第6話 オルソンの決意と画家ブライアン
領地の財政が緊迫してマデリンから責められた領主オルソンは、航海を終えて成果を持参してきたデイヴィス船長にあることを話す。
「デイヴィス船長、私も船に乗ることとした。もっと稼がないといろいろ妻がうるさくてな……。だから大砲は任せてくれ」
オルソンの言葉に驚くデイヴィスだったが、すぐに笑顔になる。
「そりゃあ大助かりです。何せ船には大砲を効果的に扱える人間がいないので……。でも船の仲間になるということは吊るされる(処刑)可能性があるということですよ。今や私たちは私掠でなく海賊と言う立場。私や連中ならともかく貴族である領主様が首を賭けて船に乗ると言うのは余ほどのことだと思いますが」
「それもそうだが背に腹は代えられない。まあ我々は私掠の流れで国へ納めるべきものを納めている。それを申し訳としたいのだがね……」
船の建造費や修繕費を出していたオルソンはいわば財政を緊迫させた張本人だ。マデリンの浪費を
「ご事情、理解しているつもりですよ。領主様、船においては私が船長であり、いったん船に乗れば身分もなく民主的に物事を決め、領主様は船乗りに過ぎなくなることをお忘れなく」
デイヴィスの言葉どおり、船では身分がなく立場も逆転してしまう。オルソンは一瞬空を仰ぐと目を閉じ、自分に納得したように頷く。
「ああ、わかったよ。君は船長だ。しっかりと統率してくれ。マリサについては教えるべきことは教えたが、私が帰ったときに貴族の立ち振る舞いの続きを教えようと思う」
とマリサの今後についても方針を言った。
「……マリサは……あの子は貴族になるような子どもじゃありませんよ。イライザのように普通に市民として育ってくれたら結構。領主様のその教えが無駄になりはしませんかねえ」
「デイヴィス船長、マリサは賢い。自分の生き方を自分で決める日が必ず来る。そしてウオルター氏の元へ帰ることになるかもしれない。忘れるな。マリサはウオルター氏の元で生まれ、それをさらったのはお前だ。裁判にかけても正当な親はウオルター氏なんだよ」
オルソンがいうことはもっともなことだ。デイヴィスには十分わかっていることだった。
「領主様、もうそれ以上責めないでくださいよ……。マリサがいてイライザと俺も救われたところがたくさんある。マリサは俺たちにとって天使なんだ」
「そうだな……もうここまできてしまったら私もお前の
オルソンの言葉に笑うデイヴィス。
こうして領地を治めていたオルソン伯爵はその後を長男アーネストとマデリン、執事のトーマスに任せることとし、留守中になすべきことなどを使用人たちを集めて周知した。アーネストにとっても長子として経験を積む機会となる。
浪費家のマデリンは悩みの種だったが、自分が稼ぐ間は期待でおとなしくしているだろうと信じるしかなかった。
使用人たちはオルソンのこの重大発言に驚き、しばらくざわつきが収まらなかったほどだ。そしてマリサも例外ではなかった。
オルソンはマリサを見つけるとこのように言い聞かせる。
「マリサ、勉強の続きは私が帰ったときにやろう。それまではメアリーやイライザに家事を教えてもらいなさい。お前は賢い子どもだ。マデリンの機嫌を損ねないように動きなさい」
「はい、領主様。私は領主様の言いつけを守って使用人として働きます。母さんと一緒だから大丈夫です」
「お前の成長を楽しみにしているよ。まだ教えていないことがあるが、どれを教えるかも楽しみだ。いい子でいなさい」
オルソンの言葉に笑顔で答えるマリサ。
オルソンが船に乗るということは使用人たちに周知されたが、海賊であるということは知らされなかった。使用人たちは商船としての航海だと思わせていた。一介の貴族がスポンサーとしてではなく自ら海賊稼業に手を染めることは犯罪をすることと同じだからである。
オルソンが旅立ってからはや1か月が過ぎた。マリサはマデリンの視線から逃れるように使用人としての日々を送っている。まだ遊びたいという気持ちがないではなかったが、息子たちと接点を持つことがマデリンの機嫌を損ねると思い、使用人たちのそばを離れず仕事に打ち込んでいた。
「マリサ……あの……元気?」
洗濯をしているマリサを見つけて末っ子のアイザックが声をかける。年齢がマリサと近いせいかマデリンがいくら注意してもマリサに声をかけてくる。息子たちに声をかけられてさすがに無視をするわけにはいかない。
「アイザック様、私は元気です。アイザック様もお変わりなく」
そう言っていったん手を止めると他の使用人たちのように感情や表情もあまり出すことがないまま挨拶をした。こんなやり取りがもう何度も行われていた。
そんな返事でもアイザックは嬉しかった。自分と次兄のルークはまだ母親からあまり干渉をされるわけではない。長子のアーネストはあれからあの伯爵令嬢との付き合いが始まっており、マリサから遠ざけられていた。
「では私は仕事に戻りますので失礼します」
大人の使用人としての言動を身に着けつつあるマリサは、息子たちとどのように接すればよいかも考えることができている。オルソン不在の屋敷ではマデリンが機嫌よくさえいれば平穏だ。そんな中でこうして声をかけてくれる息子たちにマリサは精一杯の返事をする。息子たちもマリサの表情の意味が分かっていたので、それだけでも嬉しいと感じていた。
「イライザ、マリサと一緒に客間を丁寧に掃除してね。何でも画家が来られるようよ。これでまた屋敷からお金が飛んでいくわ」
メアリーが呆れ顔で言う。
「このお屋敷に画家がいらっしゃるのは久しぶりね。奥様を描かれるのかしら」
イライザが笑って準備を始める。
「母さん、それはいけないことなの?」
マリサはメアリーの心情がわからない。
「あんたはまだ子どもだから知らなくていいことなのよ。さあ、イライザを手伝いなさい」
「メアリーの言う通りよ」
イライザはマリサの手を引くと客間へ急ぐ。
オルソン伯爵夫人であるマデリンは美しい女性として名をはせていた。オルソンはその美しさに一目ぼれをし妻に迎えたのだが、結婚してからも世間話の主役はマデリンであり、夜会ともなればオルソンは完全にわき役になっていた。
やがてその画家が屋敷に到着すると、使用人たちはマデリンが招いたその客人のために出迎える。
「はじめましてオルソン夫人。私は絵を
ブライアンと名乗るその画家は若く、整った顔立ちをしていた。背はオルソンより低いがおとぎ話の王子を連想するような顔立ちだった。
「なかなかお上手なのね。あなたが
マデリンはブライアンを招き入れると上機嫌になった。
(お友達がこの画家に描いてもらっているのに私がまだなんて許せないわ。誰よりも美しく描いてもらわねば)
マデリンのつまらない虚栄心が芽を出す。そして画家ブライアンを自室へ招くと使用人にお茶を持ってこさせた。
「あなたの絵の勉強に役立つことができれば私も嬉しいわ。お茶をいただいたら早速始めましょう」
その日のマデリンはまるで夜会であるかのように髪を結い上げ、派手なドレスを着ていた。そしていつもより濃い目の香りをつけていた。
この様子にゴシップが好きな使用人たちは想像を巡らせる。
「なんだかちょっと危ない空気があるわね」
「領主様が留守なのをいいことにこれじゃまずいでしょう」
「まあ私たちはお給金さえもらえればなんでもいいんだけどね」
こうした会話をマリサは聞いているが子どもなので意味が分からないでいる。イライザに聞こうとしたがイライザはイライザで素知らぬ顔で仕事を続けていた。
「マリサ、疑問に思っちゃだめよ。こういうものだからね」
「何がこういうものなの?大人は皆そうなの」
大人がどんな付き合いをしているかわからないマリサは素直にイライザに尋ねる。イライザはそんなマリサに少し難しい顔をして答えた。
「マリサが大人になって誰かと結婚したら、その人にずっとついていきなさい。その人をずっと愛しなさい。それは神様が望むことだから」
敬虔なキリスト教徒であるイライザはそのように言うことしかできない。何をどう言っても子どものマリサには難しいことだった。
意味がよくわからなかったマリサはそれ以上聞くことをしなかった。オルソンが帰ったときに聞いてみようと思ったからである。
画家ブライアンは早速道具を取り出し、マデリンのラフデッサンにかかった。絵が完成するまでしばらく屋敷に泊まることとなった。
「夫を驚かせたいの。だから夫が帰るまでに絵を完成させて頂戴ね」
「承知しました奥様。まずはいろいろなポーズをデッサンさせてください。肖像画を描くにしても奥様の魅力を最大に引き出したく思います」
「あら、たまらなくそそることを言うのね」
マデリンは上機嫌だ。
何日かこうしたラフデッサンやデッサンが何点も描かれ、そこから選ぶやり方だ。そこにはより美しく描かれたいマデリンが自分も選びたいと言ってブライアンに寄り添い、そして二人は見つめあった。
「こんな素敵な方がこの世にいたなんて神様も意地悪ね」
「私こそ奥様の様に美しい方に出会うことができて幸せです」
「マデリンで結構よ」
「では私もブライアンとお呼びください」
そのまま二人は抱擁し、熱いキスを交わす。
「私の心はあなたのものよ、ブライアン」
「マデリン……」
使用人たちが予想した危ないことは現実となる。表ざたになるのも時間の問題だった。
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