異世界研修
朝になって目を覚ますと、そこは一人暮らしの貧相なベッドでも、出先のホテルでもなく、豪華絢爛なベッドの上だった。
やっぱり夢じゃないんだ…
そう思いながらベッドから起き上がる。
めちゃくちゃ快適なのだが、やっぱり知らない他人の家はどうも落ち着かない。
「勇者様、お召し物とお食事をお持ち致しました」
どこかで見張っていたのだろうか?
昨日のメイドが
「見苦しい格好をさせれば陛下の名誉に係わります。お召換えを」
そう言ってポンと渡された服はとても肌触りの良いものだった。
「僕の知ってる服と少し違うからどうやって着るのか教えて欲しいんだけど…」
何やら分からないものも混じっているが、基本中世ヨーロッパ風の服だ。
彼女は面倒くさそうに「ふん」と鼻を鳴らして服の説明をしてくれた。
かなり事務的な案内だったが、魔王の言いつけなのか嫌々でも教えてくれるので助かる。
彼らは
「ご朝食を召し上がりましたらベルでお知らせください。陛下がお待ちですので、早くして頂けると助かります」
テキパキと用意を終えたメイドがそう告げて立ち去る。
本当になんか言葉が
当たり前だが箸はない。
キラキラに磨かれたスプーン、ナイフ、フォークが並んでいる。
パンはバターを塗ったバケット。
台座につるりとしたゆで卵がちょこんと乗っている。
大袈裟な銀杯には不似合いな牛乳が注がれていた。
厚切りのベーコンは美味しそうな湯気を立てているし、彩りの綺麗なサラダも美味しそうだ。
デザートなのか、ガラスのボウルにベリーっぽいモノが混ざったヨーグルトが用意されている。
「いただきます」食事の量に圧倒されながら、恐る恐る口に運ぶ。
「うっま!ヤバッ!」
肉厚なベーコンはジューシーで、少し甘みを感じる。
普段食べてるペラペラのベーコンとは段違いだ。
パンも焼きたてでフワフワサクサクだし、サラダもシャキシャキで噛む度に心地いい音がする。堪らない!これが俗に聞く異世界グルメというものか?
「異世界グルメうまー!」つい口から感想が漏れる。
牛乳も蜂蜜が入っていたようで、甘ったるいが元気になる味だった。
「ごちそうさまでした!」デザートまで綺麗に食べて手を合わせた。
満足だ。
「そうだ」
さっきメイドに言われたことを思い出して机の上のベルを鳴らした。
ものの数秒で部屋に現れたメイドは、「紅茶です」とだけ行ってお茶を出すとさっさと片付けを済ませてワゴンを片付けた。
食後のコーヒーじゃないけど、これはこれでありだ。
「ワゴンを片付けたら陛下の応接室に案内します。それまで大人しくしてて下さい」
「分かった。朝食ありがとう。美味しかったよ」
足早に出ていこうとする彼女にお礼を言った。
すると彼女は少し止まって振り返った。
なんとも言えない複雑な表情をしてたが、
「私は仕事をしただけです」とだけ返して綴織の向こう側に消えた。
勝手に話しかけて怒らせたかな?とも思ったが、お礼を言うのは悪いことじゃないはずだ。
とりあえずアンバーに会ったらお礼を言わないとな、と思いながらお茶を口に運んだ。
彼女の固い態度とは裏腹に、紅茶は優しい味がした。
✩.*˚
食事を終えて、メイドさんの案内でアンバーの部屋を訪ねた。
「よく眠れたかね?」
相変わらず、どうなっているのか分からないが髑髏がカタカタと話している。
コレは気にならなくなるのに時間がかかりそうだ。
「ベッドも心地よかったし、朝食も美味しかったです。色々ありがとうございます」
「不自由させてないようで安心したよ」そう言って彼は何かを持ち出した。
「預かっていた荷物だ。渡すタイミングを逸してしまってすまなかった」
薄汚れた僕の山登り用のザック。
荷物を詰め込んだリュックはかなり重たいはずなのに、何故か筋肉も何も無い片腕で持ち上げている。
すげぇ、どうなってんだ?
「ありがとうございます」
「あと、服は洗わせて貰った」
「何から何までお世話になって…」
「うむ」勇者の世話して満更でもなさそうな魔王…
なんだろう、この人オカンなのか?
「こんな大きな荷物を持って、苦労してるな…」
あれ?僕もしかして宿無しだと思われてる?不憫がられてる?
「山登りをしてたんですよ、これ普段から持って無いです」
そうなの!ってビックリしたような反応されても…
本当に表情を豊かな骨だな。
「何が入っているのかね?」
「中身ですか?」異世界の道具が気になるのか…
まあ、僕も異世界が気になるから分かるけど…
なかなか好奇心旺盛な魔王様だな。なんなら人懐っこいし、フレンドリーだから、目の前の彼が魔王だという事実さえ忘れてしまう。
「床に広げても良いですか?」と許可を貰って、荷物を広げた。
魔王の目が心做しかキラキラしてる気がする。
執務室の床にアウトドア用品が並ぶ。
ザックから出てくるものを眺めてアンバーが質問する。
「コレは何に使うんだ?」
「頭に付けるライトですよ。こうやって…」頭に着けてライトを点灯する。
「これなら暗い中でも両手で作業できます」
「…賢いな」
「ええ、寝ながら本読むのに便利です」
その調子で、幾つか説明と気になるものを組み立てて見せてた。
ヘッドライト、ポップアップ式の1人用のテント、十徳ナイフが特にお気に入りだった様子だ。
「どれも便利な物だな。
よく出来ているし、強度も使いやすさも群を抜いてる」
ヘッドライトを着けながら、テントに屈んで入りくつろぐ魔王陛下…
かなりレアな光景だ…
テントの中のポッケに気付いて喜んでいる。
天井からランタンにもなる懐中電灯をぶら下げてみせると「おお」と感嘆の声まで上げていた。
「気に入りました?」
「うむ。天幕生活も存外快適に過ごせそうだ」
お気に召したようで何よりです。
「薪を集めれば炊事できる道具も持ってますし、1日2日なら困らないですよ」とファイヤースターターを見せると、これもまた気に入ったらしい。
「これなら魔力のない人間でも楽に使えるな」
「まあ、僕のいた世界では魔法とかなかったので、こっちの世界でどうやって過ごしているのかは分からないんですけどね」
「この世界でも魔力が皆無の人や、使いこなすほど持ってない人が大半だ。
故に魔法が使える者は重宝されるが、魔法を使える者への迫害も少なくは無い」
「迫害?」驚いた。希少な能力なのに弾圧されるのか?
「そうだ。魔法が使える者への嫉妬と、理解できないことから起こる恐怖で迫害される…」
「…なるほど」そう言われると何となく分からなくもない。
イジメの理由だって似たようなものだ。
人は嫉妬する。
相手が優れていればいるほど、自分が惨めになりたくないから、自分と同じレベルの人間と結託する弱い生き物だ。
「皆が同じように不安も飢えも貧困もない世になれば変わってくれるのだろうか…そんな事を本気で思ってる時代もあったよ」
ボソリと呟いたアンバーは、その虚ろな眼窩の奥にどんな感情を持っているのだろう。
「アンバーは何で魔王になったんです?」
どうにも気になっていた質問をアンバーにぶつけてみた。
この人は魔王にしては優しすぎる。
なんなら向いてないようにすら思える。
「元人間だったのに、魔王になるの抵抗無かったんですか?」
僕がなれと言われたら、かなり抵抗があると思う。
なんたってラスボスだ。並の人間なら受け入れられない。
「これは、君に話していいのかよく分からないんだが…」
彼はテントの中に座り込んで昔話を話し始めた。
「私がまだ子供の時の話だ」
そこから始まるんかい!長くなりそう!
「私が住んでた土地は土壌の弱い貧相な土地でね。小麦も野菜も多くは取れなかった。
子供の時は腹いっぱい食べるということは無かったよ。
それが当たり前だったし、生を喜ぶより、死を間近に感じることの方が多かった…」
悲惨な話だが、彼はそれを「どこにでもある話だ」と鼻で笑った。
「後で知った話だが、水に原因があったらしい。
飲むのも危険だし、触れることも危険なものだった。
それでも農民たちは土地を離れるわけにいかない。
畑を育てる以外、教養も、武芸も無い人間に残された道がないからだ。
どんなに理不尽な領主でも、死ぬと分かってる川の水も、僅かの食料しか生み出さない土地も全て受け入れて生きるしかない」
その話を可哀想だと聞いているのは、自分が恵まれていたからだ。
アンバーはそのまま話を続けた。
「私の家族の唯一の救いは、私は珍しく魔力を持って産まれてきた子供だったことだ。
私は12歳の時に、ある貴族の家に奉公という名目で売られたんだよ。かなりの額だったそうだ…」
「…売られたんですか…親に」
なんとも悲惨な話だ。
12歳なんて遊び呆けていて、冷暖房の家で寝転がりながらゲームしていた。母によく注意されていたものだ。
「そう悲観するなよ。
むしろ私の場合は幸運だった。
引き取られた先の貴族の老夫婦は優しかったし、教養も礼儀作法も、魔力の使い方も全部指導してくれたし、何より腹が減って水だけで過ごすことは無くなった。
残してきた両親は気になったが、暮らすに困らない金は手に入れたはずだからそこまで心配しなかったよ」
何とも悲しい話だ…
「夫妻は高名な錬金術師で、王宮にも出入りしていた。
旦那様は口数の少ない人だったが、教えるのが上手だったし、優しい人だったよ。
奥様はいつもお菓子の入った袋を持ち歩いてて、幾つになってもおやつを渡して来て困ったものだ…
二人とも本当の親のように思っていた」
ダメだ、泣けてきた…
アンバー、あんた良い人に引き取られたんだな…
「私は二人のおかげで二十歳になる頃には弟子として宮廷に出入りするほどになった。
大出世だよ。すごいだろう?
そして初めて本当の家族に会いに行ったんだ」
アンバーの目の奥の光が揺らめいたのが分かった。
何かあったのだろう…
「あの金は役に立たなかった。
あの死の水を飲み続けたのだろうな。
家族はもう既に土の中で、私の家は廃墟になっていた。
家族を葬ってくれた人間には厚く礼をしたが、彼らもやがて水で死ぬ。
自分の非力さを感じざるを得なかった」
「アンバー…」かける言葉もない。
どんな気持ちで家族に会いに行ったのだろう。
どんな思いで誰も住まなくなった家を眺めたのだろう…
「私は」とアンバーが口を開いた。彼は言葉を選んで話を続けた。
「そこから研究者の私が生まれた。
ご夫妻の協力もあり、水の中に安全を確保出来た。
かなり時間はかかったが、王国内の土地は安全な水を確保したことで肥沃になったし、小麦や野菜も安定して確保することができるようになったよ。
国は富んだ。良い事だったのだろうな」
「奥歯に何か挟まってる様な言い方ですね」
「そうだな。君の言う通りだ」
アンバーが頷く。
「今度は格差が大きくなった。
飢えて死ぬ人は多少減ったが、無くならなかった。
富むものはさらに富を得、増えた収穫は税として奪われたのだよ。
滑稽だろう?私のした事は無駄だったのかもしれない」
アンバーがくくっと低く笑った。その嘲笑は自分に向けたものだろう。
「私は懲りずに、今度は皆に担ぎあげられるまま勇者を召喚した。
国内は富んだことで気持ちが大きくなり、魔物たちの住処を奪い、自分たちの利益を追求するようになっていた。
魔王を倒し、その土地を奪い、亜人たちを奴隷にするため…」
ふう、とため息を吐いてアンバーは押し黙った。
その後は昨日聞いた話につながるのだろう。
なんとも壮絶な人生だ。
多分掘り下げたらもっとある。一ヶ月くらいかかりそうだ…
「先々代の魔王を倒す手助けをしてしまった私が魔王を名乗るのはおかしな話だ。分かっている。
ただ、この国を見て回る中で、人間とは違う価値観や、信条、生活方法等に魅了された。
自然を愛し、隣人を愛し、争いは極力さけ、僅かなものも分け合うそんな部族も少なくないことを知った。
野蛮だと思われていた魔族にも、掟があり統率も取れている。
老いた者に敬意を払い、若者を励まし、子供を慈しむ姿も見てきた。
その姿に心動かされたと同時に強い罪悪感を覚えた…
今思えば、私は呪われてこの身体になったのかもしれないな…」
骨だけの掌を見つめて自分を責める姿は全然魔王らしくない。
「魔王になったのは、私なりのケジメだろうね。
私のしたことが正しかったのか、間違っていたのか、答えは私が存在しなくなってから出るだろう。
だが、出来ることをとことんやる。それが私の信条だ。
彼らにベストを尽くすために魔王は存在する。私は手は抜かない」
「答えにならないね」と困っている様子のアンバーだったが、元々誠実な人間なのだろう。
真面目さゆえに魔王になったのかもしれない…
「めちゃくちゃかっこいいじゃないですか。魔王なのに…」
「うん、なんか魔王らしくないね」と応えてアンバーはカタカタと笑う。
「魔王の話をこんなに聞いてくれる勇者も居ないだろうけどね。
普通だったらこの距離感で話せないだろうし、この距離なら殺し合いだ」
「僕はアンバーとは戦いたくないなぁ…」
「おや、嬉しいね」
「勝てる気がまるでない」
「分からないよ。何か奇跡が起こるかもしれない」
「魔王ジョークですか?」
「可能性は無くはないさ。
なんたって勇者様だ。
奇跡が起こる可能性は考慮に入れておかねば私だって勝てないだろうさ」
「勝つ気しかないじゃないですか?」
「そりゃそうさ、なんたって私の子供たちの将来が掛かっているんだからね。負けられないよ」
子供たちとは国民のことだろうか?
さっきもベストを尽くすと言っていたから、僕が敵になったら彼は迷わず僕を倒すのだろう。
「ミツル、君は道を外すなよ」
「魔王の敵になるなってことですか?」
「いや、違う」
やっとテントからはい出てきたアンバーが僕の目の前に立った。
すごい迫力だ。
僕より背が高い。
黒い豪華な衣装の中から除く白い骨だけの顔が僕を見下ろしている。
「道は人の数だけあると思ってる人もいる。
それは間違いだ。
基本的な道というものは1本だけで、その道をどう歩くかが人によって違うと、私は考える。
道の真ん中だけを走り続ける人は少ないだろう。
道のスレスレを歩く人もいるかもしれない。もしかしたら歩くのが億劫で座り込んでいるかもしれないね。」
真剣で真摯な言葉に、相手が人類の敵であることを忘れる。
アンバーはまた言葉を重ねた。
「道を外す人は、過信して道を外す。
自分は迷子にはならないと…自分は大丈夫だと信じて道を道を外す。
だが、一度見失った道は簡単に元に戻れない。
人は常に試されている。
ミツルは《勇者》だから、道を違えぬよう、肝に銘じておくことだ」
「…はい」
「《勇者》はこの世界で特別な存在だ。
それ故に君を利用しようと近づく者も居るだろう。
君自身が何かを天秤にかけなければいけなくなる時も来るだろう。
そんな時に正しいと思える選択ができるよう祈っている」
優しげな声音でそう告げて、アンバーは僕の頭を軽く撫でた。
骨だけの掌が少しだけ暖かく感じた。
「まあ、私なりの激励の言葉だ。先人の知恵と思って受け取ってくれ。」
「ありがとうございます」
偉い先生から貰った言葉に感謝して、僕は深々と頭を下げた。
「ミツルは良い勇者になるだろうね」
そう言ってアンバーは満足気に頷いた。
そして部屋にあった立派なデスクから、大量の紙束を取り出した。
鈍器になりそうな量だ。
「アンバー、それは?」
「勇者になるからには研修プログラムを私直々に用意した」
「はい?」
「これは第1弾だ。ふふっ、これから忙しくなるぞ」
「一体どんだけあるんですか?!」
「ふふふ…すごいだろう?この時のために私が用意しておいたスペシャルプログラムだ」
机に置く時に、ずんっ、って凄い音したんですけど…
振動が床を伝ってきたんですけど…
「さあ、今日から研修スタートだ!
私の知識を余すことなくお伝えしようじゃないか!」
この魔王時々ハイテンションになるよな…
やっぱりどこかヤバい人だったんだな…
「私は寝食が必要ない身体だから、この位の書類を作るのは朝飯前だ」
魔王ジョークなのかな…
確かにご飯いらないから朝飯前でも間違いないな…
そうこうして、僕が初めに勇者として受けたチュートリアルは、剣を握ることでもスライムを倒すことでもなく、魔王マンツーマンの1週間の座学と相成りました。
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