第7話 お掃除編

 今日ほどお掃除に適した日はない。


 いや、お掃除しなければならない日といって良い。


 本日は啓蟄、二十四plusウルゥ付節気で言うところの『蟄蟲啓戸(すごもりむしとをひらく)』で、一年の間で様々な蟲がうごめき始める節目だ。

 これが『亡蟲化蝶(なむしちょうとなる)』、ガチで活動モードになられてしまう前に、出来ればご遠慮いただきたい類の蟲たちには早々にご退場願わなければならない。


 早朝の日の出前に、春子は裏山の神社で早咲きの花桃を探して、その夜露を集めて墨を磨り、筆を用意した。

 そして、自然と朽ちた神木から漉いた和紙を一枚、細く折り返し続けて、一方の端を紐で縛る。

 和紙製のハリセンである。


 そのハリセンの打撃面に『明』と一筆、さらにその周りを『□』で囲む春子。


 で、携帯サイズのスプレーを手にする。

 このスプレー、商品名が『あら見た?ま~♡』と勘弁してほしいセンスではあるが、中身は並々ならぬ高級品なのだ。


 スサノオが自らのあまりの黒歴史っぷりに吐いた血を分離精製したエキスが使用されており、普通に代金を払えば購入できる商品とは一線を画する。

 春子の地域でなら、商店街のスタンプラリーを3ヶ月完全制覇した証明書を区役所で発行してもらって、某●会認定“羊飼い”検定準2級以上の合格者と同伴で店頭に並ぶ必要があるのだ。


 余談ではあるが、同系統の商品では一番廉価品であり、春子だって出来れば『アマツカミンD』や『真=ReyロイヤルⅢ』といったものを使ってみたい衝動はある。

 しかし、最高級品と銘打つ『真=ReyロイヤルⅢ』などは、日本神話界きっての引きこもり――もとい登場が少ないツクヨミの睫毛パウダーまで添加されているだけあって、県立公園が買えるぐらいの金額となりとてもじゃないが手が出せない。


 まあ、一般家庭であれば『あら見た?ま~♡』でも十二分、しかも一度購入すれば10年は使える。

 もっとも、見切り品30%OFFでドラッグストアの店頭に並んでいた品だから、消費期限目前なのだが。


 よってケチらず、盛大に3プッシュする春子。


「清き百(桃)にて九十九(付喪)を祓わん――」


 噴霧されたハリセンの文字、『明』『□』が仄かな光をまとって、3Dホログラフィーとなって浮かび上がった。

 と同時に、端に小さな字で『11:59:59 48』と表示が表れる。12時間もかかることはないが、48回はギリギリか少し足りないかもしれない。


 出来るところまでで十分だ。


 続けて、春子はフェイスシールドを組み立てる。

 こちらは市の環境問題啓発イベントで無料配布されていたもので、レンズのないめがねフレームみたいなパーツに透明プラスチック製の板をはめ込むだけの、非常に単純な構造だ。

 ちゃっちゃと組み立てて装着し、フレームの小さいつまみを倒す。


 ……ゥゥゥーーーン。


 微弱な振動音とともに、春子の視界に「STAND BY」と表示され、数秒で起動画面表示へと切り替わる。

 シールド面の左上に1階地図、青の点が春子の現在地だ。

 逆に右上には現在時間、ハリセンの残り時間、残り使用回数が表示されている。

 下にはアイコンが横一列に並ぶ。

 その中から、虫眼鏡のアイコンに視線を移す。その動きを検出してポインタが追尾、虫眼鏡に合わさったところでポップアップメニューが展開するので、今度は上から3番目に視線を合わせて瞬きを2回。


「『死角』探査ヲ、ジッコウシマス」


 フェイスシールドの機械音声が回答し、シールド面上に黄色い光の円が多数、慌ただしく移動点滅拡大縮小を繰り返す。


 このあたり、機械音声らしすぎる機械音声とサーチのもっさり感が、市の予算を感じさせるところだ。

 声優のお姉さんとしか思えない声で瞬時かつスマートに表示する自治会製と比べてはいけないのだが、市ももう少し頑張れないものだろうか。ガイド機能のマスコットキャラも目つきがコワいし。何故このキャラが採用されたのだろう?


 と、思ってもいないことを思ったフリをして時間を潰すうちにサーチ終了、シールド面上にいくつか黄色い円が確定している。


 『死角』存在の可能性が高い場所だ。


 普段はTOSHI●A製掃除機が部屋のホコリを一気に吸い取ってくれるので十分だが、『死角』が存在すると春子のみならず高性能掃除機でさえもそこを認識できず、結果そこに色々溜まってしまうのだ。


 故に、『死角』ハ潰さなければならなイ。


 ゆらり。


 ハリセンを手に立ち上がる春子。


 ぐるん。


 抑揚にかけるくせに心持ち機敏な動きで振り返る。


 ひた、ひた、ひた、ひた……。


 最初の標的は、タンスの一番下の段だ。

 引き出しをそっと、そっっと、そっっっと引く。


 いつも通り、冬服とTシャツとシーツの替えとカレンダー3年分とコーヒーメーカーとベートーベンの肖像画と飼いウサギのメネスが軽井沢に所有する牧草ハウス(100坪)の登記事項証明書と新品の段ボールが入っている。


 シールド面の円が示すのは、コーヒーメーカーとベートーベンの間だ。

 表示は「90% over」、ほぼ確実に、いる。


 すぅぅぅっとハリセンを掲げる春子。


 ぱぁん!


 叩いた瞬間、薄い膜が微塵に散るかのように空間が剥がれる。

 同時に、慌ててダッシュしようとする『死角』。


 カサッカサカサカ――

 ――ぱぁん!


 返す二の太刀で『死角』を叩き潰す春子。

 神霊の氣を宿した『明□(明確)』の一字を捺されて存在を全否定された『死角』は、ぺしゃんこになった挙げ句に塵と化した。


 ぶわっ。


 『死角』を潰したことで溜まっていたホコリが顕現、こうなれば、後で掃除機を使えば一網打尽に出来る。


 ……さア、次ヲ……。


 またゆらりと立ち上がり、ぐるんと振り返る春子。

 そして――


 ――ぱぁんぱぁん! ぱぁんぱぁん! ぱぁんぱぁん! ぱぁんぶちっ、ぱぱぁん! ぱぱぁん! ぱぱぁん! ぱぐちゃっ、ぱぱぁん! ぱぱぁん!ぱぱぁん!ぱぶちゃっ、ぱぱぁん!ぱぱぁん!……


 段々とリズムに乗りテンポアップ、ただ、時折失敗して『死角』が中途半端に潰れてしまうあたりが、やはり廉価品の見切り品といったところか。

 後の拭き掃除が大変面倒なのだが、春子はまず叩き潰すことに専念する。


 ――んン?


 春子の両の眼がメネスのケージを捉えた。

 シールド面に表示有り。62%。おそらく、居る。

 春子が不審に思ったのはそれではなく、メネスの様子だ。


 ……怪しイ……。


 キョドるメネスのケージ前に立って暗い目で見下ろし、おもむろに――


 ――ぱぱぁん!


 自然体からの高速2連で『死角』を瞬殺。

 で、顕現したのは高麗人参4本だった。


 ……『死角』ト取引したナ?……


 『死角』は次元間の隙間に潜む蟲だ。その特性を利用して、何かしらを収納することも不可能ではない。

 特に高次元、3-4次元間よりも高い次元間に生息する『死角』ほど知能も高くなるので、より見つかりにくくなるし、交渉の余地も大きくなってくる。


 バタンッ!


 死んだフリするメネス。

 見下ろす春子。


 ……叩ケばホコリが出ル身だッタカ……


「ケール3、大麦若葉4」


 春子の宣告にビクッと震え、ぴたりと沈黙するメネス。

 どうやら本当に気絶したらしい。


 引導を渡した春子は、残る『死角』もすべからく殴殺し尽くした。

 そして、額縁に並べて飾ってある掃除機を取り出して、スイッチオン。


 ヒュゴオッ!


 掃除機が一気にホコリを吸引。

 あれやこれやを情け容赦なく呑み干した。

 

 空気が清々しい。まるで透明になったかのようだ。まさに純度100%の空気である(というような気がする)。


 その空気同様に爽快感あふれる笑顔を振りまく春子。

 すっきりするのは精神衛生上も非常に良いことなのだ。


 従って――


 ――次ハ、2階ダ……。


 ゆらりと立ち上がり、ぐるんと振り返る。

 見開く両の眼は2階を見透かすようだ。


 だがその前に。


 ぱぱぁん!


 流水の如く2撃。

 自身を叩き『死角』を潰す春子。

 他人(メネス)のホコリを叩き出しておいて自分は無事、というわけにもいくまい。


 剥がれる空間、潰れる『死角』、顕現する春子のホコリ。


 ……おぉう……おふっ?……ふぁっ!?――


 ――あふぅおぉうっ!?


 春子、悶絶。


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