第13話 あたしはあたし
デイヴィージョーンズ号が出帆してまもなく、マリサはさっそく不調に見舞われた。デイヴィスの見立て通り、初の船酔いになったのである。
(船酔いってこんなに厳しいものなのか……)
船尾にもたれてぐったりしているマリサだが、船に乗ることを後悔しているのではなかった。航海には船酔いがつきものだと知っていたが、陸では経験できなかったからである。そのマリサの姿を見てデイヴィスが微笑んでいる。
「これが俺たちの洗礼ってもんだ。そのうちに体が慣れるよ。心配はいらねえ。ベテランでも船酔いはことあるごとにするもんだからな」
デイヴィスの言葉にマリサは片手をあげて返事をする。声を出す元気もなかった。
やがて船に慣れ、吐くものもなくなったせいか、マリサはようやく体を動かすことができるようになり、連中の動きを見ることとなった。
帆に関することは掌帆長のハーヴェーが風を見て連中に指示をしている。ここではそれぞれのリーダーに自分の役目の権限で指示を出すことができた。あのオルソンは砲手長を務め、持ち場を切り盛りしており海戦がないときはもっぱら大砲や銃の整備をしている。そしてマリサに脅しのような挨拶をしたグリンフィルズはギャレー(厨房)で連中の食事の用意をしていた。
「頭目としてのマリサの役割は海戦の時に乗り込み組として相手に切り込んでいく仕事だ。死にたくなかったら腕を磨け。そして高いところにも慣れておけ。鐘檣にのぼって周りの様子を見ることや、連中とヤードにのぼって帆の縮帆や展帆を手伝うことを経験をしていくんだ。ここでは『できない』という言葉はない。海軍様と違って人員が少ないんだ。だからどの持ち場でもはいれるようにすることだ」
そうデイヴィスに言われたため、マリサはまず高さに慣れることから始めた。屋敷での仕事で高さのあるものはなかった。高いところに上るのはそれぞれのリーダーに頼んで教えてもらうことになった。
マストを支えている静策に対して横に張られたシュラウド。これを足をかけてマストへ登っていくわけだ。しかも連中を見ているとまるで競争をしているかのように動きが速い。恐る恐る上るマリサは体が震えている。そんなマリサを掌帆長のハーヴェーが温かく見守っている。その目つきは娼婦を見る目ではなく、子供の成長を楽しみにしている親のような眼だ。
「大丈夫だ。1か月もすれば慣れるだろう。シュラウドはともかく、乗り組み組であるならロープで船から船へ移動することが前提だ。それは実戦で身につけるしかないな」
ハーヴェーの言葉はマリサの耳には入らない。高さという恐怖でいっぱいだからだ。ようやく鐘檣までくるとメーソンがマリサの手を引いてくれた。
「ようこそ、姫。ここからの眺めは最高だぜ。今からいいものを見せてやる。お宝を最初に眺められるのはここにいる者の特権だ」
そういってメーソンはまだ体が震えているマリサの身体を支えながら望遠鏡をマリサに手渡し、右舷前方を示した。
勧められるままに望遠鏡をのぞくと水平線に帆船の姿が小さく見えていた。旗を見るとスペイン船である。
「さあ、マリサ。せっかく上ったところだが直ぐに降りて船長に報告してこい。スペイン商船がそばにいるとな」
「は、はい……」
マリサの目は点になった。また怖い思いをしておりていくのだ。もう悩んでいては進まない。マリサは無我夢中でシュラウドを降りていく。そしてなんとか降り立ち、デイヴィスのもとへ駆け寄った。
「父さん……じゃなかった。デイヴィス、スペイン商船が近づいている。右舷前方だ」
「ほう……。お前にとって初の乗り込みとなるな。いっとくがこれは実戦だ。怖いと思ったらやられるぞ」
そう言ってデイヴィスは連中に声をあげて知らせた。
「スペイン商船だ。みんな、楽しもうぜ」
デイヴィスの声に連中が慌ただしく準備をする。特に乗り組み組となる連中は笑顔ながらも真剣な顔だ。
「マリサ、俺はギルバート。オルソンからお前に剣の扱いを教えるように頼まれている。基礎ほどはできると聞いているからまずはそれを見せてくれ」
黒髪の男が言う。そしてギルバートの横から男が片言でマリサに話しかけた。
「私も乗り込み組の一人だ。名前はオオヤマと言う。よろしくな」
その男は異国の顔つきをしており、見たことがない刀を持っている。おそらく戦い方も違うのだろう。
「はい、よろしくお願いします」
まだ使用人マリサが抜けきらないまま、挨拶を返す。
「海賊旗をあげろ!逃すな」
デイヴィスの声に仕舞われていた旗がするすると揚がり、連中が興奮しだした。
デイヴィージョーンズ号は風をつかむと速度を速め、海賊旗に気付いて針路を変えて逃げようとするスペイン商船めがけてどんどん追い上げていく。身軽な海賊船ならではである。
やがてデイヴィージョーンズ号はスペイン商船に横付けするほどに追いついた。これを機に乗り込み組の連中がロープで移乗していく。マリサも見様見真似でロープをしっかりと握ると、あとはともかく前を向いて移乗するしかなかった。下を向けば怖いだけだからである。
まだ幼さが残る、しかも女とあってスペイン人は油断しているようで、マリサの顔を見ると笑って剣を向けてきた。しかしあらかじめオルソンから剣と銃の扱いを仕込まれていたマリサはおくすることはなかった。すでに屋敷ではマデリンに毒を盛り、オルソンを傷つけている。この経験がマリサの手を動かした。
仏頂面のままサーベルを手にし、男に向かっていく。しかしマリサが決着をつけることなく他の連中がはやくも商船の乗組員を制圧した。商船の乗組員たちは戦い慣れをしているわけではないのであっさりと降伏をしたのである。
「デイヴィス船長、積み荷はたばこと酒。そして通貨としての金貨でした。食料もいただいておきますか」
商船の船内にいた主計長のコゼッティがデイヴィージョーンズ号へ向けて叫ぶ。
「俺たちは礼儀正しい海賊だ。そんな
デイヴィスが言うとすぐに船と船との間に板がかけられ、積み荷がデイヴィージョーンズ号へ運ばれていった。その際、マリサはコゼッティと目が合ったが、コゼッティはマリサの顔を見て舌打ちをし、話すことなく顔をそむけた。
(この人は私とは合わない)
コゼッティの行動にそんな気がよぎる。
マリサはまだ使用人としての従順なマリサと海賊としてのマリサが混在しており、言葉遣いも意識しなければ使用人マリサの言葉のままである。このままでは海賊としての力を出し切れないだろう。デイヴィスはあえてマリサを危険にさらすことを決める。
船はコゼッティの仲立ちで新大陸の植民地で略奪品を売却すると、ニュープロビデンス島ナッソーへ向かった。もともと私掠船として活動をしてきた”青ザメ”はナッソーに立ち寄ることがこれまでにもあった。多くの私掠仲間も集まっていたからである。
しかしスペイン継承戦争が勃発し、スペインとフランスの連合艦隊がイギリス植民地を襲撃するなかで、ナッソーが襲撃されるのも時間の問題だった。
ニュープロビデンス島は土地の起伏がほとんどなく、サンゴの島として知られている。海岸線にヤシの木が多く茂っている島であるが他の植民地に比べればあまり裕福な島とは言えなかった。私掠の連中が出入りすることが多く、必然的に男たちは女を求めることとなった。
酒と女がいれば連中は満足をする。そして男を相手とすることを生業とする女も少なからずいた。
「さあ、思い切り羽を伸ばしてこい。飲むのも女を抱くのも自由だが自己責任だ」
デイヴィスが言うと連中の中から歓声が上がる。
「ほかの海賊や私掠は自己責任なんて言わねえのに、やはりうち(”青ザメ”)は時代遅れだけでなく変な海賊だな」
そうぼやく連中もいたが、デイヴィス率いる青ザメ”は海賊(buccaneer)と私掠の境目がない集団だったため自己責任の根拠もわからずじまいだった。
「節度をわきまえろ、ということだよ。なんでも度が過ぎたら身を亡ぼす、そういうことだ」
しょげ返る連中を見ているマリサにオルソンが言った。
「そんなに楽しいものがここにあるの?お酒なら私も飲めます。一緒にいきましょう」
その言葉をきいてデイヴィスがオルソンに目配せをする。
「いつがはじめということはない。ただ、お前はまだ使用人から抜けきっていない。屋敷で勧められるまま酒を飲んだとはいえ、楽しむにはまだ子どもだ。お前はどうあるべきかそれを知るいい機会だ」
そういうオルソンとデイヴィス、ニコラスを連れ立って港町へ向かうマリサ。そこにはまだマリサの知らない社会があった。
マリサがこうした場にくるのは初めてだ。自分はもう大人だから誘われて引き下がる訳にはいかない。マリサはそのように判断した。
飲み屋へくると先に船を降りた仲間がすでに酔っていた。それだけではない。マリサの目に入ったのは恥ずかしげもなくその場で抱かれている娼婦の姿だった。マリサの脳裏にマデリンと画家の記憶が鮮明に呼び覚まされる。そしてその結果は貴族のたしなみの1つ、『毒』を使っての殺人だった。あのときはマリサが量を間違えたためにマデリンは意識混濁ぐらいで終わり、オルソンが後から薬を飲ませてマデリンは死んでいったのだが、マリサはそのことを知らない。自分がマデリンを殺したのだと思っており、マリサの心に傷を残していた。オルソンはそのマリサの傷に気が付いていた。どこかで、何かの形でそれを越えなければこの先海賊として生きていけないだろうと危惧していたのである。
デイヴィスたちは席に着くと酒を頼み、知り合いの船乗りと会話を楽しむ。”青ザメ”はナッソーを拠点としていないのでこうした機会でないと会えないからだ。そんな中でまだ顔に幼さが残るマリサの存在が目立っている。
「おいおい、デイヴィス船長のところはこんな子どもを抱くのか。俺ならもっと……こう胸が大きくて尻も大きな女を選ぶな。船長も悪趣味だ」
日焼けした男がマリサを見て笑う。たちまちマリサは店内の男たちの注目を浴びる。
「よろしくな、お嬢ちゃん。歓迎の酒を飲んでくれ」
男はコップ1杯の酒をすすめてくる。これは挨拶だろうとマリサは思って一息に飲む。
「あ……ありがとうございます……」
たちまち酔いがきて頭がくらくらする。それでも我慢しなければと男を見据えた。
「お嬢ちゃん、もう酒が飲めるなんてたいしたもんだ。なら、こっちはどうだ?」
男は笑いながらマリサを席から立たせると抱き着いた。マリサにあの恐怖がよぎる。いきなりオルソンに抱かれたあの恐怖である。
「い……嫌……やめて……」
マリサはテーブルへ押し倒され、男は下半身をあらわにする。周りは喝さいの嵐である。
「おうおう、船長に悪趣味だといったお前もそんな子どもを抱いてしまうなんてさらに悪趣味だぞ」
周りの男たちが笑い転げている。
(……嫌だ、こんなのは嫌だ……)
必死に抵抗をしながらとっさにサッシュに隠したナイフを抜き、男のある部分に切りつける。
「ギャーッ!」
男の叫び声とともに血が飛び散る。床に倒れこみ、のたうち回る男。
「や、やりやがった……」
唖然とする周りの人々。さすがのデイヴィスたちも驚いている。
マリサは男の大事なアレに切りつけたのである。
ハアハア息を切らせながらマリサがいきり立った。
「私……あ、あたしはあたしだ……あんたの思うようになならない。覚えておけ!」
背筋を伸ばし周りの人々に向かって叫ぶ。
(ほう……壁を乗り越えたな。上等だぞ、マリサ)
満足そうに微笑むオルソン。そして掟を守ったことに安堵するデイヴィスは内心不安でならず、マリサを助けようとしていたのだ。
ニュープロビデンス島ナッソーにおいてマリサの名は広まり、通り名が与えられる。『〇〇切りのマリサ』という不名誉な通り名が後々も語り継がれるとは本人も思わなかったことだ。こうしてマリサは使用人の壁を越え、海賊として名をはせることとなった。
翌朝、一晩の休息を経て英気を養った連中を乗せ、デイヴィージョーンズ号はナッソーを発つ。ニュープロビデンス島ナッソーはこの後1703年10月、1706年にフランスとスペインの連合艦隊に襲撃され、イギリスの統治が撤退したことから海賊たちが住みついて自治を始める。これが後々『海賊共和国』としてその存在を知らしめ、海賊の黄金期を作っていくのである。
マリサは船酔いする余裕もなく甲板から遠ざかりつつあるナッソーを見つめている。それは昨日までの使用人マリサとの決別であった。
「ようやく使用人の顔つきが消えたな。海賊としてのお披露目は少々男を痛い目に合わせたが、おかげで十分ほかの連中には覚えられただろう」
オルソンはマリサの変化に気付いている。
「海賊として身を守るだけでなく、掟を守るために強くなければならないということが身にしみてわかったよ……。だけどあたしは後悔しない。慰み者でしか見ようとしない男たちを必ず見返してやる」
「なるほどな。それでいいんだ。ただ、お前は酒に弱い。勧められるまま酒を飲む前に相手が毒を持ってないか、何か考えているのではないかと疑わねばならない。私の時に酒を一息に飲んだことも、昨日男に勧められるまま飲んでしまったことも相手を信じすぎている。酒に毒を盛られているならどうする?このままではお前は同じ間違いをするだろう。心しておきなさい」
オルソンの言葉に屋敷での一件を思い出す。
「そうだね。あたしは酒よりもやるべきことがまだまだある。連中の仕事を覚えなきゃ。頭目として恥じないように強くなり、仕事も覚えて頼られるようになりたい」
「まずはそこだな。まあ、当分酒はやめておけ。世間から見たらお前はまだ子どもだからな。ギャレー(厨房)にココアがあるからそれで我慢だ」
そう言ってオルソンは笑顔を見せた。それは領主としての最後の言葉だ。
「忠告ありがとう、オルソン。大人になるまで酒は飲まない。あたしにはまだ酒は早い。ココアを飲んでおくよ」
胸につかえていたものがなくなり、マリサも晴れ晴れとしている。
その後も時代遅れの海賊として”青ザメ”は活動を続けていく。
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