第14話 マリサ・お嬢様と間違えられる~物語のはじまり
1708年7月19日。大西洋にあるイギリス植民地、グリンクロス島に一隻のフリゲート艦が入港し、一人の海軍士官が下船する。まだ若い士官はフレデリック・ルイス・スチーブンソン。優柔不断なところがあるが毒のない男である。彼は通常の海軍としての任務のほか、今回グリンクロス島総督に着任したウオルター氏からの依頼の調査結果を報告するため、屋敷へ向かうことになった。そして乗っていたリトルエンゼル号の艦長から、ウオルター総督がスチーブンソンと娘との結婚話を持ち掛けていると言われたことも理由の1つだった。
(総督への報告はともかくとしてなぜ結婚の話がでたのかわからないが……貴族のお嬢さんと結婚することで昇進に有利となるなら受けとめるだけだ。なにより、お母さんが一番乗り気だ。お母さんが喜ぶならそれでいい)
なんでも先に母親のことを考えるところがあるスチーブンソンは勧められるままに総督の娘と結婚をしようと思っていたのである。スチーブンソンは総督の屋敷までの道のりを急いだ。
屋敷では総督他使用人たち、そして総督の娘でありスチーブンソンの結婚相手ともなるシャーロットが出迎える。シャーロットは金髪で少しふくよかな女性だった。それは貴族としては当たり前の発達であった。
「ようこそ、スチーブンソン君。さっそく例の報告を聞こうじゃないか」
総督は彼を執務室へ招き入れると依頼した件の報告を受ける。
「……そうか。あの子は無事に成長をしているのか。シャーロットと双子であることが幸いしたな」
総督はほっとした表情をみせた。
「それが……これは海軍と海兵との調査で分かったことなのですが、彼女は現在”青ザメ”という海賊(buccaneer)の頭目をやっております。名前はマリサ。イギリスを相手にしない海賊であり、敵国の船を襲撃しているということで我々は彼らを捕らえる考えはありません。女海賊ということで目立ってしまったようですね」
「……海賊……やはりそうなったか……。それにしても名前をそのまま使っているということは、名前を知ったうえでさらったということだな。」
総督は驚きを隠せない。
「名前を変えなかった理由はわかりません。総督閣下の御推察通り、彼女は”青ザメ”の仲間にさらわれた後どうやって育てられたのかはわかりませんが、とにかく無事に成長をし、今や女海賊として名をはせております。船の名前はデイヴィージョーンズ号。時として商船として動きながら海賊行為を行う時代遅れの海賊です」
スチーブンソンの説明に総督は黙り込む。”青ザメ”の関係者にさらわれただろうとは察しがついていたが、よりによって海賊になっているとは思いもよらなかった。だが、無事に成長していることは喜びだった。こうなれば何としてもまっとうな娘として取り戻したいと思った。
「報告を確かに受け取ったよ、スチーブンソン君。明日はシャーロットをまじえてこれからのことを話そう。今日はしばらく一人にしてくれ。そう、あの子……マリサのことを考えたい……」
総督はそう言って目をつぶった。海賊であるなら何かしら手をうたないと海賊は処刑の対象であり、今は討伐対象でなくても戦争が終わればわからないからである。
「承知しました総督閣下。明日またここへ参ります」
スチーブンソンはその場を後にする。
マリサのことはその日のうちに乳母や当時から屋敷に仕えていた使用人たちにも情報がもたらされる。特に自分の不注意でマリサをさらわれた乳母は涙が止まらず、立ち尽くしていたほどだった。
屋敷では心穏やかではないシャーロットが不安げに部屋中を歩き回る。緑豊かなこの島で楽しく暮らそうと思っていた矢先、いきなり結婚の話を父親に言われたからである。
(私はまだこの生活を楽しみたいのに……結婚するなら自分で相手を見つけたいわ……)
ぶつぶつ言いながら翌日、士官が再びやってくることを危惧していた。
(こうなれば逃げるだけよ)
生まれながらにやせっぽちで発達が遅れていたマリサと違い、シャーロットは赤ちゃんのときから体格が良く、体の発達だけでなく表情も豊かだった。これまでにも何回か結婚話がなかったわけでもないが、自分はまだ早いと断っていた。
そして不注意でマリサが行方不明になり責任を問われた乳母のランドー夫人だったが、ウオルターはあえてその仕事に従事させていた。産後すぐに母親が亡くなったため、どうしても乳母は必要だったのだ。ランドー夫人はシャーロットが成長した今も養育係として働いている。
「お嬢様、シャーロットお嬢様、お聞きになりましたか。さらわれたマリサお嬢様のことを」
シャーロットが部屋を歩き回って計画を練っているときに老いたランドー夫人が駆け込んでくる。
「お父さまが何年も探しているマリサの話?見つかったの」
「ええ。先ほど海軍士官様が調査結果を報告に来られ、マリサお嬢様の無事と近況が分かったとのことですよ。今は船に乗って各地を巡っているようです」
「船で各地を巡る?なんて素敵なことかしら」
シャーロットは目を輝かせて答える。マリサが何をやっているかウオルターはランドー夫人に話してはいない。マリサが海賊の頭目をしていることにウオルター自身が動揺しているからだった。そのため
「こうなれば一刻も早くお会いしたいですわね」
ランドー夫人はやせっぽちの幼児だったマリサを思い出し涙目だ。それはシャーロットも同じであったが、会いたい気持ち以上に自分も自由に生きたいと思っていた。
グリンクロス島はプランテーションが広がる緑豊かな島である。決して大きな島ではないが水や食料の補給地としても重要な役目を担っており、港はいつも賑やかだった。奴隷たちがプランテーションで農業に従事する傍らで、海岸部では漁業に従事するものもおり、魚の加工場も作られている。港は漁船や商船、そしてときどきイギリス海軍の船が入港していた。
ウオルターの総督着任とともにこの島へやってきたシャーロットはグリンクロス島をとても気に入り、お付きの者と散策を始めていた。
7月20日。港へ一隻の船が商用のため入港する。3本マストのシップ型である”青ザメ”の船、デイヴィージョーンズ号である。”青ザメ”は一般の海賊と違い、ときには商船として航海をすることがあった。それは”青ザメ”と知ったうえで物を運ぶことを依頼する者がいるからだった。もしも海賊にあっても”青ザメ”なら立ち向かえるからである。
そしてこの日シャーロットが自由を求めて屋敷から
港へ馬車が到着し荷台から降りたシャーロットはそのまま店が立ち並ぶ賑やかな一角へ出た。活気に満ちてワクワクする場所でもある。
(今日もあの士官さんが来る。きっとお父さまは結婚の話をもちだすわ。私はお父さまの言いなりにはならない。私は私よ)
ウオルターが総督として着任して間もないので幸運なことにシャーロットの顔は知られていない。これをチャンスだと思っている。
そこへ誰かが叫び声をあげる。
「強制徴募隊だ!男はみんな逃げろ!」
たちまち男たちが逃げ、隠れる。露店の人々、加工場の人々、そして飲み屋の人々や経営者も大慌てである。海軍へ強制的に入隊させる強制徴募隊は恐怖の対象だった。おりしも世の中はスペイン継承戦争中であり、人員の確保は必須だった。逃げ遅れた何人かがそのまま入隊となるのだ。みたこともないこの様子にシャーロットは胸躍った。
(なんて素敵な世界なんでしょう。面白いわ)
そうしてきょろきょろしていると誰かが声をかけた。
「マリサ、ここにいたのか。さあ、店に戻って商談を続けよう」
振り向くと肩が広く体格の良い男がいた。船乗りである。彼がマリサと自分を呼んだことでランドー夫人の話を思い出す。
(この人は私をマリサだと思っている……。ということはマリサの船が港に入っているということね。絶妙なタイミングだわ)
シャーロットはこの幸運を神に感謝する。偶然もここまで来ると神業である。
「ええ、行きましょう」
シャーロットは男の言われるままに店へはいってしまった。
一方、この日もウオルター総督のもとへ訪れたスチーブンソン。今日はシャーロットとの結婚の話を進める手はずである。彼は特に好きな人がいるわけでなかったが、今回の話は市民と貴族の結婚という人がうらやむような話である。そんな結婚は滅多にない。スチーブンソンの母親はこの話に大乗り気でまるで自分が結婚するかのように喜んだ。これは総督に何か事情があってのことだろうと思ったが、先々の昇進に有利なら利用したいと彼は思っていた。
「わざわざ来てもらってすまないね。マリサのことについてはどうしてやるべきか考えがまとまったよ。さて例の話をすすめようじゃないか」
ウオルターはそう言ったとき、使用人が慌てた様子で執務室へ駆け込んでくる。
「ご主人様、お嬢様が……家出をされました。部屋に書置きがありまして……」
使用人から渡された書置きを読むとウオルターは他の使用人たちに捜索を命じる。そして使用人だけでなく島の役人にも声をかけた。
「こんなことになって申し訳ない、スチーブンソン君」
うなだれるウオルター。
「では僕も彼女を探します。馬を借ります」
この場合、自分は彼女を探すべきだろうと判断したスチーブンソンは馬を借り、屋敷を飛び出す。
彼は港まで来ると、ちょうど強制徴募隊が現れて人々が逃げ隠れしているところだった。
(やれやれ、艦長は人材集めに熱心だな)
強制徴募隊につかまった哀れな男たちを横目にスチーブンソンはシャーロットの手掛かりを探す。
(逃げるならこの街の雑踏か船だろう)
港は逃げ隠れした人々が顔を出し、再び活気を帯びてきた。どこかにシャーロットがいないか一人ひとり女性の顔を見ては探していく。
そうしてある飲み屋の近くへ来たとき、誰かが馬の近くでバランスを崩して倒れた。
「どこみてんだ、道は歩くためにあるんだぞ!」
気の短そうな娘が立ち上がるや否や怒鳴り込んでくる。スチーブンソンは馬から降りて慌てて謝罪をした。
「申し訳ありません。お嬢さん、大丈夫ですか」
「気をつけろ、このバカ!」
娘が顔をあげたとき、スチーブンソンと視線が合ってしまった。その娘こそ、海賊の頭目であるマリサなのだ。
「……ミス・シャーロット・メアリ、こんなところに?みんな探しているんですよ」
スチーブンソンは驚いた様子でそう言うと娘を力づくで馬に乗せる。この日デイヴィージョーンズ号がグリンクロス島の港へ入っていた。そして偶然にもシャーロットとマリサは同じ港町にきていたのである。
「人違いだ!あたしはシャーロットなんかじゃない、降ろせ、この野郎!ぶっ殺すぞ」
急なことに抵抗する娘だったが、やがて暴れようとしなくなりおとなしくなる。海賊であるマリサは今闇雲に暴れることはせず、どこかに到着してからこの士官を殴ろうと考えていたのである。
そうして二人を乗せた馬は総督の屋敷へと向かう。
やがて馬はサトウキビ畑に囲まれた大きな屋敷へ入っていく。マリサがスチーブンソンに馬から降ろされるや否や再び災難がふりかかる。
「お嬢様のお帰りですよ!はやくご主人様をお呼びになって」
小太りの女が大声で他の使用人たちに言いつける。彼を殴りつけるどころか今度は自分がこの女に抱き着かれることとなった。
「一人で出かけてはダメだと申し上げたではありませんか。婆やは悲しゅうございます」
と言っておいおい泣きわめく。よほど心配をしたのだろう。
「町は陸に上がった荒くれものがいっぱいです。女一人で出かけては危険が伴います。まして総督の御息女となると下手をすれば海賊どもの餌食になりますよ」
スチーブンソンは失礼とは思いながらもマリサをシャーロットと思い込み、説教じみたことを言う。この一言にカチンときたマリサが小太りの女を突き放し、思い切りスチーブンソンの顔をひっぱたく。
バッチ~ン!
マリサに平手打ちを食らい、スチーブンソンは倒れこんでしまう。周りの使用人たちは言葉を失い呆然としている。人違いでこんな場に連れてこられたマリサもたまったものではない。
「だから人違いだって言ってるだろうが、この海軍野郎!あたしはあんたたちが探してるシャーロットなんかじゃない、名前も……」
そう言いかけたところで
「マリサ……だね」
と背後で声がした。
「そう、そのマリサだよ。商用のため船でこの島へ来ている。え?」
自分の名前を言われて声がした方向を向く。そこには使用人からシャーロットが見つかったことを知らされたウオルター総督がいた。
「あんた……誰?」
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は先日このグリンクロス島の総督として着任したばかりのウオルターだ。スチーブンソン君にはシャーロットの捜索を手伝ってもらっていた。確かに人違いであることには間違いない、それはお許し願いたい。だが……お前も私の娘であることは違いないのだ。だからお前の名前を呼んだ」
マリサを知るものは限られているはずだ。それをなぜこの総督が知っているのだろう。総督はマリサを観察している。警戒するマリサ。
「お前はどこに住んでいるのだね。言葉のアクセントからして本国のようだし、その日焼けぶりはまるで海上で生活をしているふうでもあるが」
そう言われてどう返したものか考えあぐねた。
「……海賊”青ザメ”の船、デイヴィージョーンズ号に乗っている、そうでないのかね」
事実を言われてマリサの心臓は破れるかのように大きく鼓動をした。
「なぜ知っているのか教えてやろう。マリサとシャーロットの実の父親であるロバート・ブラウンは”青ザメ”の前頭目だった。お前がさらわれた時、私は察しがついていた。だからこれまで手を尽くして”青ザメ”の行方を追った。そしてとうとう現在の頭目が女であることをスチーブンソン君から聞いた。お前とシャーロットは双子だ。間違えられるのも無理はない」
総督は何もかも知っている。しかも海軍とつながっている。もはやヤバい以外何ものでもない。ただマリサにも言い分がある。
「確かにあたしは”青ザメ”の頭目だよ。イギリスを相手にしない海賊(buccaneer)だ。海賊(pirate)じゃない。だからこの島には普通に商用で来ている。悪いがあたしはここには用がない。出航にむけて準備があるんだ、シャーロットの捜索は自分たちでやっとくれ」
そう言ってさっきの馬にまたがり、スチーブンソンに言い放つ。
「スチーブンソンさんとやら、あたしはあんたみたいな男が一番嫌いだ。こんどあたしに手をかけたら本気でぶっ殺す!」
この言葉に屋敷の女中たちが震えあがったが、総督とスチーブンソンは全く動じない。
「シャーロットと間違えたのは本当ですよレディ。でも僕はまたあなたと会うことになるでしょう」
彼の一言がマリサの発火点に火をつける。
「あんたの船の名は?」
「イギリス海軍フリゲート艦リトルエンゼル号に乗船しております。この島へは女王陛下の特務で来ております」
「よし、覚えておく。あたしを怒らせたらろくなことにはならないことを思い知らせてやる」
マリサの言葉にも彼は余裕の顔だ。その事にはらわたが煮えかえる思いをしながらも用を思い出して馬を走らせた。
この日偶然が重なり、幸運にも探し求めていたマリサに会うことができたウオルター。喜びを感じながらも今すぐにやるべきことはマリサを船から降ろし、処刑を逃れさせること。そのためにある考えをまとめる。
(スチーブンソン君、君ならマリサを任せられるだろう)
そしてウオルターの思惑通り、スチーブンソンはやがて”青ザメ”の監視兼人質としてデイヴィージョーンズ号に乗り込むこととなる。
こうして海賊マリサと海軍士官であるスチーブンソンの物語が始まったのだった。
マリサ・時代遅れの海賊やってます~幼少編~ 海崎じゅごん @leaf0428
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