第12話 習い事編・お習字
しまった、すっかり忘れていた。
SOMEDAY CAN?の通信講座に申し込んでいたんだった。
運営母体の『思い立ったが吉日制作委員会』は私益財団法人であり、何故ゆえに公的機関の広報誌にチラシが挟まっているのかは全くもって謎なのだが、気持ち悪いぐらいに意識が高い同委員会の講座は破格の高品質で非常に人気が高い。
同委員会の突き抜けた社会貢献性の高さは、公益法人が裸足で逃げ出すほどなのだ。
――随所に顔を出すお茶目さに目を
春子が申し込んだのは『みんなのお習字入門~超級』。
全12回のコースで有効期間は一年間、受講料は1,200円~144,000円。月一と固定されているわけではないので、極論、申込日の353日後から12日間ぶっ続けで受講しても構わない。
が、それは現実的ではない。
基本的に、春子は自主的に月一回の割り振りにしているのだが、季節の変わり目ですっかり忘れていた。
確か、半年でまだ4回だったか――
コポポポ。
――と考え込んでいるうちに、気がついたら少々時間が経っていたらしい。
といってもせいぜい3分程度なのだが、ワックスがけの最中というのがマズかった。
目を走らせると、ブレンドワックスの瓶から小指の爪の先ほどの小さなおたまじゃくしらしきモノが次々と誕生し、列を成して行進して、いつの間にやら春子の周りをぐるりと囲っている。
ブレンドワックスでガマの油の比重が大きいため、どうしてもおたまじゃくしが湧きやすいのだ。
これを避けるために、本来なら、1分毎に
のだが、ここまで湧いてしまったら致し方あるまい。
円陣を組んだおたまじゃくしどもが尻尾で直立し、びよよんびよよんと跳ね続ける。
春子が、ワックスの瓶と並べて用意しておいた素焼きの小さな
びよよよよよんっ!
おたまじゃくしどもが一際高く跳ねた瞬間、春子の頭上に深緑の穴が開いた。
どでかい
春子が
徳利が
さすがは
イビキをかくガマに愕然としてうなだれるおたまじゃくしどもへ、親指を立てて、クイッと深緑の穴を指す春子。
がっくりとうなだれたまま、おたまじゃくしどもは梯子のように整列して、ピラミッド建築で巨石を運ぶ労働者よろしく、えっちらおっちらとガマを運んで還っていった。
それにしても、夫の実家レシピは毎度ながら扱いが難しいものばかりだ。
今回のワックスも、水性油性真性問わずに汚れを落とし、2mmまでの傷なら完全復元し、モース硬度6並のコーティングを一年間キープするという優れ物ではあるのだが……。
残ったワックスから性懲りもなく湧かれても困るのでコンクリート固化処理を施し、市指定の燃えないかもしれないし燃えるかもしれないゴミ袋へ入れて、改めて春子はSOMEDAY CAN?のカードをチェックする。
覚えていたとおり、12回中4つまでスタンプが捺されている。残り期間は179日、こちらも大体半年だ。
ここは気合いを入れて、2回ぐらい一気に消費しなければ。
余裕で消費できる内容が当たれば良いが、必ずしもそうとは限らない。
念のために準備しておくべきである。
取り急ぎ、起動に時間がかかる家庭用汎用型強化装甲アタッチメントNo.2のSARUのスイッチを入れて、アンダースーツを着込んで、間接部位にプラグベルトを巻き付けておく。
そして、SOMEDAY CAN?のスタンプカードの端を、春子は爪でカリカリと引っかく。ぺり、ぺり、と、一枚また一枚とめくれて、スタンプカードが22枚に分裂した。
めくれた面にはタイトルとローマ数字でのナンバリング、それから寓話的な絵柄が描かれている。
それを全てうつ伏せにしてシャッフルし、そろえて積み上げたカードのデッキを横へ崩すようにして広げる。
そしてその中から一枚を引き抜く。
No.0【愚者】。
初っぱなから引き直しだ。
何となくイヤな予感がする春子。大体にして、こういう時はハズレを引くことが多い。
いや、別に『みんなのお習字』でアタリもハズレも無いのだが。
気を取り直して、春子はもう一度シャッフルして、同じようにワンオラクルで、一枚。
No.21【世界】。
バネ仕掛けよろしく跳ね飛ぶ春子。
ちょうど正常起動したところのSARU――Special Assault Reactor Unit――をArmed、装着して強化装甲兵(軽)モードになって取って返し、タロットもといSOMEDAY CAN?のカード前へと滑り込みで戻る。
カードの上に浮かぶように投影されているデジタルカウンタは2、1——
よし、間に合った。
——0。
気象観測衛星『ひまわり』。
軍事偵察衛星『おまわり』。
同制作委員会私有アマチュア衛星『
大気圏外を低軌道で周回する3つの人工衛星を、これまた同制作委員会私有のスーパーコンピュータ『
同時に、春子の手元のカードに内蔵されていたミノフス――もとい謎粒子が散布され、カード内に描かれた量子回路により発せられる電磁波によって空間中の分布状態がコントロールされる。
空間中、そう、春子の周囲2メートル四方程度に。
そして、空間座標の確認をコンプリートした衛星たちが、それぞれ赤青黄色のレーザーを照射開始。
なお、この光線は異常なほどに透過性が高く、同時に、三原色なのに肉眼では認識できないほどに透明度が高く、照射されていても全く気付くことは出来ない。
謎粒子に接触しない限りにおいて、は。
レーザーは謎粒子と接触すると透明度が激減し、初めて肉眼で色を認識することが出来るようになる。
これを、レーザー照射と謎粒子の分布状態のコントロールを同制作委員会の『
立体投影――ホログラムワールド『みんなのお習字【超級】』。
SOMEDAY CAN?の『みんなのお習字入門~超級』は、『入門』でもなければ『超級』でもない。あくまで『入門~超級』、入門から超級までの難易度がパックになっているコースなのだ。
そして、SOMEDAY CAN?カードのタロットモードで選出された難易度が実行される。つまり、難易度を自分で選ぶことは出来ない。
このあたりのお茶目さを許容できるかどうかが、SOMEDAY CAN?の通信講座を心地よく利用できるかどうかの分水嶺だろう。
なお、蛇足ではあるが、受講料も『1,200円』でもなければ『144,000円』でもない。金額は各難易度ごとに設定されているので、全12回で自分が引き当てた難易度の合計額が受講料となるのだ。
ゆえに発生しうる最低100円×12回から最高12,000円×12回、『1,200円~144,000円』と表記されている。
144,000円となると結構な金額だが、往々にして、大体その中間あたりの金額に落ち着くらしい。
まあ、それがこの世の真理の一つであるところの『平均』というものだ。
閑話休題、春子はその最高難易度【超級】12,000円空間のど真ん中にいる。
フローリングの上に描画される若々しい畳、台所への空間を遮る繊細な透かし模様も美しい障子、見事な飾り彫りを顕示する柱に欄間、そして一輪挿しのみで花を際だたせる床の間。
さすがは【超級】、ホログラムの描画レベルが超絶である。人工衛星3機を使い(※内2機は違法使用)、一般的使用が認可されていない謎粒子を使って、それでたったの12,000円ポッキリとは。
私益財団法人『思い立ったが吉日制作委員会』の本気、恐るべし。
しかし、それを無邪気に満喫している場合ではない。
本気には本気を要求される。それが世の常であろう。
座する春子の前に半紙が描画され、空中には筆が描画される。
その筆に手を添えると、もちろん重量など感じられないのだが、まるで実物があるかのように、自分の手の動きに合わせて動く。
そして、構えた春子の前に、空港で飛行機が夜間着陸するシチュエーションのごとく誘導灯が並んで点灯した。
この誘導灯からはみ出ないように腕を、筆を動かして半紙に杜甫の漢詩『春望』を
それだけなのだが、問題は、誘導灯の範囲は非常にタイトであり、判定は激辛なのである。
そして、誘導灯のガイドラインを1mmでも外れようものなら、バッチリとペナルティが科せられることになる。
特殊レーザーと謎粒子によって、自分の黒歴史がボディペインティングされてしまうのだ。
何と凶悪なことだろうか。
なお、誤解の無いように申し添えておくが、ボディペインティング自体は人体に有害ではない。むしろ、最終的には、皮膚に沈着した色素の中和および排出、皮膚細胞の活性化などなど、美容面で言えば敢えて喰らっておきたいぐらいの効能がある。
ただし消えない。
半年は消えない。
何が何でも消えない。
何をどうやっても、再生医療を駆使して皮膚を貼り替えたとしても何故かまた浮かんでくるという、もはや呪詛の領域に両足突っ込んでいる最先端科学技術なのだ。
だからここは失敗できない。
宅配ボックスに頭を突っ込んだままフリーズし、通りがかりのガス会社職員と水道局職員に怪訝そうに見られている姿などを顔にペイントされた日には、余裕で0.7193回は死ねる。
それ故のSARU――Special Assault Reactor Unitだ。
SARUはアタッチメントシリーズでも器用さが最も高く、精密作業のアシストなら他の追随を許さない。パラシュート降下での要所強襲および密林でのトラップ除去作業から、伝統工芸士顔負けの刺繍まで、幅広い分野でその力を遺憾なく発揮する。
後でバナナを買って上げるから――じゃなかった、違う違うそうじゃない。
装備しているうちに、もうSARUに侵蝕されつつあるらしい。これがこのアタッチメントの玉に瑕なところだ。
さっさと終わらせないと、そのうち自我とSARUとで精神的せめぎ合いとなって手が震えて失敗しかねない。
……いや、いっそのことソレで良い、のか?
手が震えて良いのではない。侵蝕されてもだ。
春子は、大方をSARUに委任することにして、自分はただ一言に集中することにした。
バナナ。
まさに精密機械の面目躍如、ホログラムワールドの誘導灯に完璧に沿って筆が、春子の腕が、身体が、運ばれていく。
流水のごとく描画されていく『春望』。
最も魅惑を感じる単語に釣られたSARUが、嬉々として絶好調になっているのだ。その性能の100、いや120%を発揮していると言えそうなぐらいに理想的なムーブメントを実現している。
バナナバナナバナナ――
国破山河在――
ただひたすらに脳内で連呼し続ける春子。何なら単語だけでなく、脳内の映像もバナナのみで埋め尽くす。
SARUと春子のシンクロ率、99%。
書き上げる筆、消える誘導灯。
判定――
――失点無し。
刹那、周囲の謎粒子が金色に輝き、その全てが銀河のごとく渦を巻いて集束し、SOMEDAY CAN?のスタンプカードへと還っていった。
その最後に、ポンっと浮かんで、キュキュッと形を整えた上でカードへと落とし込まされる。
5つ目の枠に、『優』の一文字。
思わず後宙しそうになった――と、宙返りしようとするSARUと思いとどまった春子との間で、その瞬間にシンクロが崩壊。
そのブレたタイミングを逃さずにすかさず春子が装備解除、からの即電源オフでSARUを緊急停止させる。
SARUとの約束を踏み倒す結果となったが、そもそもアタッチメントが果物を食べられるはずもなく、どっちにしてもイメージのみで納得してもらうしかないのだから、まあ仕方あるまい。
過ぎたことに
さて、もう一回。
というか、精神的にもう一回が限界である。この可能性も織り込んで、2回ほど消費しようと考えていたのだが、正直もう一回【超級】が当たった場合は……
……家庭用台所複合機に突っ込んで『無かったことに』ボタンを押そう。
最後の手段を決意して、またスタンプカードを分裂させて、シャッフルして、ワンオラクルで一枚。
No.1【魔術師】。
「貴殿へのォ御貢物を承りて御座候ッ! 貴殿へのォ御貢物を承りて御座候ォッ!!」
唐突に宅配ボックスから野太い声が響きわたった。
そのままむさ苦しく「いざッ! いざッ! いざッ!」と連呼モードに突入され、受け取りへダッシュする春子。
毎度ながら「ちっ」と舌打ちされるのを聞き流し、中からとりだした封筒を持ち帰る。
中身は、半紙一枚とメモのみ。
メモは以下の通り。
『みんなのお習字【入門準備】“永”を10回書きましょう』
受講料100円也。
大きく息を吸う春子。
そして長く吐き、最後にフッと吐ききって首を左右へと回す。
右手に施無畏印、左手に与願印。
そして後光。
ほらね、平均。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます