タイトルから「陰陽師と怪奇が出てくるグルメ要素ありの小説なんだな」とわかるんですが、それだけじゃありません!
何と言っても、キャラクターとその絡みが面白い! あけすけな物言いは、相手をグサリと刺したり、ピシャリとハタいたりするようで容赦ない上、時にめちゃくちゃ雑対応なのですが、そこには深い愛情があるのがしっかりとわかります。ドタバタふざけ合うキャラクターは本当に楽しそうで、そんな彼女たちを読者は愛さずにはいられません!
そして、もちろんオカルト要素も盛り沢山です。作者様からは再三、真に受けないようにと言われているのですが、やはりこの作品は豊富な知識に裏付けられていると私は思います。作者様がたくさんのことを知っているからこそ、その事柄を登場させることができるし、それらを遊ぶように料理して読者に振る舞うことができるのだと思います。蘊蓄めいた紡さんの呪語りは、面白いものを読みたい欲求だけでなく、好奇心まで刺激してくれます。
加えて、見事な伏線回収! 連作短編である本作は、一話ずつに伏線が張られ、回収されていくミステリーでもあります。また各エピソードのタイトルに「序」「急」とあることからもわかるように、非常に構成がしっかりしています。それは謎解きだけでなく、ドラマ等の様々なエンタメ要素をより魅力的に、面白く読者に届けてくれます。
さらに、それに絡んでくるのがグルメ要素。巧みな描写に「わかる~!」とか「美味しそう!」、「自分もまざりたい!」と思うこと間違いなしです!
すでにたくさんのことを並べましたが、これだけではありません。毎度飛び出す様々な衣装も本作の魅力です。普段目にしない、なんなら聞いたことすらないような衣装がこれでもかと出てくるんです。
ここまでが、私の思うこちらの作品のフォーマットです。お馴染みの要素、でも、だからといって単調にならず、まったく飽きることがない。むしろ楽しみ!
これらのコメディ要素満載の、お決まりの流れに慣れた頃にやって来る変化球もたまりません。シリアスなテーマがずっしりと胸に迫ったり、背筋がスッと冷えたり、感情移入して泣けてしまったり。
読み進めながら「こんな面白い小説が50万文字も読める!」と喜んでいたのが、終わりに近づくにつれ「50万文字しか読めないの!?」と段々寂しくなっちゃうくらいに満喫しちゃいました。
そんなにも楽しめたのは、私が作者様の書く文章自体も好きだった、というのもあると思います。言葉選びが面白くて、かつ、とても的確にいろんなものを表現されていて。物凄くセンスを感じました。
長々書きましたが一言で言うと、大好きです。
是非たくさんの方に読んでいただきたい作品です。
キャラクターもストーリーも。きっと愛さずにはいられないですよ!
感想は書けどもレビューを書くのはほぼ初めてでして…
しかしそんな自分にもレビュー書きたいなと思わせる『食と怪奇と陰陽師』でございます。
少々お時間を頂ければ幸い至極。
すでにしっかりと素晴らしいレビューが置かれているので、今回は個人的に注目して欲しいポイントをお伝えしたく。
ずばり、ファッションです。
各回、テーマとなる呪やそれにまつわる食事が非常に魅力的な作品において、もう一つ、推していきたいのが紡さんとつばきちゃんのお洋服。
基本的に紡さんはジェンダーレスのブリティッシュスタイル、つばきちゃんは大正ロマンあふれる和洋折衷なイメージが多いですが… それと同じくらい、一癖ある(笑)お召し物が多い。
衣装持ちというレベルを超えて業者か?となる勢いの種々様々、古今東西、これがあるから実写化されて欲しいまであります。
つばきちゃんの民族衣装シリーズは毎度可愛さにゴロゴロしておりました。
見知った名前から「この服ってそんな名前だったのか」とググってから分かる感動、というか辺理さんの知識はどこまで多岐に渡るのか。
各回のレシピと一緒に二人のファッションリストも作れそうなバリエーションの豊富さと、折に触れて挟まれる変T ───
作品の端々まで、どの角度から切り込んでもハートを掴まれる魅力。
一粒で二度も三度も楽しめる物語です。
文字媒体において視覚的魅力はどうしても読み手の想像力を必要とし、興味が無ければ読み飛ばしてしまうだろう要素であります。
しかし「この人はどんな服装をしているんだ?」と思わせググらせるほど、キャラクターに魅力のある本作。
ぜひご高覧あれ。
本作を酷く短く語るならば、食と、日常と、呪、或いは怪奇現象を綴られた物語。
話は陰陽師と警察官の女性二人主人公に据えて進むが、一つ一つの会話や出来事からはしかと感情や情景が伝わり、文章を読んでいるのにしっかりと映像を想像できるかのよう。
一つのコンセプトとして怪奇現象を取り扱っているため、ミステリーやホラーとしての一面が垣間見えるものの、登場人物、特に主人公のコミカルな会話や思考によって重苦しさや恐怖が和らげられ、とっつき易い内容となっています。
また何より特筆したいのが、食べ物や酒のなんとも旨そうな描写について。
味は匂いまでも思わされるそれぞれの描写には、それぞれの話毎に「今日はこれを食べよう」「昼だけど一杯飲んでしまおう」と思わせられる魅惑的かつ、蠱惑的な危険な一面を内容しております。
これからこの話を読まれる方、どうかご注意下さい(笑)
このご作品はタイトルの通り、
「豊かな『食』の描写を読んで飯テロ食らいたい!」
「浮世に蔓延る『怪奇』の謎と脅威に慄き、その真相と深淵を味わいたい!」
「拗れた呪いを見識や考察を武器に解いていく、知性派『陰陽師』のクールな活躍が見たい!」
このいずれかに該当する方はぜひ御一読ください!
ただそれには留まらず、基本的に一話完結で本当に色々な性質のお話が盛りだくさんなので、結局のところこのレビューを目にした全ての人に対してオススメしたいです!
同じ純愛が描かれていても救いのあるものとないもの、トラブルの原因が神であるものから人であるもの、完全なギャグエピソードから容赦のない死が描かれるものまで…。
これがこうと言ってしまうとネタバレになるのでできませんが…個人的なオススメは第十八話「占いのウラ」です! 同時並行で描写される謎解きと出来事のスピード感と、吸い込まれるような伏線回収の鮮やかさたるや、もはや快感を覚えるレベル…。
と、このように、読者諸氏の性格によってお気に入りのエピソードが変わってくる、どのお皿を取っても美味しい極上のアラカルトのごときご作品かと拝察いたします! 是非ご賞味あれ!
主人公の桃子さんは現職警官であることを除けばごく普通の人…と言いたいところですが、作中人物からも作者様からも我々読者からも雑に扱われイジられ放題である、彼女の特異な人間性は特筆すべきものがありながら筆舌に尽くしがたく…とにかく面白い人というのは、読んでいただければ分かります!笑
主にストーリーを進めてくださるのは、ある日桃子さんが出会う…隠れ家カフェ風の奇妙な家に住んでおられ、酒や煙草がやたらと似合うダウナー系やさぐれ陰陽師の紡さん。
仕事のできるカッコイイお姉さんなのですが、食と怪奇を結びつけた独自理論(ただし正鵠を射ていることも多い!)を語り出すと止まらなくなる、料理以外の私生活がだらしない、口が悪い、自動運転の邪魔をする(読めば分かりますがほんとにやってるし危ない!)、実は住んでる場所自体がヤバい、等々、魅力的な欠点も沢山お持ちの方です!
そして、序盤のあるエピソードで加わる後発レギュラーメンバーの…名前を出すとネタバレになってしまうあの子が加わることで、このご作品の人物関係は(事件解決の役割分担的にも、会話を回すポジション的にも)初めて完成を迎えると言って良いでしょう!
換言すると彼女の登場以降を目安に、良さそうなエピソードを摘み食いというスタイルに切り替えてもいいと思われます。
…と言いつつやはり、フルコースとして最初から最後まで堪能していただきたい! そんなご作品です!
「見立て」の技法というのは、日本文学史上、私の学んだ範囲では少なくとも江戸時代から明確にありまして、例えば『好色一代男』の井原西鶴時点での俳諧なんて、この「見立て」がなけりゃなりたたぬのです。ええ、西鶴時点の俳諧はまだちょっと上手いこと言ったもん勝ちな節がある。
その後、落語とかでも花が咲いた技法ですね。勿論落語家の皆様方が手ぬぐいや扇子を箸に見立てたり、キセルに見立てたりというところ……なんなら演目の「長屋の花見」だとか「貧乏花見」って言われるやつは、そもそもの内容がこの「見立て」に基づいておりまして、大根のかまぼこ、たくあんの卵焼き……うん、これ以上の薀蓄はお呼びじゃござんせんね。
とはいえ、それらは娯楽としての「見立て」に過ぎず、じゃあ本来的に「見立て」はどこから始まったのだろうと考えますと、ずばり「呪術なのでは?」という私見を持っております。
かの『金枝篇』を記したフレイザーは「呪術」というものを「類感呪術」と「感染呪術」の二つに分けました。
が、結局これは「見立て」の想起の起点を「事象・物体間の類似性」に持たせるのか、「本体と分離体の過去時点での一体性」に持たせるかの話でしかないのです。
「ないものを(そこにあるものを元に)あるように想起する」のが「見立て」であれば、予祝の神事など全て「見立て」であると思うのです。
え? 薀蓄はお呼びじゃないって自分で言っただろ?
うん、まあ、前置きが長くなるのが玉に瑕……とまれ、だからこそ、最初びっくりしたのです。
ミルクレープ、おいしそう!
……からの、そうくるの!
……と、同時に、そんな簡単に使ってええんですか、どう考えても大技だよ、大盤振る舞いでは?(でも物語の始まりに相応しい衝撃でわくわくする、天地開闢想起もできなくはないよね)みたいな気持ちも無きにしもあらず。
さて、「見立て」は「ないものを(そこにあるものを元に)あるように想起する」ので、当然その「見立て」の正しい見方を承知していなければ、物事を誤認するというもの。西鶴のやっぱり『好色一代男』でしたっけ、伏せたすり鉢を見て「この富士山の焼き物はなんじゃろな」してた良家からのお嫁さんの話って。うん、私の中で印象に残ってる例なだけです。
そして、この「正しい見方」とは「見立て」が対象とする事象と結果の間に筋道を通す、いわば「道理のフィルター」と申せましょう。
怪異とはその道理が普通見えぬが故に、「そういうもの」とされるか、「それ以外のもののせい」として見落とされてしまうのが現代の世の常。
そんな現代の世の常たる秩序を守る警察官と、そうした怪異を「正しい見方」で道理を通して、その「見方」に沿って解決への筋道を作る陰陽師、なんていう同じ世界に生きながら、現代において交わることがそうそうなさそうなこのコンビ……いや逆に秩序の中の混沌的なところがあるんじゃないか、この婦警さんの性格。
そう考えるのであれば、混沌に秩序を見出す陰陽師である紡さんと、秩序である警察の中の異端である混沌の桃子さんはまさしく太極図のようにも見立てられるのでしょう。
うん、白と黒に赤を添えるのもデザインとしてはまたありありのアリのものですしね、うん。
……とまあ、長々と好き勝手に書かせていただきましたが、最後に。
これは単純に好みなんですが、時々今昔物語の各話みたいなタイトルになってるの好きです(〜が〜したる語みたいなの、ぴしっと決まる感あって好き)