彼方なるハッピーエンド/炎

秋色

彼方なるハッピーエンド/炎

 三月の朝の舗道は、まだ風が少しヒンヤリとする。第二日曜日は、南公園で古紙回収の行われる日だ。たまっていた古い雜誌と古い新聞紙を夫婦でまとめて持って行く。マンションの古紙回収の日だけでは到底足りない。

 マンションを出て、南公園の方に向かう道には、古い家並みが残っている。仕事からの帰りが遅くなった時には、その昭和の感じが漂っている並びが、ちょっぴり異質に不気味に感じられてしまう。主に昔からの住民が住んでいる地域だ。


「あ、あの家、また家の前の玄関先で焚き火してるよ」


「あれ、焚き火なの? 四角い缶で何か燃やしてるけど」


「あれも焚き火なんだよ。一斗缶の焚き火。ちなみにあれで魚とかも焼けるから」


「ね、コウキ君、古紙、けっこうたまるからもう新聞とるのやめよっか?」


「いや、さーやのファッション雑誌、買うのやめたらいいんじゃね? 一回見て捨てるだけじゃん」


こんな感じでいつも喧嘩になる。


「大体さ、何あのこっそり仕舞ってる思い出箱みたいなやつ。別れた彼氏との思い出だろ。いい加減捨てたら?」


「別れる前は付き合ってたんだからいいでしょ!」


「別れる前とか笑うね! 振られたって自分で言ってたし」


「意地悪言うな」





 古紙を持っていった帰り、コウキ君はコンビニの前で隣の部屋に住む三人家族と愛想良く世間話して、私にはコンビニの喫煙スペースで一服して帰るからと言った。

ゆっくりとした足取りで私はマンションへの帰路についていた。


 その時、さっき一斗缶の焚き火をしていた家の前に来た。まだ火が燃えている。焚き火をしているのは初老に近い女の人だ。少し色黒で目鼻立ちがはっきりしている。昔は可愛かったんだろう。どうやら紙を燃やしているらしい。


 その時、焚き火の炎に巻かれるようにヒラヒラと形を変えていく紙切れに気が付き、私はハッとした。


――お金!?――


「あ、あの、間違ってお金を燃やしていませんか!?」


 よく見るとそれは薄いピンクがかった外国の紙幣みたいだった。


 女の人はにっこり笑って言った。

「だいじょうぶ。これは本物のお札、違います」


 そのイントネーション、そして間近で見る女性の顔付きから、外国人である事が推察された。


――え? 贋札にせさつ?――


私の頭の中には、もう「偽造紙幣の隠蔽いんぺい」というきな臭い事件の匂いしかしなかった。でも女性はそれを見越しているかのように言った。


「いいえ。これは『死後の世界のお金』なの」


「『死後の世界のお金』……って?」


「私のダンナさん、ずっと昔に亡くなったんです。私の住んでいた香港の道教では、亡くなった人が来世で困らないように紙で作った死後の世界用のお金や日用品を燃やして供養するんです」


 確かに一斗缶の、隣には額に入った写真の前に細い煙を燻らせているお線香が立っている。


 私の実家の九州でも精霊流しの行事はあるし、お盆やお彼岸にお供えもする。でも亡くなった人の死後の世界用のお金って。やっぱり違和感があった。


「これ、造ったものですか?」

 改めて見るとちゃちで、おもちゃのお札にしか見えない。


「いいえ。香港には、来世の品物を売っているお店があるんです。来世の生活に必要な物が紙で造られて揃えてあります。香港に帰ったら、まとめて買うんです」


「そうなんですか? 日本へはどうして?」


「姉が日本の人に嫁いだんです。ずっと私一人で香港に暮らしていましたが、十年前にこちらに来ました。こちらには私にも出来る仕事があるんです。掃除や家政婦さんや。それに向こうより暮らしやすいので」


「そうなんですか」


 暮らしやすいとは言っても、異国に渡ってきて大変だろう。優しげに笑ってるこの人はもしかしてすごく強い人なのかなと思った。ふと写真に目をやると、そこには十代に見えるくらいの若い男女が写っていた。イケメンさんと可愛い女の子。


「これはもしかして?」


「ダンナさんと私です」


「一体何才の時に結婚されたんですか?」


「十八才の時です。若いでしょう? 高校の吹奏楽部の先輩だったんです。卒業後すぐに結婚したのでお金がなくて、田舎の親戚の家を借りてました。夏の夜はよく二人で蛍を見て過ごしました。でもダンナさんは一年で病気で亡くなったんです」


「……そうなんですか?」


「可哀想と思いますか? でも私、こうして死後の世界で必要なものを燃やしていると落ち着くんです。

 子どもの頃、おばあちゃんがこういう供養をやっていたんです。小さい頃は、それに意味があるのか不思議だったんですが、今は分かるんです。こうしていると好きな人といつまでも一緒にいられる幸せを味わえるって。ただ本当はダンナさんが生きてたら、一緒に日本に来たかったんですけどね。香港では雪が降らないので、一緒に雪を見たかったんです。ゴメンナサイ。歩いている所を長話して」


「いいんです。気になって話しかけたの、私の方なので」


「そろそろ燃え終わります」


 私は写真の幸せそうな二人が煙と共に水色の空に向かって歩いている幻を見た気がした。そして炎と一緒に舞い上がった灰が小さな雪片に見えた。



「ホント。もう燃え終わりますね。炎を見るの、久しぶりです。

 何て言うか、ダンナ様は今、きっと天国で幸せな気持ちでいるんだろうなって思います。ごめんなさい。もう、行かなくちゃ。私こそせっかくの時間をお邪魔しちゃってすみませんでした」

 私はまるでその夫婦の二人の時間を邪魔したような気がして謝った。女性に別れを告げると、またゆっくりとした足取りでマンションに向かった。


 何かしんみりとした。でも素敵な話だった。あの人はポジティブで、くよくよなんかしていない。

 もしかしたら、私の仕舞ってある思い出の箱も同じような物なんだろうか。私だって過去を引きずっているわけではなくて、今はコウキ君だけを愛してる。でも叶わなかった未来が何処か別の世界にあって、そこではハッピーエンドだったと信じたい気持ちもある。それがあるから世界の重みに耐えられる気がする。



 私は子どもの頃からワガママで、よく飽きてしまったおもちゃをすぐに捨てたがった。新しい物をまた買ってもらおうと。でも失恋して、ちょっと分かった事がある。要らなくなったものの気持ちかな。それとも捨てなきゃいけない悲しみかな。


 その時、コウキ君が後ろから追いついて来た。

「まだ帰り着いてなかったんだ」


「うん、ちょっとね」


「さっきは意地悪言ってごめん」


「いいよ」


「あ、そうだ。さっきコンビニで隣んちの娘さんが言ってたんだ。もしファッション雑誌、いらないのあったら、これからは譲ってほしいって。今、服飾の専門学校に行ってるらしいよ」


「いいよ。うん、そうしよう。それなら無駄にならないし。すごく……こういうの、表す何かいい言葉があったよね?」


「えっと……SDGs?」


「いや、消えるような物が別な所で生きるみたいな」


「捨てる神あれば拾う神あり?」


「それはまぁ、そうなんだけど。もっと違う、ホラ、ものは決してなくならないって意味の言葉」


「エネルギー保存の法則?」


「かなぁ。 近くなったような、離れたような……。いいか。 そのうちきっと思い出すから」




〈Fin〉

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