第5話 夜会

 1702年。12歳になっていたマリサはさらに成長をし、子どもでありながらも大人と同じように働くことができるようになっていた。


 このごろのオルソンとの勉強は文字の読み書きとは別に、今までなかったダンスやドレスを着ての立ち振る舞いなども対象だった。マリサは乳母からたくさんお姫様と騎士の昔話を聞いて育ったので、まるで自分が主人公になったかのような気持ちで教えを受けていた。

 使用人の子どもは使用人と自分に言い聞かせて日々大人たちの動きについていったマリサだったが、それでもやはり子どもであり、お姫様と騎士の話はマリサの心を捉えて離さなかった。昔話を楽しむことなら身分が違っていてもできることだからである。


 そしてこの日はアーネストが呼ばれた。16才のアーネストは嫡子としての教育を受けるようになっていた。早くから後継ぎとしての心構えを身に着けるためである。顔は増々父親に似てきて屋敷中の誰もが認めるほどだ。


「アーネスト、たまにはマリサの相手をしてやらないか。一緒にダンスをすることはなかっただろう?」

「いいの?本当に。だとしたら……嬉しいよ。マリサと一緒にできるなんて」

 マリサが遊びの中でアーネストに木刀を向け、マデリンの怒りをかったあの一件以来、意図的にマリサと息子たちが一緒に何かをすることは避けられており、屋敷内で会うことがあってもマリサは使用人としての立場で会釈をするだけだったのだ。それだけにアーネストは久しぶりにマリサと一緒に何かをすることができるので嬉しくてたまらない。それは弟たちも同じであり、部屋の隅にルークとアイザックもこっそりと入ってきて、アーネストを羨ましそうに見ている。


「ずるいぞ。なんでアーネスト兄さまだけなんだ」

「僕だってマリサの相手をしたいのに……」


 二人の弟はブツブツ言っている。

 あの一件以来、マデリンがいるときは、息子たちはマリサと一緒に学ぶどころか遊ぶことも出来なかった。マデリンは貴族から預かったとはいえ、立場は使用人であるマリサに教養を身につけさせている夫の行動が気に入らなかったのである。

 夫のマリサに対する厚遇は何か裏があるような気がしていた。それだけにこの頃の貴人としての教養や立ち振る舞いを教えている夫とマリサに不満を持っている。

 そんなマデリンの言動に息子たちは振り回されながらも、マリサとまた一緒に遊んだり勉強したいと思っているのである。


 アルバート・オルソンはバイオリンを持ち出すと曲を奏で始めた。

 マリサはアーネストに向き合うと手をさしだす。やがて二人のダンスが始まる。見つめあい、軽くステップを踏みながら手を取り、あるいは背中を合わせたりの曲の緩急に合わせて踊っていく。

 お姫様のような気分になり、マリサは笑顔だ。着ているものはごく日常の使用人の服だが、マリサの頭の中ではドレスに変わっていた。アーネストもそんなマリサがかわいらしく思えてしかたがない。

 部屋の隅では弟のルークとアイザックが羨ましそうに見ている。


 やがてダンスが済むと拍手が送られた。この様子を垣間見ていた女中頭のメアリーと養育係の乳母だ。

 恥ずかしそうにマリサがその場を離れようとするとアーネストが引き留める。


「また一緒に踊ってくれる?君とたくさん話をしたいんだ」

 一心にマリサを見つめているアーネスト。

「アーネスト様、私は使用人です。アーネスト様にふさわしい相手ではありません。領主様、今日はこれでよろしいですか。私には使用人としての仕事が待っています」

 マリサの問いにオルソンが頷く。それを確かめるとマリサはメアリーの下へ急いだ。


「お父様、なぜマリサは僕たちを避けるの?そして『ふさわしくない』といいながらなぜマリサに貴族の立ち振る舞いを教えているの?僕たちはマリサにどう接したらいいの?」

 矢継ぎ早に質問をする息子たち。

「お前たちにマリサの立場を説明するのは難しい。いつかマリサは自分の生き方を自分で選ぶだろう。そのときのために必要な教養を身につけさせているのだよ。お母さまのように『ふさわしくない』とは私は思っていない。それもいつかわかることだ。マリサはお前たちを嫌っているわけではないし、むしろずっと慕っているぐらいだ。だからしばらくこのまま見守ってやってくれないか」

 オルソンの言葉を黙って聞いている息子たち。

「もうすぐ客を招いての夜会を開く予定がある。子どものマリサには、夜は働かずに夜会の様子を見てもよいと言っている。庭からマリサと夜会を見るのは止めやしないよ。ただし、お母さまには内緒だよ」

 そう提案すると息子たちは顔を見合わせて笑顔になった。

「お父さま、ありがとう!」

 息子たちは内緒の計画を共有し、その日を楽しもうと思った。



 一足先に使用人に戻ったマリサは半ば残念な気持ちにかられながらも仕方がないことだと言い聞かせた。


(私はお情けで屋敷においてもらい、領主様からいろんなことを教えてもらっている。身分も違うのに大切にしてもらっているんだ。そうでないとあの街の貧しい子どもたちのように物乞いをしなくてはならなくなる……)


 何度もあの街の貧しい子どもたちの姿や読み書きできない人々の姿が思い出される。


(これは生きていくうえで必要なんだ)


 マリサはアーネストの誘いを忘れるかのように広間の掃除をしていった。その様子を一瞥いちべつしたオルソンの妻、マデリンはマリサが使用人でありながら毅然きぜんとした態度をとることが気に入らない。そして年頃のアーネストのことも悩みの種で、マリサに近づかないように早く手をうたねばと思っていた。



 その後、マデリンは次の夜会のためにドレスを新調することを考えていたが、夫からあることを聞き、心が乱れる。

「なぜ?なぜなの、アルバート。私は一番美しくありたいのよ。前回の夜会で着ていたドレスは他の貴族たちに覚えられているわ。私はたくさんドレスを持っていたいの。宝石だってそうだわ。なぜ新調してはだめなの?」

「マデリン、大きな声では言えないが……屋敷にはあまりお金がないんだ。少しは倹約を考えてくれないか」

 オルソンはマデリンに何とか説得を試みるがなかなかいらだちは治まらない。

「アルバート、私は貴族よ!どこの世の中に倹約する貴族がいるの?それならあなたが擁護している船にあなたが乗ればいいじゃないの。船はあなたの趣味なんでしょう?」

 マデリンはだんだん声が高くなる。屋敷の使用人たちにもこの言い争いが耳に入っていった。


「ほらほら……今日は奥様に近づくんじゃないぞ」

「ドレスなら覚えきれないほど持ってらっしゃるのに……一度袖を通したら着ないおつもりなんでしょうかね……」

「領主様もおかわいそうに……。領主様はいい方なんだけどなあ」

「でも財政が緊迫しているのは事実だぜ。先日も賃金が遅れたからな」

「ああ、私たちは他のお屋敷にお仕えした方がよいのかしら」


 使用人たちは口々にささやいている。マリサの耳にもこの話が入った。


「母さん、私はこのお屋敷からでなければならないの?」

「まだわからないわね。でもそうだとしたらお屋敷をでて他所で働くまでだわ」

 イライザも不安だった。マリサが赤ちゃんのときからオルソンの息子たちと養育係が中心となってマリサの面倒を見てくれたから働くことができていた。しかも領主オルソンはマリサに教育をしてくれている。マリサの出自を知っているからこそオルソンがあれこれ手を回していたおかげで落ち着いてマリサの母として共に生活をすることができていた。

「大丈夫よ。あなたは私とジョンの子どもだからね。いつまでも一緒よ」

 そう言ってマリサを抱きしめた。



 そして言い争いをしていたオルソン。

「わかったよ。君のために船に乗ることを考えておくよ。だから今回の夜会については我慢してくれないか」

「約束よ、アルバート。私は一番でなければ気が済まないんですからね。我慢するのは嫌なの」

 マデリンはお針子を呼ぶと、持っているドレスに手を加えることにした。


 ひとまずマデリンに理解をしてもらったオルソンはため息をつくと、本当にこの財政を立て直すのに何が必要か考えねばと思った。

 本来、船の収支と屋敷の財政は別物だったはずなのだが、屋敷のお金はマデリン一人にお金がかかっているのが正直なところだった。愛するマデリンのために我慢をさせることはしたくなかったが、そうも言ってられない。


(やはり私が船に乗るしかないのか……)


 オルソンはしばらく夜会の準備をしている様子を見つめると覚悟を決める。


 

 夜会が行われる当日は朝から使用人たちが忙しくしていた。当然マリサも大人たちと一緒に掃除をしている。

「マリサ、掃除が済んだら厨房へ来てね。一人でも多い方がいいから。イライザも一緒よ」

 女中頭のメアリーが声をかける。

「はい、承知しました」

 母であるイライザと一緒の場所ならなおさら苦にならない。厨房の仕事は大変だけどやったことが目に見えるから楽しい。ナイフの使い方を覚え、器用に使いこなしながら野菜の皮むきをしたり、切ったりする。それを料理長が美味しそうな料理に仕立て上げるわけだ。

 コーヒーの点て方も教えてもらった。

 大人のように背がまだ高いわけでないマリサは踏み台を作ってもらい、大人たちと同じ目線で仕事をすることができていた。

「夜会はとても華やかよ。私たちには関係ないけどね。私たちはせっせと働くだけ」

 そういってメアリーが笑う。

「マリサは夜に働かなくていいのだから使用人の部屋で休んでもいいわよ」

 イライザが提案するが、マリサは首を振る。

「母さん、私は夜会を庭から見てもよいと領主様に言われてるの。アーネスト様たちと華やかな夜会がどんなものか見ることを約束したから」

「あら、そう?くれぐれも失礼のないようになさいね。自分の立場を忘れないようにね」

「うん、それは良くわかっている。母さんに迷惑をかけない」

 そう言って再び仕事に打ち込んだ。



 夕方になり、次々と客人が馬車に乗ってやってくる。貴族と社会的に高い地位を持つ客人たちは誰もがきらびやかな様相で屋敷を訪れた。

 胸元が開き、スカート部が広がったドレスは夜会用とあって布擦れの音が響く。どの女の人も化粧をし、髪もきれいにまとめ上げられていた。

 マリサは領主の妻であるマデリンを美しいと思っていたが、今日の客人たちも美しいと感じられた。


 マリサは庭からこの様子を見ている。自分は関係ないと分かっていてもそこにいるだけで胸がわくわくした。そして広間が見える庭まで移動するとすでにアーネスト達が待っていた。

「やあ、待っていたよ。今日の夜会はひときわ豪華だ」

 アーネストが指さすとまるでバラの花が咲き誇るかのように女性たちがおり、男性たちが花を添えていた。夜会ともなればマデリンの言う通り自分の美しさを競うわけだ。


 美しくあでやかな貴族たち。そしてそれは再びマリサのある記憶を呼び覚ます。


(この夜会が開かれる今であってもあの物乞いたちは生きることに精いっぱいなんだ……)


 そうは思っていてもやはりマリサは子どもだった。その記憶はすぐに夜会の様子に置き換わった。

 

 お酒と料理が提供され、食する貴族たち。どの人々も会話を楽しんでいる。そしてしばらくすると楽団が曲を奏で始めた。ちいさなオーケストラ編成の楽団はオルソンが呼び寄せたものだ。オルソン家には楽団を常時雇う余裕がなかった。だから曲の打ち合わせもせずに楽団任せだった。

 そんな事情は全く関係なく、やがて舞踏の曲が流れ始める。


「舞踏が始まるぞ」

 アーネストはマリサの手を引くと広間の様子がよく見える位置に連れて行った。そして弟たちもそのあとに続く。

「僕たちも大人になったらダンスを踊るんだぞ」

 ルークが言う。

「相手はいるの?ダンスは一人で踊れないよ」

 とアイザックが茶かす。


 広間では客人たちが曲に合わせて踊っている。緩急交互に流れる組曲は踊りに変化をつけ、よりマリサ達を楽しませた。

「マリサ、踊りの続きをしようか」

 そう言ってアーネストがマリサの手と取ったとき、自分を呼ぶ声がした。


「アーネスト、そこにいるの。あなたに会わせたい人がいるからいらっしゃい」


 アーネスト達の母親であるマデリンの声だ。


「なんだろう……会わせたい人って……」

 不安そうな顔をして声のする方をみるアーネスト。

「今行かないとあとあと面倒だと思います。奥様の用事を優先させてください」

 マリサはそう言って手を離し、マデリンの視界から逃れるようにその場を離れる。

「わかったよ。用を済ませて来るから待っていて」

 アーネストは声のする方へ走っていった。


「兄さまがいなくなったから今度こそ僕たちが相手だね」

 アイザックは嬉しそうだ。マリサは微笑むとルークとアイザックを交互に相手をしていく。


 末っ子のアイザックはマリサと年齢が一番近く、幼少のころからマリサを気にかけている。13歳になった今も一緒に活動できなくなったことを残念に思い、遠くから、或いは近くからマリサが働いている様子を見守っていた。同じ子どもでありながら使用人として働くマリサ。生まれたときから貴族社会で育った息子たちは身分の格差を当たり前のように思っていたのだが、それでもマリサについてはイライザとデイヴィスの本当の子どもではないと知り得ていることから、理不尽な社会の闇を感じていた。

 

 やがて広間の方が賑やかくなり、マリサと息子たちはダンスを止めて様子を見る。するとテラスから若い男女が連れ立って他の客人たちに囲まれていた。


「アーネスト兄さまだ。どうしたのだろう」

 アイザックがその顔を見て驚く。確かにアーネストだ。そしてその隣にはマリサより年上と思われる女性……まだ少女か……がそばにいる。

「お母さまがアーネスト兄さまにて会わせたい人ってあの女性の事だったんだ。なんてきれいな人なんだろう」

「兄さま、マリサの方がかわいいよ!」

 ルークのつぶやきにアイザックが反論する。


 このことをマリサはすぐにマデリンが自分をよく思っていないからアーネストと引き離そうとしていることだと理解する。

「ルーク様、アイザック様、私は貴族ではありません。奥様がなさったことは当然のことです」

 マリサはできるだけ平常心で答えた。そしてイライザが言い聞かせていた言葉が思い起こされる。


――くれぐれも失礼のないようになさいね。自分の立場を忘れないようにね――


(そう……どんなに領主様が私を特別扱いされても私が使用人であることは変わらない……)


 夜会は夜中近くまで行われたのだが、子どもであるマリサは眠気がきたので途中から使用人の部屋に戻った。また弟たちもマリサがいないと面白くないと言って屋敷内へ戻っていった。


 使用人の部屋では休憩のための長椅子があり、大人たちが働いている間マリサはそこで休むことにする。


(アーネスト様、ルーク様、アイザック様も……そしてアイザック様の相手をしたあの方もみんな貴族。私は使用人なのになぜ領主様はいろいろ教えてくださるのだろう。私は母さんのように一人前の使用人としてこのお屋敷で働くはずなのに……)


 このことは今までにも何度か思ったことだ。考えてもマリサにはオルソンの思惑は使わらない。わからないままマリサは夢の世界に入っていった。



 夜会が終わり、客人たちを見送るように言われたアーネストはマリサのことが気になっていた。母であるマデリンがアーネストに会わせたのは母と仲の良い伯爵夫人の娘だった。家柄や資産、容姿も申し分がないということで、これ以上マリサに付きまとわれるよりは早くアーネストをこの娘と将来に向けて付き合わせたいとマデリンは思ったのである。


 見送りが終わり、急いで庭へ飛び出すアーネスト。しかしそこにマリサと弟たちはいなかった。


(ごめん……。君に待っていてと言ったのに……)


 マリサの気持ちを考えるとアーネストは心穏やかでなかった。アーネストもまた大人に反論をするだけの言葉を持たない子どもであり、また貴族社会で育っていることから今日の母の思惑を理解していた。


 どうしようもできない口惜しさとやるせない気持ちでアーネストは唇をかむ。


 そしてアーネストが再びマリサと踊る日は二度と来ることがなかったのだった。

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