白銀の胡蝶、夢の果て

雨星あゆ

一 昔々の夙夜の話

――夙夜しゅくやの島。それが、どこまでも広がる蒼海にぽつんと浮かぶその島の名前だ。この島には二つの国がある。人間が暮らす有明国ありあけのくにと、妖が住まう黄昏国たそがれのくにだ。この二つの国は、遠い昔から争いを繰り広げていた。妖たちは、彼らにしか扱えない術で有明を攻めた。それらに対応しようにも、有明国にはそうした術に精通している者は誰もいない。兵をきちんと配置し、素晴らしい作戦を練ったとしても、どこからともなく現れる敵に人々は混乱し、上手く戦うことなどできなかった。そのため、有明国は、そうした術を使えないかわりに、海の向こうの国々と取引をして武器を買って対抗した。海外の方が、島よりも素晴らしい武器をたくさん作っているためだ。一方、妖たちの国は、他のどの国とも外交をしていなかった。だから、黄昏国では絶対に見ることのできない武器に妖たちは翻弄された。

そうして、小さな島の中で二つの国は長い間戦い続けて……。――ある日、突然終息した。

きっかけは、黄昏国の術だった。妖たちは、いつまでも終わらない戦争に決着をつけようと、一つの術を編み出したのだ。それは類を見ないほどの規模のもので、多くの犠牲のもとにつくられた。「災い」とも呼べるこの術が実際に直撃していれば、恐らく有明国は一瞬で滅びていただろう、と推測されている。しかし、この情報を有明国は早い時期に掴んでいた。もちろん、彼らもそれを黙って受け入れるわけにはいかない。だが、それに対抗できるような手段を彼らは持っていなかった。そこで、有明国の者は海を渡り、長年の付き合いのある国に相談した。どうすれば、この災厄を回避することができるのか、と…。

「それならば、そちらは武器で対応すればよい。危険な術にも匹敵するほどの強い武器で…」

そうして手に入れた武器を有明国へと持って帰った。それは、あまりにも絶大な力を持つ、禁忌のような武器だったと伝えられている。けれど、それくらい強いものしか、黄昏国がつくった術に匹敵しないと有明国は考えていた。――そうして、双方の準備は整った。

有明国と黄昏国。二つの国は、同時に攻撃を放った。災厄と、禁忌。その二つがぶつかりあった瞬間、辺り一帯は銀色の光に包まれたという。だが、よくよく見ると、銀色の光の粒子はどれも蝶の形をしていた。二つの災いが交わったことで生まれた白銀色に煌めく無数の蝶は、二つの国を分断するように広がっていった。そのため、互いの国がどうなったのかを知ることもできず、数日が経った。時間が経つにつれ、蝶は広大な森へと姿を変えていった。それこそが、今もこの地に存在する「狭間の森」である。狭間の森はどれほど火をつけようとも決して燃えず、そこに侵入しようとする者を拒んだ。そのため、二つの国の交流は断たれたが、代わりに長きに渡る戦乱は呆気なく終わった。


しかし、戦乱が終わってから数年が経ったある時。それぞれの国にある噂が流れた。

――狭間の森に、白銀の蝶がいる。その蝶は、願いを叶えてくれるのだと…。

その噂の真相を確かめるため、或いは、何か願い事を叶えてもらうため…。有明と黄昏、どちらの国の民も狭間の森に入り、その蝶を探し求めた。しかし、彼らは皆、森に入ってからしばらくすると、いつの間にか森の入口に戻ってきてしまい、結局蝶を見つけることはできなかった。それでも、人々の好奇心が抑えられることはなかった。次第に話は、どちらの国が森を所有するのか、というものにまで発展することとなる。狭間の森はずっとどちらの国のものでもなく、独立していた。何しろ、戦争の副産物としてできたものだったし、あまりにも鬱蒼としていたため、ほとんどの者は気味悪がっていたのだ。しかし、どちらかがこの狭間の森を手に入れれば、必然的に胡蝶も手に入ることとなる。そうすれば、その国は簡単に自分の願い事を叶えられる……。そういった考えの元、二つの国では再び戦争の兆しが見え始めた。

だが、これに困ったのは、それぞれの国の王だった。長い戦乱により、どちらの国も疲弊しきっている。今は少しずつ復興している時期だ。それが再び戦乱で荒らされれば、この数年の努力は水の泡となってしまう…。そう考えた二人の王は、密談を交わした。そして、人々の蝶に関する記憶を改ざんするべきだという話になった。しかし、これには大きな問題がある。そういった術を使える者は誰もいないのだ。夙夜の島で一番術を使うのに長けている黄昏の王でも、それは難しかった。――そこで二人は、胡蝶の力を借りるという苦渋の決断をした。正直、二人の王は、胡蝶というものをそこまで信じていなかったし、いたとしてもその力は借りまいと思っていたからだ。それほど、自分に自信があるということでもあった。

二人は胡蝶の住む狭間の森へと向かった。そして、胡蝶にそれを願った。一方の胡蝶も、今の状況をきちんと把握していた。胡蝶はほとんど森から出ることはなかったが、「禁忌」と「災厄」が交わったことによって生まれた存在だ。普通の人を凌駕するほどの知識と術を生まれつき持っており、それらを駆使することで簡単に外の状況を察知することができていた。そのようにしてこの島を理解していた胡蝶は、その願いを受け入れた。こうして二つの国の民の記憶から、胡蝶に関する記憶は徐々に失われていった。だから、戦争の最後で白銀の蝶が目撃された、ということしか人々の記憶には残っていない。その後、戦争は起こらず、有明国と黄昏国は独自に発展を遂げることとなる。胡蝶の存在は、人々の記憶に残らない。例外は、このことを願った二人の王と、その末裔だけである。

――ただ、どんな術にも綻びはある。たとえそれが、胡蝶の術であったとしても。

今も時折、狭間の森には、願いを叶えるために人や妖がやって来る。術の隙間から零れ落ちたほんのわずかな人だけは、胡蝶の話を知っているからだ。しかし、彼らが胡蝶に会えるかどうか、そして、願いを叶えてもらえるかどうかはその人の運次第である。

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