第8話 オルソン家の貴族のたしなみ

 マデリンの肖像画は完成まであと少しだったが、ブライアンは急ぐことをしないで一日の大半をマデリンと過ごしていた。屋敷の使用人たちはブライアンがわざと引き延ばしをしているのではないかと思い始め、ゴシップネタとして話題となっていた。屋敷の留守を預かる執事のトーマスはジョナサンとことあらばこの話をしていた。このことにマリサはいよいよ何かこの屋敷で起きるのではないかとただならぬ気配を感じている。そしてこの屋敷の雰囲気はオルソンの息子たちを不安にさせていた。


「アーネスト兄さま、使用人たちが何やら陰でひそひそ言っている。何がこの屋敷に起きているのだろう」

「そうそう。僕たちのことは目に入らないくらい使用人たちはひそひそしている」

 不安でならないルークとアイザック。

「マリサに聞こうにもマリサはいつも他人行儀だ。知っていても多分何も話しちゃくれないだろう。お父さまが帰られたらすべての謎は解けると信じようよ」

 アーネストもそう言うしかなかった。息子たちや使用人たちは領主が海賊行為をしていることは知らされていない。ただ一人、留守を預かる執事のトーマスだけは知らされており、何かあらば動くように言われていたのだ。




 そんなある日、一台の馬車が到着する。領主オルソン伯爵が航海から帰ったのである。すぐに使用人たちに周知され出迎えにでる。


「わあ、お父さま。お帰りなさい!」

「お帰りなさい、お父さま」

「お父さま、あのね」


 待ち望んだ父親の帰宅に息子たちは喜び、取り囲む。

「いい子にしていたか?土産話はたくさんあるからゆっくり話そう」

 そうしてオルソンはお金を執事に預ける。これは後日銀行の預金と損害保険の支払いに充てられる。もちろん愛するマデリンの費用や使用人たちの給与など必要な資金は残される。

「領主様、報告事項がございます」

 小声でトーマスが耳打ちする。トーマスがこういう時は何か事件があったということだ。

「わかった。あとで庭へ行くからジョナサンにもそう言ってくれ」

「承知しました、領主様」

 

 オルソンの帰宅はマデリンとブライアンを慌てさせる。このとき二人はマデリンの自室で熱い時間を過ごしていたからだ。二人の関係が広まっているせいで使用人たちは面白くなりそうな展開を予想してあえて知らぬふりをする。


「お帰りなさい、アルバート。お帰りがもう少し遅ければあなたを驚かせることができたのに」

 マデリンは夫がお金を稼いできたことを知っており上機嫌なのだが、その裏でブライアンとの関係を隠さねばと心は乱れている。

「これ以上君に我慢をさせては私の自尊心が傷ついてしまうからね。それともマデリン、私はもっと遅く帰ってこなければならなかったのか」

「……い、いえ……心待ちにしていたわ。アルバート、息子たちや使用人たちはみんな元気だったわよ」

「それは何よりだよ」

 オルソンはそう言ってマデリンにキスをすると、使用人たちの陰にいたマリサへ声をかける。

「元気にしていたかいマリサ。さあ、また勉強を始めよう。あとでトーマスと一緒に庭へおいで」

「はい、領主様。私は勉強が好きです。領主様のご帰宅を心待ちにしていました」

 あれ以来マリサは笑顔が減っている。しかしイライザを含め、使用人たちはこれが疲れだと思っていた。

「いい子だね、マリサ。お前は増々私の期待通りになっているよ」

 オルソンの言葉の意味が分からないマリサはそのまま礼をした。


 画家ブライアンのことはマデリンから紹介をされ、完成間近の絵が披露された。

「ほう……なかなか良い絵ではないか。君の噂は社交界でも上がっているからな。お抱え画家として奉公することも可能かもしれないな」

 そう言いながらオルソンはブライアンの目をとらえている。オルソンの鷹のような視線にブライアンは耐えているが瞳は揺れていた。それは何もかもお見通しと言う視線だった。

「ブライアンにお友達も肖像を描いてもらっているのよ。いまや流行りなの。誰よりも私のことを美しく描いてくれるって約束をしてくれたわ」

 マデリンも声に落ち着きがない。

「君は何でも一番でないと気が済まないのは知っているよ。まずはこの絵を完成させてもらいなさい。私はこれから庭の仕上がりを見て来るからブライアンはゆっくりしてくれ」

 ほっとする二人を残し、オルソンは庭へ急ぐ。



 執事との重要な打ち合わせは庭の散策を通して行われることが多かった。それはこの庭にはジョナサンとオルソン、執事トーマスだけが知っている秘密があったからだ。今日はマリサもトーマスの手伝いをするように言われて庭にきていたが、いつもと違う様子に心の動揺は隠せない。

「大丈夫だよ、マリサ。今やお前は私たちの仲間でもある。さあ、お前がマデリンの部屋で何を見たか話しておくれ」

 オルソンがそう言うとトーマスがマリサに目配せをした。これは安心して話してもよいということだろう。マリサはまっすぐオルソンを見つめると見たまま聞いたままのことを話す。


「なるほど……よくわかった。何よりの証拠だよ。その仕事はお前でなくてはできなかったことだ」

 オルソンは何度も頷く。

「トーマス、私は2つの名誉を守らねばならん。オルソン家とマデリンの名誉だ。協力をしてくれ。その中で私はマリサに最後の貴族のたしなみを教える。マリサ、勉強の一番大変なところだからしっかり覚えなさい」

 そう言って空を仰いだ。

「承知しました、領主様。お言葉通りになりますように」

 用件を伝えたマリサがジョナサンの指示通りに草抜きをしていく傍らかたわでオルソンたちの計画が練られる。




 翌日。ブライアンはマデリンの肖像の完成を急いでいた。そしてマリサは再び庭へ呼ばれ、ある区画で話を聞くことになった。その区画は先日ジョナサンが近づくなと言った区画である。樹木が植えられ、草花も植えられているこの場所は、見てくれは普通の植物だ。

「マリサはここがどういう場所かわかるかね」

 オルソンがマリサに尋ねるがマリサには全くわからない。

「領主様、私が知っているのはそこが何か危ない場所だということです。ジョナサンが近づくなって注意をしたからです」

「そのとおりだ。ここは危ない。マリサも用がなくばここへ近づいてはいけない。さて、では最後の貴族のたしなみをお前に教えよう」

 オルソンは東屋あずまやにマリサを案内するとそこで分厚い本を開いた。

「お前に教える最後の貴族のたしなみ、それは『毒』だ。武器もない時にお前が敵を倒さねばならぬときがきっとくるだろう。その時のために覚えておきなさい」

「領主さま、私は敵なんてものはいません。使用人の敵は『怠け心』であります。私がその『毒』を知る必要があるのでしょうか」

 マリサはオルソンがそんなことを言う理由がわからない。

「将来お前は自分の生き方を選ぶ日がくるだろう。そのときに使用人以外を選ぶやもしれん。これから教える勉強はオルソン家の当主に代々伝わっていたものだ。だが、どうもお前の方が必要になる日が来ると思えてならん。この庭の秘密……それはこの庭の至るところに毒草が植えられているということだ。だれもこの庭の植物にそんな秘密があるとは気が付いていないがね。見てくれは普通の植物でも体内に入ったり触れたりしてその毒にやられるものばかりだ。その毒について秘密裏にオルソン家は知識を継承してきた。貴族はとにかく敵が多い。剣や銃をまじえることなく、人知れず敵を倒すにはこれが一番なのだよ」

 マリサは自分が庭にのまれそうな恐怖にかられる。


「マリサ、私は領主であり当主だ。名誉を守らねばならん。協力してくれるね……」

 オルソンの言葉が重苦しくマリサに響く。

「……承知しました。私はしっかりと貴族のたしなみを覚えます……」

 マリサの言葉に満足したオルソンは東屋あずまやで本を開き、毒物の説明をしていった。


 オルソン家の貴族のたしなみとされる毒の扱いは植物だけでなく薬品も対象だったが、庭の秘密を知ったマリサのために植物対象に絞られた。

 

 最後の貴族のたしなみは何日かに分けてマリサに教えられた。植物のどの部分にどのような毒があり、人間にどんな害を及ぼすのか、その量はどれくらいかを身近にある植物を中心に教わる。

「毒のある植物にもいろいろあるが、中にはその木の下で立っているだけでも危ない物もある。南国にある猛毒のマンチニールだ。この絵をごらん」

 そう言ってオルソンは本の該当するページを開く。

「マンチニールはほのかにリンゴの香りがする。青く小さなリンゴのような実をつけるが、この木は葉も実、木もすべてが猛毒だ。燃やしても煙が猛毒になる。他の植物にも言えることだが素手で触るな」

 マリサは本に書かれている絵をしっかり脳裏に焼き付ける。


 庭にある水仙やジギタリス、トリカブト、スズラン、ドクニンジン、ベラドンナなど花をはじめ、エニシダ、キョウチクトウなど植栽されているものは見て覚えられるが、そこに植えられていないものは本の絵に頼るしかなかった。

 

 毒物や薬品を扱う闇の業者は存在しており、オルソンはそこから種子などを手に入れることもあったが、気候や土壌の関係で発芽してもすべてが成長をするわけではなかった。しかしそれでも根付いたものがあり、例えば異国のイヌホウズキがその1つだ。

 庭師ジョナサンの本当の仕事はこれらの有毒植物の管理であり、オルソンの家族や使用人たちを近寄らせないためでもあった。そしていかに普通の庭に見せるか手腕を発揮した。その仕事ぶりにオルソンとトーマスも信頼を置いていたわけである。



「領主様はマリサに何をお求めだろうね。普通に使用人として人生を送らせるのなら読み書きがあれば十分だろう?」

 マリサがオルソンにたしなみを教わっているのをみてジョナサンがつぶやく。

「気が付かないのか、ジョナサン。マリサを使用人で終わらせない野心が領主様にはあるんだよ。あれだけの器量だから成長すれば貴族相手の高級娼婦になることも可能だ。あの子の出自をお前も知っているだろう?領主様は将来それを利用しようと思ってらっしゃるかもしれん。本当の親を知らず、幼い時から周りは他人ばかりだ。だからマリサは常に緊張している。あの子の言語能力が高いのはそこから来ているのだ」

 トーマスはどこか大人びて見せるマリサをよく観察している。

「マリサはこの屋敷の使用人として一生を送るような人間じゃないということだね……私自身は寂しいが」

「ジョナサン、奥様以外誰もがそう思っているはずだよ。マリサはそのうちどこかで名をはせるようになるだろう。良くも悪くもな……」

「……今さら生まれた家に帰ることができるかどうかはわからないがね。あの子の戦うべき相手は『運命』だろうな」

「演劇の題材にしたら面白いネタかもな。さて、マリサの勉強が終わったようだ。領主様の指示があるだろうからジョナサンはここで待機してくれ」

 トーマスはそう言い残すと東屋へ向かう。入れ替わりでマリサが東屋から出てきた。メアリー達の仕事を手伝うのだろう。



「トーマス、さっそく勉強の実践をしなければならん。ジョナサンも呼んでくれ。計画を説明する」

 オルソンは厳しい表情でマリサを見送りながら言った。

「承知しました、領主様。実行ではなく実践なのですね。と言うことはマリサもかかわると」

「……そういうことだ。実際にやってみて学びは身につくというものだ」

 オルソンの言葉を聞き、ジョナサンを呼ぶトーマス。



 オルソン家の名誉とマデリンの名誉を守るためにオルソンは計画を説明していく。本来なら政敵を人知れず倒す目的なのだが今の敵は『不名誉』であった。その実践にはひときわ賢く従順な、しかも疑われることがない子どものマリサが選ばれる。


 こうしてマリサに大きな影が覆いかぶさっていく。

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