第11話 衣替え編
季節ネタ第○?弾、今日は衣替えの実施である。
先日、啓蟄に行った『死角』殲滅からの大掃除に続き、春の恒例行事だ。
本来なら同日にやっても良いのかもしれないが、やっぱりまだ啓蟄の頃は肌寒いし、『死角』殲滅で大抵は気力が燃え尽きてしまうから、春子は分けて実施している。
それに、衣替えも大概になることが常なので、まとめて実施は不可能だ。大体は一日で終わらないんだし。人間は片づけに向いていない生物だとご先祖様も言っているし。
今回は『死角』潰しとは異なり神霊の氣を扱う必要はないので、程々に起きて、プーパッポンカリーと漁師の気紛れサラダとずんだ餅入り紫芋餡どら焼きで軽めの朝食を済ませ、女学院中等部時代のジャージに着替えて準備体操。
その合間に、朝食を用意してくれていたブラウニーへのお礼としてマカロンを作り、カシス味を本棚の端に、ピスタチオ味を押入の天井裏の医療費領収証保管ボックスの中に、ついでにダージリンのセカンドフラッシュを一杯淹れて液晶テレビの横に、さりげなく置いておく。
さて、神霊の氣が不要とはいえ、だから手軽となるわけではない。むしろ、蟲の類ならば、市無料配布のフェイスシールドで探査→神威ハリセンでカタが付くから、それはそれで型が定まっているのでやりやすいとも言える。
しかし、ヤツらはそうはいかない。
ヤツら――極限系衣類圧縮袋『魁!圧縮塾!』どもは純粋に科学の産物なので、フェイスシールドの探査に引っかからないし、ハリセンで叩いたところで何の痛痒も感じはしない。
次元の狭間に潜むのではなく物質として普通に存在し、純粋に薄く、ただ薄く、ただただひたすらに薄くなるだけなのだ。
加えて非常に高度な柔軟性と光学迷彩を備えており、どんなところにでも目立たずに収納できることが売りの商品である。
……そう、それらが売り、なのだが、それを追求しすぎた
ただひたすらに薄く、目立たずを――と表現すれば違和感を感じることはないだろうが、果たして、「何が何でも圧縮すること、見つからないことに全てを賭けた」と言えばどうだろうか?
内部の空気を0.00001ccまで抜くことは当然として、マンションを縮小したこともあるあの『分子間距離を縮める技術』を用い、さらにその上位の『分子配列を記録保存し、任意の分子配列を自由に削減・変換・再現する技術』まで用いて、表面の電磁的記録素子組み込み式複合繊維にプログラミングされたAIが最適で至高な圧縮を実現、周囲の環境に溶け込むよう完璧な光学迷彩を行使する。一点の綻びも許さず、妥協せず、AIは己の存在意義を賭けて、それはもう完っっっ璧に実施する。
衣類圧縮袋開発チームの偏執的な情熱は、一度起動させれば置いた本人すら見分けがつかないレベルまで擬態してしまう超高性能な品を世に生み出してしまったのである。
そして機能解除――解凍することに関しては一切の情熱は注がれなかった。
解凍に関してはボタン一つ押すだけ。それだけで圧縮袋の機能は全て停止、解除される。一切合切、AIも含めて。
そう、AIにしてみれば死刑宣告と同義なのだ。しかも、圧縮にその全てを捧げるプログラムにとって、逆の解凍は不名誉の極み、何なら末代までの屈辱と判定されるらしい。
結果、何が何でも圧縮すること、見つからないことにその存在の全てを賭ける衣類圧縮袋の誕生と相成ったわけである。
まさに、極限。
とにかく、見つけること。本日の課題はそれに尽きる。
夫のデスクの引き出しの二重底に仕込まれたスーツケースを引っ張り出して、中から折り紙を取り出す春子。大体20cm四方~100cm四方の折り紙を7枚ほど選び、その裏面に
その中の一枚の、書いた☆の五つの頂点外側にそれぞれ「壱号」「192」「168」「24」「100」と書き加え、さらにその外側も
同様に、最初と最後だけ「弐号」「101」、「参号」「102」……と続き番号に変えて7枚を作成。その折り紙をもって、春子は蟻、蜂、トンボ、セミ、ウィル・オー・ウィスプ、レヴィアタン、『名状しがたきもの』の7体を折った。
その7体を家の中に配置する。
これで準備完了だ。
春子は居間で正座して居住まいを正し、何度か深呼吸をする。
呼吸を整えて、軽く息を吸って――
「だーるーまーさーんーがー、
どこからか、微かに「フンッ!」と聞こえたような聞こえなかったような、と思っていたら台所に配置した
春子が台所へ急行すると、流しの向かいのタイルに折り紙のセミがへばりついていた。
「…………」
「…………」
無言で見つめ合う春子とタイル壁面。
何をどう見ても、タイルでしかない。
……のだが。
「だーるーまーさーんーがー、
「フンッ!」
春子の声に合わせて、タイルが力こぶを形作るように膨らむ。
無表情に見つめる春子に、羞恥のあまりそのまま硬直するタイル――もとい衣類圧縮袋。
筋肉信仰の圧縮袋が、ベリッと引っ剥がされる。
ひっくり返した裏面の記入欄に何を仕舞ったかを書いておいたはずだった、いや、確かに書いておいたのだが、そこだけ異様にこすれた痕があって読めない。
何が入っているか分からなければ躊躇するだろう、という圧縮袋の見苦しい足掻きである。
が、春子の指が無情にボタンをポチッとな。
ボンッ!!
機能停止した途端に、唐突に、台所に溢れかえる冊子の山。概ねが記念写真のスクラッチブックとマンガの類である。
この手のものはお約束で、誰しも覚えがあると思うが、ちょっとだけと読み始めると日が沈んでしまう典型的パターンだ。故に春子はガン無視を決め込む心構えだった――のだが、溢れ出た瞬間に目の前に開いた状態で現れてしまってはどうしようもなかった。
着物に袴姿でブーツを履いている、若かりし頃の春子。
思わず「おー」と見入ってしまう。そう言えばこの頃は大正時代に居たから、これが制服だったっけ。父の大正時代の研究は短期だったから、ほんの一年間だったけれど、思えば貴重な体験だったなぁ。
タイムマシンが実用化されて早四半世紀。昨今では、さすがに一家に一台となるほどまでには廉価になっていないが、そこそこの機関であれば一台程度は所有していても不思議ではない。
実際、春子の父が勤めている大学でも3台保有しており、研究職であれば、ちゃんと手続きをふめば手軽に貸し出されるので、春子の父などは結構頻繁に使い倒している。
それにしても、当然の帰結ではあるが、そのおかげで歴史学の研究は飛躍的に進歩した。
何しろ、知りたければ
タイムマシン実用化当初はタイムパラドックスの危険性に神経を尖らせていたものだが、
現に、春子の兄などはもうずっと幕末期に滞在しっぱなしである。
もっとも、兄の場合は『近藤勇』として固定されてしまっているからなのだが、調子に乗って同じ天然理心流で本人をボコり、心をベキベキにへし折って引きこもらせた兄が悪いと春子は思っている。兄もノリノリで近藤勇を演じているのだから救えないが、処刑される段になったらどうするつもりなのだろうか?
それはさておき、この圧縮袋はハズレだった。
では次だ。
春子は居間に戻って、スマホの変声アプリを起動する。
出力モードは『マンション音声』を選択。
そして、スマホへと静かに語りかける。
「人間五十年~ッ! 下天のォうちをォ~比ぶればァ~ッ! 夢ェ幻のオォ~如ォくなァりィ~ッ!」
スマホのスピーカーから響き渡る野太い声。
合いの手のようにポンっと鼓のような音も混じる。
鼓の効果音など含まれていないのに。
今度は浴室に配置した
浴室内の天井を折りレヴィアタンがカリカリと引っかいている。
再度スマホを構える春子。
「……一度ィ生をォ享けェ~ッ! 滅せぬゥもののォ~あるべきィかァ~ッ!」
ポンッ!
野太い声に合わせて、天井の一部が合いの手を入れた。
勢いよく膨らむことで破裂音を表現している。中々器用なものだ。
春子が感心していると、バレたことで
ポチッとな。
――春子による無情の一押しでボンッ!!と解凍、中身が浴室内に溢れかえる。
一面の闇。触れるほどに濃い。
その奥からこちらを覗き込む、無数の瞳、瞳、瞳。
いくつもの、翠に金の瞳たち。
礼儀正しく一礼をしてから、両手でそっと浴室の扉を閉める春子。
この圧縮袋もハズレだった。
探しているのは夏物であって、深淵ではない。
こちらをいつも覗き込んでいる
では次だ。
また居間に戻って、今度はスマホのアプリに頼らず、地声で――
「
――ヘンデルの「メサイア」第2部最終曲、通称「ハレルヤコーラス」を高らかに歌い上げる。
続けて「
今度はウッドテラスと壷庭とに面した廊下に配置した
果たして、現場では折り蟻が壁紙としか思えない何かを咥えて、じりじりと引きずり下ろしつつあった。
さすがに一番大きな折り紙を使って、一番手の込んだ折り方で作っただけはある。馬力でなら、余り紙で手抜きの
もう何もしなくてもバレバレなのは当の圧縮袋も重々承知しているらしく、引き剥がされながらも「
ポチッとな。
――いるのを一切構わずボタンを押す春子。
またもやボンッ!!と解凍され、ウッドデッキと壷庭に溢れかえる器具の山。
圧力鍋専用保温器、A2サイズ対応携帯型本棚、全自動たこ焼き器、最先端エルゴノミクスデザイン衣装棚、100連ハンガー、省電力ワックス掛け多機能スリッパ、2枚連結姿見鏡、冷凍魚用じっくり解凍魔法瓶……。
そう、「いつか使うかも」と思いつつも置き場に困った物たちだ。
どれもこれも一芸に秀でているが、常に使うようなものでもない。レギュラーメンバーにはどうしても入れ難いクセモノたちである。
とにかく、これもハズレ、と。
そうすると、残りはダンス狂の1つだけのはずだ。
春子は飼いウサギのメネスと協議の上、有機栽培の金時人参×3本でタップダンスをオーダーした。
タップ靴(※ウサギ後脚用)は嫌いらしいがそこは我慢してもらい、軽く一曲。
カッカカッ♪ カカカカカッ♪ カカッ♪~
さすが昔とった杵柄、鮮やかなもの――なのだが、反応がない。
いや、反応が無いというよりも、折り紙たちは明らかに戸惑っていた。何らかの反応は感知できているのに、何処からなのかが分からない、場所を特定できないようだ。
繰り返しになるが、衣類圧縮袋どもは次元の狭間に潜むのではない。この次元の空間内に存在していることに間違いはない。
しかし、この超複雑系折り紙による高感度『虫の知らせ』レーダー網で特定できない座標軸に位置している。
つまり、実数の軸上にはいない。
ならば、虚数の範囲上にいるということか。
仮説を検証すべく、春子は、先ほど溢れ出した「いつか使うかも」器具の中から2枚連結姿見鏡を浴室前まで運び、炙った鰯の干物を用意する。
そして、深淵在住の
ぎょりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ!
眼球を高速回転させる喜びの表現と共に、
で、2枚連結姿見鏡を、向かい合わせに固定。
例によって、鏡の中に鏡、その鏡の中に鏡……と鏡の空間が無限に展開する。
その無限空間を凝視する
果てしなく広がる偽りの空間。
覗き込む深淵。
ぎょりゅりゅっ!!
瞳が一度高速回転したと思ったとたん、ぺらい手が瞬く間に鏡の中の虚数空間に突進、次の瞬間には最後の衣類圧縮袋を引き剥がしてきた。
すかさず春子が、ポチッとな。
ボンッ!!
溢れかえる夏物。
よしッ!!!
ぎょりゅりゅりゅりゅっ!!!
ガッツポーズを決める春子と、残像を残す勢いで眼球を回す
改めて、夏物衣類の山を俯瞰する春子。
そして、台所に積み上がるスクラップブックやマンガ。
そして、壷庭とウッドテラスに溢れる一芸器具の山。
そして、浴室内を埋め尽くす深淵。
春子を見つめ返す
微笑む春子。
うん、やっぱり人間って片づけに向いてないや。
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