明日の話をしよう
雲の上、という表現がふさわしいか分からない。
もしかしたら高い山の上かもしれない。
白い靄のかかった先に、テーブルを囲む、四人の人影が見えた。
「やあ、ミツル」
影の一人が優しい声で僕を呼んだ。
この声は…
「グランス様?」
僕の声に頷いたのはドラゴンではない。
人の姿をしたグランス様だった。
「そうだよ。
大活躍だったね、私も鼻高々だ」
「生きてたんですか?
その格好は…?」
「私は母の元に帰るのさ、お別れの茶会だ」
そう言ってグランス様は向かい合うように座っている、ふくよかでゆったりとした服を着た女性を紹介した。
「我々の母・ヴォルガ様だよ」
「初めまして、勇者殿。
私が大海龍神・ヴォルガです。
あなたの活躍をこの天と地の狭間の場所で見ておりましたよ」
白い肌、結われた金の長い髪、深い青の瞳…
マリア・テレジアの肖像画のような、お母さんって感じの強さを感じる優しげな人だ。
「私の子供たちの最後の一人、グランスの心残りをこの地で確認していました。
でも、もう良いわよね、グランス…」
「えぇ、安心しました。
生まれ変わったら、またこの国に生まれ落ちたいと心から願います」
席に座って、にこやかに談笑する二人と一緒に少年少女が同席している。
彼らは無表情でヴォルガの傍に控えている。
ヴォルガが僕の視線に気づいて二人に言った。
「さあ、ご挨拶なさい。
これからあなた達の主になる方なのですから…」
「…何を言って…」僕が訳が分からず呟くと、双子のような少年と少女が僕に視線を向けた。
少年が「私は《嵐》」、
少女が「私は《凪》」と言った。
「え?…君たちは…」
『私たちは貴方を主と認めます 』二人の声がハモる。
人間のような姿をしてるが、彼らはあの二振りの剣なのか?
「この二人は君に託すよ。
必ず君の役に立つはずだ」
席を立ったグランス様がそう言って二人の背をそっと押した。
子供たちがタタッと僕に駆け寄って二人で腰にしがみついた。
双子可愛い。
「よろしくお願いします 」
彼らはハキハキとした声でハモると光を纏って消えた。
子供たちが消えたあと、僕の腰には二振りの剣が左右に納まっていた。
なんかこういうの見せられたら可愛く思えちゃうじゃないか…
「《凪》は全く切れない剣だが、人を斬らずに魔法だけを切る。
呪いも魔法も何も残さない。
もちろん《祝福》すら例外ではない。
《嵐》は使う人の闘争心を反映して強くなる剣だ。
君が本当に強くなりたいという心があれば、彼は君に応えてくれる。
使い方は君次第だが、大切にして欲しい」
グランス様はそう言って僕を見下ろしている。
「他に何か聞きたいことは?」
「アンバーに伝言は?」
「そうだね…
私の親友に、君との時間は楽しかった、と伝えてくれ」
そう言って、グランス様は照れくさそうに笑った。
面と向かっては言えないよな…
彼は僕に微笑みかけながら優しげな声でゆっくりと話し始めた。
「君たちが進む道はとんでもない困難な道となるだろう。
誰も選ぶことのない道だ。
でもね、どんな道でも、誰かが歩かねば道にならないんだよ。
君達の作る道を見てみたかったが、どうやらもう行かなければならないようだ…」
「うん」
「もっと早く君に会えたら、私も道作りに参加出来たのに残念だ…」
「それは僕も残念だな。
グランス様がいたら百人力だったろうに」
「嬉しいね。
私は手伝えない代わりに、私の持つ《祝福》を君にあげるよ」
彼はそう言って右手を差し出した。
グランス様の手のひらに、眩い光を放つ真珠が入っていた。
「もう私には必要ないから譲るよ。
《ヴォルガの祝福・
頑張れば手足の修復も可能だぞ、受け取りたまえ」
「人間やめちゃってない?」
「まあ、勇者だしいいんじゃないか?」
適当なこと言って…
お茶目に肩を竦めて見せても誤魔化されないからな。
「要らないのかい?」
「一応貰っとくよ、ありがとう」
差し出された手のひらから真珠を受け取る。
グランス様は笑顔で満足そうに頷いて、僕に「頑張るんだよ」と優しく言った。
「勇者殿」
さっきまでの黙って僕達の様子を見ていた女神が僕に呼びかけた。
「グランスが貴方に贈り物をしたけど、私も貴方に贈り物をします。
何か、望むことはありますか?」
そんなこと急に言われても…
「また今度までに考えておくとかダメですか?」
「まあ!そんなお願いをされたのは初めてよ。
本当に面白い子だわ。」
そう言ってヴォルガ様は上品に口元に手を添えて笑った。
母と同じくらいに見えるのに、妙な色気がある。
「分かったわ、また今度の楽しみにしましょうね。
もし願い事が決まったら夢で私を呼んでちょうだい」
そう言ってヴォルガ様とグランス様は頷き合うと、光を纏って姿を変えた。
真珠色の鱗のドラゴンが二頭、目の前に現れる。
「貴方を待ってる人達がいるから、私達はお暇するわ」
「今度こそ本当にさよならだ、ミツル」二人はそう言って靄を払い除けて空に向かって飛び立った。
「未来を頼んだよ」
頭上から声が響いた。
真っ直ぐに空に向かって飛んでいく二頭の龍を僕は見送った。
「うん、さようならグランス様」
失うものもあったけど、得たものの事を思えば辛くはなかった。
まだ僕の冒険は始まったばかりだ。
これから僕の勇者としての物語が始まるのだろう…
✩.*˚
娘と言うのはある日突然、父親の知らないところで変化する生き物らしい。
「陛下、勇者様の意識が戻られたと聞きました!本当ですか?」
「う、うむ、急に目を覚ましたと報告があったが…
その…どうした?」
つい最近まで、飾っけもない魔法使いの着るような陰気なローブを目深に被り、顔もベールで隠していたというのに…
目の前のペトラは全くの別人のようだ。
四角く胸元の空いた深緑のドレスに青い透け感のあるドレスローブを纏い、結い上げた髪を真珠のヘアネットで纏めている。
褐色の肌によく映える
うっすらだが化粧もしている。
うん?何事?
私の胸がザワザワする。
顔を赤らめてペトラが恥ずかしそうに「変ですか?」
と私に問うた。
「いや、美しいよ。
ただ、そんな姿…見た事ないから驚いただけだ」
「ウィオラが…勇者様の見舞いに行くならこの姿でと…」
「…なるほど…」
ああ、なんて事だ…
大切に育ててた花を摘まれた気分だ…
「…やっぱり着替えてきます」
「いや、待て待て!
その格好で行ったら喜ぶと思うぞ!
美しすぎて驚くと思うが、変だからじゃない!大丈夫だ!」
なんのフォローだ?私は何を言ってる?
えぇ?部屋を出ていこうとして後ろを向いたから分かったけど、後ろも結構開いてるじゃないか?!
ウィオラ、なんて服を見繕うんだ…
ミツルだって男の子だぞ…
「ま、まあ、見舞いに行くならあまり長居しない方が良いぞ。
ミツルも病み上がりだからな」
「分かりました」
ペトラは素直にそう答えてお辞儀をした。
ちょ!胸!谷間見えるから気をつけて欲しい!
着慣れてないから仕方ないかもしれないが、そんなことしてミツルが男になったらどうするんだ!
言いたいけど、言い難い!
父親って難しい…
結局私は何も言えずに娘を見送ることになった。
私はダメな父親だ…
✩.*˚
見慣れたベッドで目を覚ました。
ベッドに横になったまま、ボーとした頭で辺りを見回す。
出た時と変わらない部屋…
ベッドの脇には座り込んで寝息を立てているアレンがいた。
無精髭が生えてて頭もボサボサだけど元気そうだ。
良かった、無事だったんだな…
「アレン、アレン」
肩をポンポンと叩くとアレンがはっと飛び起きる。
「申し訳ありません!ウトウトしてました!」
「誰に言ってるんだよ、アレン?僕だよ」
「ミツル様!目が覚めたのですか?!」
「うん、今起きた。
アレンは大丈夫だった?」
「私は大丈夫です。
船も襲われず無事でした。
魔獣達もあの船には近づきもしませんでしたよ」
「なら良かった」
ホッと胸を撫で下ろす。
彼は結構幸運の持ち主らしい。
「ベティ殿は席を外しておりますので、報告してまいりますね。
マリー殿にもお伝えせねば…」
アレン、だいぶここに慣れたみたいだな…
小間使いのように働かされてるけど大丈夫かな…
アレンが出ていってからすぐにベティが部屋に駆け込んできた。
「ミツル様!」
「やあ、ベティ。
心配させてごめんね」
「良かった…ずっと動かなくて…
このまま死んじゃうんじゃないかって…心配で…」
うるうると泣きそうな目で僕を見ている。
「心配してくれてありがとう。
もう大丈夫だから…」
そう言ってベッドから出ようとするとベティが必死に止めた!
「いけません!大丈夫なわけないんです!
だって腕が壊死してて腐りかけてたんですから!」
「え?えぇ?!」
確かに、ちょっと臭いような…
「マリー様が来るまで安静にしててください!」
「腐ってるって…僕アンバーみたいになっちゃうの?!」
アンバーの話が頭をよぎる。
気がついたらあの姿になってるとか笑えない…
「だから大丈夫じゃないんですってば!
全く!これだからミツル様は目が離せないんです!」
怒りながら僕をベッドに寝かせて掛け布団と毛布をしっかり掛ける。
「お湯を沸かして、着替えも用意します。
絶対動いちゃダメですからね!
絶対ですよ!私が居なくても勝手に動かないでくださいね!」
めちゃくちゃ念を押してくる。
僕は慌てて頷いた。
風邪で寝込んだ子供とお母さんみたいだ。
ベティが部屋を出たり入ったりしてテキパキと世話をしてくれる。
ワゴンに大量の医療品と思われるセットを積んで戻ってきた。
「何それ?」
「マリー様が用意してくれた治療セットです」
「大袈裟じゃない?」と言いそうになるが、そんなこと言ったらまた怖い顔するに決まってる。
ベティがワゴンから取手の着いた何か変な形の容器を取り出した。
「何それ?」
「尿瓶ですよ。
トイレ行けないのでこれに尿採取しますね。
下脱がせますよ」
ベティのとんでもない発言に僕が悲鳴をあげる。
「えぇ!トイレくらい自分で行くよ!」
「怪我人なんですから!
誰か来てからオシッコしたくなっても知らないですよ!」
「いや、だって見られるのは…」
「怪我人なんですから関係ありません」
僕の抵抗虚しく、ズボンとパンツが取り上げられた。
…終わった…
情けな…
そんなタイミングでアレンが戻ってくる。
アレンからはベティが僕の股間に覆いかぶさってるように見えたのだろう…
「…失礼しました…」
「違う!アレン!僕達は何もしてないよ!」
「いや…私は何も見てませんから…」
「いっぱい出ましたよ」
「ベティも誤解されるようなこと言わないで!」
下ネタ反対!さすがにこの状況笑えないだろ!
アレンの後ろからひょっこりマリーが顔を出した。
「わお!勇者ったら溜まってたのね。
ベティにさせるなんていやらしいわ~」
「マリー、わざと言ってるだろ!」
僕が怒ると、マリーは仮面をニヤニヤさせながらベッドまでやってきた。
足元には相変わらずカッパーくんが着いてきている。
「ごめんねー、私ったら殿方を喜ばせるようなことできる体じゃないからお世話できないわ」
「…わざとそんな言い方しなくて良いだろ?」
「冗談よ。
スッキリしたところで、治療しちゃいましょう」
アハハ、と意地悪く笑って、マリーは僕の腕にぐるぐる巻きになった包帯を手際よく外した。
腕を見てマリーが驚く。
「何で?昨日まで壊死して真っ黒だったのよ!?」
丁寧に腕を見て、信じられないといった様子だ。
「誰か何かした?」
「いえ、私は何も…」
ベティが答えるとアレンも「私は治癒魔法は専門外です」と言った。
「ペトラ姉様かウィオラ姉様が来た?」
「いえ、お二人共知ってる限りはありません」
ベティの返事に「どういうことよ!」とマリーが混乱している。
「夢の中でグランス様に会った」
「はあ?何を言って…」
「なんか自分はもういらないから《ヴォルガの祝福・
「あの反則みたいな能力?」
マリーは何か知ってるみたいだ。
「信じらんない」とマリーが驚いている。
彼女の後ろで出入口の
「何事だ?」
イールだ。
爽やかな若草色のジャケットを着こなし、王子らしい姿だ。
彼も僕の腕を見て驚いた顔をした。
「何だ?随分キレイに治ったな。
腕の一本くらい無くすと思ったが…」
「二本しかないのに一本無くしたら大事だよ!」
「そうだな。
まあ、無事でよかった」
爽やかに笑うイールは憑き物が落ちたみたいな人の変わりようだ。
正直気味が悪い…こんなキャラじゃないだろ?
「今までの事、まだちゃんと謝ってなかった。
無礼ばかりで申し訳なかった。
命をかけて姉上を救ってくれた事、心から感謝する」
「イール兄様、何か悪いものでも食べたの?」
マリーの仮面が理解できないと言いたそうな変な顔になっている。
ベティも、まあ、似たような顔だ…
素直に謝って感謝もしたのに、裏があるのではと心配されてるイールが可哀想…
「後で姉上も来る。
とりあえず、お前は服をちゃんと着ろ。
姉上にそんな格好見せられない」
イールに指摘されてベティとマリーに裸にされたのを思い出した。
「大変!何かお召し物を…」
「これはこれで面白いけどね」
マリーが意地悪くくすくす笑う。
ベティが慌てて脱いだ服を新しいものと取り替えようと持って行ってしまった。
せめてパンツは置いて行って欲しかった…
ベティは戻ってくると高そうな緋色のジャケットと金の刺繍の入った青のベスト、象牙色のズボンを手にしていた。
「まあ、これなら多少見栄えはするな」などとイールが笑っている。
まあ、イールから見て及第点らしい。
「これも付けておけ」と言って、自分の胸に付けていたエメラルドと金で出来たブローチを僕に着けてくれた。
大粒のエメラルドはいかにも高そうだ。
僕の世界なら億はするんじゃないか?
「よし、これでみすぼらしくないな」イールが満足そうに頷く。
「ありがとう」
「お前にやるよ。
勲章とまでは言わないが、私の感謝の印だ」
「仲直り?」
「一方的に私が悪かっただけだ。
お前が許してくれるなら勇者の友人だと名乗りたい」
「えぇ?本当に変なもの食べなかった?頭とかぶつけてない?」
今までのイールはどこ行った?!
「イール兄様は好きか嫌いかしか基準がないのよ。
わかりやすいでしょ?」
マリーの言葉になるほどと思う。
本当は真っ直ぐな良い奴なんだろうな…
「今度
僕がそう言って差し出した手をイールは強く握り返してくれた。
暖かい手だ…
「乗れないと不便だからな。
乗れるようになったら色々案内してやるよ」
「ありがとう」
友人が一人増えて嬉しい。
照れくさいのかぶっきらぼうな言い方だけど、これから変わっていくよね?
イールとちゃんと仲直り出来て良かった。
あとはペトラだけど…
そう思っていた時にまた入口が光った。
「失礼致します」と現れた女性を見てイールが飛び上がるくらい驚いていた。
「姉上?!」
声を上ずらせて叫んだと思うと口をパクパクさせている。
僕も彼女の姿を見て驚いた。
「え?ぺトラ?」
「はい、勇者様」
ペトラは軽く会釈して答えた。
何かの蔓で編まれた花籠は白い花が溢れんばかりに入っている。
胸元まで開いた深緑のドレスと青色の上着がよく似合っていた。
銀色の髪は結い上げて真珠と金糸のネットに仕舞っている。
大粒のダイヤモンドが首元で眩く光っているが、その宝石も彼女の引き立て役だ。
「勇者様。
お加減はいかがでしょうか?」
「元気だよ。
ペトラも大丈夫?怪我とかしてない?」
「私は勇者様のおかげで奴隷紋もきれいに消えました。
他の傷は大したことありません」
そう言ってペトラが僕達の方に歩み寄る。
うわー、近づいてくる…
イールの言ってたこともあながち間違いじゃない。
確かにこんなキレイな人、印象に残らない方がおかしい。
瞳が艶っぽい、深い緑色。
近くで見るとすごくキレイだ。
僕より少しだけ背が高い。
僕のすぐ近くで足を止め、その場に膝を折った。
「え?何を…」
「私は貴方に救われる資格などないのに、私を…命懸けで助けてくださいました…」
言葉を詰まらせながらペトラが目を潤ませた。
「私が…こんな耳だから…
奴隷として扱われても…誰もおかしいと思わないのに…貴方が命を賭ける理由なんて無かったのに…」
「…ペトラ?何を言って…」
「貴方は私の心も救ってくれました。
私に…私に「自由だ」と言ってくださいました…
私はそれが、その言葉が欲しかったんです。
嬉しかった」
彼女は何かに縛られて苦しんでいたのだろうか…
僕はこの
涙ぐむペトラの隣に腰を下ろし、イールが彼女の背を撫でている。
僕もしゃがんで、ペトラの目線に合わせる。
「ペトラ、僕は僕にできることをしたんだ。
君は奴隷なんかじゃない。
誰かの都合で、誰かの命や人生を奪うなんてしちゃダメなんだ。
だから何度だって言うけど、君は自由なんだよ」
この言葉が欲しいなら何度だって言ってあげるよ。
ペトラは両目からボロボロ涙を流しながら僕に縋って「ありがとう」と繰り返した。
当たり前のことを言っただけなのに、こんなに泣くほど嬉しいなんて、君はそんなに辛かったんだね。
そりゃあ、僕が始めてこの世界に来た時に、君達に嫌われてたのも分かる気がするよ。
でも今は違うだろ?
屈んだままペトラの震える背をそっと撫でた。
嗚咽を漏らしながら泣くペトラは普通の女の子だった。
華奢で、柔らかくて、暖かくて、いい匂いがした…
ペトラはしばらく泣いて落ち着くと、唐突に僕に向かって花籠を差し出した。
白い甘い香りの花が僕の鼻をくすぐった。
「…勇者様、私の花籠を受け取って頂けますか?」
「え?!姉上!」イールが驚いた顔をしていたが僕は「ありがとう」と受け取った。
お見舞いだろう、と思っているとイールが異常に慌て始める。
「姉上!よろしいのですか?!相手は人間ですよ!
種族も寿命もまるで違うんですよ!」
「何?イールどうしたの?」
僕が声をかけると「ちょっと来い!」と部屋の隅に連れて行かれた。
マリーが「あらまぁ」と驚いている。
ベティも顔を赤らめてペトラに「よろしいんですか?」と問いかけている。
お姉さんから花を貰っただけで大事にしすぎじゃないか?
イールが血相を変えて早口にまくし立てた。
「女性から贈られた手作りの花籠と一杯に入った花の意味は《私を受け入れて、愛でてください》って意味だ!
ようには結婚前提の交際の申し込みだ!
受け取ったら成立なんだぞ!」
「え?…どうしよう…受け取っちゃった…」
手の中の花籠が一気に重くなる。
逆プロポーズってこと?
ペトラが?
「本気で?」
「バカ!ふざけて渡すようなもんじゃないんだよ!」
あ、こっちの方がイールらしいな…
「どうすんだ」とイールと壁際でヒソヒソしているとまた来客があった。
「病人の部屋で騒ぎすぎだぞ」
「陛下!」
「お父様!」
「ん?何だ、みんな揃って…」
そう言いかけてアンバーの視線が部屋の隅にいる僕らの方に注がれる。
あっさりと手に持っていた花籠が見つかる…
「は?え?えぇ?!」
「アンバー!ちょっと落ち着いて!僕もパニックで…」
「《求婚の花籠》!誰が渡したんだ!」アンバーの目の光がチカチカ点滅する。
本気で驚いてるみたいだ。
「陛下、いえ、お父様、私がお渡ししました」
「ぺ、ぺ、ペトラァ?!
イール!どういうことだこれは!」
「私だって知りませんよ!私だって腰抜かしそうなくらい驚いたんですから!」
室内がプチパニックだ。
時期女王から結婚前提のお付き合いを指名されたのが、まさか人間の勇者なんて…
笑えないにも程がある。
新喜劇かとかだったらいいのに…
慌てる養父と弟を横目に、ペトラはこっそり僕の隣に来て腕を絡めた。
ちょっと背が高いので僕が見上げる形になる。
「私じゃお嫌かしら?」
「いや、むしろ僕なんかで良いのかな?」
「貴方が良いの」
ニッコリ笑って腕を絡めるペトラ。
仕草が可愛い。
白い長いまつ毛に囲われた深緑の瞳がキラキラ輝いて宝石みたいだ。
これは逃げられないな…
「とんだビッグカップルですこと…」
マリーの皮肉たっぷりの言葉に僕は力なく「ははは」と笑って見せた。
初彼女が魔王の娘とか親に紹介できないな…
✩.*˚
とりあえずペトラを引張がされてアンバーの執務室に連行された。
「全く、君はいつも私の考えている事の斜め上を行くな…」
「いや、僕だってお見舞いだろうと思って受け取ったんだよ」
「教えなかった私も悪かった…
しかしペトラめ、随分大胆な事をする」
特大の深いため息を吐きながらアンバーは机に突っ伏している。
勇者の僕が娘の婚約者になってしまったのをどう思っているのだろう?
「まあ、それは一旦置いておこう。
デリケートな話だからな…
それより今回のことで君には感謝してもしきれないほど世話になった」
気を取り直して無理やり本題に入る。
やっぱりショックだったんだろうな…
「ペトラは子供の頃に人間に耳を切られた。
耳を切られたらもう元には戻らない。
耳が途中で切られて短くされたエルフは奴隷にされる。
あの子はずっとそれを恥じていたんだ…
私はあの子の心までは救えなかった…」
そうか、だからあんなにキレイなのにお洒落してなかったんだな…
「奴隷紋を入れられたことはあの子にとってかなり辛かっただろう…
それを跡形もなく嘘のように消してくれた君には感謝しかない。
その上、私の子孫まで助けてくれた」
「そういえば、アドニスは?他の騎士たちはどうしたんですか?」
「生きてるよ、安心したまえ」
「良かった…」
アンバーの答えにほっと胸を撫で下ろした。
「本来であれば極刑だが、第一の功労者の君が助命嘆願をしたから殺さずに牢に入れている。
会うかね?」
「うん、アドニスと話がしたい」
彼もこの世界の偏見の被害者だ。
もし自分が同じことをしていたらと思うとゾッとする。
アドニスはイールが以前放り込まれた反省部屋に繋がれていた。
何?ここは身内専用の 仕置部屋なの?
アドニスは僕が来たのを知ると跪いて迎えた。
暴れたり、大声を出して罵倒することはなく、あくまで騎士らしい立派な態度だ。
「アドニス、大丈夫?」
「カビ臭い以外なら快適です。
黙想する時間だけはたんまりあります」
そう言って彼は口元を少し緩めた。
「私はともかく、勇者殿は?
私も怒りに任せて遠慮なく剣を振るってしまいました。
私の《祝福》の《加速》についてこられたのは貴方が初めてです」
「僕の《祝福》との相性が良かったんだな。
僕の《ラリー》は剣で打ち合う能力だったみたいだよ。
だから君の攻撃に耐えたんだ。
おかげで腕が死にかけたけどね…」
「そんな…戦いには向いてない能力じゃないですか?」
「諦めてくれたらそれでいいんじゃない?
僕だって戦いたいわけじゃないからね。
実際に君だって剣を止められて動揺したろう?」
「そうですね」と彼は頷いた。
「腕は…まあ、グランス様のおかげだけど…」
「グランス様?何の話だ?」
グランス様の名前が出た事にアンバーが驚いて声を上げた。
「アンバーに言ってなかったね。
夢の中にグランス様とヴォルガ様が出てきたんだ。
僕に自分の《祝福》を譲ってくれたから腕も治ったみたい」
「…あの能力か…」かとアンバーは納得したようだが、同時に「あまり使うなよ」と警告もしてくれた。
「君は元々の魔力が少ないから下手をすれば命取りになるぞ」
「分かったよ、使わないで済むんなら使わないに越したことはないよね」
もうあんな無茶な戦い方はごめんだしね…
「貴方は随分大事にされているのですね」
僕とアンバーのやり取りにアドニスが羨ましそうにそう言った。
「そうだよ。
良いだろ?めちゃくちゃ大事にされてるぞ」
「本当に…貴方には敵いそうにないですね」
アドニスがそう言って苦笑する。
僕を殺そうとしていた青年の姿はそこになかった。
生来、彼は良い奴なのだろう。
僕とは考えの違いから敵対しただけの事だ。
彼はアンバーに「私はどうなりますか?」と尋ねた。
「どうなると思うかね?」
逆にそう返すアンバーは意地悪だ。
「命を持って償ってもらおうか?」
また、そういう魔王みたいなことを言う…柄でもないくせに…
「あまり意地悪するなよ」と僕が肘でつつくとアンバーは肩を竦めながら答えた。
「終身刑だ。
勇者のために働いていただくとしよう…
そういうことでよろしいか、勇者よ?」
アンバーの言葉にアドニスが固まる。
彼ははっと我に返ると、みるみる顔が赤く染った。
「そんなぬるい罰で済まされることではないだろう!
ふざけているのか!!」
「お前こそふざけてるのか?
この勇者の従者はそんじょそこらの人間に務まるほどぬるい仕事ではないぞ」
どういうことよ…
「彼には常識は一切通用しないからな。
この世界のルールは知らないし、怒っても無駄だし、分からないくせに何にでも首を突っ込むぞ。
下手に目を離せば死にかけるからな!
赤ん坊の世話をするより大変だぞ!」
「それ本人の前で言う?」
「おや、自覚がなかったのか?」
「もしかしてさっきのペトラの事気にしてるの?」
僕がそう尋ねると、アンバーは小さい声で「…してる」と答えた。
アンバーは咳払いで誤魔化したが、アドニスは怪訝そうな顔をしている。
「まあ、そういうことだから、後日追って沙汰を出す。
勇者に振り回される毎日を送ることになるからな、覚悟しておけ」
何だかそれが罰だとしたら腑に落ちない…
アンバーは僕を無視してアドニスに向かって話を続けた。
「お前の部下たちには用はない。
勇者からの助命嘆願で、罰を与えてもう国境付近に魔法で飛ばした。
魔法使いたちはまだちょっと用があるから獄に繋いでいるが、用が無くなったらお帰り願う。
他に知りたいことはあるか?」
「…貴方は…本当にアンバー・ワイズマンなのですか…あの大賢者の…私の先祖の…」
「自分で《大賢者》などと名乗ったことは無いが、そう呼ばれていた時代もある。
もう四百年ほど昔のことだ…」
アンバーが真面目な口調で静かに答えた。
「私は子孫の恥であろうが、お前たちは私の恥だということを覚えておきなさい。
お前はまだ若い、考えを改めることを私は期待する」
✩.*˚
「アドニスの事、本当に僕に預けるだけで良かったの?」
牢を後にして、彼の執務室に向かう途中にアンバーに訊いてみた。
「君も甘いと思っているのだろう?
そうだな、確かに甘い決定だ」
アンバーは自嘲するように鼻で笑った。
「でも、私は君に期待しているのだよ。
君の馬鹿は周りに感染するからね」
「ええ?酷くない?」
「これでも褒めているんだよ。
私の王子も王女達も、君にたらしこまれてしまったからね。
父親としては寂しい限りだ…
アドニスにも少し馬鹿になって欲しいね」
言い方…褒めてるそれ?
「人間として、凝り固まった考えで教育され育ったのだから、考えを変えることは難しい。
いっそ殺してしまった方が後の憂いはなくなるが、それでは何も変わらない。
私の新しい実験だ。
勇者が周りにどの程度影響を受けるか、データを取らなければね」
「研究対象が普通じゃないね。
あまり役に立つデータは取れなさそうだよ」
「それはそれで面白いだろう?」
アンバーはそう言って笑った。
どうやら少しご機嫌なようだ。
「そういえば、夢の中でグランス様から伝言を預かってるよ」
僕はまだ伝え損なっていた伝言を彼に伝えた。
「アンバーに、『君との時間は楽しかった』ってさ。
あと、僕達に頑張れよってエールをくれた。
『未来を任せたよ』ってさ」
「…そうか…ありがとうミツル」
アンバーは静かに頷いてそう言った。
長い付き合いの友人を亡くしたんだ…
顔には出ないが辛いんだろうな…
「まだ、私は頑張らないといけないようだね…」
「僕がいるだろ?元気だしなよ。
君が僕を巻き込んだんだから最後まで責任もってくれよ」
背中を叩いて慰める。
「君はしなきゃいけないことが山積みだろ?
僕も一緒にするよ。
アンバーは抱え込まないでもっと周りに頼るべきだ」
変な友情だ。
魔王と勇者で平和をめざして二人三脚なんて、そんな変な話は僕達だけだろうな…
✩.*˚
アンバーと別れて部屋に戻ると、ベティが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
「何?何かあったのそんな顔で?」
眉根を寄せて眉間にシワがよっている。
なんか責められてる気がする…
「なんでもありませんわ」とベティは言うが、何となく機嫌が悪そうだ。
その理由はすぐに分かった。
「お帰りなさいませ、ミツル様」
明るい女性の声…
ペトラまだ居たの?
「まだ起きてから何もお召し上がりになられていないでしょう?
お肉とお魚どちらがお好きですか?」
え?扱い変わりすぎじゃないか?
これはこれで怖い…
「王女様にお世話なんてさせられないよ」
「お付き合いするんですもの。
料理の好みくらい把握しなくては良い妻にはなれませんわ」
にこやかにペトラがそう言って僕に歩み寄る。
またふわりと花のようないい匂いが鼻をくすぐる。
「ミツル様の好きな物全部知りたいですもの。
ミツル様も私の好きな物を知ってくださいね。
いっぱいお話して、貴方のことを教えてください」
僕の手を取ってキラキラした眼差しでそう言った。
随分積極的な王女様だ。
元々そういう明るい娘なのかな?
うーん…
「ペトラ様、ミツル様はまだお疲れだと思いますので少し休ませてあげては貰えませんか?
今日気が付いたばかりなんですから」
ベティが助け舟を寄越してくれるがペトラはなかなか手を放してくれない。
キラキラした眼差しが眩しい…
なんせ生まれてこの方非モテで生きてきたんだから、女性に免疫などあろうものがない。
しかも相手は超絶美人だ…
「分かったよ、じゃあまた明日でもいい?」
「明日…ですか?」
彼女のガッカリした顔に怯みそうになる…
ペトラは少しタレ目なので、悲しそうな顔をするとものすごく悪い事をした気になる…
おぉう…魔性の女…
「まだ僕も頭が混乱してるからさ。
また明日ゆっくり話そう?
ペトラも仕事があるだろう?
その次の日もそのまた次の日も、また会えるんだから」
「分かりました!明日からずっと一緒ですわね!」
「…あ、はい」
ずっと?マジか?僕が持たんぞ…
「楽しみにしてます」
朝日より眩しい笑顔。
多分明日早起きになりそうな予感…
明日か…
そんな話できるようになったんだな…
小さな一歩だが、大きな前進だ。
「また明日」
ペトラを部屋の外に見送って、そう言って手を振った。
誰かと明日の約束をするのは随分久しぶりで嬉しかった。
明日も平和な一日でありますように…
✩.*˚to be continued✩.*˚
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