閑話 兎狩り

「兎?」


「そうだ、兎だ」


僕のオウム返しに、ルイがまたオウム返しに答えた。


僕がこの世界に召喚されてもう半年くらいになるのだろうか?


ちょっとちゃんと確認しないと分からないが、この生活にもだいぶ慣れたある日の事だった。


「一人前の戦士になった証に、ペルマネス・ニクス山のビック・ペーデスの毛皮を採取してくるんだ」


「何で兎なんだよ?可哀想じゃないか?」


「お前、本気で言ってるのか?」


ルイが嫌そうに顔をしかめて顔にシワを刻む。


耳がペタンと寝る姿は人間じゃない。


彼は人間から魔王と呼ばれる存在の直属の親衛隊長であり、現魔王の養子だ。


リュヴァン族のルイ。


平たく言えば狼男だ。


毛むくじゃらの逆三角の体に、作り物のように狼の頭が乗っている。


ちゃんとフサフサのしっぽもあり、バランスを取ったり感情を出すのに欠かせないものとなっている。


僕としてはこの正直な尻尾が可愛い。


今、その尻尾は不機嫌そうに揺れている。


「お前、ただの兎を取って来いって言うと思ってるのか?そこまで私は優しくはないぞ!」


「いや、だって兎だろ?」


どうにも話が噛み合わない。


兎って言ってるが、もしかして別の生き物なのでは?


「確認だけどさ、兎ってあれだろ?


耳が長くて、後ろ足て跳ねるやつだろ?


穴掘って巣を作る…」


僕の知ってる限りの兎のイメージをルイに突きつけると、彼はうんうん、と頷いた。


「そう、多分そいつだ。


分かってるじゃあないか?」


いや、益々意味わからん!やっぱり兎じゃん?!


「ビック・ペーデスは大型の兎だ。


一応言っておくが、ちゃんと大人の毛皮を取らないと認められないからな」


兎だろ?大きいって言ってもせいぜい中型犬より小さいくらいだろ?


戦士の試験がこれで良いわけ?


「見届け人は兎を逃がさないようにするだけで、直接手出しはしないからな。


お前の手で兎を仕留めるんだ。


ベティもお前の身の回りの世話をしてもらうのに連れていくが、狩りの手助け禁止だ。


狩猟も解体もちゃんと自分でするんだ」


「えぇ…解体はちょっと…」


「何甘えた事言ってんだ!


狩猟と解体はセットだ!覚えておけ!


有事の際はお前が勇者だからって誰も助けてくれないんだからな!」


ルイの厳しい優しさが辛い…


マジか、僕は魚も捌いたことないんだぞ…


VIPなんだから甘やかしてくれよ…


✩.*˚


「ルイ様!」


城内の回廊を歩いていると、怒ったような足音と若い女性の声が重なった。


音と声だけで相手が誰だかすぐに分かる。


「…何だ、ベティ?」


また怒ってるのか…内容は容易に想像できるが…


私に向けられた非難がましい視線が痛く突き刺さる。


高い位置で髪を括り、黒いメイド服を着た小柄な姿は愛らしいが、人も殺せそうな視線で私に食ってかかる。


「ミツル様に《兎狩り》だなんてまだ早すぎます!


もしもの事があったらどうするんですか?!」


「…随分過保護だな…


陛下が、ミツルならできると踏んだから私に命じたんだ。


アイツも一応勇者なんだから、いつまでもお遊び気分でいるのは良くない。


戦い方を覚えるいい機会だ。


私は十四の時からやっている」


「ルイ様と一緒にしないで下さい!


ミツル様は繊細なんです!爪も牙も筋肉も無いんですよ!」


いや、筋肉はあるだろ…


そう言いかけてあわや口を噤んだ。


だからそんな顔するなって…


半分獣人の彼女は喉の奥で獣の唸り声を発していた。


やばいな、本当に機嫌が悪い。


「そんなにミツルが大事か?」


「そうですよ、私にとって陛下の次に大切な方です」


「そうか。


なら尚更ミツルを行かせるべきだ。


男が成長するためには、一人で考えて決断し、行動し、達成感を得ることも大事だ。


それが自信に繋がるし、その自信を持つ者は良い戦士になる」


「それは戦士に必要であって、勇者のミツル様にはもっと他にやりようがあるのでは無いですか?


それに、《兎狩り》はもうほとんど行われない戦士の儀式でしょう?」


そう言われると少しムッとする。


私はこの儀式が特別なものであることを知っている。


「戦士が誇りを持ち、周りから認められる大切な儀式だ。


ベティには何も思い入れは無いかもしれないが、私にとっては特別な事だった。


エドナ様に認められたのが今の私に繋がっている。


ミツルにとっても自信に繋がると信じている」


私の言葉にベティはそれ以上返さなかった。


《エドナ様》の名前が彼女の口を閉ざしたのだろう。


そのまま静かに「失礼致します」と言ってお辞儀をすると足早に去っていく。


私はその背中を黙って見送った。


✩.*˚


『私は戦士だ』


エドナ・グレの口癖だった。


とりあえず、何か問題があれば力で解決するタイプの獣人だ。


至極シンプルな考え方と、サバサバとした性格で戦士達を束ねていた。


そのカリスマ性から、獣人の中で初めてアンバー王から王女の位を賜った。


闘争心の塊のような熱い魂に、皆の魂も熱を帯びた。


問題もなくはなかったが、それ以上の魅力が彼女にはあった。


鍛え抜かれた体には豹の斑紋が刻まれ、癖のある赤銅色の髪をなびかせる姿は神々しすらあった。


若かった私は彼女に憧れた。


入隊試験の《兎狩り》に合格し、彼女の部隊に見習として配属された時、胸が高鳴ったのを今でも鮮明に覚えている。


それからは苦難と挫折と自分を鼓舞する日々だった。


当然だ。


王に仕える直属の部隊のそのまた精鋭だ。


それなりに役に立てる自信があったのだが、それが思い上がりだと知るのに時間はかからなかった。


それでも除隊しなかったのは彼女がいたからだ。


彼女は落ち込む私に豪快に笑い、背中を思いっきり殴って言った。


『自信をつけろ!


でっかい図体の男がウジウジするな!


背筋を伸ばせ!視線を下げるな!前を見ろ!


お前の中の敵はお前にしか倒せない!』


彼女の言葉は私の中で今も生きている。


それからいくつもの紛争や国境警備の任務にあたり、気がつけば十五年もの月日が経過していた。


私は彼女の補佐を任され、副隊長になっていた。


私は彼女が求めた戦士に着実に近づいていた。


『お前になら全て預けれるな』


そう言って彼女はまた豪快に笑っていた。


その笑顔が何故か少し寂しげに見えたのは私の思い違いだったのだろうか?


ある日、私が新兵と訓練用の宿営地にいた時、彼女は一人の少女を連れてきた。


彼女はボサボサの黒髪に虚ろな怯えた目の少女の肩を抱き、『私の娘だ』と紹介した。


顔には薄ら花のような模様が浮き出ている。


豹の梅花模様。


本当に実の子かと思い混乱したが、彼女が妊娠してた事実も結婚の事実もない。


どうやらアンバー王が前線の視察に訪れた時、人間の商人から獣人達を取り返したらしい。


その中に混ざっていた子供の一人で、引き取り手がなかったので連れ帰ったそうだ。


『可愛いだろう?


リトル・ベティ・グレだ』


そう言って少女を抱きしめて頬ずりする。


『リトル・ベティ?』


『昔生き別れた妹の名前を貰った。


この子は名前がなかったからな』


彼女はそう言って少女の頭を撫でて抱き上げた。


娘にするように少女に接する彼女が信じられなかった。


それと同時に、彼女がやはり女なのだと実感した。


『しばらくこの子は私が預かることになった。


この子自体は人間のハーフだが、獣人としか生活したことがないらしい。


獣人といる方が落ち着くはずだ』


かなり高めの高い高いをキメながら無表情の少女をあやしている。


少女は少女で人形のように無表情でされるがままだ。


『子供の世話など、エドナ様がすることでは…』


『自分の手で育てずに母親とも娘とも名乗れないだろう?


この子が心を開いてくれるまでしばらく休暇を貰う。


その間、部隊の指揮は任せたぞ、ルイ』


『そんな急に…』


『なぁに、有事の際は駆けつける。


それにこう見えて私は子供の扱いは上手なんだぞ!』


そう言って彼女は本当に休暇を取り、別荘にベティを連れて引きこもってしまった。


まあ、しばらくしたら飽きて帰ってくるだろう、と誰しもが思っていたが、彼女は半年たっても戻ってこなかった。


さすがに不安になり、部下に様子を見に行かせたが、相変わらず『待っていろ』の一点張りだったという。


一年ほどたったある日、私も彼女らの様子を見に行った。


少女は少し大きくなっていた。


まだ幼いのに、大人顔負けの身体能力を身に付けていた。


『何だ、ルイか』


一年ぶりの再会に、彼女の第一声はついに二、三日前に会ったかのような口ぶりだった。


彼女らしい言い方だ。


『元気になったろう?


やっと子供らしくなってきたところだ』


『それは良かったですね。


ところで、そろそろ帰還されてはいかがですか?』


『何か問題でも?』


エドナ様はそう言って笑った。


私が横に首を降るのを見て、『だろうな』と彼女は言った。


『それならまだこの山小屋であの子と暮らすよ。


私が居なくても、お前が居れば安泰だろ?』


『私では貴方の代わりにはなりませんよ』


『いつまでも半人前でいられると思うな、ルイ。


お前はいつだって私を基準に自分を判断している。


それは本当に無駄な事だ』


彼女はキッパリとそう言って私を否定した。


言葉を選ばない彼女らしい言い方だ。


オレンジ色の瞳が私を品定めするように見ている。


『私はお前を戦士として育てた。


戦士がいつまでも女の背中を追い続けるな、みっともない。


お前も戦士なら私を越えてゆけ。


私の速度に合わせて背中を見続けるなら、お前は一生私を越えられないぞ』


『…それは…そうですが…』


返答に窮する私に彼女は『自分を誇れ』と言った。


『ルイ・リュヴァンお前はいい男だよ。


それは近くで見てきた私が一番よく知っている。


お前は私とは違うタイプの戦士だ。


個の強さだけではなく、チームワークの強さを生かせるリーダーだ。


これからこの国に必要なのはそういうリーダーだと私は思っている』


『最初から帰還するつもりは無かったのですか?』


私の問いかけに彼女は飄々とした様子で『まあ、正直なところ半々だったな』と気持ちを吐露した。


『お前とは《兎狩り》からの付き合いだ。


お前の癖も考え方も、悪い所も良い所も、弱さも強さも全部知っている』


思い出をなぞるように彼女は穏やかに笑った。


『あの痩せた少年が、よくこんな立派な戦士になったものだ。


ルイ、お前は私の誇りだよ。


私の最高傑作だ』


彼女は両腕を伸ばし、私を抱きしめた。


彼女の赤銅色の髪が私の胸に沈む。


『お前は私の誇りだ』


彼女の言葉が私の心に刻まれる。


胸が熱くなる…


私を抱きしめる彼女の身体は何と小さくなったことか…


数多の戦場を駆け、倒れること無く敵を屠り、味方を担ぎ、多くの部下の命を背負ってきた身体にしては、頼りないほど細く小さかった…


この小さな身体で背負い続けた荷を受け取る時が来たことを知る。


私も彼女の体を抱きしめた。


私が彼女から巣立つ時だ…


『必ず、貴方に恥じぬ働きを…』


言いかけた私の口元に指を押し当てて、言葉を遮って彼女は笑っていた。


『いいよ、分かっている。


お前の事はなんでも知っているさ』


そう言ってまた私の胸に顔を寄せた。


『まだ帰らないだろ?


今日は冷えるから温めてくれ』


とんでもない発言に私は言葉を失った。


『…本気で言ってます?』


『何だ?年増女が相手じゃ嫌か?』


『いや、そういうことでは…


その…私がですか?』


『お前以外に誰に言うんだよ。


女に言わすなんて酷い男だ』


私をからかう彼女は一人の女性になっていた。


彼女と結ばれた日、私は彼女の荷を引き継いだ。


後日アンバー王から正式に隊長への昇格と、部隊から軍への編成の変更があった。


そこで王の直属の軍を任されることになった。


今までの部隊とは桁違いの人数の命を背負うことになる。


それでもあの人を失望させるわけにはいかない。


私は奮闘し、何とか軍をまとめあげることが出来た。


陛下から軍略や兵種、兵站へいたん等の知識を学んだ。


賢くない私には難しい話だったが、優秀な頼れる部下の存在もあり、二年ほど時間はかかったが、戦闘部隊から軍隊に仕上がった。


軍隊が軌道に乗ってきた頃、私に訃報が届いた。


彼女が死んだ…


私の敬愛するエドナ・グレ…


やっと貴方にふさわしい男になれたと思ったのに。


絶望する私を、高く高く青い空が見下していた。


エドナ・グレの葬儀であの少女に再会した。


喪服を着て棺に縋る小さなベティ・グレ。


ベティの隣で王女筆頭のペトラ様が慰めている。


棺の前まで近づくことを許され、棺の前に立つ。


まだ蓋を閉められていない棺に敷き詰められた花の中、彼女は眠るように横たわっていた。


あの日、隣で朝を迎えた時と同じ、安らかな寝顔…


葬儀も終わり、帰ろうとした私の元にベティを抱いたアンバー王が現れた。


『ルイ、すまないが、ちょっとこの子を預かってくれないか?』


『私がですか?』


まだ泣いている少女を受け取るのに躊躇していると、少女の方が顔を上げた。


花の模様が刻まれた彼女と同じ顔…


『私が抱いても泣きますよ』


そう断りを入れて少女を受け取る。


小さい暖かい身体が私の体に密着する。


疲れていたのか、すぐにしゃくり上げる呼吸が静かな寝息に変わった。


獣の匂いに安心したのだろう…


『うん、じゃあ、頼んだよ』


親戚に子供を預けるような感覚で立ち去ろうとするアンバー王にいつまで預かるのか訊ねた。


『そのうち迎えをやるから』と曖昧な返事を返された。


結局二ヶ月ほど預かり、寝食を共にした。


彼女は泥臭くこの少女を育てたのだろう。


軍の宿営でずっと私に付いてまわり、訓練にも参加した。


ベティが笑うようになった頃、ペトラ様連れられ城に引き取られて行った。


それからも多少の交流はあったものの、成長するにつれ、エドナ様に似てくる彼女を見るのが辛かった。


これがどういう感情なのか、私にはもう分からなくなっていた…


この気持ちを認めることは、私が愛した人を裏切ることだ…


私は彼女と顔を合わせないようにした。


あのお節介な男が現れるまでは…


✩.*˚


ペルマネス・ニクス山は標高の高い山らしい。


飛竜ワイバーンで向かったが、山の中腹までしか乗れないらしいので途中で降りた。


どうやら雪の上に降りると飛竜は上手く飛び立てないらしい。


「ビック・ペーデスが生息するのはこの先の雪の深い場所だ。


場所によっては胸の高さまで雪が残ってる場所やクレバスもある。


十分注意して進め」


「ルイの胸までって…


僕完全に埋もれちゃうよ…」


「大変じゃなかったら訓練にならん。


私は十四の時にやったぞ」


八甲田山雪中行軍にならないといいけど…


雪に足を取られるから進むのすら思うようにいかない。


雪用の装備は貰ったけど、顔はヒリヒリするし手足はかじかんで言うことを聞かない。


苦しくて吸い込む空気も薄く冷たいから肺が辛い…


「ミツル様、大丈夫ですか?」


少し進んだだけでゼイゼイ言っている僕をベティが心配してくれる。


辛い、情けない…


「この先の小屋まで頑張れ。


辿り着けなければ全員死ぬぞ」


ルイからの激が飛ぶ。


そうだ、こんな所で止まってたらその方が危険だ。


山小屋まで何とか進んで、遭難だけは避けないと…


そうは思うもののルイはどんどん先に進んでしまう。


「ルイ様!ミツル様が遅れてます!置いていかれるおつもりですか?!」


「甘やかすな、ベティ。


手を差し伸べるのは簡単だが、それではミツルの生きる力を削いでしまうだけだ。


ミツル、貪欲にせいに食らいつけ!


お前が自分で勝ち取らねば意味が無いぞ!」


「分かってるよ!


ちゃんと歩くさ!


ベティ、ありがとう、大丈夫だよ」


これ以上ベティを心配させられない。


雪をかき分けながらルイの背を追った。


ルイは僕達の分まで荷を背負って進んでいる。


僕なんて最低限の荷物しか背負っていない。


それに彼は僕らが進みやすいように道を作りながら進んでいることにも気付いていた。


彼は決して厳しいだけの人じゃない。


この訓練を成功させたいと思っているのだって、アンバーに言われたからだけじゃないはずだ。


必死な思いで彼の進んだ後を追い、何とか山小屋が見えてきた。


貧相な小屋などでなく、しっかり木を組んだ十人くらい泊まれそうなログハウスだった。


「よく頑張った、休んでいいぞ」


ようやく僕がゴールしたのを見て、ルイはそう言うと小屋の用意を始めた。


薪を用意して暖炉に火を入れると、外から取ってきた雪を溶かして水を作った。


持ってきた食材などを籠に出して棚にしまうと、ザックからいくつかの麻の袋を取り出して、ログハウスの外にぶら下げに行った。


時々くしゃみをしながら作業している。


「あれ何?おまじない?」


「獣避けのハーブが入った袋です。


ミツル様が居るから用意されたんだと思います」


「臭いの?」


「ええ、とっても…」


「もしかして…ベティやルイも苦手な匂いなの?」


「私はまだに気なる程度ですが、ルイ様は鼻が利くので、むせるくらい嫌な匂いだと思います」


マジか…ルイ大丈夫かな…


「ミツル様は休んでてください。


お食事の用意が出来ましたらお声かけさせていただきます」


ベティにも休めと言われて、暖炉の前のソファに座ると、彼女が毛布を用意してくれた。


硬いソファだったが暖炉の温かさも相まって毛布にくるまって寝入ってしまった。


しばらくして、暖炉に薪をくべる音で目を覚ました。


「何だ?腹が減ったのか?」


ルイの大きな背中が暖炉の前にある。


逆光で表情は伺えないが、声は穏やかだった。


「今ベティが食事を用意している」


「ルイは元気だね」


「疲れてるさ、でもお前やベティほどじゃない。


スタミナはある方だからな」


そう言って暖炉にまた薪をくべた。


パチパチと木の燃える音と火花が飛ぶ。


「私はこの山に慣れてる。


問題はお前だ。


《兎狩り》はあくまでお前自身の手でしなきゃならん。


俺が手伝えるのはこの小屋の中と兎探しくらいのものだ」


「どうやって捕まえるのさ?」


「捕まえるんじゃなくて倒すんだ。


奴らは真上に飛び上がって鉤爪で襲ってくる。


モロに体当たりをくらうと雪に沈められるから避けろ」


「…兎…だよね?」


「あと、後ろ足も強いから気をつけろ。


一瞬で間合いを詰められる」


僕はこれから何と戦うんだ…?


「頭は硬いから狙っても弾かれる恐れがある。


狙うなら喉が腹の方だ。


左脇、出来れば心臓を狙った方が確実だ。


躊躇せずに一気に刺し貫け」


「レベル高くない?」


なかなか難しい話だ。


そもそも兎でしょ?!酷くない?


ってかどんだけ頭硬いわけ?!


「大きければ大きいほどいい。


その分リスクは上がるが、中途半端な大きさのものを捕まえると《襟巻き》と言って他の兵士からバカにされるぞ」


「《襟巻き》?」


「大きいのを捉えると《外套》と呼ばれて戦士達から尊敬される。


次に大きいのが《ジャケット》、次いで《ベスト》、《腰巻》の順だ」


「なんで名称が服なの?」


「それが作れる大きさということさ。


分かりやすいだろう?」


いくら大きくても兎でそのサイズはないだろう?


「まあ、何はともあれ無事に済んでくれれば私だって陛下に良い報告ができる。


頑張れよ、勇者」


そう言って彼は僕の頭をポン、と叩いて小屋を出て行く。


彼が出ていった後、小屋の外で大きなくしゃみが聞こえ、僕は少し笑ってしまった。


✩.*˚


朝日が昇る前に起きて小屋の周りの確認をした。


獣は近くまで来ているが、危険では無い。


食料があるので匂いに釣られて来ないように、獣避けの匂い袋を用意しておいて正解だった。


あとはミツル次第だ。


あいつはやる時はやる男だ。


きっと大丈夫。


そう自分に言い聞かせ、小屋に戻って暖炉に薪をくべて火をつけた。


部屋が暖かくなってきた頃、ベティが起きてきた。


「おはようございます」


「おはよう、眠れたか?」


そう尋ねるとベティは、こくん、と頷いた。


「寝過ごしていまいました」


「そんなことは無い。


ミツルよりは早いから問題ない」


「でもルイ様に暖炉の用意をさせてしまいました…」


「気にするな、外に出て少し冷えたから暖炉の用意をしただけだ」


使用人である自分の方が遅かったから気にしてるらしい。


それでもまだ外が暗いうちに起きてきてるのだ。


彼女はよくやっている。


「朝飯を作りながら火の番をしてくれ。


私はミツルが山に入る用意をしておく」


「かしこまりました」


ベティは短く答えて自分の仕事をしに行った。


私は荷物から狩りに必要な道具を取り出し机に並べた。


壊れたり壊れやすそうなものがないか念入りにチェックする。


防寒着や靴も穴がないか確認し、防雪用の油を塗って水が染み込まないように用意した。


アンバー王から預かった回復用の魔法道具もすぐに使えるように雑嚢に入っているのを確認する。


これだけ準備をしたのにまだ見落としていないか確認する。


不安だ、大丈夫だろうか…


早く終わらせてくれないと私の方が持ちそうにないな、と自嘲した。


窓から眩しい光が届いた。


一日目の朝がこうして始まった。


✩.*˚


窓から射す朝日の明るさで目が覚めた。


薪を燃やす匂いとパンの匂いがする。


もう二人共起きてるんだな…


そう思って急いで服を着替えて用意するが、筋肉痛で足が上がらない。


雪山恐るべし…


夏山しか登ったことないから知らなかったけど、ルイ達がいなかったら絶対に遭難してた…


雪ばかりで景色が変わらないから方向感覚がおかしくなるし、寒さで五感も上手く働かない。


これでは先が思いやられる。


「《凪》、《嵐》、おはよう」


僕の命を預ける二振りの剣に挨拶した。


真珠色に光る双剣は、この世界の神龍の鱗で作られているらしい。


夢の中で一度だけ人の姿で現れたのを見て愛着が湧いたので時折声を掛けている。


別に何も無いけど勝手にやっている。


ただのルーティン、もしくは変人だ。


「おはよう」


「おはようございます」


「起きたか」


ベティとルイが返事を返してくれる。


ホントに一人で行けとか言われなくて良かった。


「ソーセージと玉ねぎのスープ、クルミのパン、ホットミルクを用意しました。


冷めないうちにどうぞ」


「ありがとう、ベティ」


朝から温まるメニューだ。


僕とルイが食べる間、彼女は給仕してくれていた。


「一緒に食べればいいのに」と僕が言うと、ベティは慌てて首を横に振った。


「そんな、滅相もない。


私は使用人ですので…」


彼女はそう言って線を引いた。


その断られ方はなんだか寂しいな…


一緒に食べれたらいいのに…


僕らが朝食を食べ終わると、彼女は皿を下げてキッチンの隅で一人で冷めた食事を取っていた。


作った人が冷めた食事をとるのはなんだか申し訳ないな…


「ミツル、山に入る前に少し説明することがある」


ルイがそう言ってウエストポーチみたいな袋が左右に付いたベルトを取り出した。


「お前の荷物だ。


大切なものが入っているからちゃんと中身を確認しろ」


彼は袋の中身を机に出して僕に見せた。


「まず、迷子になった時のために位置を確認するコンパスだ。


緑の針がこの小屋を刺す。


万が一迷子になったらこれで戻ってこい。


携帯食料は必ず懐に入れておくこと、雑嚢の中に入れておくといざって時に凍って食べれなくなるからな。


怪我をした時の治療魔法が込められた魔法道具。


これは折ると発動する。


必要な時に使えるようにしておけ。


あとロープを二組、折りたたみのピッケルとスコップ。


雪が氷や岩場に変わった時に必要な時アイゼン…」


「こんなにいるの?」


「遭難を考えればこんなの少ないくらいだ。


お前は沢山持たせても動けなくなるだろうからこれくらいが限界だろうな。


安心しろ、私もできる限り離れないようにする。


目を離すと何をするか分からないからな…」


「兎はどうやって探すの?」


「足跡や糞、食べ物を食べた後を探す方法と巣穴を見つけて炙り出すやり方がある。


どちらも感だな」


「随分ざっくりした説明だね」


「こればっかりは相手次第だ。


半月かかっても見つけられなかった時もあった」


うわぁ…それはキツイな…


「まあ、まだ一日目だ。


今日は天気は穏やかだし、山に入る練習になるな」


ルイはそう言いながら身支度を始めた。


いよいよ山に入るのだ。


✩.*˚


山は一面真っ白で、目が痛くなるほど白く輝いていた。


ルイは目印の色紐を木に付けながら進んで行く。


辺りを警戒しながら雪山を散策すると、皮がめくれて傷付いた木が何本もあった。


「鹿なんかが齧った後だ。


ビック・ペーデスでは無い」


ルイはそう言ってまた先に進んで行く。


頼もしい背中を追いながら、僕は彼に置いていかれないように山道を進んだ。


結局一日目はビック・ペーデスには出会えなかったので収穫ゼロだ。


「明日はもう少し上の方に行く。


岩場が多いからそこにいるかもしれない」


「OK、また明日だね」


「歩くのは少し慣れたか?」


「少ししんどいけど大丈夫」


「そうか」とルイが頷く。


「小屋に戻ったら立ち回り方を教える。


雪の上で転げ回る覚悟をしておけ」


「えぇ?今からまだ訓練?!」


「嫌そうな声を出すな、備えあれば憂いなしだ」


なんでそんなにタフなんだよ…


夕食の時間までルイにみっちりしごかれた。


ビック・ペーデスとの立ち回りの仕方や、綺麗な雪を集めて水を作る手伝いをした。


その間、ルイは結構話をしてくれた。


彼は普段は寡黙な印象だったが、自分から色々話をしてくれる彼が少し新鮮だった。


「この山小屋は誰が管理しているの?」と訊ねると彼は、少し黙った。


「元々は私の大切な人が使っていたものだ。


今は私が管理して、年に一度ここに《兎狩り》に来ている」


大切な人という言い方が引っ掛かった。


近いような遠いような微妙な距離の人…


「…その人って、もう居ないの?」


恐る恐る訊ねると、ルイは「随分昔に死んだ」とだけ答えた。


毎年ここに来るってことはそれだけ思い入れがあるということなのだろう。


今でもその人の事を思ってるってことなのだろう…


「その人は《兎狩り》が好きだったの?」


「好きだったな。


子供のように目を輝かせて兎と戦ってたよ。


素手で首の骨をへし折って倒していた。


毛皮に傷が付かないように、と言っていたが、あれは彼女にしか出来ない技だった…」


「…女の人なの?」


「…エドナ・グレという。


私に戦い方を教えてくれた女戦士だった。


ベティの育ての親でもある」


「え?そうなの?」


「エドナ様は第六王女だった。


グレ氏は豹族パーラドゥスの出身だから陛下からベティを預かったらしい。


彼女はベティを本当に可愛がっていた。


今の彼女がいるのはエドナ様のおかげだ」


「そう、なんだ…」


ベティも大変だったんだな…


「ここはエドナ様が現役だった時に、戦士の試験をするために用意した場所だ。


私にとって特別な場所だから大切に保管している」


「ルイもここで試験を受けたの?」


「そうだ。


十四の時にエドナ様に連れられてここに来た。


その時の方が厳しかったぞ。


お前なんか楽すぎて、エドナ様が見たらぬるいとお怒りになるだろうな」


鬼教官だったのかな…


「それでも」とルイは言葉を続けた。


「今の私があるのはエドナ様のおかげだ」


そう語るルイは嬉しそうで寂しげだった。


その姿を見て何となく察した。


彼はエドナのことが好きだったんだ…


師弟としてじゃなく、一個人として彼女の事が大好きだったんだと…


話し終えた頃には夕日が山の向こうに沈む所だった。


「お喋りは終わりだ。


日が落ちると一気に寒くなるからな。


明日風邪で寝込まれても困る」


固めた雪を詰めたバケツを持ってルイが小屋に歩き始める。


僕もそれに習った。


エドナの小屋から漏れる明かりの中に、ベティの動く影が見えた。


僕はチラリとルイの顔を盗み見た。


ルイの視線は小屋の中で動くベティの姿を見つめている。


夕日のせいか、その横顔に哀愁が漂っているように見えた。


✩.*˚


二日目、三日目も兎は見つからなかった。


朝から昼過ぎまで山に入って、早めに帰る。


帰ったら小屋の雪集めや薪割り、掃除等をするといった具合だ。


何しに来たんだろう…


まあ、楽しいから良いけど…


四日目にビック・ペーデスの足跡を見つけた。


「…でかくない?」スノーボード一枚分くらいの足跡が点々と続いている。


「ビック・ペーデスは《大きな足》という意味だからな。


雪に沈まないよう幅広の足と、指の間に水かきのような膜がある。


毛が長いから大きく見えるが、実際は見た目の七割から八割くらいの姿だ」


足跡を辿ると糞も落ちてた。


うさぎらしいコロコロした糞だ。


ミカンくらいのサイズだけど…


「まだ新しそうだ。


近くに巣穴があるかもしれないな」


「巣穴って?」


「この大きさなら少し小さめの洞窟か、人が一人くぐれるくらいの穴がねぐらになってるはずだ。


突然飛び出してくるかもしれないから気を付けろ」


そう言って辺りを確認したが兎は見つからなかった。


「仕切り直しだな…


明日またこの辺りを探そう」


「まだ日が高いから大丈夫じゃないの?」


「冷たい風が吹いてきた。


荒れるかも知れないから撤退だ」


目印を木に結んでルイに急かされるままに帰路に着いた。


四日目の夜は嵐が吹いた。


「明日は様子を見て山に入るかどうか決める。


雪山での無理は命取りだ。


焦る気持ちもあるかも知れんが、とりあえず嵐が落ち着くまで外には出るな」


「なかなかビック・ペーデスが見つからないね。


こういうものなの?」


「見つからない時は見つからないもんだ。


しかし、思った以上に見つからないのは、強い個体がこの辺りを縄張りにして他の個体を追い出したのかもしれん。


そういう場合は危険だ」


「危険なの?」


「《外套》どころか《毛布》が居るかもしれない。


私がお前では倒せないと判断する危険な個体なら引き受けるから安心しろ」


ルイはそう言って、僕に早めに休むように促した。


四日目の夜は風の音が凄かった。


窓ガラスが窓枠ごと揺れる音がずっとしていた。


全然寝れない。気分を変えよう思って、部屋を出た。


「眠れないのか?」


部屋のドアの音で気づいたのだろう。


暖炉の前に居たルイの声がした。


「窓の音が凄いんだよ。


誰かが外から叩いてるみたいな音だから寝られない」


「そうか」


短い返事をしてルイは薪を暖炉に放り込んだ。


パッと火花が散って暖炉の火が薪を食べた。


「暖炉の赤い火に当たれば落ち着いて寝れるだろう。


気が昂ってるだけだ。


焦ると余計に寝れなくなるからな。


この際、兎のことは忘れろ」


「ルイってお父さんみたいだよね。


本当は幾つなの?」


「今年で四十三だ」


「え?!そんな歳!!


もしかしてベティも…」


「いや、ベティは十九だったかな…


正確には分からんが、多分そのくらいだ」


狼の顔だからあまり年齢気にしてなかったが、ベティのお父さんと言ってもいい年齢じゃないか!!


え?おじさんじゃん!


ということは、僕はベティにとんでもなく失礼なことをしたんじゃないか?


「何だ、何も知らずにお節介を焼いていたのか?


私はベティの義母の部下だぞ。


親子ほど離れていてもおかしくないだろう?」


「えぇ?でもベティの事好きなんでしょ?」


「大きな声出すなよ」とルイが耳を寝かせて言った。


つい大きな声を出してしまっていたみたいだ。


「幼なじみみたいな感じだと思ってたから…」


「ああ、語弊があったか?


私も幼い頃陛下に引き取られた孤児だ。


私の一族は元々この国出身ではない。


もっと西の方の国から来た。


元々住んでいた場所は人間に奪われたから、アーケイイックの森に流れ着いた一族だ」


「そりゃ、苦労したね…」


「みんなだいたいそんなもんさ…


恵まれていて、戦う理由のない者は戦士や兵士になりたいなど思わないからな」


そう言ってルイはふっと笑った。


「私はそこでエドナ様に出会い、戦士になった。


同じ城で育ったにしても同輩ではない。


一時的に一緒に暮らしてたこともあるが、それはエドナ様が亡くなられてすぐの事でまだ幼い頃の話だ」


「ややこしいなぁ…」


幼なじみカップルではなく、境遇の似た叔父姪の関係みたいなややこしさだ。


ふむ、これはくっつけたらアウトなのかな…


「悪かったな。


でもお前には関係の無いことだ、忘れろ」


そう言ってルイはまた薪を暖炉にくべた。


「とにかく面白半分で人のプライベートに踏み込まないことだ。


おかげで一時ベティと顔を合わせるのも気まずかったんだからな…」


「そりゃ、なんかすいませんでした…」


うーん、複雑…好きって難しいなぁ…


「でも好きなのは本当でしょ?」


「正直分からん。


何でも好きとか嫌いとかそんな単純な言葉で片付けられるもんじゃない。


それに、私がベティに特別な感情を持っているようならエドナ様に合わせる顔がない」


「そういうもんなの?」


「そういうもんだ…」


そう言ってルイは大きなため息を吐いた。


「時々お前みたいなお気楽な人間だったら良かったのにと思う時がある」


「僕が薄情者みたいじゃないか」


「まあ、そうとも言うな」


はは、と小さくルイが笑う。


「まあ、お前にはペトラ様がいるからな。


ベティに手を出す余裕は無いだろう?」


「嫌な言い方だなぁ…


ペトラとはまだ何も無いよ」


先日押しかけ女房された状況を思い出して冷や汗が出る。


「まあ、まだ無名と言っても差し支えないからな。


頑張って箔をつけることだ」


やり返せたのが嬉しかったのかルイが楽しそうに笑う。


「兎、って帰るぞ」


「うん」


ルイの言葉に力強く頷く。


これだけしてもらって手ぶらでは帰れない。


付き合ってくれた二人のためにも必ず成功させたい。


僕は毛布に包まってソファで目を閉じた。


✩.*˚


ドアの閉まる音で目が覚めた。


いつの間にか朝になっていたみたいだ…


毛布を被ったまま外に出る。


凍てつく空気が毛布の中にまで入ってくる。


寒い…


昇り始めた朝日にルイの影が長く伸びていた。


「起こしてしまったか?」


「いいよ。


それより朝日がキレイだね」


夜の青が空から追いやられ、朝日が夕日のような赤を伸ばしている。


夜と朝の狭間の雲は紫色で、縁どりが銀に輝いていた。


純粋にキレイだと思う。


「男同志で見るには勿体ないだろう?」


ルイがからかう。


「ホントにね」と僕が苦笑いで返すと、ルイは昇っていく朝日に視線を戻した。


「これだけは何年経っても変わらない。


初めてここに来た時からずっと変わらない風景だ」


エドナと見た風景を思い出しているのだろうか?


「こんな寒い中何してるんですか!」


家から飛び出してきたベティがこちらに向かって駆け寄ってくる。


身支度を済ませていたが髪だけが解けている。


駆け寄ってくる彼女の姿を見て、ルイが小声で「エドナ」と呟いた気がした。


「寒いのにそんな格好で風邪を引きますよ!


それにこんなに無防備な格好で外に出て獣に襲われたらどうするんですか?!」


ベティは僕の腕を掴んでグイグイと小屋に引っ張っていく。


「ミツル様は今日も《兎狩り》に行くんでしょう?


早く顔を洗って、着替えて、朝食を取らないと」


まるで小学校に行く子供の世話をするお母さんだ。


僕がそう思って笑うと「何ですか?」とベティが首を傾げる。


「朝ごはん何かなって」


「大麦のパンとじゃがいものポタージュとベーコンエッグですよ」


当たり前のようにサラサラと答える。


「今日はビック・ペーデス捕まられると良いですね」


ベティがそう言って笑った。


「早く捕まえないと心配したペトラ様が押しかけて来ちゃいますよ」


「うわぁ…それは困る」


意外と行動力あるからな、ペトラ…


双子の弟のイールが必死に止めてるんだろうな…


「早く終わらせないとなぁ…」


僕がつぶやくと、ベティが「そうですよ」と笑った。


五日目の朝が始まる。


✩.*˚


朝食をとった後、装備を整えて雪山に入った。


昨日の夜とは打って変わって風も穏やかだ。


昨日の目印を付けた場所に戻ると足跡は消えていた。


「昨日の風で足跡が埋もれてしまったな…」


「どうするの?」


「この辺りが縄張りなのは間違いない。


辺りを警戒しながら探そう。


何か見つけたらまず止まって手を挙げて合図しろ。


ここからは無駄なおしゃべりはナシだ」


「了解」


短く返事をして、僕らは無言になる。


ルイが先を行き、僕がそれに習って進む。


奇妙な時間が流れる。


鼻の感覚がなくなってきた頃、前を歩いていたルイが小さく手を挙げた。


ルイが合図した先の背の低い木陰に二人で身を潜めた。


ルイの指さした先に白熊が居た。


僕が指をクロスさせて「違うだろ」と伝えると彼は首を振った。


「あれがビック・ペーデスだ」


「!!」


思わず声を出しそうになった。


なんせ遠目から見ても分かるデカさだ。


兎なわけが…


目を凝らしてもう一度確認すると、白い獣が後ろ足で立ち上がって辺りを見回した。


長い耳が左右に前後を向いて辺りを確認している。


黒い大粒の目が広い視野で辺りを警戒していた。


「…う、兎だ…」


サイズはあれだか見た目は兎だ。


兎にしては頭部が少し小さく、手足もクマのようにどっしりしている。


前足に長い鉤爪が二本伸びていて、三本目以降は短い。


「まずいな…ミツルには荷が重いな」


ルイが小さく呟く。


彼も想定してたより大きかったらしい。


下がろうとルイが合図した時だった。


「バオォ!」


兎が鳴いた。


そんな声なんかい!


大きめの管楽器のような低く響く声。


「バオォ!」


「ブォォ!」


森の奥からもう一頭が飛び出し、雪を砂煙のように上げながら吠えるビック・ペーデスに突進して行った。


ぶつかり合った巨体が雪原を転がる。


ビック・ペーデス同士での争いが始まった。


後から現れた兎の方が一回り大きい。


二頭が立ち上がって大声で威嚇を繰り返している。


大きい方のビック・ペーデスが前足を振り上げた。


鋭い爪の一撃が空を裂いた。


「ブファ!グシュ、グフッ、フッ、フゥ」


悲鳴を上げながら小さい方が後退る。


額の皮がめくれて肉と骨が見えていた。


鮮血が溢れて雪に滴り落ちる。


「ブォォオォ!」


一際大きな声で威嚇され、敗者は逃げ出した。


よろけながら逃げる敵を追わずに、勝者は僕達に向かって振り返った。


バレたか?


思わず視線をルイに向ける。


ルイは静かにしろと合図だけ返した。


僕達に向かってきたと思ったビック・ペーデスは雪の上で足を止めた。


長い鉤爪のある手で何かを雪から引っ張り出すと何かを食べ始めた。


どうやらただの餌の取り合いだったみたいだ。


「…ミツル、どうする?」


ルイが小声で僕に確認する。


「このでかいのを仕留めるなら私が先に出て囮になる。


もちろん別のやつを探すでもいい。


こいつとの戦いを避けたところで誰も文句なんか言わないからな」


ルイの提案に僕はすぐに返事が出来なかった。


早く済ませて帰りたいけど、倒せる自信はない。


でもここで逃がしたら、また次にいつ見つけることが出来るか分からないし、何より結局同じ個体に出会でくわしてまた振り出しという事になるかもしれない…


あぁ、もう、それなら一か八かやってみっか!


僕の答えは決まった。


腹を据えて「行く」と答える。


僕は右の腰に帯びた剣に触れた。


《嵐》の感触を確かめ、すぐに抜けるよう柄に手をかける。


僕の戦う意思に応じて《嵐》は鋭さを増す。


やる気出せば出すほど威力が上がるチート剣だが、その逆になればただの剣と変わらない。


「教えた通りにやるだけだ。


私が奴の右側に回って意識を持っていくから、お前は左側から一気に攻めろ。


奴のお前への反応は遅れるから、迷わず一気に左脇の下を剣で貫け。


心配ない、グランス様から頂いたその剣なら必ず出来る」


ルイの檄に僕も強く頷いて見せる。


ルイが足元の雪を固めてビック・ペーデスの近くに放り投げた。


雪玉が雪を溜め込んだ枝に当たり、大量の雪が枝から落ちた。


雪の落ちる音に驚いて立ち上がるビック・ペーデスにルイが雪玉を投げながら前進する。


ルイの姿を見つけてビッグ・ペーデスが動いた。


あの巨体で雪から三メートル近く飛び上がって前足から飛び込む形でルイに襲いかかる。


それでもルイは慣れたもので十分余裕を持って回避した。


雪から埋まった前足を引き抜いて、ビック・ペーデスがさらにルイに迫る。


無防備なビック・ペーデスの脇腹が僕の前に晒された。


完全に僕に気付いていない。


僕は木陰から飛び出して、身体を大きく見せるためにルイに向かって万歳のポーズをとるビック・ペーデス目掛けて走った。


無防備な脇腹に剣を突き立てる。


「ギャッ!」


悲鳴を上げて獣が飛び上がった。


骨に当たったのかあまり深く刺さらなかった。


僕の覚悟も足りてなかったらしい。


「バオォ!」


尻もちを着いたビック・ペーデスに弾かれて、雪を転がった。


「ミツル!爪に注意しろ!」


ルイの怒鳴り声とビック・ペーデスの怒り狂った咆哮が重なった。


振り下ろされる長い鉤爪。


警告するように、ガタガタ、と音を立てて《嵐》が震えた。


顔を上げた僕の眼前にビック・ペーデスの太い腕が迫っていた。


慌てて剣を突き立て、振り下ろされるビック・ペーデスの手の平を串刺しにした。


「バオ!ブフォフォ!」


慌てて手を引っこめるビック・ペーデスだったが、雪の上に赤い染みが広がり、自慢の鉤爪の付いた指が一本転がった。


「ぐぅ!あっぶねぇ!」


のたうち回る巨体に潰されそうになりながら何とか距離を置こうと離れる。


剣を持つ手がガクガク震えた。


嫌な汗が止まらない。


一歩間違えば死ぬかもしれないと思うと恐怖で吐きそうだ…


巨大な鉤爪が僕の逃げた後を追ってくる。


避けることが出来ずに、僕は《ラリー》を発動させた。


ガキンッ、と金属がぶつかる様な音で爪と剣がぶつかり合い、反発し合う磁石のように両者が弾かれる。


執拗に攻撃を繰り出すビック・ペーデスの爪と切り結んで心臓の位置を確認した。


さっきよりずっと上だ。


腕を振り上げる隙を伺って《ラリー》を解除して懐に飛び込んだ。


やってやるよ!


僕の心の声に呼応して、《嵐》は白刃に雷光を纏って鋭さを増した。


突き出した剣はビック・ペーデスの身体に吸い込まれるようにすんなりと入っていった。


まるで刀身を鞘に収めるみたいに抵抗なく刃は分厚い肉に埋もれた。


ビックペーデスは唸り声を上げながら力を失って前のめりに倒れ込んだ。


熊ほどもある巨体の全体重に潰されそうになる。


抗おうにも体制も悪ければ、足場も悪い。


そのまま転倒してビック・ペーデスの下敷きになった。


剣を握ってた右腕に激痛が走った。


腕がめちゃくちゃ痛い…


兎重い…苦しい…死ぬ…


「ミツル!」


ルイの声が小さく聞こえる。


ザクザクと雪を掘る音が近付いてくる。


早くして…息が出来ない…


肩と襟首にルイの手が届いた。


「引っ張り出すぞ!


痛いだろうが我慢しろ!」


力技で、ルイに雪とビック・ペーデスの隙間から引きずり出される。


「いっっったァァ!!」


激痛。


右腕が折れてるみたい。


血の気が引くし、吐き気までしてきた…


「良かった生きてるな」


ルイがほっとした様子で安心しているが、僕はそれどころじゃない。


「良くない!右手が折れた!」


「それだけか?」


「何だよ!それだけって!大問題だろ!」


腕が折れてプランプランしてるのに良いわけあるか!


怖くて直視出来んわ!


「お前の勝ちだ」


ルイの浮かれた声にハッとする。


僕のすぐ傍らには動かなくなったビック・ペーデスの姿があった。


呆然とする僕にルイが拳の甲を差し出して「やったな」と褒めてくれた。


僕も動かせる方の手の甲を差し出してお互いに打ち合った。


ルイが教えてくれた、命を預け合う戦士の挨拶だ。


「ベティ喜ぶかな?」


「喜ぶさ。


私が彼女に叱られるだけさ」


そう言ってルイがおどけたように渋い顔をした。


「応急処置をしよう。


済んだらコイツを隠して一旦小屋に帰るぞ」


彼はそう言って雑嚢から回復魔法の込められた魔法道具を取り出した。


「腕を真っ直ぐにして、添え木してから使うからな。


無茶苦茶痛いが我慢しろよ」


「え?ちょっ!」


ルイは僕が何か言う前に、おかしな方向に曲がった腕を掴んで本来の形に伸ばした。


殺す気か!と言うほどの激痛に身体が痙攣する。


危うく舌を噛むところだった。


応急処置をされた後もしばらく震えが止まらなかった。


「今度から同じような状況になったら剣は手放せよ。


無理して離さないと剣が折れるか、お前の腕が折れるかの二択だぞ」


痛すぎる教訓だ…覚えておこう。


「さぁ、戻るか。


ベティへのお土産だ、持って帰れ」


ルイが僕に向かって何かを投げた。


足元にドサッと落ちて雪に転がったのは、僕が切り落としたビック・ペーデスの指だ。


指を見て、よく勝てたなと驚く。


二十センチ程の鋭く尖った爪の付いた指はナイフのようだ。


「今頃何ビビってんだ」


ルイはそう言って僕をからかう。


「俺の方も死ぬんじゃないかと吐きそうなくらい心配した」


ルイがそう言って僕の頭に手を置いて乱暴に撫でた。


力強い大きな手から父親のような不器用な愛情を感じる。


初めて自転車に乗れた日。


『よく頑張ったな』と父に褒められた時の事を思い出した。


自衛官の父親がサマーワに行く数日前の事だった。


急に自転車を買ってきて、『乗れ』と言った。


幼い僕は泣きながら練習したのを覚えてる。


鬼のように怖かった父が、泣きながらボロボロになって、やっと自転車に乗れるようになった僕を抱きしめて撫でてくれた。


それからすぐに父は破壊された瓦礫の街に向かった。


もしかしたらもう二度と会えない覚悟をして行ったのかもしれない。


不意に思い出した父とルイが重なった。


僕はあの日言えなかった言葉をルイに言った。


「付き合ってくれてありがとう」


その言葉に、ルイはふっと優しく笑って、「お前が頑張ったんだ」と答えた。


そう父が僕に言った気がした。


✩.*˚


帰って寝たら腕の骨はくっついたみたいだが、僕は丸一日寝ていたらしい。


その間にルイがビッグ・ペーデスの死体を運んできて解体の用意をしてくれていたらしい。


解体の仕方を教えられながら僕が自分で解体する。


時間が経って一度固くなっていたので苦労したが、ルイが上手に教えてくれたから何とか解体することは出来た。吐きそうだったけど…


「ビック・ペーデスは捨てるところはないから、部位で分けて持ち帰る」


そう言って油紙に部位ごとに分けて包む。


本当に何も捨てずに、残ったのは僅かな切れ端みたいな部位と血溜まりだけだった。


「骨は魔法道具になるし、内蔵は薬や日用品になる。


毛皮からは上質な衣服や靴が作れる。


手は珍味や装飾品などになるし、爪や牙も役に立つ。


こいつはオスだから睾丸も精力剤として高値で取引される」


「…これ全部麓まで持って降りるの?」


肉だけでも凄い量なんですけど…


とてもじゃないが三人で持って降りれる量じゃない。


「心配するな。


お前が寝てる間に部下を呼んだ。


夕方までに到着するはずだ」


ルイがそう答えて解体したビック・ペーデスを雪の下に片付けた。


「明日の朝小屋を出て城に戻るぞ。


それまでに準備しておけ」


「了解」


ルイに短く返事を返して、小屋の中に戻った。


ベティは手桶にお湯とタオルを用意してくれた。


「解体は無事終わりましたか?」


「うん、ありがとう。


ルイのおかげで全部終わったよ。


明日の朝にはここを出るってさ」


「そうですか。


ミツル様は怪我人なんですから休んでいてください。


あとは私がやっておきますから」


「いいよ、自分で出来るから」


「ダメですよ。


無理してまた骨が折れたらどうするんですか?


曲がってくっついたりしたら大変ですよ」


「…それは…困る」


「そうでしょう?


だったらすることはひとつです。


二階のベッドで寝てて下さい」


ベティはそう言って僕を二階の部屋に放り込み、容赦なくドアを閉めて階下に降りて行った。


仕方なく毛布に包まって寝ていると、しばらくして人の話し声で目が覚めた。


ルイの部下たちが到着したらしい。


二階の窓から覗いて見たが、やっぱり人間では無かった。


彼らは一様に獣と人間の間の姿で、大柄なルイと並んでも変わりない身長だ。


不意に、背中を向けていたドアからノックの音がしてベティが現れた。


「ルイ様がお呼びです」


「うん、分かった」


僕もそう返事をして一階の暖炉の部屋に足を運んだ。


屈強な獣人達が部屋に居るせいか、部屋の温度が高く感じる…


皆背が高く筋肉質なので圧がすごい…


「…えっと…お疲れ様です。


雪の中ありがとうございます」


僕が何とか絞り出した挨拶に場がザワつく。


何?変なこと言った?


「人間が礼を言うのが珍しいだけだ」


ルイがそう言って五人の部下を紹介してくれた。


「右から私の補佐をしてくれている同族のシャルル。


その次はルー族アンドレとマルセル兄弟だ。


次に居るのがローシ族のオリヴィエ。


最後のがフィエン族のヴォイテクだ。


皆それぞれ隊長として部隊を指揮してくれている」


「シャルルは見た事ある」


「ああ、イール様の一件の時に居たな」


ペトラの双子の弟のイールが暴走した時に、ルイと一緒に助けてくれた獣人だ。


「覚えていてくれたとは光栄ですね」


狼男は嬉しそうに尻尾を揺らした。


薄灰色の毛並みのルイに比べ、あおっぽいたてがみが特徴的な灰色の狼だ。


「ビッグ・ペーデスを倒したそうですね。


おめでとうございます」


シャルルは物腰柔らかい印象だが、オリヴィエは「どうせ小さいヤツだろ?」と鼻で笑った。


彼は顔のパーツが大きく、目が小さい。


ライオンのような印象の獣人だった。


「オリヴィエ、人間が単身でビック・ペーデスを狩ったんだから褒めて然るべきですよ」


「まだものを見てないからなんとも言えないな。


なあ、ヴォイテク」


「…」


ヴォイテクと呼ばれた彼は何も言わずに黙っている。


一目で分かる熊の獣人のようだ。


というかほぼ熊の姿で服を着ている感じ…


「ヴォイテク殿は賢いので迂闊な発言はされないそうですよ」


「まあ、御託は良いからさっさと見せてくださいよ」


アンドレとマルセル兄弟がそう言ってルイにビック・ペーデスのお披露目を要求する。


彼らはすらっとしたタイプの長身で、人に近い姿をしていた。


「見せる前に賭けをしようじゃないか」


ルイが面白そうに彼らに提案した。


「サイズを当ててみろ。


一番サイズの離れている奴がここにいるヤツらに酒を奢るってことでどうだ?」


「おやおや?」


「隊長、全員同じだったらどうします?」


「それで当たってたら私がお前たちに酒を奢ってやるよ」


ルイの言葉に俄然やる気を出したようだ。


「そんな約束していいの?」


「いいさ、ちょっとした余興だ」


僕の問いかけにそう言ってルイが笑う。


「自信がありそうだから《ジャケット》だ」


「《ベスト》が妥当かと…」


「…《外套》」


「ヴォイテクの旦那、買い被りすぎでしょう?」


皆で楽しそうに予想してる。


結局ヴォイテクは《外套》、アンドレとシャルルは《ジャケット》、オリヴィエとマルセルが《ベスト》と答えた。


ルイはすごく楽しそうだ。


「雪の下に埋めている。


皆で確認するぞ」


どこの世界でも小さい事で賭け事するんだな…


いいな、楽しそうで。


「お披露目だ。


お前たちミツルを甘く見たな!」


ルイがドヤ顔で雪の中から引っ張り出した毛皮をその場に広げた。


皆がそれぞれ驚きの声を上げ、広げた毛皮を眺めている。


「本当にこれをあの人間が倒したのか?


信じられんな…」


オリヴィエが小さい目を大きく見開いて呆気にとられている。


「《外套》より大きいのでは?」


「《毛布》を見たのは久しぶりだ…」


「《毛布》?」


ヴォイテクの言葉に僕が聞き返すと彼は黙って頷いた。


「ヴォイテクが言うなら間違いない。


最大サイズの《外套》の上の特級サイズが《毛布》だ。


お前が倒したのは《毛布》ということだ」


「そうなの?」


「知らなくて良かったですね。


知ってたら絶対戦わなかったでしょう?」


シャルルが僕の心を見透かしたようにそう言って、


「オリヴィエ、マルセル。


下山後が楽しみですね」と笑った。


《ベスト》を選択してた二人が押し黙る。


「ミツル殿の祝いも兼ねて酒場で派手にやりますか」


「酒場があるの?」


僕の問いかけにルイが答える。


「城下にな。


他にも色々店があるから、ビック・ペーデスを陛下に引き取ってもらったら城下に降りる許可を貰うといい。


何事も勉強だ」


「へえ、ちょっと楽しみだな」


異世界の魔王の国はどういう店があるんだろう?


この世界に来てから城外に出ることはあっても、人が沢山いる所には行ったことがないので気になる。


外の食事も気になる。


異世界の街とか妄想膨らむなぁ…


✩.*˚


ミツルはすぐに部下達と馴染んだ。


部下達もあの大きな兎の毛皮を見たら勇者を認めざるを得なかったのだろう。


彼を軽んじていたオリヴィエさえも自分からミツルに戦士の挨拶をしに行った。


ヴォイテクはミツルのおかげでタダ酒が呑めると静かに喜んでいた。


「良かったな、ミツル」


私が声をかけると子供みたいな顔で笑いながらミツルが礼を言った。


「ルイのおかげだよ。


ありがとう」


「少しは自信になったか?」


「うん。


彼らと仲良くなれたから報われたと思うよ」


「俺達はどんな部族だろうが強い奴は認める。


たとえそれが敵だろうが人間だろうが関係ない」


酒に酔ったオリヴィエがそう言った。


その言葉にシャルル達も頷いた。


「弱い者を守ることはあっても、一緒に戦うのは御免こうむりますよ。


我々は完全に実力主義なので、弱い者は隣に立つ事さえ許しませんよ」


「弱いとどうなるの?」


「ひたすら荷物持ちと訓練ですね」


シャルルは穏やかな口調で言ってるが、隊長格の者たちの中でも特に厳しい奴だ。


彼に新兵達を任せると挫折するものが多く出るので、練兵はヴォイテクの担当になっている。


「ミツル殿は戦士の器だと証明されたのですから、我々の部下達も文句を言うものはいませんよ。


さすがペトラ様の婚約者ですね」


「…だ、誰がそんな事を…」


「おや?違いましたか?」


シャルルが不思議そうに首を傾げている。


「ペトラ様から伺いましたが…あの方は冗談でそのような事を言うような方ではなかったかと…」


「ミツル…お前、何とかしないとどんどん外堀を埋められているぞ…」


「またイールに目の敵にされそうだな…」


「強い男には女の方から寄ってくるものだ、喜べ勇者!」


「オリヴィエ、だいぶ酔ってますね。


マルセル、そろそろ酒瓶を取り上げて下さい」


「ほら、オリヴィエ。


明日は山を下るんだよ、酔いが残ってたら辛いのはお前だぞ!」


ワイワイしながら夜が更けていく。


そこに寝室の用意をしに行っていたベティが顔を出した。


「失礼致します。


寝室をご用意致しましたので明日に備えてお休みください」


「ほら、今日はお開きだ!


明日も早いからさっさと支度をして寝ろ!」


ミツルと部下達を寝室に叩き込んで私も暖炉の前で一息吐いた。


「どうぞ」とベティがグラスに入った水を差し出した。


「ありがとう」


礼を言って受け取ると、ベティは何か言いたそうに隣に立っていた。


「何か言いたいことでも?」


「…お母様の事を思い出したので…」


ベティの言葉にはっと彼女の顔を見上げた。


「エドナ様の事か?」


「多分ルイ様に宛てたものだと思うのですが、別荘の兎の敷物の下に手紙を残したと言ってたのをふと思い出しました」


「何故今頃になって…」


もう十年以上昔の話だ。


「申し訳ありません。


ミツル様の倒した兎の毛皮を見て思い出したんです。


まだ残っているか分かりませんが、下山したら取ってきます」


「いや、ベティはミツルらと一緒に城に戻ってくれ。


私が直接行ってくる」


なんの手紙だろう…


部隊に関することならもう遅い気がするが、彼女の痕跡があるなら放っておく事は出来ない。


「ベティ、教えてくれてありがとう」


私がそう言って立ち上がると、ベティが私の袖を掴んで立ち去るのを阻止した。


「…もし」


消えそうな、泣きそうな声にギョッとする。


「手紙を読んでも、ルイ様はお母様の後を追ったりしませんよね?」


「…何を言って…」


「お母様はルイ様のことを《愛してる》と仰ってました。


ルイ様はお母様を今も愛していますか?」


唐突な質問に驚く。


「どうしたんだ、ベティ?何が言いたい?」


「私ではお母様の代わりにはなれませんか?」


大胆な言葉に息を飲んだ。


時間が止まったかと思った。


暖炉の火だけが燃え上がり揺らめいている。


赤く炎に照らされた横顔にエドナ様の顔が重なった。


「…何時いつになったら、私を娘じゃなく女として見てくれますか?


ミツル様に聞いた話は嘘ですか?」


「ベティ…それは…」


言い訳を考えていた時にふと酒の匂いに気付く。


いつ飲んだんだ…


危ない、酒のせいで流されるところだった…


「ベティ、お前酔ってるだろう?」


「酔ってないです」


完全に酔っ払いのセリフだ。


「もう寝ろ、明日は早いぞ」


「ルイ様と一緒に寝ます」


そう言って抱きついて離れないベティをどうするか悩む。


酔っ払っているとはいえ大胆すぎやしないか?


朝起きて今日の記憶がなかったらどうするんだ?!


いかんいかん!理性!理性!


「手紙を読んだら必ずお前の所に戻る。


話はそれからだ」


「本当に?」


「約束するから、もう寝なさい」


何とかそう言ってベティを寝室に押し込むと、私は頭を冷やすために外に出た。


昔はエドナ様に流されて、今度はベティに流されかけた…


母娘とは似るものだな…などと思い、寒空の下で寒気を覚え震えた。


✩.*˚


「一緒に帰らないの?」


朝小屋を発つ時に別行動をとる旨を皆に伝えた。


「野暮用がある。


ミツルはベティ達と先に城に戻ってくれ。


シャルル、後は頼んだぞ」


「お任せを」


「ところでベティはどうしたの?


熱でもあるの?」


赤い顔でフワフワしているベティにミツルが問い質すと、彼女は恥ずかしそうに答えた。


「…間違えてお酒を飲んでしまったみたいです…」


「え?二日酔い?大丈夫?」


「昨日どうやってベットまで行ったのか忘れました」


「すごいね、記憶なくてもちゃんとベットまで行けるもんだね」


ミツルが能天気にベティにそう言った。


私が運んだんだがな、と言いたいところを我慢する。


全く、お節介がとんでもない事になるところだったんだからな!


皆と別れて先に山を降り、飛竜を預けていた部下と合流した。


そこから一頭を借りて、エドナ様の別荘に向かった。


エドナ様の別荘はペルマネス・ニクス山の近くにある。


飛竜に乗って一時間かからない程度の場所だ。


「変わらないな…」


不便な山の中にある小屋はあの日と変わっていない。


また彼女がひょっこりと顔を出しそうな気がした。


鍵は閉まっていない。


誰も来ない山の中だから不用心でも泥棒の心配もない。


なんせここは今ではアンバー王の管理下にある。


手を出せばどうなるか分からない奴はいないだろう。


ベティの言っていた兎の敷物を探した。


埃を被った敷物は応接間の床にあった。


埃の被り方からして誰も手をつけてなさそうだった。


「…失礼」


誰に言うでもなく、独り言を言いながら敷物をめくった。


分かりにくいが、裏地に紙の擦れる音がして、中から古びた手紙が出てきた。


エドナ様の署名がある。


宛名は私だった。


蝋で封をされた手紙を開けると、中から数枚の紙束が出てきた。


彼女は意外と読みやすい綺麗な字を書く人だったが、この手紙の字は歪んでいた。


死を悟り、苦しみながら書いたのだろうか?


心がザワつく。


それでも、と手紙を読み進めるが、すぐに涙で文字を読むことが出来なくなった。


手紙は、私に宛てた謝罪の手紙だった。


『お前の子を産めなかった』と…


驚いたことに、彼女はあの後妊娠したらしい。


異種同士の子供はかなり稀だができない訳では無い。


私にすぐに伝えなかったのは、不安だったからだと記されていた。


できる限り産むための努力はしていたらしい。


それでも、長年戦士として過酷な戦場を駆け巡っていた彼女の身体は悲鳴を上げていた。


半年後に流産し、そのせいで度々出血するようになったらしい。


今まで知らなかった事実に驚きを隠せなかった。


自分のせいで彼女が死んだような気がして恐ろしかった…


彼女の謝罪文を読みながら、私の方こそ知らなかったとはいえ、彼女を苦しめた罪悪感で息が詰まる思いだった。


何も知らずに、生きていた自分が恥ずかしい。


手紙には、流産した子供の骨を引き取って欲しいと書かれていた。


小屋の裏にひっそりと葬られた小さな宝石箱の中に、細く脆い骨が残っていた。


私とエドナの子…


手紙の最後には彼女の愛が綴られていた。


『生きてる者が死んだ者のことを思い続けることを私は望まない。


ルイが自分の幸せのために私を忘れることを望む。


この手紙はルイへの愛の手紙。


ルイに私の謝罪と愛が伝わること、私の分まで生きて、私以上に愛せる人に出会うことを願っている。


ルイ、心から愛していたよ。


私の部下で弟で相棒で恋人だったルイ。


またお前に会って抱きしめられたらと思うが、もう二度と会うことは無いだろう。


ただひたすら伝えたいのはお前を愛してたということだけ。


だから、どうか幸せに生きて欲しい』


「…貴方という人は…なんて身勝手なんだ…」


苦しい…


私だって貴方に憧れて、貴方を思い続け、貴方を愛してた…


一方的に愛を綴られ、私の言葉は届かずに、自分の想いだけ押し付けて…


本当にずるい人だ。


涙を拭い、手紙と宝石箱を大事に懐にしまった。


私にはまだすべきことが残っている。


✩.*˚


「そうか、エドナ…」


私は城に戻り、アンバー王に手紙の存在を伝え、宝石箱を渡した。


「エドナ様の死は私のせいです。


どうか、私に罰を与えてください!」


「落ち着きなさい、ルイのせいじゃないとエドナも書いている」


アンバー王は落ち着いていた。


手紙を封筒にしまって、宝石箱を骨だけの手で愛おしげに撫でた。


「私の孫が入っているわけだ…


私にそっくりな可愛い子だ」


骨だけの不死者リッチの彼が冗談めいてそんな事を言った。


「母親と離れ離れで可哀想なことをした。


こっそり同じ墓に入れてやろう。


もう寂しくないな?名前はどうする?」


「名前…」


「お前は父親なんだろう?


名前くらい考えてやれ」


そんな事考えたこともなかった…


骨だけの我が子に名前をつけるのは難しい。


それでも名前がなくては墓に刻めない…


「アルテュールと…


男の子か女の子か分かりませんが、その名で彼女も満足してくれるでしょうか?」


「気高いいい名前じゃないか。


可愛いアルテュール、生まれ変わっても私の所に来ておくれよ」


アンバー王は嬉しそうに宝箱を撫でながら囁いた。


絹のハンカチを取り出してそっと包むと「君の子だ」と私に宝箱を返してくれた。


「後日エドナの墓に行く時に一緒に埋めよう。


それまでつかの間の親子の時間を楽しみたまえ」


どういう意味なのか分からないが、しばらく預かっておけと言うことみたいだ。


「手紙も、ルイに宛てた手紙だから自分で持っていなさい。


私は他人のラブレターを持っていても面白くないのでね…」


「私への処遇をまだ聞いておりません」


「生きろ、以上だ」


アンバー王はただ一言そう言った。


耳を疑う私に、陛下はエドナの手紙を差し出した。


「エドナの手紙の意味が分からないのか?


お前はエドナの代わりには生きるんだよ。


生きて、苦しんで、愛して、幸せになって、子供を作るんだ。


それがエドナからのお前への罰だ。


他でもないエドナからの願いだ、必ず叶えろ」


「そんな…私はどうすれば…」


「知らんよ、子供じゃないんだ、自分で考えなさい」


反論の余地も与えずハッキリとそう言い、陛下は私を突き放した。


「それに、相談したいなら何にでも首を突っ込むちょうどいい相手がいるだろう?


彼も今恋愛で困っているから、困ってる者通し相談すればいいだろう?


こんな女性と縁遠い私に相談されても困るよ、全く…」


「はぁ、ミツルですか?」


「分かってるならさっさと行きなさい。


あと、部屋に入り浸ってるペトラに私が呼んでると伝えてくれ。


ミツルが帰ってきてからずっと傍を離れないそうで苦情が来ている」


「承りました。


失礼致します」


勇者と王女の邪魔をして来いと命令を受け、王の執務室を出た。


手の中にはあの小箱がある。


手のひらに収まるくらいの小さな宝箱には、先程名前を与えた子供の骨が入っている。


物のようにポケットにねじ込む気にはならないが、ずっと手に持ってるのも目立つ。


仕方ないので持ってきた時と同じように懐にしまった。


「すまんな、アルテュール」


服の上からそっと箱に触れる。


生きて生まれていたらどんな子だったのだろう…


彼女に似ただろうか?


それとも私に似てくれたろうか?


彼女は良い母になったろうか?


私は良い父になれたろうか?


不思議とそんな事ばかり頭を過る。


名前など付けたせいだ…


ずっと目を背けてきた彼女の死の真相を知って動揺しているのだ。


今更、何もかも手遅れだと言うのに、女々しくクヨクヨしてみっともない。


タラレバの話など無駄だと言うのに無駄なことばかり考えてしまう。


今はただ、ミツルと話がしたかった。


彼女のことを聞いて欲しい。


この子の事を知って欲しい。


気兼ねない友人として話を聞いて欲しかった。


✩.*˚


城に戻ってからアンバーにビック・ペーデスを見せるとすごく喜んでくれた。


「そうそう、この骨、この骨が欲しかったんだ!」


「え…もしかして僕お使いに行かされたの?」


「《兎狩り》はそれはそれでやらないと示しがつかないからね。


別に他の者に頼んでも良かったんだが、君の成長のために必要と思って頼んだんだ。


あとこれも渡したかった」


そう言ってアンバーは懐から皮袋を取り出した。


中には麻雀の点棒みたいな細長い金で出来た棒がいくつも入っている。


「ビック・ペーデスは私が買い取らせてもらうよ。


このサイズならもっと多めに用意しておくべきだった、すまないね」


「これってお金?」


「そうだ。一般的に取引で使用される我が国独自のものだ。


純金が十分の九の割合で統一して作られたペコニアが二十本入ってる。


追加でもう二十本用意しよう」


「そんなに貰っても困るよ。


半分はルイに渡しておいてよ」


「ルイはルイで給金を渡しているからこれは君の報奨金だ。


デートにも金がいるだろう?」


「…ソウデスネ」


「心がこもってないぞ。


金もあって美女も居る、もっと喜びたまえ」


「いや、あってるけどなんか違うんだよね…」


「まあ、冗談はさておき、慣れない山小屋生活で疲れたろう?


部屋に戻ってゆっくりしたまえ」


「そうだね、そうさせてもらうよ。


そういえばルイ達が酒場に連れていってくれるって言ってくれてたんだけど、僕が城下に出ても問題ない?」


「一人じゃなければ大丈夫だろう。


何事も勉強だ、行っておいで」


アンバーは嬉しそうにそう言って執務室から僕を送り出してくれた。


その直後ペトラに捕獲されたのは言うまでもない…


✩.*˚


夕食の後、ルイが僕の部屋に顔を出した。


ペトラに「陛下がお呼びです」と告げるとペトラは物悲しい顔で部屋から出て行った。


放っておいたら何時までいたか分からないから正直助かった。


何時いつ帰ってきたの?」


「つい先程だ。


少し良いか?」


「いいよ、なにか飲む?」


「いや、いい。


ベティは席を外しているか?」


「さっき食事を下げて、お風呂の用意をするって出ていったよ」


おかげでペトラと二人きりで何したらいいか分からなかったけど…


ルイが少し落ち着かないように見えた。


何だろうな…


「お前に少し聞いて欲しい話がある。


ベティには聞かせられない」


「え?何?ナイショの話?」


「まあ、そんなところだ」


そう言ってルイは僕に手紙と小さな箱を見せてくれた。


ルイ宛に書かれた古い物らしい。


僕らと別れてから、エドナの家に行ってとってきたとの事だった。


彼の口からエドナの話を聞いて驚いたが、子供が居たのは口から心臓出るかと思うくらい驚いた。


やっぱり避妊って大事だわ…


「エドナは、私に自分を忘れて幸せになれと書いてくれていたが、私だけが幸せになって果たして本当に良いのか…」


「本人が良いならいいんじゃない?」


「お前はあっさりそういうが、子供がいたというのすら今日初めて知ったんだぞ。


自分がそんな薄情な奴だと思うとやりきれない思いだ」


「だって知る由もなかったんだろ?


それは仕方ないよ」


自分も同じ立場だったら笑えないな…


ルイは随分落ち込んでる様子だった。


「ルイは、エドナ以外好きになれないの?」


「分からない…


私の中でエドナの存在が大きすぎるから、ベティを愛してるのか、妹のような気持ちなのか分からないんだ…」


「複雑…」


年齢差とか、エドナの娘だからとかそういう問題以上に、本人がどうしたいのか分からないとか応援の仕様がない。


「ミツル、私はどうしたらいいと思う?」


ルイは真面目で不器用なくせに、昼ドラみたいなドロドロした関係持ってくるとか濃すぎてなんも言えん…


あぁ!コメントに困る!


「まあ…なんというか…


まず、エドナの件はエドナの件だけで処理した方が良いよ。


新しい恋はそれはそれで大事にしよう」


「ケジメをつけろということか?」


「エドナはエドナ、ベティはベティだろ?


一緒にするからややこしくなるんだよ。


あと、幸せになるのはルイだけじゃないからな。


ルイが幸せになったら、僕もアンバーも嬉しいし、今のウジウジした所をエドナには見せられないだろう?


それに君と結ばれる人だって幸せになるだろうし、産まれてくる子供だって幸せにしてあげたらいいんじゃないか?


そしたら全員ハッピーだろ?」


「…そんなもんか?」


「そんなもんだよ」


自分でも適当な事言ってるな、という自覚はある。


でもこんなことでも彼が前を向くきっかけになるならそれでいいと思う。


「とりあえず、ベティには待ってもらえば?


彼女のこと好きなんだろ?」


その言葉にルイは項垂れるように頷いた。


二人で何を言っていいか分からず、変な沈黙が流れている時だった。


ノックの音で静寂が断ち切られた。


「ミツル様、浴場の用意が出来ましたよ」


ベティが出入口の綴織タペストリーから顔を出しす。


彼女はルイの姿を見て驚いた様子だった。


まずい、まだ答えが出てないのにベティに会うのはちょっと気まずくないか?


いや、逆にチャンスと捉えるべきなのか?


「ベティ」


ルイが動いた。


行くんか?!告白すんの?!


「エドナからの手紙を見つけた。


昨日お前から聞いた通り、兎の敷物の下にあった」


「…私…夢じゃなかったんですか…」


ベティの顔が一瞬で赤くなった。


どゆこと?


昨日何かあったの?


「あぁ、お前から聞いたよ。


お前の気持ちも話してくれた」


「はわ!」


真っ赤な顔を手で覆って変な声をあげるベティ。


やだ、ベティめっちゃ可愛い。


「お、お酒のせいです!間違えて飲んだんです!」


そう言って逃げ腰で慌てるベティにルイが歩み寄る。


ルイは彼女の手を握って、彼女前に膝を着いた。


「私がエドナとの過去を清算したら、改めてお前を一人の女性として愛しても良いだろうか?」


「ルイ様…」


「ずるい答えですまない。


今の私の精一杯の回答だ」


ルイは大真面目な様子でベティを見つめている。


二人で動かず黙って見つめあっている。


あれ?僕邪魔じゃね?


どうしようと思っていると、先に口を開いたのはベティだった。


「ルイ様は私を、お母様より愛してくださいますか?」


「努力する」


「私は…半分は人間ですよ」


「問題じゃない、お前のいい所も悪い所も私は知っている」


「私を置いて…死んだりしませんか?」


そう言ってベティの目から大粒の涙が溢れた。


「無理って分かってます…


でも、でも…もう、大切な人を…」


「できる限り足掻いてみせる。


生きる事が許される限り、お前を一人にはしない。


それで勘弁してくれないか?」


そう言ってルイが大きな腕でベティを抱き寄せた。


ベティの小さい身体がルイの胸の中にすっぽりと納まる。


もうこれは二人の世界だ。


完全に僕は空気になってるようだ…


何だよ、やれば出来るじゃないか…


心配して損したよ。


さてと、邪魔者は風呂に入っていますかね…


二人でごゆっくりどうぞ。


僕は二人を残して外に出た。


✩.*˚


「お前、勝手にどこ行ってたんだ」


浴場から戻る途中、廊下でルイにばったり会った。


「あれ?ベティは?」


「恥ずかしがって私を突き飛ばして逃げてしまった…」


「何でそこもうちょっと上手くやらないの!?」


「私だって緊張して何を言っていたのか分からないんだぞ!


手だって震えてるし、変な汗出るし…


私はおかしなこと口走ってなかったか?」


ルイの様子が面白くてなんだか笑ってしまう。


「思ってたよりちゃんと告白してたよ。


やるじゃん、ルイ」


「からかうな!


ダメだ、嫌われたかもしれない…」


頭を抱え込むルイの落ち込みようが半端ない。


「そんなことはないと思うけどなぁ…」


僕とペトラの時は一方的に告白された感じだったからな…


男の方からしっかり告白するのとかカッコイイじゃん。


「そういえば、アンバーからお金もらったんだけど、今度二人で何かプレゼント買わない?


僕はペトラに、ルイはベティに」


「贈り物か…


女性の物は全く分からん…」


「それならアンバーに相談しようか?


何かアドバイスくれるかもよ」


「私がベティと結ばれることを良く思われないかもしれない…」


「なら、尚更先に言った方がいいよ。


後でバレた時の方が気まずくない?


言えないなら僕が付いてってあげるよ。


ルイが《兎狩り》に付いてきてくれたみたいに、僕もちゃんと見届けてあげるよ」


「お前に見届けられてもなぁ…」


不安そうにルイがため息を吐く。


友達だからこういう時こそ力にならないとな…


アンバーはなんて言うか分からないけど、反対するほど野暮では無いはずだ。


「もしアンバーが反対したら、僕が一緒に説得するよ。


それでもダメって言うなら、アンバーに勝てる最強のカードが僕にはあるからね」


「なんだそれは…?」


「ペトラ」


あの世にも恐ろしい不死者リッチの姿をした魔王は愛娘に甘々なのだ。


そんな彼女は何故か僕にぞっこんだから僕のお願いなら何でも聞いてくれる。


「まぁ、確かにそうなんだろうが…


ペトラ様まで巻き込む気か?」


「勇者が魔王相手に使えるものを総動員して挑んで何が悪いんだよ?」


「全く、お前ってやつは…


何を言ってるのかさっぱり分からん…」


呆れ顔のルイに僕は笑って言った。


「全部片付いたら、ルイはエドナに報告しに行くんだろ?


その時は僕も一緒にエドナに会いに行っていいかな?」


「もちろんだ」とルイは頷いた。


「彼女の墓前でお前を友人として紹介するよ。


随分勝手でお節介な友人だとな」


「良い友達だろ」


僕が拳で手の甲を差し出すと、彼も返してくれた。


また少しだけ、僕はこの国に馴染めた気がして、なんとも言えない満足感を感じた。


かくして、僕の兎狩りは、ややこしい恋の相談と共に幕を下ろしたのだった。



END

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魔王と勇者のPKO 猫絵師 @nekoeshi

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