第11章 息子の入院と固まった決意

 新しく息子を家族に迎え入れた生活が始まった。

 私は正社員として勤めながらも、育児における妻の負担が減るように可能な限り努力した。やはり想像に違わず赤子の世話は大変だったが、自分の子供が成長していく姿を間近で見るのは楽しかった。

 しかし、妻が嬉しそうにしている姿を見ることはなかった。いつ見てものっぺらぼうのように冷めた顔をしている。家事や育児も淡々と作業のようにこなしているようだった。感情的に文句を言ってくるようなこともない為、表面上は穏やかな関係だ。

 ただ、彼女の身には徐々に変調が起き始めていた。ストレスによるものか、髪の毛が抜けて薄くなっているようだった。病院に通っていたが、改善の様子は見られなかった。私はこのままではまずい、何とかしなければと危機感を覚えた。

 息子が2歳になった頃、私は何とか復調して欲しかったので、意を決して新居を購入することに決めた。中古の家だが、周囲の豊かな自然が気に入った。

 これならきっと妻の精神にも良い影響があると思った。また、妻の母親も同居することになった。私が仕事にいない時間も妻の支えになってくれると考え、快く了承した。

 それからしばらくは穏やかな日々が続いた。表面的には上手くいっているように感じられていた。しかし、ある日、大変な事件が起きた。

 私が仕事を終えて帰宅すると、風呂場から子供の泣きじゃくる声が聞こえてきたのだ。慌てて駆け込んだところ、全身を真っ赤に腫れ上がらせて痛ましい姿の息子と必死に水をかける義母の姿があった。どうやら火傷のようだった。だが、こんなにも広範囲の火傷など日常では早々ない。

 息子は私の姿を見るや否や、義母の手を振り払ってこちらに飛び込んできた。酷く怯えている様子だった。私は詳細を問い質そうとするが、妻は平然とスマホを操っていた。救急車は既に呼んでいると言ってきたが、それにしても子供が怪我した状況ではあり得ない態度だった。これではまるで赤の他人のようだと思った。

 程なくして救急車がやって来たので、腹の内で沸々と煮え滾るものを感じながらも、今は息子のことを優先した。私は迷わず同乗したが、妻と義母は家の車でいくとのことだった。

 たしかに全員が乗ることは出来ない様子だったので、その案を渋々受け入れた。だが、息子のことを気遣うなら妻も同乗すべきであり、義母の為に仕方なくそうしたなどとはとても思えなかった。

 病院に到着し、息子はすぐに治療室へと運ばれた。私は付いて行くことは許されず、不安気に「パパ!パパ!」と呼ぶ息子を見送ることしか出来なかった。その可愛そうな姿に思わず涙が雫れ落ちた。

 治療が済むのを待つ間、私は椅子に座って自分を責め続けた。どうしてこんなことに。もう少し早く帰って来ていたら。そんな言葉が頭の中を巡り続けていた。息子の身体が完璧に治りますように、と必死に天に祈る。

 やがて、治療室から出てきた息子はそのまま入院病棟へと運ばれて行った。医師には火傷の状態と今後の展望を聞かされた。もちろん命に別状はないが、二週間程度は入院しないといけないようだった。

 しばらく経ってから妻と義母は姿を見せた。どうやら救急車のすぐ後ろに付いてきていたわけではないらしい。その呑気な態度に私は激しい苛立ちを覚えた。それでも、怒鳴り散らすような真似はせずにグッと堪えて、一体なぜこんなことになったのかを問い質した。

 どうやら息子が電気ポットのケーブルに足を引っ掛けてしまい、中のお湯を被ってしまったようだ。事故で仕方なかったのかも知れない。

 しかし、子供が動き回る範囲でそういった事故が起きないようにするのは当然ではないか。どちらかが注意深く息子の様子を見ていれば、そんなことにはならなかったのではないか。そう思わずにはいられなかった。

 私は医師から聞いたことを話し、まだ幼い息子を一人にするわけにはいかないので、交代で泊まり込む必要があることを伝えた。しかし、付き添い用のベッドを見た妻はそこでまた耳を疑う言葉を口にした。

 「こんなギシギシうるさい音がするベッドじゃ寝られない。私は家にいる」

 私は怒りを通り越して呆れるしかなかった。自分の腹を痛めて産んだ子にそこまで興味が持てないのか、と。

 私はこの時点ではまだ、どこかで彼女を信じたいと思っていた。きっとこれから良い家族になれると考えていた。その為なら私も譲歩するつもりだった。

 しかし、これを聞いた瞬間、もう無理だと確信した。そんな妻の発言に何も言わない義母も含めて、私にはとても理解できない。

 以前彼女から言ってきたように、息子が小学校に上がる頃には離婚することを決意する。その後はもう妻に対して怒りが湧いてくることはなかった。

 

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