第2話 ぼくのなまえ
僕は毎晩、ここに来る。
ここは、もう使われていない、十階建ての古ぼけたビル。
立ち入り禁止の張り紙がしてあるが…何の意味もない。
鍵はもうこじ開けられ、自由に出入りできる。
そして、僕は屋上に立って、一言、呟く。
「平和が良いな…」
何故、十七歳になっても、そんなちっぽけな言葉しか出てこないのか…それはきっと…。
僕は高校へは行かなかった。
何故なのか?
とは、聞かないで欲しい。
しかし、一つ言うのなら、僕は人間が苦手だ。
高校に行かなかった、と言ったが、そんな簡単な九文字で決まるほどその選択は生易しいものじゃなかった。
まずは、父、母、姉、の三人は、猛反対した。
「今時中卒で回っていける仕事なんてないんだぞ!すぐに考えを変えないなら、家から出ていけ!」
「そうよ。お母さん恥ずかしくて外出られないわ」
「本当に何言ってんの!?常識がないのは駄目人間の総称なんだから!」
「高校へ行かなくても勉強は出来るし、常識に外れれば、何か、自分のしたい事、出来る事、きっと見つかると思うんだ」
「何を開き直ってるんだ!良いから、高校には行きなさい。もちろん、進学校のK高校だ。いいな!!」
「でも、僕は今日まで父さんと母さん、そして姉さんに何も文句は言わなかった。父さんが言うから、中学の三年間、ずっとテスト一番だったし、礼儀だって一つひとつ完璧にマスターした。それに、僕にはないんだ…」
「ない?何がだ!自分の部屋があり、風呂もあり、トイレもあり、洋服だってあるじゃないか!それ以上を求めるには、お前はまだ早い!」
「…ないんです。生きてる実感が。まるで父さんたちの人形みたいで…。笑えもしない。泣けもしない。もう…残念ながら怒る気持ちもあの頃から消えて…」
「ふ…ふざけるなぁ!!!たったそれだけの事で中卒になろうというのか!?」
「そうよ!あなたが思うよりずっと、お父さんは苦労して、頑張ってるの。だから今あなたはここに、こうしていられるのよ?」
「全く…常識外れって何よ!自ら自分をみんなの視界の外に出なくたっていいじゃない!ばあか!」
「…誰も…誰も僕の名前を呼びませんね。いつからか覚えてますか?小学校一年の時からです。『この子は本当に勉強が出来て』『あんながり勉でも、恰好だけは自慢してんのよね』『私の教育方針は、自由に彼の意志を尊重し、気高くある事です』って…。小学生になった途端、僕の名前を、父さんも、母さんも、姉さんも…呼んでくれなくなった。僕は…何のために生まれて来たんですか?父さんたちの自慢にちょうどいい人形になるからですか?」
三人は急に黙りこくった。
ここで、三人がスッと名前を呼んでくれてたなら、僕は高校に行ったかもしれない。
しかし、その問いに、一瞬〔誰か!名前呼んでよ!〕と三方向に瞳を見渡した。
「じゃあ、良いですね?僕、高校にはいきません。失礼します。あ、あと、もうアパートは決めてあるので、大丈夫です。家賃やなんやらは請求しません。じゃあ、明日出て行きます。三人とも、お元気で」
これが、こうしてそのビルの屋上に立っている僕の過去だ。
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