第7章 高円寺

 私は東京都杉並区の高円寺にあるアパートに住むことになった。

 大阪時代に比べると、一部屋でトイレも風呂も無く、そのくせ値段が変わらないのだから困ったものだった。以前より狭い部屋で過ごすことに不満はあったが、それでも憧れの東京生活は私の気持ちを高沸させてくれた。

 大阪で働いていた飲食店は東京にもあり、店長に紹介してもらったので、バイトはスムーズに決まってすぐに働けることになった。

 まだまだ音楽で生計を立てることは出来ない以上、生活費を稼ぐ為にはどうしてもバイトをする必要がある。しかし、新しい職場を探したり、仕事を覚えるのは負担も大きい為、同じ系列の店舗で働けるのは有難かった。

 そうして、先に土台固めを終えた私は続けて渋谷にある音楽事務所を訪れた。東京に出る前にそこのオーディションを受けており、無事に合格したのだ。具体的な日にちの指定は無かったが、上京したら訪問するように言われていた。

 後から判明したことだが、事務所といっても所属する者を売り込んだりしてくれるわけでなく、有料のレッスンを受けさせることと、厳しいチケットノルマがあるライブを行うだけだった。

 率直に言って、ろくでもない事務所だったが、似たようなとこは沢山あった。結局は自分の力で成り上がっていくしかない。私は早いうちにそう考えるようになった。

 単身で上京してきていた私は同じ事務所に所属しているメンバーとバンドを組むことになった。それだけは所属する利点だったと言えるだろう。

 他にも音楽雑誌の募集欄を使ったメンバー探しもした。バイト以外の時間は空いていることもあり、初めは三つのバンドを掛け持ちすることに決めたが、やはりそれぞれの曲を練習するのは大変だったので、程なくして事務所で組んだバンドに絞ることにした。

 それはボーカル、ギター、ベース、ドラムの四人で構成されたバンドだった。作曲はギターが担当しており、バンド内では特に秀でた才能を持つ人物だった。原宿のライブハウスでの活動が中心で、曲と演奏に関しては比較的好評だった。

 しかし、ステージ上でのパフォーマンスが地味で目立たず、影が薄くてなかなか覚えてもらえることはなかった。良くも悪くも無難という感じだ。無論、そんなバンドを好むファンも限られていた。

 そのバンドでメジャーデビューできるとは正直思ってなかったが、私は他のメンバーやバンドに負けないように必死に努力した。

 油断していると時間はあっという間に過ぎていってしまう。三十歳になるまでには成功してみせる。そう思うと、のんびりしている暇はなかった。

 ただ結局、そのバンドはボーカルとギターの不仲がきっかけで解散してしまった。私はギターと一緒に別のバンドを始める運びとなる。メンバーは再び事務所から選ばれ、今度はオリジナルでなくオールディーズのコピーバンドとなったが、それも長くは続かなかった。

 数ヶ月の練習の果てに有名なライブハウスで出演のオーディションを受けさせてもらえることになった。そこで合格することができれば、確実により多くの客や、時には音楽事務所の人に見てもらうことが可能だった。

 絶対合格してやるという意気込みで挑んだが、結果はあえなく落選。しかもただ不合格だっただけでなく、前のバンドから一緒にやってきたギターと他のもう一人は使えると判断され、彼等だけは合格となったのだ。

 確かに寄せ集めのバンドではあったが、バンド内で明確に要不要のラインが引かれるのは堪えた。

 その後、皆で飲みに行ったが、合格になった二人は楽し気にこれからのことを話していた。前のバンドから一緒にやってきたギターのメンバーは、もはや私のことなど眼中にない様子で、それも大きくショックを受ける原因となった。

 成果の出ないことへの焦り、この調子で上手く行くのかという不安。

 それは希望を抱いて上京してきたはずの私の胸中に、ドロリとした陰りを生じさせ、じわりじわりと着実に蝕み始めていた。

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