第8章 詐欺と借金

 私はまたしてもバンドが解散になり、しばらく手持ち無沙汰となっていた。

 バイト以外の時間は家でベースの練習をするしかない。しかし、前回のように新しいバンドへの所属は決まっておらず、宙ぶらりんの状態が酷く不安を煽ってきた。

 居ても立ってもいられずに事務所を訪ねたところ、偶然ベーシストの先輩と出会ったので相談してみた。

 「なら、俺がやっている演奏の仕事をしてみないか?掛け合ってみるからさ」

 先輩の仕事とは、ホストクラブのハウスバンドでの演奏だった。それからはそこに一緒に上がらせてもらうようになった。やはり客前で弾くのが良い練習になり、私以外のメンバーはベテラン揃いで、その上、給料まで出ているのだから自分を鍛える場としては理想的だった。

 それからは昼間は飲食店でアルバイトし、夜になるとホストクラブやキャバクラといった店での演奏を行うようになった。

 その間、新しいバンドは組まずにいた。こちらで実力を磨こうと考えた為だ。実力不足からクビになることもあったが、いくつかの店やハウスバンドを転々としながら5年程は続けた。 

 着実に歳を重ねて気付けば三十路となっていた私は、再び自分でバンドを始めることに決める。三十路になるまでに成功してみせるという願いは果たせなかったが、今こそメジャーデビューの為に全力を尽くそうと思い立ったのだ。

 ただ、そうなると当然一つの資金源が失われ、空いた時間はバイトで埋め尽くさなくてはならなかった。加えて、メンバーの年齢層はこちらにあわせて上がってしまい、誰もが自分の生活に必死な為、どうしても集まってバンド練習をする為に確保できる時間は限られていた。週に一度あればいい方だった。

 そんな状態ではバンドの人気が出るはずもなく、ライブのチケットが売れずに日々の出費は嵩む一方だった。生活にも困るようになっており、私の精神はすっかり摩耗していた。自分はどうして演奏しているのだろうか。そう疑問に感じるようになっていた。

 にもかかわらず、バンドを続けなくてはならない、プロにならなければならない、という奇妙な義務感に駆られていた。それゆえ、今にして思えばあまりにも胡散臭い提案にも飛びついてしまう。

 「僕は音楽プロデューサーでね。150万払ってくれれば、君達をデビューさせてあげられるよ。」

 私達はそんな甘言に惑わされ、なけなしの貯金に加えて借金までして支払ってしまった。その話を持って来た者とはすぐに連絡が取れなくなった。

 私に残されたのは借金だけだった。生活費にも困窮し、更に借金を重ねるしかなく、もはやどうしょうもなくなっていた。

 もう辞めるしかない。諦めるしかない。これ以上、夢を追うことは出来ない。

 それが追い詰められた私が辿り着いた結論だった。その後はバンド活動を完全に辞めて、借金を返す為に一日中バイトするようになった。

 何の為にこれまで頑張ってきたのだろう。子供の時に夢見た姿はこんなものではなかった、しばらくの間はそんな文言が頭の中をぐるぐると巡っていたが、次第に薄らいでいった。バイト漬けの日々に疲弊し、考える気力も失われていたのだ。

 生ける屍。そう形容するのが相応しい状態だった。感情を喪失し、ただただ働き続ける。

 やがて、努力の甲斐あって確実に借金が減ってきていた。そう遠くない内に返済が完了するだろう。しかし、それに気づいた私の感情は無だった。

 返済が完了したところで、それからどうするのだろう。自分にはもう何も残されていない。夢も、希望も。空っぽのままどう生きていけば良いのか、私には分からなかった。

 そんなある日、父親から連絡が来た。こちらが不義理な態度を取っていたこともあり、もう何年も前から連絡はなかったので驚いたが、その内容はそれ以上に驚かされるものだった。

 「銀行に千五百万の借金があるが、仕事が無くなってしまい、とても返すことができない。助けて欲しい。」

 そう言われた私は絶句するしかなかった。このままでは担保に入れている家を失うことになるらしかった。手放せば借金は返せるようだが、父にとっては念願の一軒家だった。それを失うことがどれだけの哀しみを与えるだろう。

 ただ助けたい気持ちは山々だが、自身も借金に苛まれている私にはどうしようもなかった。ひとまずは可能な限り仕送りをするという形に落ち着いた。

 私が若ければ出来ることもあったのかもしれないが、既に36歳だった。そんな歳で良い収入を得られるとも思えなかった。夢にうつつを抜かしていなければ。真面目に現実を見て働いていれば。そんな考えが脳裏をよぎる。胸中に激しい後悔の念が生じる。

 それでも、今更何をしたところで時計の針が戻るわけではない。私は苦心惨憺の果てに一つの決意をする。

 三重の実家に帰ろう。今から何が出来るかは分からないが、両親の為に出来ることをしょう。空っぽだった私の中に親孝行の念が芽生えたのだ。

 それは、中学時代に焦がれた夢を断ち切った瞬間だった。もはや一度は目指した頂を再び仰ぎ見ることはなく、私は帰郷の準備を始めた。

 

 

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