最終章 シングルファーザーとして生きる

 息子が退院するまで一か月かかった。火傷の痕は残らず綺麗に治っていたので安心した。 

 その間、母親が病院に泊まる様子を見せないことから虐待を疑われたりもしたが、私は葛藤の末に否定していた。実際、彼女が明確な悪意を持っているわけではないことは分かっている。親として失格なのは間違いないが。

 息子は退院後、家の近くにある幼稚園に通うようになり友達が出来たりもして楽しそうにしていた。妻も親として最低限の役割は果たしてくれていたので、大きな問題はなく日々を送っていくことができた。

 そうしていよいよ息子が小学校へと上がる頃、シングルファーザーとして生きていくことを決心していた私は、日勤でも帰宅が遅く夜勤まである今の仕事のままでは良くないと考え、夕方には帰宅できる転職先を探すようになった。

 自分の両親に頼れたら良かったが、その頃にはかなり体調を悪くしており、残念ながらとても同居できそうになかった。余計に悪化させてしまうかも知れない。

 私は理想的な勤務時間の仕事を見つけ、そこで働くことにした。工業用ベアリングの製造工場だ。正社員でなく派遣社員だったが、この際仕方なかった。

 初めは新しい業務に不慣れなこともあり、可能な限りお金を貯める必要もあったので、残業や休日出勤は積極的にした。妻や義母のいる内は何の問題もなかった。

 息子が小学校に入って少し経った頃、妻が出て行く日も近いという時に教師から気になることを言われた。

 「学習障害の可能性があるので、一度カウンセリングを受けてみてはいかがでしょうか?」

 私は愕然とした。まだ問題が増えるのかという気持ちだった。どうやら息子は授業への集中力が著しく低いらしかった。

 紹介されたカウンセラーの先生にテストや診察をしてもらったところ、学習障害とは診断されなかった。

 ただ、注意欠陥の傾向があると言われ、子供向けの、物事に集中し易くする薬を処方された。あまり気が進まなかったが、副作用は夕方に少しぼんやりしてしまう程度で効果も如実にあるようだったので、飲ませるようになった。

 それからは特に問題もなく、息子がもうすぐ小学二年生になる頃、遂に正式に離婚して妻が出ていく日になった。もちろん義母も一緒だ。

 どうやら息子にどちらと住みたいかも聞いたようだが、「お父さんと」と迷わず言ったそうだった。わざわざそんなことを聞いて、果たして妻はショックを受けたのだろうか。もはや彼女の真意を知る由もない。

 私と息子の二人だけの生活が始まった。

 息子は小学校が終わると19時まで預かってくれる学童保育に行き、私は仕事が終わると迎えに行く。どうしても残業しなくてはならない時もあり、そんな時には親切な近所の人が預かってくれていた。これほどまでに他人の優しさが沁みることはなかった。

 工場の仕事は受注の量によって増減する。初めの頃は忙しい日々が続いていたが、ある時から仕事が減るようになった。残業や、休日出勤どころか、平日が休みになることもあった。それは決して良い兆候ではなく、派遣の身としてはいつ切られてもおかしくない状況を指し示していた。

 その為、私はこれからのことを見据えて、市役所に相談しに行ってみることにした。私のようなひとり親の子育て支援をしている課があることを聞いたことがあったのだ。

 すると、とある国家資格の取得を勧められた。調べてみたところ、その資格を必要とする求人は多くあり、実務経験を積めば給料も十分な金額となるので、もし取得できればこれまでとは比べものにならない安定を得られそうだった。

 それからは週に一度の講義を受けながら、限られた時間で必死に勉強するようになった。自分の為だけでなく、息子の為にも絶対に合格しなければならないという思いは、私を今までにないくらいの集中力で頑張らせてくれた。

 およそ4ヶ月後、私は試験を受けた。それからすぐに工場の雇い止めが宣告されたので、合格発表が出るまでは失業保険と単発のアルバイトで生活を賄っていた。

 いよいよ合格発表の日となり、私は掲示板を見に行った。自己採点では合格点を越えていたが、何かミスがあればどうしょう、と不安な気持ちでいっぱいだった。もし落ちていれば、先の見えない暮らしに逆戻りだ。

 結果、私は合格していた。それを見た瞬間、一気に肩が軽くなるのを感じた。

 資格が取れたおかげで新しい仕事はあっさりと、決まった。見習いの立場となるが、正社員だ。このまま実務経験を積んでいけば、順調にキャリアアップしていけるだろう。これまでは暗雲が立ち込めてばかりの人生だったが、ようやく視界が開けたように思えた。

 その頃には息子も高学年となっており、自分で出来ることも随分と増えていた。私への気遣いまで見せてくれることもあって、自慢の息子だ。

 元妻との仲も悪くはない。息子への情も全くないというわけではないようで、時折会って一緒に出掛けたりしている。

 そうして、私はようやく一つの山を越えたのだと実感できた。絶望ばかりだったこれまでとは違い、今は確かな希望を持って前に進むことができていた。

 これから先にもきっと多くの苦難の壁が待ち構えているだろう。それでも、私はかけがえのない息子と力を合わせて歩いて行こうと思う。

 以上が私の辿ってきた人生である。それは艱難辛苦の連続だった。改めて追想してみると、そう思えた。

 どれも自らの選択の結果ではあるが、あまりに理不尽に感じられる出来事もあった。何度も挫けそうになったし、死にたくなったことも山ほどある。それでも、その度に何とか立ち上がって両足を進めてきたからこそ、今の私があるのだと思う。

 人生百年時代などと呼ばれる現代では、私はまだ折り返し地点だ。無論、そこまで健康に生きていけると思っているわけではないが、ただ、ここで一度これまでの半生を振り返り、文章として残してみたいとふと考え、こうして筆を取ってみた次第だ。

 それは今後のことを考える自分の為であるが、同時にこれを読んでくれる見知らぬ誰かの為でもある。この文章を読むことで何か伝わるものがあれば幸いだ。

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晴れているのに今日も雨 tetsuya. @tetsuya0629souya

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