前哨

「何だ、その顔は?」


陛下の怪訝そうな声にハッとする。


随分おかしな顔をしていたのかもしれない。


こういう時は表情が読まれにくい獣人だった方が良かったと痛感する。


いきなり牢を出された理由はこれか…


「恐れながら、陛下こそ、ご自身で何を仰っているのかご理解なさっておいでですか?」


父王は「もちろんだとも」と骨の腕を組んで私に答えた。


「イールにはミツルを連れて、水晶宮までペトラを迎えに行って欲しいと言ったんだ。


私が行っても話を聞かないだろうし、私はペトラが居ないから処理する仕事量が多くて困っている。


補佐としてペトラが居ないと仕事が進まない」


「それは分かりますが…」


何で私が勇者のお守りをしなければならないのか…


「どうした?苦虫でも食べたのか?」


父はそんな冗談を言いながら私の返事を待っている。


私には断る術などない。


ズルい人だ…


行きますよ、行けばいいんでしょう!


「拝命承りますが、なぜ勇者を同行させねばならないのですか?」


「グランス様はミツルを気に入ってくれててね。


あとはお前たちとも仲良くなって欲しいからだな」


なんて勝手な…


もう、さっさと終わらせて帰ってこよう…


「…行ってきます」


うんざりしながら支度をするため陛下の執務室を後にした。


ズルズルと時間を無駄にしたくない。


グランス様の水晶宮までは飛竜に乗れば三時間ほどで着く。


半日の辛抱だ。


そう自分に言い聞かせ、三頭の飛竜を用意して勇者の部屋に向かった。


✩.*˚


キャンプのザックの中にトランプを入れておいて良かった。


マリー、ベティ、アレンの三人にゲームを教えて一緒にしたが、マリーはババ抜きは向いていないようだ。


全部仮面に出てしまう…


「マリー様はゲームに向いていないですね…」


「仮面外したらいいんじゃないの?」


「何言ってるのよ!コレを外すって言うことは服を着てないのと同じなのよ!恥ずかしい!」


プリプリ怒っているのが、子供みたいで可愛い。


「今度こそ勝つわ!」


「何が良いかな?顔に出ても大丈夫なゲームあったかな…」


ポーカーはもってのほかだし、大富豪もなあ…


「スピードとか?」


「何よそれ!?」マリーが食いつく。


「頭使うと言うより反射神経のゲーム」


「そんなの絶対ベティが有利じゃない!」


「うん、僕もそう思う」


猫みたいな反射神経についていける気がしないし、彼女がうっかり本気を出したら、手が机ごと粉々にされそうだ。


「もうトランプしなぁい!」


マリーが拗ねてトランプをぶちまける。


ベティとアレンがバラバラと落ちたトランプをせっせと拾い集めていた。


「マリー様、そろそろ気分転換のお時間が終わってしまいますよ」


「あーあ…もうそんな時間?


お父様の所に戻らなきゃ」


マリーはアンバーの仕事を手伝っているらしい。


いつも手伝いをしているペトラが居ないから代わりを務めているそうだが、それでも彼女ほどの知識はない。


書類の細部まで確認するとどうしても時間がかかるらしい。


「やっぱりペトラ姉様には早急にお戻り頂かないと困るわ」


「他の兄弟は手伝えないの?」


「無理無理」とマリーが僕の意見を鼻で笑った。


「ウィオラ姉様はルキアに付きっきりだし、もう一人頼りになりそうなカストラ兄様は用事で出てるわ。ルイは腕力しかないのよ。


あとの兄弟たちは国境警備やらなんやらで城を留守にしてるわ。


あと執務を手伝えるのはイール兄様くらいのものね…


私ったら可哀想なことに有能だからついつい頼まれちゃうのよね…」


「ははは…大変だね」自分で有能って言っちゃう?


「あんた、今、ちょっとだけバカにしたでしょ?」


そう言って仮面で怒って見せたが、もう慣れたので特に何も感じない。


そんな楽しく話をしていると、壁の向こうでノックの音後した。


「見てきます」と席を立ったベティの姿が綴織タペストリーに消えた。


少しの間を空けてベティが戻ってきた。


少しだけ表情が硬い。


「…イール様です。


お通ししてもよろしいでしょうか?」


「イールが?ホントに来てくれたんだ…」


あの夜、牢のドア越しに話して以来だ。


「いいよ、入ってもらって。


来てくれるなんて嬉しいよ」


部屋に招き入れたイールはローブ姿ではなく、軽装で、袖を絞った動きやすい服装をしていた。


「陛下が、お前を連れて水晶宮に行けと仰った」


拗ねたような口調でぶっきらぼうにそう告げる。


水晶宮といえばグランス様のいる洞窟だ。


「グランス様に何かあったの?」


「姉上がそこに居るらしい。


お前と一緒に迎えに行けとの命令だ」


なるほど、アンバーがそう言ったのなら彼が来たのも納得だ。


道理でいやいや感がすごい訳だ…


「仲直りしたみたいな感じ?」


「仲直りも何も、私はお前の友達じゃない」


相変わらずお堅いな…


徹頭徹尾一貫してるのが逆に笑えてくる。


「行くよ」と答えた僕にベティが声を上げた。


「ミツル様、二人だけで行かれるのは私は反対です!」


「お兄様が途中で何するか分からないですもんねぇ…」


マリーも同意見のようで二人でチラチラとイールに視線を送っている。


「そいつが何もしなければ私だって無駄に干渉する気はない」


「私は付いて行けないからベティが一緒に行ったら?


お父様には私から話しておいてあげるわよ」


「ありがとうございます、マリー様」


「おい!勝手に決めるなよ!」イールが声を上げたが、マリーはどこ吹く風だ。


「お兄様こそ、ミツルに興味ないから知らないかもしれないけど…


このお坊ちゃんは馬にも乗ったことないから、飛竜に一人で乗ったら飛んでる最中に地面と熱い抱擁を交わすことになるわよ。


潰れた勇者を持って水晶宮の門をくぐりたくなかったらベティに預けるのが無難だと思うけど」


「…分かった」と渋々イールが承諾した。


マリーの仮面がベティにウインクする。


「トランプの負けは無かったことにしてね」


負けたことが悔しかったのだろうか?


「…あのぅ…私はどうすれば…」隅っこで小さくなっていたアレンが恐る恐る口を挟んだ。


そういえば居るの忘れてた…


「何だそいつは…人間じゃないか?!」


イールの声が硬くなる。


「アレンだよ。


人間の魔法使いでアンバーが連れてきたんだ。


僕が人間の国のこと知らないから教えてくれてる」


それを聞いてイールが苛立たしげに頭を掻きむしった。


「何で人間が増えてるんだ…


陛下も何を考えて…」


「まあまあ、みんなさっさと行かないと帰ってくるのが遅くなるわよ。


さっさとペトラお姉様を連れて帰ってきてちょうだい。


私だって大変なんだから」


「待て、マリー!この人間も連れていけって言うのか?!」


「人数多い方が楽しいでしょ?


私は仕事があるから失礼するわ」


マリーはそう言い残して、手をヒラヒラさせながら綴織の向こうに消えて行った。


「ああ!もう!分かったよ!


人間!変な真似したら容赦しないからな!」


イールが半ばヤケクソになって吠えた。


イレギュラーが苦手なタイプらしい。


「ベティ!お前がちゃんと面倒見るんだぞ!」


怒りながらそう言って「付いてこい」と部屋から出ていこうとする。


そんな様子を見てベティが苦笑いしながら僕に耳打ちした。


「イール様は段取り通りに行かないと混乱するので合わせてあげてください」


「そんな感じだね」


「おい!聞こえてるぞ!」


よく聞こえる耳だな…


ベティと一緒に苦笑いしながら肩を竦める。


「…ミツル様は…怖くないんですか?」


おどおどとした表情でアレンが問いかけてくる。


彼にとっては魔族が怖くて仕方ない様子だ。


「大丈夫だよ。


口悪いけど動物好きの優しい奴だから」


「魔族ですよ」


「うん、でも君以外はみんな魔族だよ」


僕の返事にアレンは困惑している。


魔族と仲良くしている僕が信じられないらしい。


「そのうちアレンも慣れるよ」


すぐには無理だろうけど、慣れてくれたら嬉しい。


そうなったら、人間との関係も一歩前進できる気がするから…


✩.*˚


飛竜ワイバーンは私の国では王侯貴族の乗り物で、一介の魔術師が一生の間で一度と乗れるものでは無い。


マリー王女の口添えで勇者の同行を許されたが、魔王は飛竜だけでなく、とんでもない宝物を貸し出してくれたのだった。


あの魔王はとことん勇者に甘いらしい…


「どうしたの?」


「…ほ、本当に私もこれに乗ってよろしいのですか?」


目の前には神銀ミスリル製の飛竜船が用意されていた。


眩く磨き抜かれた船体と屋根にはオリハルコンや金銀宝石の装飾が施され、巨大な飛行石が船底にはめ込まれている。


推進力を高めるための魔法の櫂が三対船の両脇に伸びていた。


荘厳なその姿はまるで神の乗り物のようだ。


「今回だけだからな!


本来は陛下以外が乗ることの許されない特別な飛竜船だ。


陛下の温情に感謝しろ!」


イール王子は勇者に念を押すようにしっかり釘を刺しているが勇者は緊張感なく子供のように笑っている。


「すごいね!これが飛ぶんだ!」


「こら!船底に触るな!


これはとんでもなくデリケートな乗り物なんだ!」


「へえ、イールみたいだね」


「お前は本当に一言余計だな!」


イール王子はかなり神経質な性格のようだ。


それとも、わざと怒って勇者と距離を取ろうとしているのだろうか?


勇者のメイドが王子をなだめているがあまり効果は無さそうだ。


船室の中は外見から見たより広かった。


空間を歪める魔法が使われているのだろう。


王侯貴族が遠征などの時に使用する魔法だが、そんな貧相なものでは無い。


勇者の部屋もなかなかのものだったが、一級品の調度品が並び、床から天井まで一つの芸術品として調和が取れている。


ドワーフ族の作った細かい細工の家具に、壁に並ぶエルフ族の手の込んだ綴織の絵画、百年かけて織ると言われる《ヒストリア絨毯》が惜しげも無く床に配されている。


「…はあぁ…」


もう言葉も出ない。


圧巻だ。


一つ一つにどれほどの価値があるのだろう…


自分が如何に矮小で賎しい存在か思い起こさせる。


どうせならこの国で魔法の研鑽を積みたかった…


「どうしたの?」


勇者は随分寛いでいるようだ。


私には彼の図太さを見習えそうにない…


「…落ち着かなくて…」


「お茶でも飲む?」


「お気持ちだけで…」


全く喉を通る気がしない。


それどころかこぼしたりなんかしたら…


「お前の座ってるソファは《プライチェプス》の皮製だぞ!絶対に汚すなよ!」


王子の言葉に私は悲鳴をあげて飛び上がった。


勇者は相変わらず慌てる様子もなくソファに身体を預けて寛いでいる。


「うん、気を付ける…何その生き物?」


「ヨード渓谷の断崖に住む牛の仲間です。


普通の牛の半分位の大きさで山羊に似てますが、性質は荒いので懐かないです。


皮膚が厚く矢も剣も通さない上に、厚い脂肪が邪魔をして狩るのは至難の業です。


革自体の肌触りは滑らかで人気がありますが、特殊な製法でないと加工できません。


様々な分野で高値で取引される牛革です…」


メイドがサラサラと答える。


勇者は私に「知ってた?」と尋ねてきた。


「そりゃぁもう…このソファなら人間の国で豪邸が買えるくらいの値段はします」


大事な本の革表紙に使われたりするが、こんなに大きなソファに使われているのは見たこことがない。


「私の戦闘用の革鎧と手甲も同じ皮です」メイドがそう言って勇者に手甲を見せている。


それだって下手をすれば同じ重さの金より高価な品だ。


「アンバーがくれたの?」


「はい。


私が初めて仕留めたプライチェプスの皮で作ってくださいました。


これがあればミツル様もお守りできます」


メイドは自慢げだ。


そりゃそうだ。


魔王直々に制作したプライチェプスの手甲など見たことがない。


しかも金の魔法陣が複数描かれているところから察するに、ただの手甲では無い。


あの技術も欲しい…


この国は魔術師にとって宝の山だ。


国王があの伝説の賢者という時点で、私の心は揺れている。


勇者に預けられた後も、何度か魔王に呼び出されて様々な質問をされた。


彼は、怯えていた私の想像とは違い、私を一人の人間として丁寧に扱ってくれた。


逃げたりしなければ囚人のような扱いはしないと約束してくれたし、全ての魔法使いが憧れるアンバー・ワイズマン本人に直接問答をすることも許された。


魔王とは人間の敵ではなかったのか…?


私の中でも何か大切なものが揺らぎ始めている。


きっとあの勇者のせいだ…


この脳天気な人懐っこい勇者は、私という人間が三十年近い月日が形成してきた価値観を物の見事に破壊しようとしている。


この国は魔王も勇者も自由すぎないか?


むしろイール王子の反応こそが正しい気がする…


飛竜ワイバーンの用意が出来たから出発するが、絶対に外を覗いて顔を出すなよ、飛ばされるぞ」


「イールは?」


「私は先導竜に乗るからお前たちとは別だ」


「えぇ!かっこいいやつじゃん!」


「……まあ、いい…」


普通に褒められたので悪態を返せなかったのだろう。


まるで子供のやり取りだ。


「ベティ、そいつらから目を離すなよ」


「かしこまりました」


「全く…こんな状況、姉上に何と説明すれば良いんだ…」


ブツブツと口先では文句を言っているが王子は素直に飛竜船から出ていった。


「飛竜って噛み付いたりしないの?」


「噛みますよ。


でもイール様は全ての魔獣を従えられる技量をお持ちです。


第一級の魔獣使いですから」


「魔獣使いって何するの?」


「私には才がないので聞いた話ですが、魔力を使って思考の波長を合わせる事で使役出来るそうです。


集中力が求められますし、知能の高いものほど難しくなるそうですよ。


イール様は精霊より魔獣を使役する方が楽と仰ってました」


「それって人間でも操れるってこと?」


「波長さえ合えばできるそうなので人間も操れるかもしれませんね…合わせたくないでしょうが…」


まぁ、そりゃそうだろうな…


人間を毛嫌いしてるエルフが人間と同調シンクロをしようとは思わないだろう。


「イール様は精霊とは相性があまり良くないのでエルフとしては珍しく精霊の使役が苦手なのだとか…


本来なら親や一族から学ぶ大切な時期に家族を失われたそうなので、伸ばし方が分からなかったそうです。


逆にペトラ様は風の精霊に《愛されている》のでイール様のように苦労されなかったんですが…」


「待ってください!


愛子いとしご》が存在するのですか?!」


愛子いとしご》とは特定の精霊の加護を受けた人間や亜人を指す言葉だ。


文献などでは度々確認されるが、現世で生きているのは初めて聞いた。


特定の精霊が寄ってくる体質で、精霊達を使役できる他、精霊達から力を得ることも出来る魔王に次ぐ存在だ。


ベティは私の顔を怪訝そうに見て口を開いた。


「《愛子》は存在しますが、本当に稀です。


ペトラ様は風の精霊に愛されています。


ウィオラ様の夫のステファノ様も地の精霊の《愛子》でした。」


「何で双子なのにペトラだけなの?」


「それは分かりませんが…


でもエルフの双子は成人までにどちらかが命を落とす確率が高いので、もしかしたらどちらかに精霊の加護が偏るのかもしれない、と陛下は研究していらしてました」


「そんなもんなの?」


「さぁ?私には何とも…」


勇者の問いかけに困ったようにメイドは首を傾げた。


もし魔王筆のその論文もあるなら是非読んでみたい。


この国には私の知らないことで満ちている…


自国でも高名な魔法使いに弟子入りし、多く学んだ。


師の傍で魔法書を読み漁り、多くを自分のものとして習得したが、この国に来て自分の知識がほんの一欠片であったことを知った。


私は他の人より少しだけモノを知っているだけだ。


あの大賢者の魔王にも、長命のエルフにも、この目の前の半獣のメイドにも遠く及ばない…


私はちっぽけだ…


「ベティ殿。


どなたか、私にも真理を教えて頂くことは出来ないでしょうか…


私は魔導師です。


世界の果てを知りたい、知識を欲する者です」


大賢者を、勇者を魅了したこの国には、人間の知らない事がまだまだあるに違いない。


国に残してきた家族には悪いが、私は死んだことにして、この国で勇者の行く末も見てみたいと思った。


✩.*˚


やっと勇者の救助部隊の準備が整った。


秘密裏に準備したため時間はかかったが仕方あるまい。


転送魔法の責任者であるガリウス・エッセの準備も整い、明日の朝に出立の予定だ。


魔法で部隊を送る転送先も何度も確認し、ちょうどいい場所を見つけたそうだ。


《水晶宮》と呼ばれる龍の墓場で、魔族には神聖な場所であり、魔王の手の者は少ないという。


どうやら簡単に制圧し、拠点にすれば魔王国の内情調査にもってこいの場所らしい。


「勇者は見つからなかったのか?」


「勇者は恐らく魔王の城でしょう。


ワイズマン団長は血気盛んなお若い騎士でありますな。


戦において補給ほど重視されるべきものはありません。


それは団長自身がご存知ではありませんか?」


白く長い髭を蓄えた老人は落ち着いた様子でそう言った。


確かに、敵の中枢深く入り込むのだから拠点、比較的自由度の高い、安全な場所の確保が大切なのは分かる。


しかし何故 《水晶宮》でなければならないのだ?


私のいぶかしげな表情に気付いた老師はわざとらしくほっほっと笑った。


「水晶宮は魔物の中でもその存在が隠されている場所なのです。


たまたま弟子が見つけましたが、本来であれば人間にも魔物たちにも教えられない特別な場所なのですよ」


「それでも魔王城まではまだ距離があるのではないか?


こちらの手勢は少ないし、目立つ馬なども持ち込めない。


拠点にするには不完全ではないか?」


「それではお聞き致しますが、団長殿は彼の国をいかほどご存知でしょうか?」


この老人痛いところを突いてくる。


こういったところが私の不信感を煽るのだ。


「ほとんど知らないと言っていいだろうな」


「さすればこの老骨めにお任せ頂いても悪くありますまい。


弟子たちの苦労を思えば、此度の任務を必ず成功させれるようにこの老いぼれめも全力で取り組みますゆえ」


「… 分かった、魔法に関しては私は門外漢だ。


貴殿に任せよう」


「恐れ入ります」と言って彼はゆっくりとした足取りで部屋を後にした。


編成は騎士が八人、魔法使いが三人、神官が一人、冒険者を名乗る者が二人の計十四人だ。


これ以上でも以下でも支障が出る。


騎士達は私の部下だが、それ以外の者は素性も知れない相手だ。


魔法使いはエッセの弟子達で、冒険者を名乗るものたちを連れてきたのもエッセだ。


優秀なのだろうが、あの妖怪のような老人に背中を預ける気にはなれない。


彼を見ていると、どこか違和感を感じるのだ。


どこか相手を馬鹿にして見下しているようなそんな感じだ。


まあ、魔法使いなどだいたいそんなものか…


私は自分の任務を果たせればいい。


勇者は無事だろうか?


可哀想に、何も知らずに魔王に粗末に扱われていないだろうか?


この一ヶ月あまりの間に大変な思いをさせてしまったに違いない。


哀れな勇者を助けてやらねばならない。


勇者とは、《魔王を倒す、人間達の唯一の希望》なのだから…


私は常に首から下げている金の丸十字架を握った。


「大神ルフトゥよ、我らに力と導きを与えたまえ」


祈りで自らを奮い立たせる。


ついに魔王を打つ、足がかりを作る。


勇者奪還の作戦実行は明日の決行の予定だ…


✩.*˚


グランス様は偉大な母神・ヴォルガ様のお姿をそのまま映したような王様だった。


真珠色の鱗は見る者を圧倒する神秘的な輝きで、視力を失った瞳も澄み渡った晴れた空のような群青だった。


エルフや人間のような姿になることもできたが、水晶宮に来てからはもっぱら生来のドラゴンの姿で過ごしていた。


『場所をとって済まないね。


でもこの姿の方が楽なんだ』


そう言って大きな口で笑っていた。


お口にするのは穀物や果実だけで、肉を召し上がることはなかった。


とにかく終始穏やかで、お喋りな我らの王は私達が給仕や身を清めに行くと嬉しそうに迎えてくれた。


『よく来たね』とまるで孫を迎える祖父のように喜んでくれた。


その大王様が身罷みまかられた。


最もお気に入りのエルフの王女様が大王様をお送りしてくれた。


王女様もまた大王様のために涙を流してくださったようで、目が腫れて顔も少し浮腫むくんでいた。


「苦しまず眠るようにお亡くなりになりました。」


そう言って大王様の傍らから離れると、世話役たちに葬儀の用意を促した。


「私は供物を」「私は花を」「私はお身体を清めます」「私は弔いの煙を上げてきます」


皆それぞれ自分の役目を果たすために出ていった。


王女様は大王様から少し離れた位置で立ち尽くしている。


「王女様、湯を用意しますのでお身体を清められませ。


あと食事もご用意致しますのでお召し上がりください」


「お気遣い感謝します。


あなたはまだ若い小鬼ね、名前は?」


「ラピディと申します。


まだ五年目の新参者です」


「そう、ラピディね。


今日まで大王のお世話をしてくれてありがとう」


王女様は私をそう労ってくれた。


私は王女様の労いに瞳を輝かせ、身体は感動で震えていた。


「大王様に直接お役に立てるなど、こんなに名誉なことはありません。


最後までお傍に仕えたこと、一生の誇りと致します」


王女様は私の言葉に笑顔を返してくださった。


湯と食事の用意をするために広間を後にしていた間、王女様は他の者たちにも声をかけて回っていたらしい。


皆、大王様を失い意気消沈していたが、王女様から直接お褒めの言葉を頂き、労をねぎらわれることで少しだけ持ち直したようだった。


しかしその後問題が起きた。


私が戻ると、何やらその場にいた皆がざわついていた。


大王様のご遺体に飾る花を取りに行った者達が姿を消したらしい…


「花が揃わないみたいだが、どうなっている?」


侍従長のボリトス様が周りに訊いて回っている。


何かがおかしい…


王女様の食事を持って戻った私も同じ質問をされたが、私も彼らがどうなったのか知らなかった。


「何かあったの?」


王女様がボリトス様に訊ねられた。


「殿下、実は花係が戻らないのです。


外の花畑から弔花を摘んでくるはずだった五名がいなくなってしまいました…」


「この辺りに魔獣がいるの?襲われたのかしら?」


「そんなはずは…この水晶宮の周りはグランス様のご威光で魔獣などは近寄って来すらしません」


その通りだ。


グランス様の境界を超える魔獣など居ない。


「おかしいわね…


私が周りを確認してくるわ、あなた達はこのまま葬儀の用意を続けてちょうだい」


「そんな、殿下を煩わせるなど…」


「少し確認してくるだけよ。


ラピディ、ごめんなさいね、食事は戻ってからいただくわ」


「私も行きます。


花畑までご案内します」


私は嫌な予感がして王女様に同行を願い出た。


王女様は少し考えてから「お願いするわ」と言って同行を許してくれた。


「こちらです」


私は広間を出て、似たような入り組んだ洞窟をぬけて水晶宮の裏手に出た。


「あそこが花畑です」


洞窟を出た先に真っ白な丘がある。


大王様の愛したニクスアルバの花が一つの丘を埋めつくしていた。


純白の花弁は太陽を浴び、新雪のような白い輝きを放っている。


「…ニクスアルバ以外の花もあるの?」


「いいえ、あそこにはニクスアルバの花しか植えていません。


他のものがあれば管理してる者が整えています」


私の返事に王女様の顔が曇ったようだった。


「ラピディ、すぐにみんなのところに戻って」


王女様はどこか落ち着かない様子で花畑の方に険しい視線を向けている。


私の背を押して元来た道に押し返そうとする。


何事なのだろう?


小鬼族は視力があまり良くない。


エルフの視力には遠く及ばないので王女様に見えたものが分からなかった。


「王女様は…?」


「いいから!早く行って!


ボリトスに門を閉ざして誰も入れないように言って。


あと、狼煙を上げて助けを呼んでちょうだい」


そこまで聞いて何か恐ろしいことが起きていると分かった。


花畑に行った仲間がどうなったか心配だったが、私にはそれを知る術がない。


「私は大丈夫。


精霊の加護があるから簡単に負けたりしないわ。


それよりも皆とグランス様のご遺体を守って」


風の愛子いとしごの王女の事だ。


戦うすべのない自分がいても足でまといになるだけだ。


それよりも仲間に知らせる方が役に立てる。


「王女様、ご無事で…無理はなさらないでください」


「ありがとう。


万が一、私が負けても助けに来てはダメよ。


いい?約束よ。


皆にも守るように言って」


そう言って王女様は私が頷くのを見て「いい子ね」と優しく微笑んだ。


そこからは振り向かぬように無我夢中で走った。


ゴツゴツした石の洞窟を明かりもなしに走り抜けた。


どうか、どうか、ご無事でいてください!


これ以上私たちは何も失いたくありません!


私は祈る気持ちで、早鐘を打つ心臓を無視して広間まで駆け抜けた。

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