第7話 マデリンの火遊び
ブライアンはラフデッサンから一枚のポーズを選ぶとキャンパスにおこしていく。美しいマデリンを自分の画力でどこまで描くことができるか、それはマデリンへの思いの証でもあった。
(この絵を足掛かりにして認めてもらい、もっと稼ぐことができる画家になりたい。奥様に気に入られているのならそれも利用しなければ)
マデリンは火遊びを楽しんでおり、自分はそのマデリンを利用して画家として成長しようとしているのだ。こんな取引は他の貴族でもあったことだ。男の貴族の中にはこうした火遊びをたしなみだと思っている者もいる。そのせいかマデリンもブライアンにも罪悪感はなかった。
マデリンが危ない火遊びをしていることは観察力あふれる使用人たちにすぐ知られることとなる。言動や服装、態度などから普段とは違うものを察することができる使用人たちは、領主が留守の間におこったこの事実をどうしたものか考えたが、証拠が何もないので見て見ぬふりをすることにしたのだ。もし領主にこのことを言えば誰がそれを言ったか犯人探しとなるだろう。マデリンからこれ以上うるさく言われたくなかったのだ。
「私たちは言われた仕事をするだけよ。何があってもね」
女中頭のメアリーがイライザ達に共通の対応を求める。使用人にとって火遊びはゴシップネタでしかなかった。しかしメアリーとは別格で領主の留守を守っている執事のトーマスは、主人であるオルソンに従順だったのでメアリーの意見には賛同できなかった。
マリサは庭でジョナサンの庭作業を手伝っており、ジョナサンが剪定した枝を一か所に集めていた。これはこれで乾燥させれば薪代わりにもなる。ジョナサンは緊迫した財政のために少しでも倹約を試みていたのである。
「マリサ、そっちの木には近寄ってはならん。その下の植物も手で触らないように」
マリサがある区画へ目をやったとき、慌てるようにジョナサンが注意する。
「棘があるの?薔薇と同じなの?」
「いや違う。とにかく近寄るな。そこの植物に近寄っていいのは私と領主様だけだ。とにかくお前には危険な場所だ」
ジョナサンがそう言ったのだが、どこがどう危険なのかわからずマリサはじっと見つめている。
そこへトーマスがやってくる。
「やあ、庭がすっきりしたな、ジョナサン。枝がはびこっているとうっとおしくてならないからな」
「庭はお屋敷の顔だからな。見てくれだけでもよくしておかねばならん。マリサが剪定した枝を集めてくれたので早めに終わりそうだ」
ジョナサンに言われてマリサも嬉しかった。働いてこうして認めてもらうことは何より励みになった。
「マリサは領主様に気にいられているからな。その領主様の留守中にとんだ火事となってしまったな」
トーマスが気難しい顔をする。
「全くだ。メアリー率いる使用人連中は見て見ぬふりをしているが、わしら男からすれば面白くないね。あの絵描きを早く追い出したいものだ」
ジョナサンもトーマスに合わせるかのように難しい顔をした。
「トーマス、私は何が起きているのかわかりません。でも奥様は何かいけないことをしてらっしゃるのはわかります。それなら領主様に教えて差し上げるべきではないのですか」
そういってトーマスの顔を覗き込むマリサ。
「そうだね……マリサが今思っていることは正しい。マリサ、こうして私たちが話していることは絶対に誰にも話してはいけないよ。領主様が帰られるまで私たちだけの秘密だ。もちろんメアリーとイライザにも言ってはだめだよ。後のことは領主様がお帰りになってから行動しよう。いいね」
トーマスの言葉にゆっくりと頷くマリサ。
「いい子だ……。お前は読み書きや家事だけでなく貴族のたしなみを教えてもらっている。それは領主様に何かお考えがあってのことなのだよ。だから領主様を信じたらよろしい」
「はい、承知しました。私も領主様のご帰宅を心待ちにしております」
トーマスは少し笑みを見せたのでマリサは安心した。トーマスの言うことが正しいのかもしれない。マデリンに何が起きているのか子どものマリサには想像ができないのだが、大人たちの話からそれがいけないことだと感じた。
そしてこのことでマリサは大きな波にのまれていく。
マデリンの絵は日ごとに完成へ近づいていく。ブライアンが屋敷に住み込んでいるせいか、マデリンは絵を描いてもらうだけでなく、散歩したり食事をしたり(このときは息子たちも一緒だが)はては買い物に付き合ってもらっていた。使用人たちは哀れな息子たちに声をかけようにもマデリンの目が気になってかけられなかった。
「ねえ、マリサ。お母さまのことを使用人たちは何と言っているか知っている?」
掃除をしているそばでアイザックがたずねる。末っ子のアイザックは何とはなく使用人たちのマデリンへの視線が気になるのだ。それはルークやアーネストもそうなのだが口に出して言えるのはアイザックだけだった。
「アイザック様、私は子どもです。言われた仕事をするだけです。でも……」
いつもなら仕事中はつれない返事をするマリサだが、このときはアイザックをしっかりを見つめてこう言った。
「どのような噂があっても奥様はアイザック様たちのお母さまです。お母さまを信じてさしあげるのが家族というものでありましょう」
「……そうだよね。僕たちはお母さまが大好きなんだ。信じなきゃね」
マリサの言葉に安心するアイザック。そしてマリサの手を握る。
「僕も……マリサのことが大好きだよ。また君と踊りたいと思っている」
アイザックは兄弟の中で幼いことを言うことがあったが、今はそんな片りんもない。
「アイザック様、私は私です。使用人は言われたことをするだけです。領主様がお望みならまた共に踊ることもあるかと思いますが、今の私は使用人に徹しているため踊ることは叶いません。でも……お優しいアイザック様、ルーク様、アーネスト様みんな好きです」
そしてそんなマリサにイライザが声をかける。
「マリサ、手が止まっているわよ。仕事をしなさい」
「失礼します」
マリサは慌ててその場を離れるとイライザの元へかけていった。
(マリサ、僕はそんな意味で言ったんじゃないよ……本当に……君が好きなんだ)
アイザックはやるせない気落ちでいっぱいだった。
ある晩、マリサとイライザが帰る間際になってお酒をマデリンの部屋へもっていくように言われる。それはトーマスからのいいつけだった。他の使用人たちはすでに帰っており、住み込みの使用人たちは残された片づけをしていた。イライザも厨房を手伝っており、急なこの用件は一足先に仕事を終えていたマリサに任されることとなった。
「いいこと?言われたことだけをするのよ。こぼさないようにね」
メアリーから酒やグラスが置かれたトレイを受け取ると、慎重に歩いて部屋へ急ぐ。
ろうそくの明かりがともされる廊下は薄暗い。子どものマリサはこの薄暗さに慣れてはいてもやはり怖い気持ちが無きにしも非ずだった。
やがてマデリンの部屋の前まで来るとドアが少し開いており、中から明かりが漏れていた。そしてそのドアの前にあのトーマスが立っていた。トーマスはマリサを見つけると唇に指を立てる。
「静かに……。私がここにいることは内緒だよ。これから君が見聞きすることは領主様に報告をすることだ。これはマリサでなくてはできないミッションだ。やれるね?」
トーマスの言葉にただならぬものを感じるマリサは静かに頷いた。
ドアの前に来ると中からマデリンの小さな喘ぎ声が聞こえる。
「……好きよ……ブライアン……」
意を決してマリサは声を出す。
「失礼します。お酒をお持ちしました」
そう言って中へ入る。
「まあ、なんてこと!あなたみたいな子どもがくるところじゃないのよ。お酒はテーブルに置きなさい。……これだから卑しい生まれの子どもは……」
マリサの視界に入ったのはベッドで抱き合っている二人の姿だ。
「奥様、申し訳ありません!」
マリサはトレイをテーブルに置くと急いで部屋から出た。そして廊下で待っていたトーマスの胸に飛び込む。
「トーマス、私……怖い……」
小刻みに体を震わせるマリサを抱き上げるとトーマスは頭を撫でた。
「よくやったよ、マリサ。領主様に報告するまで今見たことは私とお前だけの秘密だ」
そう言ってマリサを抱き上げたまま、使用人の部屋まで来ると待っていたイライザに言づける。
初めて見た光景はマリサにとって恐怖でしかなかった。体の震えはなかなかやまず、イライザはそれが寒さのせいだと思い、ストールをかけてやり家まで連れ帰る。
「今日はなんだか疲れたわね……あの絵描きがきてから特にね……」
「うん……。あのね、母さん……」
「なあに?」
「……何でもない……。お腹すいた……」
「そうね。パンと卵でいいかしら」
イライザは傷心のマリサを温かく包み込む。マリサがどんなものを見たのか知らないイライザはいつもの穏やかな笑顔だ。
(私は卑しい生まれの子……なんで……母さんと父さんの子どもでいいのに。父さんと母さんも卑しいの?……)
マリサは泣きそうになったが、急いで食事の準備をするイライザをみて涙をこらえる。
恐ろしい夢を見たようでその日マリサはイライザから離れるのを嫌がり、イライザの隣で眠りについたのだった。
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