」
四角い薄い光る箱には絵が映し出されていた。
彼が指でなぞると、絵は流れて別の絵を映した。
全部同じ猫の絵だ。中には動くものもあった。
「私の知っている猫より小さいみたいだ」
「へぇ、そうなんだ?
ルーはすごく大人しいんだけど、遊び好きで、遊んで欲しいとおもちゃを持って来るんだ。
いつも僕が寝てると顔の前で寝るから、おしりが迫ってきて寝にくかった」
話をして思い出したのか、話の終わりは声が震えていた。小窓に差し込まれていた手が引っ込んで、向こう側から誤魔化すような声が聞こえてきた。
「ごめん…涙出てきちゃった…
ルーは…ちょっと前に死んじゃったから…」
鼻をすする音が猫との絆を物語っていた。きっと大切な家族で友人だったのだろう…
その感情は私にも理解出来た…
「動物は好きだ」と呟いた。
「ルーの魂が迷わない事を祈る」
「…ありがとう」
「お前はさっさとその汚い顔を何とかしろ」
「厳しいなぁ…」猫との扱いの差に彼は苦笑いした。
彼への印象が少しだけ変わった気がした。もう殺したいほど憎めない。代わりに抱いた感想は《馬鹿》だ。きっと彼は馬鹿なのだ…
「お前がそこに居ると気が滅入る。
さっさと自分の部屋に戻れ」
「え?もうちょっと話そうよ」
「馬鹿!さっさと帰れ!ここは牢だぞ、お前みたいな奴の来る所じゃない!」
扉の向こうを離れようとしない勇者を追い払おうとするが、彼は懐っこい馬鹿な犬のようにそこを離れない。
「もうちょっとイールの事知りたい」
「やめろ、鬱陶しい」
「そういえばマリーが言ってたけど、ウィオラもう子供産まれそうなんだって。
でもなかなか思うようにいかなくて、難産だから皆心配してるみたい。
アンバーもマリー達も取り込み中だから僕も此処に来れたんだけどね」
「…そうか」
「無事に産まれるといいね。
男の子かな?女の子かな?」
「どちらでもいい。
母子共に無事であれば性別なんかどうでもいい」
「…なんだ、やっぱりイールは良い奴じゃん」そう言って彼は扉の向こうで笑っていた。
「イールとはさ、なかなか仲良くなるの難しいかなって思ってたけど…」
「勝手に仲良くなった気になるな。
私はお前の友人になったつもりは無い」
「そう?じゃあこれから友達になろうよ」
「やっぱりお前の考えてる事は分からん…」
相手を理解出来ずに、大きなため息を吐いて頭を抱えた。
何とかこの人間を追い払う方法は無いものか…
そう思っていると急にドアの向こうで勇者が慌て始めた。
「あ、ちょっと待って!ヘッドライト切れた!
ヤバイ!真っ暗!」
「お、おい!勝手に階段から足を踏み外すなよ!
私が突き飛ばしたと誤解されたら困る!」
「スマホのライトあるから大丈夫だけど…
イールこんな暗いところいたのか…大変だったな…」
彼はそう言って、勝手に私に同情した。
「ちょっとアンバーにクレーム入れてくるよ」などと言いながら勇者はまた小窓から顔を出した。
「イール、またね」
「もう来るなよ…」
「じゃあそっちが来てよ、また話しよう」
「勝手なやつだな」
呆れる私を置き去りにして、彼は勝手に「約束だよ」と言って塔の階段を降りて行った。
一人また薄明かりの中残され、部屋に沈黙が訪れる。
さっきまでのうるさい声が懐かしくさえ思える。
「…変な奴」
さっきまでのうるさい男の残像を振り払うようにそう呟いて、カビ臭いベットに横になった。
人間でなければ仲良くなれたかもしれない。
そう思っている自分がいる。
『君はもう少し頭を柔らかくすると良いよ』と言って私の頑固を笑った
いつも穏やかで、一緒にいて安心できた親友はもう居ない。
人間に無惨に殺された。
でも自分はあの人間に親友の影を重ねている…
塔で長いこと一人で居たせいだ。
人間と仲良くするなど自分のプライドが許せない。
そうだ、きっと疲れているんだ…
そう自分に言い聞かせて目を閉じた。
眠ったら、きっと元の考えに戻るはずだ、と信じて、カビ臭いベッドに身を委ねて眠りについた。
✩.*˚
イールの幽閉されている塔に登った次の日。
僕はベティからウィオラの子供が産まれたと聞いた。
すごくハッピーになるニュースだ。
城内は暗いムードから一転、お祭り騒ぎらしい。
赤ちゃんは女の子だったそうだ。
初産で難産だったから二日もかかってしまったが、赤ちゃんは元気に産まれてくれた。
問題はウィオラだが、出血が多かったそうで安静が必要らしい。しばらく会うのは難しいだろう。
「もう名前決まったの?」
「ルキア様です」とベティが赤ちゃんの名前を教えてくれた。
「ステファノ様が、男ならルシウス、女ならルキアと決められていたそうですよ。
どちらも『光』を意味する名前ですから…楽しみでいらしてたのでしょうね…」
そう言ってベティが寂しげに笑った。
「ミツル様のせいではありませんから」と気を使って言ってくれるが、言われれば言われるほどなんか申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
「ベティ、イールの事でアンバーに話があるんだ。
会って話したいって伝えてくれない?」
「それは…お伝えしますが…」
何となく歯切れが悪い。
彼女もイールの被害者だ。
思うところもあるのだろう…
「…実は昨日一人でこっそりイールのところに行った」
「?!」
「ちょっと話もしてきた」
「何考えていらっしゃるんですか!?
一人で?!何かあったらどうするつもりなんですか!!」
さすがに何か言われるとは思っていたがストレートに怒られた。
出会った頃はクールだったのに、最近のベティは素が隠しきれてない気がする。
なんだか親近感を覚えて微笑ましく思っていると顔に出てしまっていたらしい。
「何ニヤニヤしてるんですか?!」と叱られた。
「いや…ベティは優しいなって思って」
彼女は僕の言葉に驚いた猫のような顔で一瞬フリーズする。
そしてまた不機嫌そうな顔。心做しか顔が赤い。
「あんな事あったのに何で一人で行ったんですか?」
「あんなことがあったから行ったんだよ。
イールにとって大事な人が死んだんだ。
僕は物理的に傷ついて治してもらったけど、イールは心が傷ついたまま放ったらかしだったから…
可哀想だろ?」
「私には理解できません…」
「僕も自分で何言ってるのかよく分からない」
唇をへの字に曲げて眉を寄せているベティに、僕は笑ってそう答えた。
「多分だけど、相手が人間じゃないからこんな感情を持つのかもね」
「ますます分からないです。
違う生き物に感情移入をするなんて…」
「ベティだって、僕のこと心配してくれてるから怒ってくれてるんでしょう?」
「そうですよ!
今回の件で、ミツル様は私が目を離したら何するか分からないからしっかり見張っていないといけないということが分かりました!」
怒りながら食器を片付け、ワゴンを下げる。
「私が居ないからって勝手に出歩いちゃダメですからね!」としっかり釘を刺して出ていくのが何となく可愛い。
彼女あんなんじゃなかったのにな…
ベティがアンバーに僕の話を伝えてくれたのか、告げ口っぽくなったのかは分からないが、慌てた様子でアンバーが訪ねてきた。
「具合はどうかね?
もう痛むところは無いかね?」
「ありがとう、マリーに不思議な飴貰ったし、僕はもう大丈夫だよ」
心配してくれるアンバーに、僕は笑顔で返した。
「この間はイールが申し訳ないことをした。
私に償えることがあれば何なりと言って欲しい」
アンバーは相変わらず真摯な態度で謝罪を口にした。
でも、僕は彼を責める気も、償いを求める気持ちもなかった。
「アンバーに助けて貰っただけで十分だよ。
僕は何も出来なかったから、ベティまで巻き込んでしまって本当にごめん」
「なぜ謝るんだ?やめてくれ、悪いのは感情をコントロール出来なかったイールと、それを察することが出来なかった私だ。
君は何も悪くない」
そう言ってアンバーは骨の腕で僕を抱きしめた。
「君が無事で私は嬉しいんだ」
血の通ってない腕が暖かく感じられた。
「それに、君はイールに剣を抜かなかった…
それを知って僅かばかりホッとした自分が恨めしい。
君には感謝しかないよ、ミツル…
あんな状況でも他人を思いやることが出来る君は、真の勇者だ」
そんなふうに褒められると何だか照れくさい。
僕は何も出来ずに逃げ回っていただけだ…
「…アンバーはズルい…人たらしだ」
「そうかね?
私は本当にそう思っているよ」
アンバーはふふっと笑っている。
そして僕を抱きしめていた腕を緩めると、体を引いて程よい距離を作った。
「イールの事で話があると聞いた。
昨日イールの所に行ったとも聞いたよ、ベティがカンカンに怒ってた」
「ヤバいなぁ…どうしよう」
「あの子は君の事が気に入ったみたいだからね。
最初の頃はどう接していいか分からなくて悩んでいたけど、自分が世話をするから他のメイドは要らないと言ってくれた時は嬉しかった」
「…そんなことを言ってくれてたの?」
そんなの初耳だ、と驚く僕にアンバーはうんうん、と頷いた。
「実は私も怒っていたんだが、どうやら君も十分人たらしのようだ。
あのイールが反省の色を見せていた。
一体どういう風の吹き回しか知らないが、彼は私に自分のした事が間違っていたと言っていたよ」
「じゃあ、イールを許してくれる?」
「それはまだすぐに返事はできない。
彼は反省はしているが、まだ心の中では君を受け入れることができないとも言っている。
今の状態で彼を自由にするのは危険だ」
複雑なんだな…
「でも、せめてあそこからは出してあげてよ。
あの扱いはちょっと酷すぎない?」
「イールを気遣ってくれて感謝する。
君がそう言ってくれるならもう少し良い部屋に移すよ」
アンバーはそう言って約束してくれた。
僕は少し安心した。
「君が元気そうで安心したよ。
ところで君を連れていきたいところがあるんだが、一緒に来て貰えるかな?」
お出かけのお誘いに、「どこに?」と訊ねると、アンバーは少し嬉しそうな声で答えた。
「ウィオラが君に会いたいと言っている。
彼女の方から会いたいと言っているんだ。
あまり長くは話せないが、どうしても君に伝えたいことがあるらしい」
彼女の方から僕に会いたいと言ってくるとは思ってなかった。
でも、文句の一つでも言いたいだろうし、平手打ちくらいなら受け止めるつもりだ。
命に関わるのはもう懲り懲りだが…
「分かった。連れて行って欲しい」
僕が謝ってどうこうなるものでは無いけど、彼女の気持ちが少しでも楽になるなら、会って話したいと思った。
アンバーの案内で連れていかれたのは、一階の一番奥の部屋だった。
城の庭園から沸き立つ花の香りや、湿っぽい木々の呼吸を感じる、リラックス出来る部屋だ。
白い優しい香りの花が蔦を這わせて、天然のカーテンをこしらえている。
優しい木漏れ日が部屋に差し込んで幻想的な雰囲気を醸していた。
「ウィオラ、邪魔するよ」
アンバーが窓際の天蓋付きのベッドに向けて声をかけた。
人の動く気配がした。恐らくベッドで横になっているウィオラだろう。
「君が望んだ人物を連れてきたよ」
「勇者様ですね、ようこそお越しくださいました」涼やかで凛とした声がアンバーに応えた。
元気な声ではないが、上品で、ゆったりとした、いかにもお姫様のような声だ。
マリーとは真逆な感じで緊張する。
「エミリア、お父様と勇者様とお話したいの。
用意してくれないかしら?」
エミリアと呼ばれた女性が「かしこまりました」と答えて天蓋の中に入って彼女の身支度を手伝った。
少しの間があって、天蓋がスルスルと持ち上がると、中からウィオラが姿を見せた。
彼女は、真っ白な肌に金髪がよく映える、典型的な感じのエルフだった。
髪は三つ編みで結い上げられているが、かなりの長さがありそうだ。
瞳は藍色と紫を足したような、何とも言い難い色合いで、夜空に星が瞬くような輝きが煌めいている。
不思議な容姿で、ペトラやイールとはまた違う幻想的な姿だ。
彼女ははにかむように微笑んで薄紅色の唇を開いた。
「はじめまして勇者様。
第二王女、ウィオラ・プルイーナと申します」
ベッドの上からだったが、気品の漂うウィオラは本物のお姫様のようだった。
「血を多く失ったばかりで、まだ動くことがままならないのです。
このような格好で申し訳ございません」
「いえ…大変だと思うのでお大事になさってください」
彼女の顔が白いのは元々というのもあるだろうが、出血が酷かったので血が足りていないのも原因らしい。
確かにただ白いと言うよりかは青白い。
かなり無理をしているのだろう。
僕が体調を気遣う言葉をかけた事が彼女には意外だったようだ。
彼女は驚いていたが、すぐに気を取り直して、「お気遣いありがとうございます」と彼女は柔らかく微笑んで会釈を返した。
「先日娘が産まれましたの。
エミリア、ルキアをここへ…」
控えているメイドに娘を連れてこさせた。
娘を受け取って母親の眼差しで娘を愛でて、彼女は視線を動かさずに僕に言った。
「わたくしの、主人の話はお父様からお聞きになられて?」
「…聞きました。
心からお悔やみ申し上げます…」
「…そう、ですか…」歯切れ悪くウィオラが応じる。
「勇者様のせいではありません。
愚かな別の人間がしたことです…
そして、わたくしの我儘がもたらした事です…」
「ウィオラ、お前のせいでは…」アンバーが慌てて口を開くが、彼女がそれを遮った。
「わたくしがお父様やステファノの勧め通りに早めに城に入っていれば、彼は死なずに済んだかもしれません。
むしろ、あの村が襲われることすらなかったかも知れません…」
「ウィオラ、そんなもしかしたらの話で自分を傷つけるんじゃない」
アンバーがウィオラを慰めた。
ウィオラの腕の中で寝ていたルキアが居心地悪そうにモゾモゾと動いた。
小さな手が不器用に何かを探している。
「なぁに、ルキア?
ごめんなさいね、もう少しだけお話させて頂戴ね」
ウィオラはルキアをあやしながらそう言って僕に視線を移した。
「わたくしは人間のしたことは許せません。
それでも、罪のない人に罪を被せるのも間違っていると知っています。
イール兄様の件は申し訳ありませんでした…」
「ウィオラのせいではないでしょう?
僕はイールの気持ちも分からなくは無いです…」
僕は人間により、イールやウィオラの方に感情移入してしまっている。
勇者なのに、人間の味方になれそうにない…
「僕は貴女からすれば大切な人を殺してしまった人間と同じ人間だから…
許せないって思われて当然だと思います。
それでも、僕にしか出来ない事…
人間として、ウィオラやルキアに人間のしたことを謝りたい。
人間のした事、謝って許される事じゃないけど…本当に申し訳ありませんでした」そう言って彼女らに頭を下げた。
僕なりに一生懸命伝わるように謝罪したつもりだ。途中で涙がボロボロ出てきた。
泣くのはズルいと思うけど、彼女らを前にしたらやっぱり申し訳ない気分で涙が溢れた。
ウィオラもアンバーも唖然として、固まったまま僕を見ている。
メソメソ泣いている僕の耳にあの優しい声が届いた。
「分かりました。
勇者様からの謝罪を受け入れます。
だから、そんなに泣かないでください」
「…ふぁい…」
「貴方は素直で誠実で優しい人ね。
どこかあの人に似てるかもしれないわ…」
そう言ってウィオラが少し寂しそうに笑った。
旦那さんのことを思い出しているのだろうか?
「勇者様に一つだけ、一つだけどうしても聞いて欲しいお願いがありますの」
ウィオラはそう言って腕の中の赤ん坊を抱き直して、僕に向かうように上半身を起こした。
「ルキアを抱いて下さらない?」
「いいんですか?僕が抱っこしても…」
赤ちゃんなんて抱っこしたことない。
もし落としちゃったら…泣かれたら…どうしよう…
「難しいことではないわ。
貴方自身も人の親になるかもしれないのですから…」
そう言われればそうだが…
なかなか決心がつかないでいる僕に、ウィオラは我が子を差し出した。
アンバーに介助されながら赤ん坊を受け取る。
ルキアはまだ目も開いていない新生児だ。
写真でしか見たことの無い程幼い赤ちゃんが僕の腕の中に収まった。
「…どうですか?」
「…暖かい…赤ちゃんの匂い…」
思っていたより軽くて拍子抜けするが、抱いているのは赤ちゃんだ。
絶対に落っことさないようにと、体が緊張で強ばった。
小さな手が動いている。
その手は僕の手と同じように動くし、指の一つ一つに大人と同じような爪と指紋が付いている。
小さいが、紛れもなく生きている。
足が僕の肩の辺りを蹴った。小さいが力がある。
赤ん坊を見て不思議と笑みがこぼれた。
そんな僕の様子を見て、ウィオラが微笑んで口を開いた。
「勇者様、今貴方の腕の中にあるもの…それが命です」
「…うん」僕は彼女に向かって頷いた。
「その子の
命の重さを感じて、いついかなる時も、命の尊さを忘れないでくださいね」
彼女のその言葉に、何故大切な娘を、僕なんかに抱かせたのかを知った。
「分かったよ、ウィオラ。
ルキアを抱かせてくれてありがとう。
それに、命の重さを教えてくれてありがとう。
僕は命を大切にするよ」
僕はウィオラにそう答えて、そっとルキアを返した。
「貴方はきっと良い勇者になるわ。
ルキアが泣かなかったのですもの…
わたくしは娘を信じます」
そう言ってウィオラは笑っていた。
それでもどこか悲しそうな笑顔だった。
「またルキアに会いに来てくださいね。
わたくしの紅茶をご馳走しますから」
「ありがとう、ウィオラ。
無理しないで、身体を大事にしてね」
これから彼女は一人娘を片親で育てなければいけない。
本来なら、喜びも辛さも分け合える伴侶と娘を育てていくはずだったのに…
僕の気持ちを察したのか、アンバーが「大丈夫だよ」と応えた。
「私達家族がいる。
それに、ステファノのご両親も存命だ。
国中がルキアの父親母親だ。
この子は皆に祝福されて、愛されて育つんだよ。
この母子は我々の宝なのだから…」
アンバーがそっと人差し指の背でルキアの頬を撫でた。
ルキアはくすぐったそうにして、顔を母親の胸に埋めた。
「この子は誰よりも愛されて育つんだ」
「そうとも、君もこの子の成長を見守りたまえ」
アンバーは嬉しそうにそう言って僕の肩に手を添えた。
「そろそろお暇しよう。
ウィオラ、しっかり休みなさい。
何かあれば遠慮せずに言いなさい。
お前のためでもあるが、ルキアのためでもある」
「ありがとう。またね、ウィオラ」
「えぇ、またお越しくださいな。
今度はイール兄様も一緒だと嬉しいわ」
ふふっといたずらっぽい表情を見せて彼女が笑った。
彼女は可愛い笑顔で、僕達が部屋を出るまで見送ってくれた。
ウィオラとルキアには幸せになってもらいたい。
そのためには僕はもっとこの世界を知らなければいけない。
誰かを守れるくらい、強くならないといけない。
「アンバー、僕は強くなりたい」
僕の言葉にアンバーは「君ならなれるよ」と言った。
「私の子供たちを守ってくれるかい?」
「もちろん!」即答だ。そのつもりなんだから。
「僕はこの国で勇者になるよ」
勇者なんて向いてないと思ってた。今でもそう思ってる。
それでも僕に何かが出来るなら、なにか役に立てるなら、何もしないのは間違っていると思う。
勇者として召喚されたなら、勇者になってやろうじゃないか!
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