第13話 せいれん

僕は、取り乱したことを、三人にお詫びした。

すると、


「そんな事言わないで。私は…私たちはそんな風に漣君に傷つけられた事も、泣かされた事も、怒られた事も、むしろ…私たちにとって、漣君は優しくて、みぁちゃんだって、最後にあったかい漣君に抱き締めて欲しくて、会いたくて…助けて、とは違うかもしれない。でも、みぁちゃんが最後に会いたかったのは…漣君だったんだと思う」


「僕は…その言葉が…悲しいです…みぁちゃんを救えなかった…そんな僕が…許せません…」

男らしくなく、僕は唯々、弱音を吐くしか出来なかった。



その日、僕は多田さんにラーメンをごちそうになった。

「漣君、君は本当に心の奇麗な子なんだな…。頭がよくて、冷静で、どんなに困難な事でも軽々やってのけるヒーローだ。…君の…話を…君が隠している、ご家族のこと…少し、聞いても良いかな?」

「…僕にはそんな家族はいません。あそこは地獄でした。でも…あそこで…もしも…」

漣の言葉が途切れた…。

「漣君?」

「すみません!!僕!今からH県に行ってきます!あの人たちに…家族に…会いに行ってきます!!仕事!明日、ちゃんと戻ります!」





そう言うと、僕は、新幹線に乗り込んだ。

僕の頭に僕がいた。

泣いてた。

僕はそのの顔を覚えていた。



「聖…君は誰だ…?」



五時間新幹線に揺られながら、僕は中学の卒業式以来、初めて、この街に戻ってきた。


僕の記憶の中にある、ほんの少し、本当に満員の東京ドームの三階席から見えるような、本当に遠い記憶だった。

だけど、僕は…僕のこの記憶が正しいのであれば、僕はあんな馬鹿なことをしなくても、あの家で、笑えてたのかもしれない。

怒ったり、泣いたり、姉と喧嘩したり、父に肩車してもらったり、母のおいしい料理を、こんな無表情ではなく、表情豊かで、元気いっぱいの十七歳になれていたのかもしれない。


そう思うと、泣けてきた。


家の前まで来たけれど、どうしてもインターホンを鳴らすことが出来なかった。

僕の記憶が間違っているのかもしれない。

あれは幻だった…かも…知れない。

しかし、

聖漣せいれん!!」

いきなり、母が玄関を開け、飛び出してきた。

【聖…漣…?】

「ううん!漣!お帰り!…無事で…無事で…良かった…漣…ごめんなさい。あなたを苦しめて…傷つけて…酷い…事を…して…ごめんね…」

「母さん…聖漣…て誰ですか?」

「…お前の双子の兄だ。漣…」

「父さん…双子…の、兄…」


みどり(姉)も玄関の入り口でうずくまっていた。


「ねぇ、みんな、とにかく、家に入って」

促されるままに僕は久しぶりに玄関から入ってくると見える、いわさきちひろの絵に、懐かしさまで覚えた。


「ごめんな。漣。私たちのせいでお前の人生を狂わせてしまって…。でも聞いてくれ。聞いても許せない、そう思ったら、もう私たちの所へは戻って来なくていい。自由になると良い。ただ、話だけは…させてくれ」




「二人が生まれて、私たちは本当に嬉しかった。漣お前は産声さえ上げたが、すぐ眠りについた。聖は産声をどんどん超えて泣きじゃくった。それでも可愛さは変わらない。漣はほとんど泣かず、聖ばかりが泣いていた。私たちはまず遊びを覚えさせようとした。絵本を過激に主人公は聖のつもりで読んだり、聖、聖、聖…。気が付けば、漣は無表情で、無感情になっていた事に…気が付いてやれなかった」


「じゃあ、今、聖は…?」


「いないよ…」

翠姉さんが悲し気な声で言った。

「え?」


「亡くなったんだ。生後八か月後に、肺炎で。私たちは聖の最後に病院でお前も連れて、しかし、それがそもそも間違いだったんだ。私たちの失敗はそこから始まってしまった」

「漣が…泣いたのよ。大きなその瞳から、ポタっポタっ…って」


「そこから、私たちは漣に聖の存在を消すことにした。いくら八か月の子供があの聖の…死を悲しんでるのかと思うと切なくて…」


けれど、漣、僕の中に、聖がいる。

それは消したくなかった…と母は言った。



そしてあってはならないルールを三人は決めたという。



僕の、名前を言わない事だ。



家族の中で、僕は密かにと呼ばれていたのだという。

僕が、もう聖の事を思い出さないように、英才教育を受けさせることで、兄の存在を消したかったんだ…と、三人は泣いた。


僕が中卒でこの家を出た日、三人はやっと拷問から解かれたと思ったという。

漣とはもう会えない。

そして、聖とももう会えない。


僕は二人分の教育を受け、二人分の愛情をもらって、それでも…本当は…本当の、本当は…。



僕がいつかこの家を出て行く…それを解って尚、僕への愛情は消える事はなかったんだと、その瞬間三人が僕を抱き締めた。


「くっ…っ…っ会いたかったよ…笑いたかったよ…父さんに褒められたかったよ…母さんに抱っこしてもらいたかったよ…姉さんと遊びたかったよ…」

「せ…漣、ごめんねこんな母親で…」

「父さんたちは、間違ってた。漣を無表情にさせたのも家から出て行かせてしまった事。聖を想い出すことがないくらい沢山厳しくした。それは、お前の為じゃなかった。…私たちの…為だったんだ…すまん!!」


「ねぇ、漣、明日…カラオケに行かない?きっと楽しいよ」

「姉さん…僕は…ここに戻ってきて良いんですか?」

「当たり前よ!喧嘩だって負けないんだから!」



大きな風が吹いて、小さな竜巻が僕の呪いを解き放つように空へ消えていった。

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