第3話 寄り道編【再掲】
買い物帰りに、道に迷った。
見上げれば、階段を降りている3分前の自分の姿を見下ろすことが出来る。つまり逆さまの自分が頭上にいる。
正面には21分前の買い物に向かう自分の足の裏が、右には43分前の洗濯物を畳む自分の後ろ姿が、等々と、前後上下左右に違う時間の自分が居る。
中心にいる春子を含めて合計8人の春子の姿があった。
周囲の春子たちは概ね歩いていたり作業をしていたりだが、一定の間隔で巻き戻った状態から再スタートを切る、を繰り返している。
8人とも閉じこめられてしまったわけだ。
運の悪さに思わずため息をつく春子。唯一同じ空間に2人が詰め込められた下方では、その2人が物理的に火花を散らし始めていた。
自分同士とは常にそりが合わないもの、だから仕方がないのは分かる。でも正直やめてくれないかなぁというのが本音ではある。
発端は、帰り道で陸橋を渡っているときに、空き地を発見したことだった。
今まで気づかなかったが、そこでトンボのイツデモアカネが雲を引いて飛んでいた。
視力を4.5倍ズームに切り替えて確認したら、その白い雲で書かれた文字は“SAFE”。
セーフエリアだ。
気持ちが高揚する。逸る気持ちを抑えつつ、陸橋途中の階段から空き地へと降りていく。
しかし、3階降りて踊り場に踏み入れた時に、春子は異質な物を見つけてしまった。踊り場に広がる水田の端、雑木林のブナの木の横に一本横たわっている。
土管。
あるはずのない物がある。
慎重に、恐る恐る土管に近づく春子。その空洞をのぞき込もうとして回り込んだところに、グラフィティアートがあった。
黒いハートの真ん中を縦に、波線のようにラインが引いてある。黒ハートの太極図、と気づいたときには後の祭り、めでたくトンネルの向こうへ誘われてこの有様というわけだ。
この手口は黒澤(こくたく)の仕業だろう。
面倒なことをしてれる、と春子は嘆きはしたがあまり深刻にはならなかった。
黒澤は、吉兆をもたらす神獣の白澤(はくたく)が、幼なじみに告白してフられたショックで闇落ちしたやつで、元々が直球の善属性なものだから非行に走ってもたかがしれている。現に、どの春子も死んではいない。
ただ、嫌がらせでは一端の腕前を発揮するのが、本当に嫌らしい。実に面倒くさい不良である。
出方はVLOOKUP関数の参照値を書き換えて再計算すれば良い、と聞いてはいるが、VLOOKUPだのCOUNTIFだのSUMIFSだの外国語は春子は得意ではないのだ。
もったいないけど、仕方ないか。
諦めて、春子は保冷バックの中から逆位相転写式安全呼び鈴『どこでも柏手』と、『小学4年生ドリル カブトムシでも分かる奇門遁甲』を取り出す。
付録の遁甲盤を地面に広げ、二拍手で『どこでも拍手』を起動しておいてから、とりあえずドリル4ページのチュートリアルをなぞらえる。
バチンッ!
予想通り、『どこでも拍手』で展開された相殺フィールドが弾け飛んだ。
やはり、黒澤は奇門遁甲を逆打ちしたようだ。しかもかなり適当に。下に春子が2人詰め込まれているのはその影響か。
ドリルのクロスワード欄にフィールドが弾け飛んだ時に計測されたデータを書き込んで、算出された1706ページを開く春子。
基本編にある「グレた白澤が手順6を省略して逆打ちし、下方に2/8名が収納された閉鎖空間を解除する場合」を参照しながら、もう一度遁甲盤を広げる。
そして、ポケットから、スーパーのポイントカードを取り出した。
せっかく162円8銭3厘分貯まったところだったのだが、ケチっている場合でもない。
ポイントカードの指紋認証と虹彩認証を解除して空中描画される立体パズル認証も解除し、レーザー投影されるコントロールパネルで『ポイント交換』から『ラプラス強制執行』を実施。
そのまま、春子はポイントカードを地面へ挿した。
で、ドリル1706ページを実行。
ラプラスの魔に強制的に“成功”を確定させておいたので、もちろん失敗はしない。引き替えに110ポイントを失うという大損失には目をつぶらざるをえないのだが。
ヒュウウウゥゥゥ……ン、と軽い風切り音が尻すぼみに消え、横線ノイズがザザザっと走ったかと思ったとたんに、ブツっと消えた。
春子は空き地に座り込んでいた。
セーフエリアで一息、やれやれと立ち上がる。イツデモアカネがくるくると飛び回っていた。
黒澤の悪ふざけは無事にクリア、後は家に帰るだけ――の前に、問題が一つある。
解放された他7人の春子たちと一緒に、春子は頭を振って大きくため息を吐いた。
まあ、いつだって、自分と折り合いをつけるのは難しいものだ。
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