第10話 旅行編(3)
結論から言うと、オプションでスカイダイビングとラフティングを追加、である。
ここまで万難を排して――お役所への(無人受付や狸受付だとしても)正規申請手続きや(保証期間がとうの昔に終わっている重水素核融合発電機ではあるが)エネルギーの確保、(リアル小判を用いた)水道局との交渉等々――マンションの温泉旅行を決行したわけだが、根元たる哲学的形而上学的な命題に向き合うときが、ついに来たのだ。
それは――
『マンションが温泉旅行とは、これ如何に?』
――である。
この命題に取り組む前に、まずは『温泉旅行とは』を考えてみよう。
温泉旅行とは、社会的に最大公約数となるであろう共通概念を想定するならば、『温泉』を目的としてプログラミングされた旅行、と定義して問題はないと思われる。
さらに、『温泉を目的』にするとは、同じく『温泉に入る』と定義して差し支えはないだろう。
であるならば、マンションが温泉旅行に行くというのであれば、マンションは温泉に入らなければならない。まあ、当然の帰結である。
しかして、ここに矛盾が発生する。
すでにご存じの通り、温泉旅館よりもマンションの方が大きかったため、分子間距離からの圧縮でマンションを縮小し、それでも温泉旅館に格納できないから融合させてしまっている。
この温泉旅館の温泉は、温泉旅館の一角。
つまり現状、温泉旅館=マンションの一角に温泉があるわけだ。
自分のほんの一部の中に自分が入る。
何と哲学的な思索問題だろうか。
立ちはだかる難問に、改めて管理組合と1338代目管理組合とが大広間に集結して討議を行った。
……のだが、温泉旅行に来ても温泉に入れない(正確には温泉に浸かった感覚を得ることができない)霊体の1338代目一同から「こんなはずじゃなかった」とクレームが発生、またもやラップ音とポルターガイストが荒れ狂う不毛な会議となった。
今回、初めて管理組合の会議に参加した春子は、そのあまりの不毛っぷりに、途中から飼いウサギのメネスとテレビゲームで遊び始めてしまった。
電子レンジのツマミを逆方向へ勢いよく回して、天板格納庫からゲーム機を飛び出させる。それを人参スティックを平らげているブラウン管メネスのしっぽ辺りでRFスイッチでつなぎ、カセットを差し込んで、電源ON。
ぺーぺーぺーぺぺぺぺーぺ、ぺぺぺぺーぺ、ぺぺぺぺー♪
シンプル極まりない電子音が鳴り響き、メネスの土手っ腹ブラウン管モニターにドット絵がカクカクと動き始めた。
どぷん。
メネスの頭がブラウン管へともぐり込むと、画面の中にドット絵と化したメネスが現れる。で、2playを選択して、さっさと自分の名前を「めねす」と入力、職業は戦士を選択した。
追いかけるように、春子もヘッドギアをつけてフルダイブし、名前を「はるこ」にして弓使いを選択する。
レトロゲームの迷作『集めろ! 神仏の森』、始まり始まり。
何度もやり込んでいるためサクサクと進行、会議が終わりそうだと夫が呼びに来たのはエンドコンテンツの序盤ティアマト戦の最中だった。
50人程の大規模レイド戦で、ボスの『てぃあまと』が従える4体の前衛のうち『むしゅまっへ』と『ぎるたぶりる』を落としたところだった。「めねす」が後ろ足スタンピングで全ヘイトを集めて華麗に回避しまくり、「はるこ」が空中跳躍中でも外さない神エイムで6連続トリプルショットを決めて削る、熟練の黄金プレイ。
しかし、夫のキャラが乱入した時点で、「あ、終わった」と全プレーヤーの気が一斉に抜けた。
現れたのはエンドコンテンツ単独踏破ボーナスの隠しキャラ『せいてんたいせい』。破格のステータスを誇るが育成が極端に難しいこの前衛の最もエグいスキルがLvカンストで解放される『分身』だ。残機を分身に変換して自動戦闘させるスキルで、分身のステータスは本体と同一、自動戦闘は非常に優秀、HPがゼロにならなければ残機ストックへ戻すことも可能というチート具合。
ちなみに、『せいてんたいせい』は元々VIT(生命力)、DEF(防御力)、RES(抵抗力)が異常に高い超タフネスキャラだったりする。
なお、夫の残機は現在999。
雲霞の如く舞い降りる『せいてんたいせい』の大群が『てぃあまと』を数の暴力でフルボッコにし瞬殺。
「はるこ」の前へ着陸した『せいてんたいせい』へ、何となく頭に来て、その頭へトリプルショットをお見舞いする春子。
脳天に3本矢が刺さった状態の『せいてんたいせい』から、チャット画面で「ごめんuki。会議が終わるから戻ってukkiy」とメッセージが届き、ため息を吐きつつ春子はメネスとともにログアウトした。
で、冒頭に戻るわけだが、ゲームから戻ったら既に日付も変わっての深夜半。結果は、オプションでスカイダイビングとラフティングを追加することになっていた、と。
その論理は次の通り。
まず『温泉』を温泉旅館の温泉と定義するから哲学的形而上学的難問が発生するのであり、そもそも『温泉』とは温泉旅館の温泉のみを指定しているわけではない。
つまり別の温泉に入れれば良い。
さらに、『温泉旅行』とは温泉に入るだけに限定されたものではなく、一般的社会通念上に則って判断するならば、心身の癒しであったり非日常を楽しんだり、いわゆるレジャーとしての面が重視されているはず。
であるならば、通常ならば主な要素となる『豪華な食事』をマンションが楽しめない以上、レジャーとしての面を補強しなければならない。
そこで、マンションを宇宙へ発射し、余所の温泉へと落下させる、という話に。
隧道の利用費は距離に比例して計算されるし、そもそも国外へつなぐためには終点となる国でも利用許可申請が必要になるから、さすがに現実的ではない。
そこで、現在地の隣町にある某NPO運営宇宙センターの超電磁加速カタパルト(実験用)まで隧道で移動し、そのまま打ち上げてもらう。そして自由落下で世界最大の温泉、アイ●ランドのブルーラグーン(約5,000平方メートルの露天風呂)へ着水する。
これならば、いわゆるレジャーであるスカイダイビング(※自由落下)とラフティング(※水面への墜落)も達成しつつ、マンションが温泉に入れる(※衝突する)、という論だ。
この提案が1338代目管理組合から発案された際には、それは1338代目一同のエゴ(温泉に入れないなら別の遊びをしたい)に過ぎないと現管理組合一同から猛反発が上がったのだが、もはや体裁を構うことも放棄した1338代目一同は憑依による精神汚染まで強行。その半数を伊狩八千代さんに討たれつつも、現管理組合の過半数票を強奪して採決まで押し切ったのだ。
採決された以上は執り行わなければならない。それが民主主義というものだ。
ショートトリップとはいえ隧道利用なのだから、まずはとにかく運送公社へ利用申請をしなければならない。しかし土地勘のない場所で気の合う窓口を探している時間も無い。
というわけで、マンションの元住所近所の銭湯番台併設窓口へ、秘密保守のためダイヤルアップで接続。ネットサーフでかき集めたワーム12種類詰め合わせを賄賂、もとい手土産にしてAIに申請し、記録をねつ造して受け付けてもらった。
超電磁加速カタパルトを運営している宇宙センターは、母体の巨大コングロマリットが経理の横領でバランスシートを急激に悪化させている真っ最中なこともあり、スポンサーになることを匂わせることで深夜にもかかわらず代表者と直接電話することに成功。翌朝の利用に何とかねじ込むことができた。
あくまで『匂わせた』だけであり、約束はしていないのがミソだ。
最後に、外務省領事サービスセンターと駐日アイ●ランド大使館へ伝書鳩を飛ばす。
夜間向け視覚拡張措置済みの鳩故に束縛を非常に嫌い、原則片道使用の使い切り(※逃げるため)だが、今回のように一方的に通告、是非の回答があるのはむしろ困る場合は最適だろう。
以上及びその他諸々を不眠不休の突貫工事でやり切って泥のように仮眠、そして迎える朝。
10時17分61秒目。
ぎょろり。
がごごんっ。
朱金ちゃん再び。
今度は隣町程度の極短距離とはいえ、見守ってもらうことに何ら変わりはない。
だからといってお礼も変わらないのでは味気ないと思い、今度は爪楊枝を器ごと差し出す春子。
ぎょろるるるるるるるるるっ!
喜びを表現しまくる朱金ちゃん。そして例の薄っぺらい手で、今度は一本一本回収していく。どうやら、そうして味わう方がより嬉しいらしい。
しかし、残念ながら何しろすぐソコの距離、朱金ちゃんが慌ててペースアップして――でも一本ずつなのは意地でも変えずに――爪楊枝を全部取り込み終わったところで、がごごんっ。
到着、見事カタパルト上へと出現した。
間髪入れずにカタパルトが発射シークエンスへ突入。春子的には無理を聞いてもらったお礼に一言だけでも、と思ったが相手にしてみれば予定外の唐突な作業で、そんな暇はない。
要するに、後がつかえているわけだ。
もはや美しいといえる程に迅速な流れ作業をもって――
――マンション、いきまーす(発射)!
カタパルト上で一気にスピードに乗るマンション。何しろ標的はアイ●ランド、コースとしては長距離弾道ミサイルと似たようなものだ。ということは、大体秒速6~7キロメートルぐらいの速度になる。
つまりはマッハ20。
マンションが負荷に耐えられるわけがない。
そこで伊狩さんの登場である。
「
伊狩さんの祝詞が響きわたる。
その声に、マンションのあちこちに立てておいた音叉が共鳴振動を起こし、陰陽道祓乃詞がマンションを包み込む。それは空気振動の壁となって、音速の壁をぶち破り続ける衝撃を相殺し、金生水の相生をもって大気との摩擦熱を軽減する。
陰陽道祝詞祓乃詞による球体結界、完成だ。
続いてオートロックの音声レパートリーから1フレーズを繰り返し再生させる。
「御用のォ無き方は辞儀いただきたく御座候ッ! 御用のォ無き方は辞儀いただきたく御座候ォッ!」
さらに、むさ苦しい野太い声が「そいやッ! そいやッ! そいやッ!」と掛け声をエンドレスで続けていく。その言霊の力で球体結界内に衝撃が割り込んでくる事象を拒絶し、水克火の相克をもって大気との摩擦熱を抑制する。
「——
「御用のォ無き方は辞儀いただきたく御座候ォッ! そいやッ! そいやァッ! 御用のォ無き方は辞儀いただきたく御座候ォッ! そいやッ! そいやァッ!」
物々しい祝詞とむさ苦しい掛け声が、三半規管を圧迫する音圧のハーモニーを奏でる。というか、もはや、五行相生も相克も言霊も関係なく万象を威圧できるんじゃないかとすら思えてくる。
実際、大広間の天井一面と化した伊狩さんが文字通りのビッグマウスを全開で全力で唱える声に、何かが振り切れてしまったとしか思えないマンションの音声レパートリーが被ると、大広間では重力魔法でも起動しているのかと思ってしまうほど凶悪な圧が感じられているのだ。
メネスなど、早々にブラウン管ぼでぃの中に避難していた。
これ、祝詞&掛け声の方がダメージがあるのでは? との疑問を春子が真剣に考え始めたころにマンションがゆるゆると減速し始め、じきに、成層圏を離脱してしまう直前ぐらいの高度に到達した。
つまり、今回の軌道での頂点に到達。後は下りである。そう、下り。要するに――
――落下だ。
刻々と加速していくマンション。
伊狩さんとマンション音声の唱和もよりいっそう熱を帯びる。
何しろ、下りは衝撃をちゃんと殺さないと地表に激突、つまりは単純に隕石落下と同じになってしまう。日本から発射して他国にクレーターを創出したとなれば、普通に国際問題だ。
「
「御用のォ無き方は辞儀いただきたく御座候ォッ! そいやッ! そいやァッ! そいやッ! そいやァッ!」
重力魔法ハーモニーが8ビートから16ビートにアップ。微妙なズレにマンション全体がガタガタと震え始め、そこまでの一部始終を記録していた夫じゃない猿じゃないSARUがターンテーブルを二つ引っ張り出してきて、伊狩さんとマンション音声のリズムに合わせ始めた。
「Uki、Ukkiy!」キュッ!キュキュッ!
「Uki、Ukkiy!」キュッ!キュキュッ!
レコード盤の『五行相生』『五行相克』でビートを刻み、金生水と水克火を微調整。マンションの振動も軽減する。
しかし、スピードに乗り切ったマンションは、傍目にはまるっきり隕石落下にしか見えない勢いで絶賛落下中である。
着水(激突)まで、推定60秒。
「——
「辞儀いただきたく御座候オォッッッ! そいやアッッ! そいやアッッ! そいやアッッ! そいやアッッ! そいやアッッ!」
「Uki、Ukkiy!」キュッ!キュキュッ!「Uki、Ukkiy!」キュッ!キュキュッ!
音が重なりすぎてそれぞれ何を言ってるのか分からない混沌を極めた合唱のピークとともに、地表(水面……湯面?)との距離が――
――ゼロ。
ちゃっぷぉーん。
揺らめく湯面、軽やかに舞う水しぶき。
ブルーラグーンに浮かぶ、我らがマンション。
珍客を見る現地ブルーラグーンの常連客たちに、伊狩さんとマンション音声が、せーので一言。
「「いい湯だなっ」」
はははん♪
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