第11話 マリサの掟
マリサが海賊になると言いきってから、オルソンはその準備のために陸でマリサを鍛えることに専念することとなった。午前中は読み書きだけでなく、社会事象や政治、知識や貴族の立ち振る舞いを教えるほか、日によって息子たちを交えて銃や剣の手ほどきをし、午後は今までどおり使用人としての仕事を任せた。
息子たちは再びマリサと一緒に勉強をすることができ喜んでいる。ただ、目的を知ってるのはイライザとデイヴィスだけであったので、執事のトーマスや他の使用人たちはこのことに疑問を持つしかなかった。
「やれやれ……奥様が亡くなられたと思ったら今度は領主様の道楽かい……。マリサに銃や剣の手ほどきをしてどうするおつもりなのだろう」
首をかしげるジョナサンにトーマスは笑うしかなかった。
「道楽というよりもマリサへの責任っていう事かな。ともかくマリサの身に何かあったという事だ。まあ我々は静観をしようではないか。領主様のなさることに間違いはない。このことをメアリー達にも釘を刺しておかないとな」
トーマスはこれも何か意味があり、マリサの将来に関わることだと考えていた。
マリサが8歳の時にアーネストと騎士ごっこをし、なりゆきで初めて剣の相手をして木刀をアーネストに差し向けたマリサはマデリンの怒りをかった。あのときにぶたれた頬の痛みはいまだに心に傷として残っている。
だが、オルソンはこのときにマリサが相手の動きをみて自分の動きを考えられることができると見抜いていた。そしてそれは形となり、マリサはその頭角を現す。
(船にはもっとうまい剣の使い手であるギルバートがいるが……その基礎を覚えさせておけば大丈夫だろう)
こうしてマリサはオルソンの期待通り練習に励んでいった。
1703年。自分の生まれた日も本当の年齢もわからないまま、マリサは13歳になっていた。幼い子どもであったマリサは成長をするにつれ体が丸みを帯び、胸のふくらみや腰のくびれができ、体つきが大人の女性へ変わっていきつつあった。衣服も大人の服を少し詰めたぐらいで着ることができていた。
イライザはマリサに縫い物を教え、下着となるシフトドレスやブラウス、服を自分で縫わせていた。大好きなイライザと同じような服を着ることができるようになり、マリサは喜んで縫っていった。
やがてマリサは船に乗るだろうとイライザは複雑な思いに駆られながらもマリサに家事を教え、自立を促していく。
オルソンは今まで読み書きなど教える対価として使用人の手伝いをさせていたが、一人前に仕事ができていることから給金はマリサ個人に支払うようにした。労働の対価とお金を受け取ることでマリサはその有難みを感じていく。
屋敷の中で一番若い使用人となったマリサはマデリンの事件から表情をあまり変えることがなくなり、周りから距離を置くようになっている。ただ、マリサを慕う息子たちはことあるごとにマリサに声をかけていた。
「おはよう、マリサ。今日こそは君を打ち負かせられるかな」
マリサと互角の勝負を続けるアイザックはとにかくマリサの相手になることが嬉しい。
「おはようございますアイザック様。私にとって稽古は遊びではありません。その時その時が勝負です」
そう言うマリサは息子たちにはときどき笑顔を見せる。マデリンが亡くなってから怖い視線を気にすることがなくなったからである。
夏の暑い日差しの中、庭で剣の稽古や銃の稽古に励むマリサ達。庭にはあの四季咲きのバラも咲き誇っており、ジョナサンが言っていた危険な一角はまだ健在である。オルソンはときおり、街の闇業者から有毒植物の固体や種などを入手して根付くかどうかを試している。おかげで危険な一角はそのスペースを広げつつあった。
ある日マリサが次の稽古のために準備をしていると何か不思議な感覚が下半身をおおった。今までにない感覚だ。
(……何これ……?)
その感覚に不安を覚えていると足に何か伝っていくのが分かった。恐る恐るスカートの裾を持ち上げてそれがなんであるか確かめる。
訳が分からず混乱するマリサ。オルソンはとっさにマリサに何が起きたか理解し、イライザを呼ぶ。
「マリサ、今日は稽古も使用人の仕事ももうやらなくていいからイライザと帰りなさい」
そう言ってイライザに様子を話す。息子たちは何が起きたかわからず、マリサと稽古ができないことを残念がった。そんな息子たちを適当な理由でなだめながら、オルソンはついにそのときが来たことを知った。
(お前はこれで船に乗れば慰み者として見られてしまうだろう。自分で自分の身を守ることをやらねばならんぞ)
そしてオルソンはある計画を思いつく。
家へ帰ったマリサはイライザからそれが月経であることやその手当ての仕方を教えてもらう。
「もうあなたは大人の女となったの。男社会の船上では女は慰み者でしかないのよ。それでも船に乗るの?」
イライザの問いにゆっくりと頷くマリサ。
「母さん、私は慰み者にはならない。約束する」
マリサの心は変わらない。イライザは涙を流しながら祈るしかなかった。
心地よい風が吹く秋となり、デイヴィスが航海から帰ってくる。イギリスを相手にしない海賊(buccaneer)としての活動は順調で、船の所有者であり擁護者でもあるオルソンのもとへ取り分をもってきたのだ。浪費家のマデリンが亡きいま、緊迫していた財政を立て直すことができており、それを使用人たちも実感していた。
長男アーネストはマデリンが選んだ令嬢との交際が続いており、やがてはこの家の跡を継ぐこととなっている。領主であるオルソンが海賊行為に加担していることは息子たちや使用人たちにも機密事項であるが、誰も詮索をしないのはお金が回るようになったからか。
「デイヴィス船長、マリサは剣と銃の扱いや火薬の扱いなども身につけており、もう船の連中と同格レベルとみてよいだろう。後は荒くれ者の連中がどう迎えるかだ。お前の娘であっても連中はマリサを一人の女としかみない。だから『海岸の兄弟の誓い(海賊間のルール・海賊によって内容は異なる)』だけでなく、マリサ個人とデイヴィス船長・イライザとの間に掟をかわしておけ。」
オルソンの目はいつになく厳しい。
「マリサ個人に対する掟ですか?それはどのような」
「仲間として船に乗る以上、自分の身は自分で守ってもらわねばならん。これを見てくれ」
オルソンは机に1枚の紙を広げる。そこにはこのように書かれていた。
掟その1,女であることを武器にしてはいけない。娼婦のように体を武器にして誰かれなく抱かれてはいけない。武器は剣と銃でありそれ以外はない。自分の力で自分の身は守らねばならない。
掟その2,女であることを忘れてはいけない。そして結婚するまでは体を許してはならない。
「娘を娼婦とみられたり、あばずれとみられたりするのはお前たちも本意ではないだろう。特に2つ目の掟は敬虔なキリスト教徒であるイライザが一番気にかけることだ。海賊であっても婚前交渉などもってのほかだ。これに対する始末は船長であり、親であるお前の役目だ。もしそのようなことがあればすぐさまマリサを船から降ろし、相手を殺してしまうことだ」
オルソンが書いた掟書をみてデイヴィスは頷く。
「船に乗るのなら身持ちのよい仲間として乗ると言うことですな。連中は常に女に飢えているから相当の覚悟がマリサには必要でしょう」
「そうだ。それで本当にその覚悟がマリサにあるのか、私は試してみようと思う。マリサは『女』になった。体つきももう子どもじゃない。連中だけでなく世の中の男から身を守ることができるかそれを試したい」
「承知しました。領主様、マリサの覚悟が本物であることを祈りたい反面、そうでないことも期待をしております」
デイヴィスは複雑な思いだった。本心はやはり陸でイライザと暮らしてほしいと思っている。
「君の気持ちはわからんでもないよ。どちらになっても私はマリサの後見人だからちゃんとフォローはするつもりだから安心したまえ」
オルソンの言葉に寂しそうな表情をするデイヴィス。それはイライザも同じ気持ちであった。
体つきが大人になりつつあるマリサは夜間も他の使用人と混じって仕事をするようになっていた。それはごく当たり前であり、自然なことであった。使用人頭のメアリーも一人前にまじめに仕事をこなすマリサを可愛がり、気にかけてくれている。
オルソンと息子たちの夕食の手伝いや片づけをしながら、マリサはやがて船に乗ることを頭に描いている。今やっている家事も必ず船でも役に立つ、そう思って働いた。
「マリサ、領主様の部屋にこのお酒とりんごを持っていって頂戴。そうそう、皮をむくナイフも忘れないでね。よくわからないけどなんだか話があるそうよ。私たちは片づけものがたくさんあるから手が離せないの。」
メアリーが忙しそうに動き回っている。
「わかりました」
マリサはさっそく厨房のテーブルに置かれたトレーを手にした。お酒はトーマスが酒蔵から持ってきたものだろう。リンゴは庭に植えられているものだ。ジョナサンが手入れをしっかりするので今年も害虫にやられることなくと今年もたくさん実をつけていた。
オルソンが待っている寝室は、あのマデリンの一件を見てしまった部屋だ。マリサにとって思い出したいものではなく、トラウマにもなっている。それだけにこの部屋に来ることは正直、気が乗らないものだった。
「失礼します。お酒をお持ちしました」
声をかけて部屋へ入ると夜着でくつろぐ領主、オルソンがいた。この時間では今まで住み込みの使用人が対応していたが、なぜかマリサが呼ばれたのだ。
「やあ、遅くにすまないね。マデリンが亡くなって以来、どうも夜が寂しくてね……」
そう言ってオルソンは酒をグラスに入れるとマリサに勧めた。
「いつまでも子どもじゃないだろう?海賊は酒のたしなみも必要だからな」
予想しなかったオルソンの言動にマリサは戸惑いを隠しきれない。
「……領主様、それは使用人に対する命令ですか。それとも……」
「まあ、どちらもだ。気にせず飲んでごらん。船の酒はもっと強いからな、今のうちに少し慣れておくことだ」
オルソンは再びグラスをマリサに向けると笑みを浮かべる。
「承知しました。命令であればいただきます」
いくら体つきが大人になりつつあるからといっても酒は初めてである。しかし従順なマリサは命令ならば飲まないといけないと思い、よくわからないまま酒を一息に飲んでしまった。
たちまち体が熱くなり、頭がのぼせるようになる。その様子にオルソンは思わず苦笑する。
「初めての酒をそのように一息にのむとはお前もなかなかのものだな」
「はい、領主様……頭が熱くなってしまいました……」
マリサは頭がくらくらして仕方がない。これがお酒というものかと納得しながらも初めてのことで体がついていかない。
「お前は剣や銃・火薬の扱いも身に着けた。船には剣の使い手が他にもいるからあとは彼らに相手をしてもらうといい。確認するが、慰み者がどういうものかお前はわかっているのか」
「……間違っていたら申し訳ありません。私は奥様とあの画家の関係かと思っています」
「なるほどな。其れは間違いだといえるし間違いでもないとも言える」
そう言ってオルソンは小さなため息をつくと、いきなりマリサに抱き着きベッドへ押し倒す。
「領主様、何をなさるのです?」
マリサは混乱してオルソンの腕の中でもがく。意味が全く分からず体中に恐怖が襲った。
「慰み者というのは男に抱かれて慰めるということだ」
オルソンはそう言いながらマリサの衣服をずらしていく。必死に抵抗をするマリサの力は大人の男の力に到底及ばない。
「やめてください!」
小柄なマリサの身体は覆いかぶさっていたオルソンから何とかすり抜ける。とっさに視界に入った皮むき用のナイフを手にすると、考えもなくオルソンの腕を切りつけた。
左上腕から血を流す領主オルソン。それを見てマリサは自分が行ったことの大きさに全身が震え、ナイフを落とした。
「……フフフ……合格だよ、マリサ。お前が船に乗ることを船の所有者として許可しよう。お前が慰み者の意味を知っているのか、そして自分の身を守ることができるのか試したのだ。怖い思いをさせてすまない」
オルソンはハンカチを取り出すと傷口に巻いていき、マリサに結ばせる。
「……私は領主様の身体を傷つけてしまいました。私は罰を受けなければなりません」
体を震わせているマリサ。
「心配するな。この傷は私がうっかりして手が滑ったとでも言っておくから安心しなさい。今日のことを常に頭に置き、女であるお前が船に乗ればこのような目で見られることを肝に銘じておくことだ。それよりも……」
そう言ってマリサを見てオルソンが再び苦笑する。
「そんなことよりも早く服を整えなさい。言っておくが私はお前のような胸の小さな女は好みじゃない。マデリンの様に豊満な胸の女性が好みでね」
オルソンに言われ顔を真っ赤にするマリサ。
「領主様、それは言葉が過ぎます!私だってそのうち奥様に負けないような体となります」
慌ててはだけている服を整えるマリサ。
「お前はまるで手本の様に主人に従順でまじめに働くことができる。それは使用人として褒められることだ。だが男社会の、しかも海賊として生きるのなら『従順』はときに身を危うくする。いいかマリサ、身を守るためには従順を捨てなければならないことがある。それを忘れるな。船に乗るにあたり、お前とデイヴィス船長・イライザとの間の掟書きを作っておいた。それについては船に乗る前に私の目の前でかわしなさい」
オルソンはマリサがこの屋敷へ来たころを思い出す。あの小柄でやせた幼児が海賊を目指すなんて予想できただろうか。
「承知しました、領主様。」
「もう用件は済んだから下がってよい。次の航海から船に乗るよう、準備をしなさい。これはデイヴィスにも言っておく。それからお前の服にも血がついてしまったが、それは私の手当てをして汚れてしまったということにしよう」
そう言ってオルソンはトーマスを呼び、マリサを下がらせた。
しばらくしてトーマスがやってきて、血で汚れたシーツの交換を住み込みの使用人に言いつける。そして薬を傷口に塗っていった。
「これは尋常じゃありませんな。何が起きたのです?」
トーマスはこの『事件』の真相が気になって仕方がないようだ。
「マリサにリンゴをむいて食べさせようとしたのだが……いや、それは表向きの理由としよう。領主の特権として生娘のマリサを試そうと思ったがあっさりと返り討ちにあったよ。これが真相だ」
オルソンは名誉の負傷とばかりに傷を何度も眺めている。
「領主様、それは廃れたも同然の『初夜権』の行使というものでしょうか。」
「そのように思われても仕方がないな。しかし残念ながらマリサは私の好みではない。トーマス、マリサは船乗りになると言ってきた。お前も知っているだろうが、船に客人以外で女が乗るのは娼婦であったり慰み者であったりする。私はマリサにその覚悟を試したのだ。そしてそれがこの結果だ。もう心配ないだろう」
「そうでしたか……まあ、今お聞きした話はここで止めておきます。洗濯は多分マリサがすることになるでしょう」
「私も次の航海からまた船に乗るつもりだ。留守の間、息子たちが事件を起こさないように頼む」
「承知しました。領主様」
オルソンが留守の間はトーマスが責任をもって屋敷の切り盛りをしなければならない。オルソンの人柄や屋敷の隅々を知っているトーマスをオルソンは最も信頼していた。
こうしてマリサは船の所有者であり、海賊の擁護者でもあるオルソンから乗船許可をもらい、航海に加わることとなったのだった。
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