Chapter5 うるせえガキどもだな

 勉強会の約束をした土曜日を迎え、私は校門の前でルチアと林を待っていた。時刻は11時18分。少し早かっただろうか、と思っていると、遠くから聞き覚えのある声が届く。


「ロクちゃーん!」


 ルチアだった。オレンジ色の小ぶりなファッションサイクルに跨って、こちらに手を振っている。


 私のすぐそばに自転車を止めて、ルチアはハンカチで汗を拭いた。空は晴れ渡っているが、爽やかな快晴というよりゲンシグラードンの復活を疑う大日照りである。今は木陰にいるから多少はマシだが、来るまでの道中は散々日差しに焼かれた。日焼け止めを塗ってきたとはいえ、肌への影響が心配である。帽子くらい被ってくるんだった。


「菜乃ちゃんは?」

「まだ来てない。……途中でぶっ倒れてないだろうな」

「……あんまり遅かったら連絡入れてみよっか」

「そうだな」


 それから並んで林を待つことになるわけだが、ルチアが何やら、私の顔を覗き込んでいることに気づく。


「何だ?」


 首を傾げると、ルチアはうっすらと頬を染めた。


「ご、ごめん。なんだろ、ロクちゃん、いつもよりお姉さんに見えるから。目元とか……」

「……まー、そうじゃなきゃ困るな。わざわざメイクしてる意味ない」

「え、お化粧してるの!?」


 ルチアが大袈裟に驚く。憧れを孕んだその目の輝きに、私はちょっとたじろいだ。


「……そんな珍しくもねえだろ」


 私がメイクをするのは休日に外出する時だけだし、マスカラとリップグロスくらいしか使わない(母との取り決めである)。一部の三年生などはフルメイクで学校に来ているらしいし、彼女達に比べればまだ私など慎みがある方だろう。しかし、ルチアは首を振った。


「そんなことないよ、すごいよ。自分のメイク道具持ってるんでしょ?」

「ん、まぁ……一応は」

「……いいなぁ。私も買っちゃおうかな、こっそり」

「お前は無くても平気だろ、素で美人だし」

「……やめてよ、もう」


 恥ずかしそうに身じろぎするルチアは、当然ながら私服である。淡いクリーム色のワンピースに、水色リボンの麦わら帽子。私が想像していた「私服のルチア」をそのまま投影したような姿をしていたが、その立ち姿がまぁ想像のそれよりも遥かに可憐である。実はやんごとなき身分の方です、と紹介されても全く違和感のない気品を感じる。自転車どころかリムジンでこの場に現れていたとしてもおかしくはなかっただろう。


「制服以外も似合ってんな」


 私が重ねて褒めそやすと、ルチアはますます頬を赤らめて、ぎこちなく笑った。


「……ロクちゃんもカッコいいよ」

「……どーも」


 ストリート系を意識したコーディネートの私に、ルチアが上目遣いでカウンターする。私は流石にちょっと照れて、目を逸らした。


 私のファッションセンスは、母親には評判が悪い。「ヤンキーみたい」などとよく言われる。……でも、こうやって褒めてくれる奴もいるのだ。参ったか、母さん。


「……そういえば私達、休みの日に会ったことなかったんだね」


 どことなく照れの余韻を残したまま、ルチアが呟く。


「あぁ、そうだな」

「菜乃ちゃんとはよく遊ぶの?」

「まぁ……ああ、いや。昔はよく遊んだけど、中学に入ってからはそこまででもないかもな。1年の時はクラス違ったし。体育祭の前に呼びつけられたくらいだ」

「あ、もしかしててるてる坊主の時?」


 ルチアがくすくす笑った。体育祭に雨を呼ぶため、大量のてるてる坊主作りを手伝わされた件は彼女も知っている。というか、それがルチアに林を紹介するきっかけだった。この話を聞いたルチアが、面白そうな子だから会ってみたい、と言い出したのだ。で、実際会わせてみた結果二人は意気投合し、今に至る。というか、林は大体のやつと意気投合する。上手くいかなかったのはそれこそ福野くらいのものだろう。


「……今年はお前も呼ばれるかもな」

「全然協力するよ? 私も体育祭やだもん」

「やる気のねー連中だ……」

「ロクちゃんに言われたくないなぁー」


 ルチアはくすくす笑って、それから少し、遠い目をした。


「……いいなぁ。菜乃ちゃんとロクちゃんは、幼馴染なんだもんね」

「ハハ……まぁ、腐れ縁とも言うけどな」

「またまたぁ。ねぇ、実際会ってからはどれくらいになるの?」

「保育園からだから……かれこれ10年弱くらいにはなるんじゃねぇか?」

「えっ、そんなに長いんだ!」

「まぁ、な」


 同じ保育園を出ている奴は東條中にもそこそこいるが、今でも関係性が続いているのは林だけだ。……「アレ」があって以来急激にやさぐれた私からは多くの友人が離れていったが、林だけは変わらない態度で私に接してくれた。それが優しさなのか、単に細かいことに頓着しないアイツの性格故なのかはよくわからない。……どちらにせよ感謝はしているが、こんな事は気恥ずかしくてとても言えない。


 結局林は、予定より3分遅れて校門に現れた。両手に斧を持ったウーパールーパーが描かれた、謎のTシャツを着ている。


「誤差5分未満。私にしてはよくやった方でしょ?」


 遅れてきたくせに誇らしげである。私達は二人で、その頭を軽くシバいた。林は楽しそうに「いてえ」と言った。


 さて、昼前だ。少し早いが、林の家に行く前に、三人で昼食とすることに決まる。「郎行こうぜ郎!」などという林の提言にお嬢様のルチアが目を輝かせるが、私はそれを全力で制止し、最寄りのマクドナルドに二人を引きずっていった。少食のルチアにあんなもん食わせたら後の悲劇は目に見えている。


 店内には結構な数の客がいた。テーブル席が数箇所しか空いていなかったため、林に席取りを頼む事にする。そうでもしないとすぐに埋まりそうだ。別に持ち帰りにしても良かった気もするが。


「じゃあ親子テリヤキLLセットにチーズバーガーお願いね、お金あとで渡すから」

「食い過ぎだろ……小遣いいくら使う気だよ」

「大丈夫! ドリンクは爽健美茶だよっ!」

「そういう問題かなぁ……」

「食い過ぎても体に響かないのは若い頃だけだから今のうちに食っとけって、おとーさんが言ってたもんっ」

「響いてんだろうがこのだらしねえ腹にオラオラ」

「おらおらーっ」

「イヤーッ! 揉まないでエッチー!」


 前に並んでいた客が「うるせえガキどもだな」と言わんばかりの目でこちらをチラ見したため、会話は中断して林を送り出す。行列の先頭では年配の客が、新人らしき店員によくわからん注文をつけて困らせているところだった。


「……接客のバイトはしたくねえな」


 こういう光景を見るたびにそう思う。ルチアが神妙な顔で頷いた。


「私も……。でもなんかコンビニバイトのロクちゃん、想像つくかも」

「そうか?」

「うん。なんか『らっしゃーせー』とかダルそ〜に言いながらレジでスマホいじってそう」

「めちゃくちゃ不良店員じゃねぇか。……ちょっとわからんでもないが」

「へへ、そうでしょ」

「お前はアレだな、喫茶店で客にコーヒーぶっかけてそうだな、転んだ拍子に」

「もう、そんなおっちょこちょいじゃないよー」


 ルチアはくすくす笑ったが、ふとその表情が、寂しげになった。


「……ロクちゃんは、バイトできる高校目指す感じ?」

「ん? あぁ、まぁな。遊ぶ金欲しいし」

「犯行動機じゃん。でも、公立だと厳しそうだよね……」

「そうなんだよなぁ……」


 油田家は経済的に困窮しているわけではないが、そこまで余裕があるとも思えない。これから兄が大学に進むことを考えると、なんか知らんけど学費が安いらしい公立の方が親は助かるんじゃないか……というのは、ガキの私でもなんとなくわかる。もちろんどうしても私立に行きたい何らかの理由があれば別だろうが、流石に「バイトしてーから」くらいの理由で進学させては貰えないと思う。


 兄は校則を無視してバイトをしているが、教師からは成績で見逃されている部分もありそうな気がする。流石にそんな領域にまで到達するのは厳しい。


「公立で校則ゆるゆるのとこあればいいんだけどな。なんなら染髪OKくらいの」

「え、髪染めたいの?」

「ん……まぁ、それは別に大学進んだりしてからでも良いんだけどさ。メッシュ入れてーんだよな。金とか紫とか」

「わっ、それいい! 絶対カッコいいよ!」


 ルチアが目を輝かせて私を見た。メッシュを施した私の姿を幻視でもしているのか、私の頭のあたりを眺めながら、ルチアは夢見るようにゆらゆら揺れる。


「ね、入れたら写真送ってね」

「送るも何も実際に見せればいいだろ?」


 首を傾げると、ルチアは寂しげに目を伏せた。


「……でも、同じ学校進めるか、わかんないし」

「ん……まぁ、そうか」


 あまりにもルチアの存在が当たり前になっていて、そんな事さえ忘れていた。言われてみればそうだ。ルチアが将来のことをどう考えているのか知らないが、目指すものまで私と一緒になる訳ではあるまい。いつか進むべき道が分岐すれば、別れの日はやってくる。嫌が応にも。


「……せめて同じ高校、行きたいな」


 ルチアがぽつりと呟いた。


「じゃあ、今から頑張って私に追いつかねーとな?」

「えっと……ロクちゃんの方から降って頂くというのはいかがでしょうか……?」


 上目遣いでそんな事を抜かしてくるルチアの頭を、笑って軽く小突いてやる。


「甘えるんじゃありません」


 ルチアは無邪気に、悪戯っぽく笑った。


 やがて順番がやってくる。林の分まで注文を伝え、レジの隣で番号が呼ばれるのを待った。モバイルオーダーの客が、列に並びもせず商品を受け取り去っていった。現金以外の決済手段を持たぬ我々中学生には振るえない特権である。その背中を羨ましく思いながら眺めていると、そのうち番号が呼ばれた。出てきた品を二人で携えて、林が取っておいてくれた窓際のテーブル席に座る。


「……マックにそんなもんあったのか」


 ルチアの前にちょこんと鎮座しているものを眺めて、私は呟く。ちょうど、二色のミックスベジタブルみたいな食い物である。


「え、うん。あるよ、えだまめコーン。ポテトの代わりにつけられるんだ」

「なんか量少なくね?」

「私はこのくらいでちょうどいいんだよ。むしろポテトだとお腹膨れちゃって」


 そう言って照れ臭そうに笑うルチアの手にはフィレオフィッシュ。おそらくマックのセットで一番ローカロリーな組み合わせではないか。


「……つくづく郎行かなくて良かったわ」


 ちょっと前に林から話を聞き、興味本位で入ったことを覚えているが、あの時の事は思い出したくもない。味はジャンキーで美味かったし、残すのはダサいの一心でなんとか完食したものの、それからしばらく碌に動けず、なんとか帰宅したと思ったら兄から「ひーなんかニンニク臭ぇんだけど」とか言われてめちゃくちゃ傷つき半泣きで歯を磨いた。


「えー。でもちょっと食べてみたかったな。一番小さいサイズ、私とロクちゃんで分ければなんとか」

「そんな事してたら常連に殺されるぞ」

「殺されるの!?」

「いや嘘だが。普通にタブーなんだよ、分け合い。店先にも書いてある」

「そ、そうなんだ……。良かった、行かなくて……」

「だろ?」


 そう言って笑い合う私達だが、不意に林がポテトをいっぺんに5本くらい貪り食う手を止めて、神妙な顔をした。


「……こだまめ、エーン」


 何かと思ったらルチアのえだまめコーンを見ている。何だこいつ……と思っていたら、ルチアが激しく咽せ始めた。何だコーンが喉に詰まったか、と思ったら、


「えふっ、えふっ! うっ、ふふ……ふひっ、ふふふ……!」


 何やらテーブルに突っ伏して、肩を震わせている。どうやら今のがツボにハマったらしいと気づくまで少しかかった。


「……そんな面白いか?」


 呆れる私に、林がケラケラ笑って言う。


「ルチ公、これ系弱いんだよね。こきたてヒーヒー的なやつ」

「ぶふっ……! 菜乃ちゃんや、やめて、ふひひひひっ……!」

「……そうらしいな」


 こだまめエーンはともかく、可憐な姿に似合わぬ品のない笑い方がちょっと面白くて、軽く追撃を加えてみる。


「……ばりやきテーガー」

「んっ、んふふっ、ろ、ロクちゃんまで、ふふっ、ふひゃへひひひっ……!」


 私達の攻撃は、ルチアが涙目になるまで続いた。ゴミを片付けて退店する最中もルチアは時々「うひひっ」とか思い出し笑いしていて、他の客が訝しげな視線を向けてきた。ちょっとやり過ぎただろうか。


 自転車を十分ちょっと走らせると林の家まで辿り着く。ややこじんまりとしたごく普通の建売住宅である。林に促されて家まで上がると、ミントの消臭剤がふわりと香った。シューズラックの上にはサボテンがちんまりと飾られている。前に来た時にも出迎えてくれた馴染みのサボテンである。久しぶり。


 林に先導されて2階の部屋まで上がる間、ルチアはずっとキョロキョロと辺りを見回していた。友達の家で遊んだことがない、というのは、なるほど間違いではないらしい。


 林の部屋は物、というか、色が多い。本棚には漫画が収まりきらない程に並び、学習机にはステッカーがベタベタ貼られていて、ベッドの上にはアニメキャラのぬいぐるみがずらりと並んでいた。前来た時より数が増えているような気がする。


「モーラちゃんだ!」


 そのうちの一つに、ルチアが歓声を上げる。可愛らしい2頭身にデフォルメされてはいるが、どこか影のある造形がなされた少女のキャラクターである。


「いいでしょー、親戚のおねいちゃんがゲーセンで取ってきてくれたんだぁ」

「へー、『欠けカタ』のグッズなんてあるんだ。私も欲しいなぁ……」

「ぬいはともかくアクキーくらいならアニメイトにもあったと思うぜ」

「え、ホント?」


 『欠けカタ』――『欠けゆく彼方のカタコンベ』は、最近二人がお熱なサイコホラーゲームのタイトルである。Webブラウザ上で無料公開されているいわゆるフリーゲームの一つだが、有名実況者による動画投稿をきっかけに人気が爆発したらしい。


 ……私も一応プレイはしたのだが、探索ADVの形をとっている割にゲーム性が皆無に等しいせいでいまいち好みに刺さらなかった。まぁあくまでシナリオとキャラクターを楽しむ物なのだろうし、それを否定まではできないが……。


「……おい、お前さん達何しに来たんですか」


 『欠けカタ』トークで盛り上がっている二人に私は釘を刺す。……別に置いて行かれて寂しかったとかではない。


 林は「おっとそうだった」とか言いながら、ベッド脇に立て掛けられていた折り畳みテーブルを部屋の真ん中、カーペットの上にどすんと設置し、満面の笑みで言った。


「何して遊ぼっか!!!!!」

「勉強会つってただろうが」


 さて、各々教科書やらノートやらを取り出し、テスト勉強を開始する。一応は上から数えた方が早い成績順位の私が、平均やや下のルチアとド底辺の林に、教えられるところは教え、無理なところは一緒に調べるなどして時間を過ごす。


「ロクちゃん、この問題どうやって解けばいいの……?」

「連立方程式使え。Aの数をx、Bの数をyにすればx+y=25にできるだろ」

「あっ、わかった! ありがとう!」

「ひばりん、これは?」

「合成抵抗は逆数の合計」

「逆数……?」

「そっからかよ……」

「ロクちゃん、これなんで間違ってるのかわかんない……」

「計算が逆、yの変化量をxの変化量で割るんだろ」

「え、あ、ホントだ……」

「ひばりんトイレ」

「ひばりんはトイレじゃありません」


 ……それから2時間くらいが経っただろうか。理科の問題集と格闘していた林が急に頭を掻き毟り、カーペットの上にひっくり返った。


「あー! もう知らん! 勉強なんてやってられっか! られっかワラビー!!」

「お前今日絶好調だな」


 手足をばたばたさせる林を見ながらルチアは楽しげに笑い、それから憧れの眼差しで私を見つめた。


「ロクちゃんすごいね、自分が成績いいだけじゃなくて、他の人に教えられるの」

「当たり前田のクラッカー、ひばりんは兄貴が県内トップの進学校に通ってるからなっ」


 林がカーペットから起き上がり、なぜか自分が誇らしげに胸を張る。私の兄なのだが。


「……いや、別にそれは関係ねえだろ」

「へー、そうなんだ! すごい頭いいんだね」

「しかもゲームめっちゃ上手いよ。おまけにすげえイケメンだし」

「……そこまでじゃねえって」


 私はため息をつきながら、手の中でシャープペンシルを弄う。林は一応兄と面識がある。うちに遊びに来た時顔を合わせた程度なのだが、彼女はよく兄を褒め称えた。……それを聞くたびに、私の中には複雑な感情が渦巻く。誇らしい気持ちと、それから――。


 ――いや、言葉にするのはやめよう。流石に、恥ずかしい。


「じゃあ、お兄さんに勉強教わったりしてるの?」

「……ん、まぁ、たまにな」


 私にとって、兄に勉強を教わるのは最後の手段である。聞けばいつも教えてはくれるのだが、兄の時間を奪うのは申し訳ない、という気持ちがあるからだ。ルチアは羨ましそうに私を見て、微笑んだ。


「……優しいお兄さんなんだね」

「……ん」


 私はそっぽを向きながら、とりあえず肯定の意だけを示した。……そうだ。なんだかんだ、兄さんは優しい、と思う。私には。


 その時ふと私は、林がテーブルから消えていることに気づく。見ると、部屋の隅のテレビに何かコード類を繋げているところだった。


「……何してんだお前」

「え? そろそろみんな疲れたかなって思って。息抜きにゲームしようぜ、ゲーム」

「あ、やりたいやりたい!」


 ルチアが自分のシャーペンを放り出し、私は額を抑えた。やっぱり勉強会は建前か。


「……あのな、息抜きで済むわけないだろ。どうせ帰るまでやり続けるぞ」

「えー、でも、折角友達の家だし……」

「う……」


 ルチアが指を絡ませて、寂しげに俯く。見ようによってはあざとい仕草だが、彼女の背景を考えると強く言えない。すると林が私とルチアを見比べて、もちもちの掌を打ち合わせた。やけにいい音がした。


「よし、じゃあ勝負で決めよう」

「勝負……?」

「コイツでさ」


 ニヤリと笑って林が取り出したのは、某大乱闘アクションゲームのパッケージ版。友達とワイワイ遊ぶゲームの定番であろう。私はいつも兄ともくもくと対戦しているが。ルチアが目を輝かせた。彼女は例によって、実況プレイしか見たことがないらしい。


「ストック1で、ひばりんvs私&ルチ公のチーム戦。これなら嫌でもすぐ終わるでしょ?」

「……なんで私だけソロにされてんだよ」

「まぁまぁ、最後までお聞きなさいお馬鹿さん」

「今馬鹿って言ったか?」

「まずですね。私とルチ公のうちどっちか片方が撃墜されたら、試合終了次第、我々は大人しく勉強に戻ります」

「本当か……?」

「ホントホント。ただしひばりんが撃墜されたら当然ひばりんの負け。息抜き続行!」

「……ふむ」


 ……ルチアはこのゲームを遊んだことがないし、操作も教えなければわからないような状態だろう。実質私と林の一騎打ちであると言っていい。


 それにこれでも私は、兄と散々このゲームで対戦しているのだ。実力はそこそこついている自信がある(彼のジョーカーを撃墜したことは人生で一度しかないが)。林ごときを1ストック落とす程度なら容易い。


「……いいじゃねえか。受けてやるよ」

「……ふふっ、そう言ってくれると思ってたぜ」


 林の瞳が、丸眼鏡の奥で輝いた、気がした。


「はいっ! 菜乃ちゃん!」


 すると、ルチアが元気よく手をあげる。


「何かねルチ公!」

「それだとロクちゃんが一個もリスクを負ってないです! ふこーへーだと思います!」

「いや、リスクも何もねえだろ……」

「えー、だってロクちゃんもほんとはゲームしたいでしょ? どっちに転んでもお得じゃん」

「……」


 ……否定できない。本当のところを言うと、私もこのまま三人で日が暮れるまでスマブラしたい。テス勉とかマジで知ったこっちゃない。林が「へっへっへー」などと不気味に笑いながら胸を張った。


「ご心配なく。ひばりんが敗北した場合、追加で罰ゲームも受けていただきますので」

「ハァ!?」


 いきなり知らされた事実に、私は素っ頓狂な声を出した。


「待て待て待て! そんなこと一切聞いてねえぞ!」

「えー、でも受けるって言ったじゃん!」

「説明が足りねぇんだよキュゥべえかテメェは!」


 するとルチアが、ちょっと残念そうな下がり眉で私を見つめてくる。


「……やめちゃうの? さっきの『受けてやるよ』っていうの、カッコよかったのに」

「うっ……」


 どうしてこうこの娘は、何かにつけて私の心を揺さぶる事を言ってくるのか。……私は、林がにこやかに差し出してくるプロコンを、結局、受け取った。


「……ちなみに、罰ゲームってのは何なんだ」

「それは受けてみてのお楽しみー」

「ぜってぇ受けねぇ」

「わぁい、スマブラだぁ」


 ――さて、ゲームを始める前に、軽くルチアに操作説明だけしておく。林が慣れた様子でルール設定を終え、見慣れたキャラクター選択画面が液晶の上に現れた。ルチアは誰を選ぶか悩みそうな気がしたが、意外にも即決でプリンを選んだ。可愛さで決めたのだろうか。そこそこ上級者向けのキャラのはずだが。


「……おい林、ルールに一個追加」

「うん?」

「ルチアがまだ慣れてねえだろ。操作ミスでストック落とした場合は仕切り直しでいいぜ」

「わ、ロクちゃん優しい……!」

「ほーう。敵に塩を送るとは余裕じゃん、ひばりん」

「……これでも多少はやり込んでるからな」


 私は手に馴染んだリンク、林は散々迷った挙句ヨッシーを選択した。……さて、ぶっちゃけた話、最善手はとっととルチアのプリンを集中攻撃して撃墜する事である。そうすれば内容不明の不気味な罰ゲームを受ける事は免れるわけだ。


 ……しかし、彼女がスマブラをプレイするのはこれが初。その大事な時間を一瞬で終わらせてしまうのは流石に良心が痛む。だとすればやはり狙うべきは林だ。こいつならいくらボコしても心は一切痛まない。ルチアのためにも、出来るだけ時間をかけて嬲り殺しにしてやろうではないか。


『Ready……Go!』


 大乱闘が始まる。私は作戦通り、林のヨッシーめがけてリンクを駆った――。


 ――で、数分後。


『Game Set!』


「「やったーっ!」」


 リザルト画面。ポーズを決めるヨッシーとプリンに同期して、林とルチアがハイタッチしている。私はといえば、勝者を惜しみない拍手で讃えるリンクを呆然と眺めていた。

 

 ――ふわふわその辺を飛び回っているプリンを無視してヨッシーを追走した私のリンク。しかし彼方此方に逃げ回りながらレイガンを撃ちまくる緑の恐竜に翻弄され、知らぬ間に設置されていたセンサー爆弾を思いっきり踏み抜き、それでも十八番のコンボを叩き込んでトドメを刺そうとしたその瞬間、背後からいきなり転がってきたピンク色の物体に轢かれて派手に吹き飛ばされた。そして戦いは呆気なく終わった。


「なーんだ、ひばりん、上級者ぶってた割に大した事ないじゃん」

「ち……違……。兄さんとやってる時はいつも時間制でアイテム無しだし……。大体うちにあるのGCコンだし……勝手が……」

「往生際悪いぞ、リンクを見習いなさい。でもロクちゃん、やっぱり優しいよね。最初から私狙えば良かったのにぃ」

「ぐ、うぅ……」


 ルチアが目を細めて、意地悪く笑う。まさかこいつ、最初からわかっててやってたのか。こんな子に育てた覚えはないぞ。


「さてと。約束通りひばりんには、罰ゲーム受けてもらおっかな〜」


 林が、部屋の隅に鎮座したクローゼットの方にスキップで近づく。……クローゼット。私は、不吉な予感に全身が粟立った。


「お、おい……」

「じゃーん」


 林がこちらに見せびらかしたのは、ああ、何たる事か、メイド服である。それこそ秋葉原のメイドでイメージされるような、スカート丈が短くてリボンとフリルだらけのメイド服である。極め付けに林が「あとこれも」とか言いながら、ご丁寧に猫耳つきカチューシャやつけ尻尾、レースのニーハイソックスやらまで引っ張り出してくる。ルチアが歓声を上げた。


「わー、メイドさんだ!」

「さて、敗北者のひばりんにはこちらを着用して頂きます」

「きゃーっ!」

「ふ、ふざけんな! つーか何で持ってんだそんなもん!」

「親戚のおねいちゃんがくれたんだけどさ、私のわがままぼでーじゃ着れなくて……」

「着れねえなら何で保管してんだよ……!」

「え? ひばりんに着せるために決まってんじゃん! 馬鹿だな君はー」

「馬鹿はテメェだ!!」


 ヤバい、これは本当にヤバい。そんなものを着せられたら、私の今まで築き上げて来たイメージが全部パァになる。私はドアまでの最短経路を一瞬で計測し立ち上がろうとするが、ルチアが私の腕に抱きついてそれを妨害する。


「は、放せーッ!」

「年貢の納め時だよロクちゃん! さぁ大人しく猫耳メイドさんになるのだうへへ」


 ルチアの目は爛々と輝き、なんなら涎など垂らさんばかりの様相であった。私は戦慄する。


「い、嫌だ! 猫耳メイドさんになんかなりたくない……!」

「もう、しょうがないなぁ……脱がせるからルチ公抑えてて」

「おっけー」


 ルチアが全く躊躇いなく私の両腕を掴む。林の手がシャツの裾に伸びて、思わず上ずった悲鳴が唇から漏れた。


「やっ……! ま、待って! せめて、自分で着させてぇッ!」


 ――で。


「「かわいいーーーッ!!!!!」」

「や、やめろ……撮るなぁ……」


 ルチアと林の黄色い声が、近隣住民にまで聞こえるのではないかと疑う声量で響き渡る。林がわざわざ両親の部屋から持って来やがったクソでかい姿見に、無惨にも猫耳メイドと化した私が、屈辱と羞恥に涙目になりながら震えている姿がまざまざと映し出されていた。


「……こ、こういうのはルチアみたいなのが着るから映えるんだろ……。私が着たところで……」

「何言ってんの、クールビューティーなひばりんが着るからこそギャップが効くんでしょ。大体ルチ公に着せたら犯罪だし」

「私でも犯罪だろうが……ッ!」


 そのルチアはスマホをこちらに向け、謝罪会見に集まった記者もかくやの勢いでシャッターを切りまくる。こいつがこんなに興奮してるところは見たことがない。怖い。


「あーもうホント可愛い……。可愛すぎるよロクちゃん、おかしくなっちゃいそぉ……。ね、こっちに上目遣いちょうだい? なんなら猫ちゃんのポーズでにゃーって言って?」

「い、言ってたまるか……」

「……言ってくれないの……?」

「……に……にゃー……」

「「きゃーーーっ!!!!」」


 最悪である。生まれてこの方こんな辱めを受けたことは一度もない。しかし、楽しそうな友人達の姿を見ていると、無碍にする事もできない。私は自分のお人好しさを呪った。


「ね、今度はこのポーズで撮りたいんだけど、ベッド借りちゃっていい?」


 ルチアが自分のスマホの画面を林に見せる。林は目を輝かせて頷いた。一体何が映っているのか。「ベッド」という時点で嫌な予感しかしない。


「いいじゃんいいじゃん! 全然オッケー、使って使って!」

「た、助けてくれ……誰か……ぁ……」


 ――結局私はその後、暴走したオタク二人組によって好き勝手弄ばれたのであった。



 そして、いつしか日が傾き始める。ルチアの門限が迫ったため、私達はその場で解散することとなった。


「……ホントに送ってかなくて大丈夫か?」

「へーきだよ、自転車乗ってるし。今日くらいは一人で帰れるもん」


 林の家の玄関先で、私(流石にもうメイド服ではない)は林と二人、ルチアを見送る。自転車のペダルに足をかけて、ルチアは幸せそうに微笑んだ。夕焼けの空に映えて、その笑顔はひどく美しく、そして切なげに映った。


「……すっごく楽しかった。また誘ってね」

「当たり前じゃん。今度は藤ちゃんたちも誘おうね」

「うんっ。……じゃあ、またね! ロクちゃん、菜乃ちゃん!」

「おう、気つけてな」


 ルチアは自転車を漕ぎ出し、私達に手を振りながら帰っていった。よそ見していたせいで途中電柱にぶつかりかけるなどしており、ちょっと心配になる。やがて彼女の姿が曲がり角に消えると、林が私の顔を覗き込んだ。


「ひばりんはどうする?」

「ん……そうだな。勉強するには半端だな……」

「じゃあスマブラして時間潰す?」

「一応テスト期間だからな? そっちの親に見られたら印象良くねーだろ」

「あー確かに。そろそろ帰ってくるかもだしね。じゃあひばりんも帰る?」

「……そうだな。そうするわ」

「うぃ、わかった」


 私は林の部屋で荷物をまとめた。「……メイド服持って帰る?」などと言われたのでその頭を軽くシバき、また玄関に戻る。靴紐を結んで立ち上がった時、林が不意に「……ひばりん」と私を呼んだ。妙に自信の無さそうな小さな声だ。私は振り返って、彼女の方を見る。


「……ごめんね。さっきはちょっと、イジり過ぎ、だったよね」


 林は、もじもじと足の指を動かしながらそう言って、俯いた。


 こいつは、昔からこういうところがある。散々ふざけて人に接して、後から反省して落ち込むのだ。こっちは大して気にしてもいないのに。……私は、林のこういうところが放っておけない。小さく笑って、頭をぽんぽん叩いてやると、林は「えぅ」とか変な声で鳴いた。


「別にそんな気にしてねえよ。しょげんなって」

「で、でも、勉強教えたりとかしてくれたわけなのに、さ……」

「別に感謝されたくてやったわけでもねえしなぁ。人に上から目線でもの教えるのって結構気持ちいいんだぜ。それに、ルチアも楽しそうだったろ」


 ……ついでに言うと終盤、私もちょっと吹っ切れてきて、楽しくなっていたことは否めない。場の空気に酔わされたとでも言うべきか。それは正直、悪くない感覚だった。


「……まぁ、流石に二度目はねーけどな」

「……よかった。じゃあ、また着せられるなっ」

「お前私の話聞いてたか?」


 私達は玄関で笑い合う。興が乗ると野盗の頭領が如く豪快に笑う林だが、今の笑顔は、悪戯好きな少年みたいに幼げだった。


「じゃあな。明後日また、学校で」

「ういっ。不審者に気をつけろよぅ」

「即撥ね殺すから安心しろ」

「ひばりんは強い女だなあ」


 いつも通りの軽薄なやりとりを交わして、私は林に別れを告げた。彼女のふっくらした頬に少し赤みが差して見えたのは、開いたドアの向こう側から差し込んだ夕日のせいだっただろうか。


 家に帰り着くと、家族はまだ誰も帰っていなかった。両親は仕事、兄はバイトだろうか。部屋のベッドでびわが寝ていたが、場所が珍しく隅っこだったため、私は空いた部分に寝転んだ。スマホを弄っていると、程なくして、ルチアからメッセージが届く。


"今日はホント楽しかったよ! 最高だった!"


 その天真爛漫さに心和ませるが、続け様に送られて来たものを見て、私はメロスばりに赤面する。猫耳メイド服を着て、上目遣いで猫のポーズを取る私。それから、林のベッドの上で、抱き枕カバーのイラストみたいに仰向けになっている私。その他諸々計8点。これ冷静に見たらヤバいだろ、と思うようなレベルのものもちらほら。


「〜〜〜ッ!!」


 羞恥で足をばたつかせると、びわが迷惑そうにえゃあと鳴いて、私のつま先に猫パンチを食らわせた。


"お前これ他のやつに見せるとかしたらマジで許さねえからな"

"もうクラスLINEにアップしちゃった!って言ったらどうする? (๑>◡<๑)"

"月曜日帯刀して登校するわ"

"サツバツ!"


「まったく……」


 私は枕に顔を埋めて、小さく笑みを溢す。……そして、送られた写真の中で、まぁ、一番恥ずかしくないやつを、カメラロールにこっそり保存した。

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