第12話 デイヴィージョーンズ号
マリサが海賊として仲間になり、船に乗るというニュースはすぐさま船の連中に知らされた。そして船大工の手によって船長室の手前に狭いながらもマリサ用の個室が作られ、トイレも外付けで備えられた。いくら何でも男たちと排泄の場を共有するわけにはいかなかったのである。
そしてイライザもマリサと一緒に着替えの服やズボンなどを縫っていった。
「船に乗るときはズボンでも仕方がないけど、船から降りるならちゃんと着替えなさいよ。男の格好で街をうろうろしたら変に思われるからね。そしてシフトドレス(下着とブラウスを兼ねたような服)にはステイズ(バストを安定させるためのコルセット)を暑くてもつけなさい。男と全く同じ服装をするわけにはいかないのよ」
そういうイライザは寂しくて仕方がない。デイヴィスだけでなくこれからはマリサの心配もしなくてはならなず、気持ちが落ち着かないでいる。
「ごめんね、母さん。……そして準備を手伝ってくれてありがとう」
「神様があなたとともにいらっしゃるわ。毎日、無事を祈るからね」
そう言ってイライザはマリサを抱きしめた。
マリサが船に乗ることは使用人たちには知らされなかった。どこでどうゴシップネタにされるかわからないからである。そしてイライザとマリサはデイヴィスの都合によりポーツマス港から少し離れた村へ引っ越すことになり、屋敷の仕事もやめることになった。これには使用人たちは驚き、ともに仕事をしてきたマリサをかわいがってきた使用人たちの中には涙する者もいた。
オルソンの息子たちもマリサとの別れを残念がり、特にマリサと年齢が近いアイザックは自分もマリサのそばへ引っ越ししたいといったほどだ。それは父親の猛反対によって実現しなかったが、あきらめきれずにいた。
引っ越しの荷づくりはそんなに多くなかったが、オルソンが好意で馬車をだすことになった。
「引っ越し前に例の掟をかわしておこう」
オルソンの声掛けにより、デイヴィス、イライザ、マリサがテーブルを囲む。
「マリサ、これはお前とイライザ、デイヴィス船長との間にかわされる掟だ。海賊には海賊の掟があるが、女であるお前が船に乗る以上、連中の規律を乱すことなく航海してもらわねばならない。特に掟の2番目の項目はデイヴィス船長が後始末をすることになる。それは相手を殺すことだ。くれぐれも問題を起こすな。親を心配させるな」
オルソンに促され、掟書きを読むマリサ。マデリンと画家の一件や先日オルソンに襲われた(試された)ことが思い出され、表情が曇る。それは故意にオルソンがマリサの心に植え付けた『男への恐怖』であった。
一瞬目を閉じたマリサだったが、気を持ち直すと掟書きに署名する。
「父さん、母さん、今まで育ててくれてありがとう。そして領主様、使用人の子どもに過ぎない私へ勉強を教えてくださってありがとうございます。私は自分の生き方を船に乗ることで見つけたい、それだけです。誰よりも強くなって信頼できる仲間として迎えられるように努力することを約束します。そしてこの掟を
マリサが思いを話すとイライザは感極まってマリサを抱きしめて大粒の涙を流す。
「本当にいってしまうのね……。あなたが誰かと結婚する日が来てもこんなに悲しまないといけないかしら。……私はいつでもあなたを待っているわ」
「父さんと領主様が一緒だから心配しないで。私は大丈夫」
マリサの言葉に涙で返答できないイライザがいた。そのイライザの返答を待つことなく、馬車は出発する。
引っ越し先は庭師ジョナサンが生まれ育った村の空き家だった。オルソンの求めに応じてジョナサンが世話をした。イライザはここでデイヴィスとマリサの帰りを待つわけだ。広くはないが畑や庭もあり、ここで二人を待つには十分すぎるほどだ。
「出帆までここで3人の時間を大切に過ごしなさい。私も準備ができたらここへ立ち寄る」
そう言ってオルソンは御者とともに領地へ帰っていった。
数日後、航海の準備が整ったオルソンはマリサ達を迎えに来る。荷物とともに馬車に乗り込むマリサとデイヴィスを見てイライザは再び泣き出した。それはデイヴィスの過去に起因する不安でもあったわけだが、マリサへの心配も尽きなかった。
「そんな顔ばかりしてると、せっかくのいい女が台無しだぜ」
デイヴィスはイライザの涙をふくとキスをする。
「帰ったらうまい飯を食べさせてくれ」
「ええ……。たくさんね」
何度も頷くイライザ。その様子にマリサは微笑む。
「行ってくるね、母さん」
その声にオルソンは御者に指示を出し、馬車は家を後にする。その馬車をイライザは小さくなるまでずっと目で追い続けていた。
やがて馬車はポーツマス港へ到着する。マリサにとって賑やかなこの町は、幼い時に買い物へ行ったあの街以上だ。船の関係者が多く行き交い、何よりもたくさんの船が停泊をしている。マリサは初めて船を見た。オルソンの屋敷で航海に関する本を読んではいたが、実物を見ることはなかったのでイメージがわかなかった。大きい船、小さい船。そして荷物や人を船へ運ぶボート。そこには制服を着た人々も多くいた。
「あの人たちは何?役人?」
きょろきょろしながら船へ向かうマリサ。
「彼らはわが国が誇るイギリス海軍の人々だよ。1588年のアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破って以降、イギリスは海上において台頭することとなった。我が国の繁栄は彼らの活躍あってこそのものだ」
そう言ってオルソンはマリサの手を引き、波止場にある一隻の船へ案内する。3本マストのシップ型であり、荷積みをしている最中だ。大きさは周りのフリゲート艦よりは小さいが、船からは活気ある声が聞こえている。
「デイヴィージョーンズ号だ。そして今日からお前も乗る船でもある」
「デイヴィージョーンズ号?それって
「さあな、その理由はもうわからない。ところでお前に渡したいものがある。これがないと身は守れないだろう」
オルソンは荷物からサーベルと銃を出すとマリサに持たせる。
「さすがに丸腰で船に乗せるわけにはいかないからな。さあ、連中にしっかりとあいさつをしなさい。そして船に乗れば私も領主ではなく仲間の一人だ。だからオルソンと呼んでくれたらいい。言葉遣いも気を遣うな。連中と同等にみられたいのならはじめが肝心だ。考えて挨拶をしなさい」
マリサは手渡されたサーベルと銃をもつと、覚悟を決めるかのように頷く。
「使用人のマリサは通用しない。海賊としての挨拶をすることだ」
オルソンに続いてデイヴィスがそのように言いながら先頭を歩き、桟橋を渡る。
マリサが乗船するということを知っている連中は船内、甲板上から集まってくる。日焼けした顔、汗のにおい、お世辞にもきれいとは言えない衣服。髭を生やした者、おしゃれをしている者などさまざまである。イギリスを相手にしない海賊(buccaneer)ということを公にしているわけでないのは私掠船の流れできているためか。
連中のだれもがマリサをじろじろ見ている。客でもない女が船に乗るのは嵐を呼ぶとも言われ、タブーだったからである。船乗りたちは常に女に飢えており、まだ顔にあどけなさが残るマリサを見る目は明らかに娼婦や慰み者を見る目だった。
「お前たちに前もって知らせておいたが、この子が今日からこの船に乗ることとなった。名前はマリサだ。オルソンからしっかりと読み書きや武器の扱いを教えてもらっているから世話はないと思う。よろしく頼むよ」
デイヴィスがそう言うと連中にどよめきが起きる。そしてその中から一人の若い痩せ気味の男がマリサの前に進みでて顔を覗き込んだ。
「へえ~。船長も物好きなことだねえ。なんだい、まだ子どもじゃあねえか。女として抱くにはちょいとばかし胸のふくらみが足りねえな」
男の言葉に連中が笑い転げる。デイヴィスとオルソンはあえて口を出さなかった。すでにこれはマリサが自分で対応すべき問題だからである。
マリサは男の言葉に一瞬、ムッとしたが、すぐさま胸元からナイフを出し、男の下半身に向ける。
「胸が大きくなるお楽しみはこれからだ。いいか、それ以上言ったらあんたの大事なアソコを切り落としてやる」
そう言って笑い返した。これにはマリサを笑いとばしていた連中も驚く。
「お前の負けだ、グリンフィルズ」
デイヴィスとオルソンはマリサの言動の変わりように戸惑いを隠せない。しかしそれでも連中と対等に立ったマリサの言動は頼もしい気もあった。海賊としての挨拶を無事に終えたマリサは仏頂面で大人びた表情をしている。
「マリサは”青ザメ”の前頭目ロバートとマーガレットの子だ。古い連中なら覚えているだろう。陸でなくこの海で生きたいと覚悟を決めてこの船に乗るんだ。マリサの役割は”青ザメ”の頭目としての統率だ。まだ子どもだと言って
デイヴィスが連中にくぎを刺すとそばにいたオルソンがシャツの袖を捲し上げて連中に見せた。
「マリサには武器の扱いを教えているからな。下手に手を出すとこうなるぞ。私もマリサの身体を試そうと思ってこうなった」
オルソンの腕にくっきりと残る傷跡。マリサは恥ずかしさのあまり目をそらす。
「へえー、貴族のオルソンを傷つけるとはたいしたもんだぜ。俺たちもマリサに傷つけられないようにしねえとな。何よりロバートの子どもなら大事にすべきだ」
「そのとおりだ、ハーヴェー。そして大耳ニコラス、あのときの子どもだよ。なつかしくて泣けるだろう」
デイヴィスの言葉をうけて頷く男は涙ぐんでいた。船の操舵を任されているニコラスであり、マリサの誘拐を手引きした人物でもある。
「まったく……あのときのやせっぽちの赤ん坊が今や俺たちの仲間だなんて……」
「感動なら後にしてくれ。さあ、出帆準備を急げ。マリサが初の船酔いになるかもしれねえからハミルトン先生にもよろしく言っとくれ」
デイヴィスの言葉に再び動き出す連中。
マリサはこうして無事に荒くれものに迎えられることとなった。そしてこのときに自分の本当の親の名前を知り、父親も船乗りだったことに何かしら安堵するものがあった。だが、今のマリサにとってそれは大きなものでなかった。今はデイヴィスのもとで信頼される仲間として活動したいという思いであふれていたからである。
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