第4話 使用人マリサ
1698年、マリサは8歳になっていたのだが、誰も本当の年齢や誕生日を知ることもなく月日は流れていた。このころには言葉の使い方を覚え、何とはなく自分の立場を考えるようになっていた。
使用人イライザの子どもでありながら領主の息子たちと共に学んだり遊んだりしている姿は、幼いときはそれも仕方がないとみられていたが、成長してくるにつれ他の使用人たちのやっかみを受けるようになった。
「マリサ、騎士ごっこをやろう。ルーク、アイザック、庭へでるぞ」
アーネストはマリサと弟たちによびかけると、剣の稽古用の木刀を持って庭へ飛び出す。12歳のアーネストは父親をよく見ており、格好よく思っている。屋敷には代々続く領主の肖像画が掲げられており、ことあるごとに眺めている姿は、嗣子としてふさわしいと誰もが思うほどだ。
「行くぞ、僕はアーサー王だ!」
庭に勇ましい声が響く。はじめはルークとアーネストだ。
「やあ、やあ!」
木刀はカンカンと軽い音をたてた。長兄の意地からかアーネストが優勢だ。そして次がアーネストとアイザック。
「はあーっ!」
速攻で一撃をくらい、アイザックは倒れこむ。
「ずるいぞ!アーネスト兄さま。手加減してくれなきゃ」
アイザックは涙をだしている。
こんなやり取りが毎回であり、勝ち誇るアーネストのために姫君役のマリサは花冠を与えていた。今回も野辺の花で冠を作っていたが、毎回勝ち続けるアーネストにルークとアイザックも面白くないという顔をしていたことを察し、ある提案を思いつく。
「アーネスト様、いつも私は見ているだけなので今回は私も男になります。よろしいですか」
「本気か?
「ご心配なく。これは私が言い出したことです。おしかりに会うのは私です。では、いざ勝負」
マリサはアイザックから木刀を受け取ると木刀をアーネストに差し向け、構えた。
「気がのらないなあ……」
そう言いつつアーネストは女子に負けるわけにはいかぬとばかりに身構える。
「行くぞ、マリサ」
アーネストは一撃で仕留めようと木刀を振りおろす。
カーン!
瞬間、マリサは降りかかった木刀を跳ねのけた。アーネストの木刀は宙を舞い、しばらくして地面に落ちた。
「……マリサ、いつの間に剣を使い方を覚えたの」
あっけにとられているオルソンの息子たち。
「覚えたのではありません。アーネスト様、私はいつもあなた達の騎士ごっこを見ています。だから剣を使っての動きのパターンが分かったのです」
マリサはそう言ってアーネストの木刀を拾い、手渡した。このマリサの意外な行動にルークもアイザックも負け続けているお返しとばかりにマリサをはやし立てる。
「すごいや、今度は僕が相手になるよ」
そうルークが言って木刀を手にしたときである。
「まあ!何てことをしているの。息子たちにけがをさせる気?」
みると息子たちの母親、マデリンが血相を変えて走り寄ってくる。
「違うよ、お母様。これは騎士ごっこなんだ」
アーネストが弁解するが、マデリンは聞く耳を持たず、マリサを
バチン!
マデリンはマリサの顔を思いきりひっぱたく。反動で地面に倒れこむマリサ。
「お前は使用人の子どもなんですからね!領主の子どもたちに木刀を向けるとは
マデリンの怒りは相当なものだった。それはオルソンのマリサに対する厚遇への怒りでもあった。
「……承知しました……奥様。……申し訳ありませんでした……」
マリサの鼻と口から血が流れ落ちる。マリサは手で血をぬぐい取ると静かにその場を引き下がった。
「マリサ、君は悪くないよ。悪いのは僕たちだよ」
背後から口々に息子たちが言うがマリサの耳に入らない。
(使用人の子は使用人……)
ぶたれた
マリサが手伝いをしようと思ってイライザを探していたとき、誰かが自分を呼んだ。
「悔しかったのか、マリサ」
それは先ほどの様子を高窓からみていた領主、アルバート・オルソン伯爵だった。
「領主様、私は領主様の息子に木刀を向けるという悪いことをしました。どうか罰をください。奥様はそれを望んでおいでです」
泣いた後だというのにきりっとした表情でオルソンを見つめる。
「私はお前を罰するつもりはないし、そもそもお前に罪はない。先ほどのことはどう考えてもアーネストが弟たちに手加減をしないずるさが悪いと思ったぐらいだ。それ以上にアーネストの剣のくせを見抜いたことは褒められることだよ」
オルソンは慰めたつもりだったが、マリサは激しく首を振る。
「いえ、領主様。私は領主様のお情けでお屋敷に面倒を見てもらっています。そして私は貴族でもお金持ちでもなく使用人の子どもです。もう手伝いもできると思います。どうか働かせてください」
「お前を働かせることは考えていないよ。誰がお前にそのように言ったのだ」
「誰も言っていません……ただ……」
そう言ってマリサはまだ声を震わせて涙を出す。
「……領主様、私が父さんと母さんの本当の子どもじゃないっていろんな人が陰で言っています。私は父さんも母さんも大好きなのに……じゃあ領主様、私の本当の父さんと母さんはどこかにいるのですか」
「何も心配はないんだよ。イライザとデイヴィス船長の子どもがお前だ。誰が何と言おうとある日からお前はイライザとデイヴィスの子どもになったのだ。本当の親はもういない。そのことをいずれ機会があらば知ることになるだろう。そして私はお前が大人になるまで守るよ。そのために読み書きだけでなく将来お前に役立つであろうことをこれからも教えていくつもりだ」
そう言ってマリサの涙を拭くオルソン。
「私は使用人の子どもです。それなら対価として働かせてください」
マリサは使用人の子どもというマデリンの言葉が心に引っかかっている。
オルソンは一計を案じる。
「どうしても働きたいと言うのならこうしようではないか。午前中は私と勉強だ。午後はイライザについて掃除や洗濯などを教えてもらいなさい。これでどうだ?」
そう提案した。その提案にマリサは何度か頷き、再び涙をながす。
「母さんと一緒ならできそうです……ありがとうございます、領主様」
屋敷で執事のトーマス、庭師のジョナサンや乳母以外の使用人は、マリサがイライザの本当の子どもでないことや、屋敷で面倒を見てもらっていることに良い気持ちをもっていなかった。マリサだけ特別扱いをされていることにやっかみ、白い目で見ることがある。マリサは子どもながらもその視線の中で耐え、アーネスト達と日々遊んだり勉強をしたりしていたのだが、とうとうその線が切れたのだった。
「お前はいつか使用人の子どもではなくなる。そのときのために私はお前を守り抜くよ」
そう言ってオルソンはマリサを抱きしめた。
マリサがアーネストに木刀を向けたことはマデリンから他の使用人たちに広められる。しかしそれについてはオルソンがくぎを刺した。
「妻が何と言おうと今回のことはアーネストが悪い。それからマリサには私が将来必要となるふさわしい教育をしていく。そして対価としてメアリーとイライザの下で掃除など手伝いをさせるからマリサをやっかむことは許さない。マリサはある貴族から預かった子どもだからな」
名前は出さないがマリサの出自を明かすオルソン。もっとも、預かったのではなくデイヴィスがさらったのだが。
この一言で使用人たちはそれ以降やっかむことをしなかった。もともとマデリンは使用人たちに高圧的であり、よく見下していたのでよく思われていなかったのも幸いした。
そしてイライザもマリサに仕事を教えながら自分のことは自分でできるように躾けていった。
「マリサ、一緒に掃除をしましょう」
イライザが呼びかけるとマリサは自分の身長くらいはあるほうきを持ってくる。それはエニシダの枝を集めて庭師のジョナサンが作ったものだ。西洋では中世からエニシダの枝を使ったほうきがよく使われていた。そのためと言うわけではないが、オルソンの屋敷の庭にはエニシダが数本植えられており、大きく育っていた。
屋敷の家事の手伝いをすることになったマリサのために、イライザはリネンのヘアキャップとエプロンを作った。これはマリサにとってとても嬉しいものだった。大好きなイライザと同じようにヘアキャップを
幼い時から親に甘えたくてもイライザは日々働いており、デイヴィスは滅多に帰ってこなかった。それだけにイライザの手伝いをとおして過ごすことができることは何よりも幸せだと思った。
二人はあまり使われることがない大広間の窓を開けて掃き出していく。掃除をしているのは二人だけではなかったが、他の使用人たちもマリサが仕事をよく覚えて大人並みに働くようになったので、やっかむどころかむしろ好意的に受け止めるようになった。
「マリサ、イライザとばかりいないで今度は私と一緒に洗濯をしましょう」
オルソンのくぎ差しが効いたのか、それともマデリンへの反発からか使用人たちは徐々にマリサを受け入れるようになる。女中頭であるメアリーも家事のノウハウを教えこんでいった。
マリサは使用人の手伝いは苦にならなかった。やるべきことさえやれば褒めてもらえることもあるし、何よりも手伝うことで役に立っていることがわかるからだ。そんなかかわりの中で自分の年齢もわからないままマリサは成長をしていった。
12月。マリサは使用人の手伝いの流れを覚え、子どもながらによく動くようになっていた。メアリーはそんなマリサに任せられるところは任せ、自信をつけさせていった。
「マリサ、洗濯は終わったの?」
「はい終わりました」
メアリーの呼びかけに笑顔で答えるマリサ。冬の洗濯は子どもでなくでも辛いものだ。メアリーはマリサの手を見るとしもやけのように赤くなっているのを確認した。
「さぼらずに真面目にできたのね。立派よ」
そう言って冷たく冷え切ったマリサの身体を抱く。この冷え方は長い間野外にいて作業をした証拠だ。そしてマリサを厨房へ連れていくと料理長に何やら頼みごとをした。
しばらくして料理長はマリサに温かいココアを持ってくると、そばの椅子に座らせる。
「高級な砂糖を入れたからお前でも飲むことができるよ。一生懸命に働いた対価だ」
マリサに差し出されたココアはマリサにとって初めて口にするものだ。
「うわあ、ありがとうございます」
普段、領主たちに食事を作る手伝いをしながらもその食事は食べることができない。それを権限で作ってくれたのだろう。マリサは喜んで熱いココアを冷ましながら一口二口といただく。砂糖が入ったその甘みは普段そう言ったものに縁がないマリサにとってご褒美と思えるぐらいだ。
「もうすぐクリスマスね、マリサ。お屋敷のクリスマスは忙しくなるわよ。だからまた手伝って頂戴ね」
「わかりました。私は一生懸命働きます」
屋敷に何かしら役に立つことができてマリサはやっと生きがいを見つけていく。
(使用人の子どもは使用人になればいいのかもしれない……)
このころになると自分の立ち位置がそれではないかと思うようになっていた。
翌日、デイヴィスは航海を終えて実績の報告の為屋敷に来ていた。久しぶりに父に会い、マリサはまとわりつくようにそばにいる。
「父さん、今日は一緒にご飯を食べられる?またお話聞かせてくれる?」
「ああ、海の話をたくさんしような。少し大きくなったか?」
デイヴィスの問いに笑って答えるマリサ。
マリサにとってたまにしか帰らないデイヴィスは世界につながる窓のようなものだった。特に冒険の話はマリサを喜ばせた。
オルソンはデイヴィスを出迎えると奥の自室へ招き入れる。
「今回はフランスの船を2隻襲撃しました。船の損害はヤードを一部破損しただけで、負傷者が5名。そしてこれは今回の領主様の取り分です」
そう言って宝飾品とフランスの金貨が入った箱を差し出しす。
「そうか。死者が出なかったのは何よりだ。デイヴィス、船の修理の費用はまた請求してくれ。これからも頼むよ」
「承知しました、領主様」
「マリサは順調に育っているよ。文字をよく覚え、読み書きにもう問題はないほどだ。いまはこの屋敷の手伝いを通して家事を覚えてもらっている。使用人たちにもかわいがられているようだ」
「そうですか……。安心しました。マリサは
デイヴィスは満足そうに答えた。航海に出ていてもマリサのことを思い出さない日はなかった。船乗りである自分だからこそ、女性として
やがて屋敷での仕事が終わった頃にデイヴィスはマリサとイライザを迎えにいった。デイヴィスの迎えとあって急いで使用人の玄関から飛び出たマリサ。相変わらずやせっぽちなのだが、イライザとともに働くのが嬉しいとあって、ニコニコしていた。
「父さん、一緒にご飯を食べよう。私は母さんと料理を作るから。そして寝るときはまた海賊のお話聞かせて」
家までの帰り道でマリサは何度もデイヴィスに頼み込む。
「船が修理できるまでしばらく家にいるよ。仲間もケガしてい入ることだしな」
デイヴィスがそう言うとマリサは大喜びでデイヴィスに飛びつく。
「嬉しいよ、父さん。私、勉強も仕事を一生懸命やるから。約束する」
マリサは早く一人前の使用人になりたいと願った。そのため積極的に屋敷の家事を手伝った。マリサのその思いが通じたのか使用人たちも事あらば声をかけてくれるようになり、幾度か失敗をしながらも確実に家事を覚えていったのだった。
クリスマスを前にしたある日の午前中。領主オルソンとの勉強の時間であるためマリサは広間にいた。使用人たちが飾りつけをしているそばでハープシコードを前にして難しい顔をしている。
「ほら、マリサ。指を動かせる順番はこうだよ」
オルソンが簡単な曲のフレーズの一節を弾いて見せる。
「こうですか」
マリサは同じように真似を試みるがどうも思うように指が動かない。そのため曲の一節さえ弾くことができていない。
「いやいや……こうなのだよ」
オルソンはもう一度一節をゆっくりと弾く。
「やってみます」
マリサがゆっくり同じように一節を弾こうとするが、それでも指の順番を間違えてしまう。マリサ自身も焦って段々顔つきが怪しくなる。
「よかろう、今日はここまでにしよう。楽師が来た時に少し指導を頼んでみるかな」
ため息をついてハープシコードのふたを閉じるオルソン。
「申し訳ありません、領主様」
うなだれるマリサに笑いながらオルソンが励ます。
「お前は音感がないわけでないからきっと他にできることがあるのだろうよ。気にするな」
その言葉通り、自分に何か音楽的なことができるのだろうか。オルソンの言葉がマリサの心に深く突き刺ささる。
マリサが時間をかけてもなかなかハープシコードを弾くことが上手くならないのをみて、使用人たちはマリサをより身近に感じるようになった。これがすんなりと上達していたら『マリサは貴族から預かった特別な子』という目で見られてしまうだろう。それは誘拐された身のマリサを外部の目から隠しておかねばならないオルソンにとって都合がよいことでもあった。
もうすぐクリスマス。屋敷では掃除やら飾りつけやらで忙しくしており、その中でマリサは使用人たちとわらべ歌を歌いながら一緒に働いている。
マリサにとって音楽は日常のわらべ歌にあった。言語の獲得が早いマリサはわらべ歌の韻や言い回しでさえ音楽ではなく言葉としてとらえていた。それを知っているオルソンはハープシコードを弾けないマリサを責めることはなかったのである。
カリブ海では海賊出身で総督にまでなったヘンリー・モーガンが1688年に亡くなると、イギリスの海賊はスペインの領土への侵略や略奪を禁止され、対象をフランスに代えていく。しかし1697年にライスワイク条約が結ばれると海賊たちは息を潜むようになる。デイヴィスたちも私掠船として活動をしていても見合った収益が得られなくなり、収支は赤字へと転落していった。このことで擁護していたオルソン伯爵家の財政が緊迫していったのである。
そしてデイヴィスは擁護者であるオルソンにある提案をする。
「私掠船では今までのように稼ぐことはできなくなったため、俺たちの首を賭けて海賊(buccaneer)へ移行したい」
「海賊(pirate)でなく海賊(buccaneer)か?その線引きは何だ?」
あえて時代遅れの海賊(bucceneer)を選んだことにオルソンは驚く。
「亡くなったロバートに言わせれば愛国心です。時代遅れと言われようが私掠の流れを汲んでイギリスを相手にしない海賊(buccaneer)としたい。それなら略奪の取り分も増える」
デイヴィスの言葉にオルソンはしばらく考え込んだ。確かに船の保険や修理、航海費用など収支が赤字になっており、屋敷の財政から持ち出しが頻回だった。
「よかろう。デイヴィス船長……危ない橋はわたるなよ」
「承知しました。何とか稼いで喜んでいただきます」
そう言ってデイヴィスはほっとした顔をすると決意を新たにした。
こうしてデイヴィス率いる”青ザメ”は私掠から海賊へ移行していったのである。
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