第10話 海賊宣言
マデリンの死は使用人として生きていこうとしていたマリサを大きく戸惑わせる。使用人の子として大人になってもイライザとともに毎日働くことができたらいいと思っていた。どんな言いつけも守り、屋敷の為に真面目に働いていこうと子どもなりに決めていた。そんなマリサのささやかな願いは一瞬にして打ち砕かれたのだ。
どのようにこれから生きていけばいいのかわからなくなり、仕事の合間にふさぎ込むことが多くなる。
そんなマリサをイライザは心配し、オルソンに相談をする。オルソンはマリサの変化の理由がわかっていたので話をするため部屋へ呼んだ。
「ずいぶんとふさぎ込んでいるようだね。イライザも他の使用人もマリサを心配しているよ」
マデリンをその手で死へと追いやったオルソンも胸の内は穏やかでない。愛するからこそ不貞を許すことができず、不名誉から守らねばならなかったからだ。
「……領主様、私は使用人としてこの屋敷にお
自信なくうつむいて答えるマリサ。
「そうだね、マリサ。お前は世の中の闇も知っている。この屋敷で働けば普通に使用人として生きていく事は可能であるし、そう望む者も多い。だが、お前は他の生き方が見えてきたというのだな」
オルソンの言葉にゆっくりと頷くマリサ。
「マリサ、世の中には身分や宗教、貧富の差も問われない世界がある。お前の父であるデイヴィス船長はそんな世界にいる。私もその船に乗っているが、船上では貴族である私より船長たるデイヴィスの方が立場は上だ。その集団を何というか知っているか。……それは海賊(buccaneer)だ。デイヴィス船長は海賊”青ザメ”の船、デイヴィージョーンズ号の船長なんだよ」
マリサはオルソンの言葉に息をのむ。
「……海賊……?母さんも屋敷のみんなもそんな話をしてくれませんが、本当なのですか」
「海賊であることは屋敷の人間は知らないことだ。知っているのはトーマスとイライザぐらいだ。これまで”青ザメ”は私掠だったのだが、思うように収益が上がらないのでデイヴィスは海賊へ移行したのだ。……自分の首をかけてね。お前はそんなデイヴィスをどう思う?」
オルソンに問われたがマリサは混乱してうまく考えがまとまらない。海賊は犯罪行為だからだ。領主も自らその世界にいることをおそらく使用人たちは知らないだろう。
「私はお前に使用人だけではなく貴族社会でも生きていけるよう、教育をしてきた。今のお前なら成長して貴族を相手にすることも十分可能だ。その生き方は望まないのか」
「……領主様、私はこの手で罪を犯しました。領主様の名誉を守るとはいえ、それが正しいのかどうかがわからなくなりました。ならば誰かに決められた生き方をするのではなく、その道を自分で決めたいと思います。……ここには私の進む道はありません。……私は私です。……そう思うのはおかしいでしょうか」
マリサの言葉に微笑むオルソン。
「けしておかしくはないよ。お前は今新しい生き方を模索しているのだ。念のために聞くが……お前の生みの親はすでに亡くなっているものの貴族だ。お前に流れているその血を利用しようとは思わないのか」
「失礼ながら何かの添え物や花でしかない生き方は私の望むところではありません。父さんの率いる海賊が身分や宗教も貧富の差も問わない世界であるなら……私はその道を選びます」
そう言ってマリサはオルソンをじっと見つめた。その目ははっきりと自覚し、固い意志の表れだ。
「バカな!お前は女だぞ。いくら何でもそれは無理だ。船上では女は慰み者でしかならないし、まして海賊だ。いくらデイヴィス船長が統率しているとはいえ、これから一人の女として成長するお前がそうならないとは限らない」
オルソンは思わぬ言葉に動揺する。
「そこを超えたいのです!そのためには男の様に剣や銃の使い方も覚えます。誰よりも強くなって自分の身は自分で守ります。自由があるのなら女の海賊がいてもいいのではないですか」
マリサも必死である。屋敷に来た頃から他の使用人以上に従順だったマリサは今自分の意思で生き方を選ぼうとしている。
オルソンはマリサが将来貴族社会で生きていくものだと思っていた。生まれた家に帰ることも可能であるならそうしたいし、有力なその家柄を利用する考えもあった。マリサがそれを選ばなくてもマリサの器量と教養は貴族や王族相手の高級娼婦として愛されるようになることもできたのだ。その考えが一瞬で崩れていく。
「ここで私一人が決められる問題ではない。イライザとともに今日は早く帰りなさい。イライザやデイヴィス船長とともに話をしよう。お前はまだ子どもだ。生き方を決めるにも親であるデイヴィス船長に話をしなければならない」
オルソンの言う通り、子どもの考えだけで決められない問題である。その後、オルソンの計らいで早く帰宅したマリサとイライザ。イライザは後に領主が訪問するからと言われて驚いていた。いくら海賊の擁護者であってもわざわざ家に来るとは何事だろうか。そして当のマリサも相変わらずあれから仏頂面になってしまい、心配の種になっている。
オルソンは早々に家を訪れた。マリサの問題は引き延ばしてもどうにもならないと思われたからである。オルソンの来訪にデイヴィスは何か船の運営で問題があるかと思って難しい顔をしており、イライザはイライザで領主のためにコーヒーをたてている。
「さっそく本題に入ることとしよう。デイヴィス船長、マリサは海賊になりたいと言ってきた。まったく予想外であり、私は反対をしてひきとめもはかった。しかしマリサの意思は固い。そのためには剣や銃も覚え、自分の身は自分で守るとも言っているが、船長であるお前の意見が重要だ。何か意見を言ってくれ」
オルソンの発言にイライザはコーヒーをこぼしそうになった。
「ああ……何てこと……」
マリサは扉の外でじっと聞き耳を立てている。デイヴィスが許可しなければ大人になってから家を出る覚悟でいた。
(父さん、母さん……ごめんなさい。私はもう決めた)
「……領主様、私は海軍も私掠や海賊の世界も知り得ています。男ばかりの社会で女が入り込むところはありません。船に客人以外の女を立ち入らせることは最大のタブーであり、嵐を呼ぶとも言われ、誰もが嫌うことです。そんな世界にマリサを送り込むような親は悪魔としかいえないでしょう。私とイライザはマリサが船に乗る(海賊になる)ことは認められません」
物静かで穏やかなデイヴィスはきっぱりと強い口調で言い切る。
「そうだよな、それを聞いて安心した。マリサは船に乗るべきではない」
そうオルソンが言ったとき、マリサが部屋へ入ってきた。マリサの固い表情に言葉を飲むオルソンたち。
「領主様、父さん、母さん、なぜそう決めつけるの。私が子どもだから?女だから?身分が使用人だから?……でもそれはおかしいよ。私はそんなの納得できない。私の生き方は自分で決めたいし決められるんじゃないの?」
マリサも必死である。普段、反抗することもなく従順なマリサが大人相手に自分の考えをぶつけている。
「マリサ、船は憧れで乗るものじゃない。ましてデイヴィス船長の船は海賊船だ。海戦で命を落とすことがあるばかりか女は慰み者としかみられていない。デイヴィス船長やイライザ、私もお前が普通に陸で幸せになってほしいと思っているし、またそうであるべきなんだ。陸で暮らすならある程度自分の進む道は決められるし、私もその手助けをしてきたつもりだ。だからお前に教育をし、貴族のたしなみも教えてきた。陸がお前の生きる場だ」
オルソンの言葉に何度も首を振るマリサ。
「……違う……違う、違う。家事やお屋敷の仕事は嫌いじゃないけどそれは私の主な生き方じゃない。私は私だから……私は慰み者になんかならない。みんなに迷惑をかけないように銃も剣の使い方も覚えて誰よりも強くなるから……。私はもう決めた。どんなに反対されても私は船に乗る。父さんの船で海賊として生きていく!」
今までにないマリサの言動にオルソンたちはそれが生半可な気持ちで言っているのではないことを知る。
イライザは手を組んでとにかく神に祈ることしかできなかった。物静かなデイヴィスはうまく言葉を引き出せず黙り込んでいる。そんな二人を見てオルソンが妥協策を考える。
「デイヴィス船長、イライザ、マリサはまだ子どもだ。だから我々がいま何を恐れているかは伝わらないだろう。だからマリサが船に乗るなら『女』になってからだ。慰み者にならないというならまずそこからだ」
オルソンはそのように提案し、二人の了承を得る。
船に女が乗るにあたって乗り越えられなければならない壁。しかしそれは子どもに過ぎないマリサには意味が分かるものではなかった。オルソンはマリサの成長を待ち、その間少しでも武器の扱い方や読み書き以外の知識をつけさせようと考えていた。
「デイヴィス船長、マリサは本心で言っているのだろが、船のことを何も知らず、銃や剣も扱えないまま船に乗せるのはあまりにも無謀だ。そしていくら自分の生き方は自分で決めると言っても集団社会の中ではルールを理解し、守ることも必要だ。……まずは時間をくれ。私は陸に残ってマリサに銃と剣の腕を磨かせる。それが第一段階だ」
オルソンの言葉に何度も頷くデイヴィスとイライザ。
「……船の所有者であり海賊の擁護者である領主様がそうおっしゃるのならそれも選択肢でしょうな……」
デイヴィスはマリサを見つめると厳しい顔でこう言った。
誕生日も分からないまま成長をし、もうすぐ13歳になろうとするマリサ。マデリンの事件さえなければ使用人としてそこに居続けていただろう。しかし子どもながらに持ち続けていた小さな願いはマデリンの事件で砕かれてしまった。
なぜ領主オルソンは自分にあのようなたしなみを教えたのかはわからないでいる。それよりもそれを使ったことで一人の人間が亡くなった(致命的なものを与えたのはオルソンであったが)のである。それは使用人の仕事とは思えなかった。
マリサが父であるデイヴィスの船に乗ることを選んだのは必至であった。
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