第4話 お料理編【再掲】

 台所は戦場だ。


 南アジア地域の次世代情報通信技術の整備による多民族文化の融合および経済成長と富の再配分の可能性と予測しうる限界について論じた2週間テレビ番組表フリーペーパーの社説欄に、春子は全くもって同感だった。


 曰く、「食材の鮮度が重要」。


 曰く、「素材の声を聴き、素材を活かす」。


 曰く、「一手間、二手間で仕上がりが違ってくる」。


 曰く、「後始末も忘れずに」。


 社説欄に描かれた知らないおじさんが紙面から身を乗り出して、拳を振り上げて、燃えさかる情熱の炎を背負いながら力説するのに、春子は両手を握りしめながら逐一うなずいた。


 で、ぐしゃっとフリーペーパーを握り潰す。


 そして広げる。また潰す。これを何度か繰り返し、程々のよい感じにくたびれたところで、台所のテーブルの上に広げた。


 即席の食材置き場である。


「ん」


 指差し確認してから、春子はパントリー横の衣装棚から格子柄の留袖と黒い袋帯を取り出す。

 動画で確認しながら10分程で着付け、たすき掛けして、鉢金を巻いて、準備完了。


 ぶり大根の調理開始である。


 とにかく、ぶりの切り身と大根を用意しなければならない。

 調味料については朝から仕込んでいて、残るは醤油の醸造だけだ。それも家庭用台所複合機の『醸造』機能で急速製造中、そろそろ出来上がる頃で――


 ――ぽんKoろペンペンどぅゥゥ羅あ褞♪


 言ってる間に複合機の通知音が鳴り響いた。

 相変わらずよく分からない通知音だ。ディスプレイ表示も読めない字だし、取扱説明書の字だって読めない。

 そもそも人類には発音できない音らしく、製品名は『ヾ(;▽;)ゞ』……やっぱり読めない。


 とにかく性能は間違いないのだから、と気を取り直して複合機の蓋を開けて、春子は絶句した。


 間違えたか。


 内容物を見て膝から崩れ落ちる春子。

 どうやら、『堆肥化』か『埋葬』か『錬成』か、何かそれに類する機能を選択していたらしい。見るに耐えない状態の物が容器の底に溜まっている。


 微妙にうごめいているソレを残念そうに眺めてから、飛びかかられる前に蓋を閉じて、春子は唯一明確に理解しているボタンを押した。


 『無かったことに』ボタン。


 購入してから毎回お世話になっているこの便利機能こそが、この複合機の真価と言っても過言ではない。


 人知を超えた256キロバイトの内蔵AIが春子の意図を超速で推論、時間を巻き戻した上で材料の不足を立体プリンターで補填し正式な工程を改めて時間を加速して――


 ――なお失敗した証拠を全て隠滅し、ネットから取り寄せた醤油の小瓶が容器の中に転がっていた。


 まあ、醤油には違いない、というかコッチの方が品質は確かなのだからと納得して、春子は食材の調達に取りかかることにした。


 まずはぶりの確保だ。


 流しの横の引き出しの2段目から、長い手袋を取り出して右手に装着する。

 一見ゴム手袋だが、極限まで細く鍛え上げたミスリル合金で編まれ、強化・伸縮・撥水・保温・高速修復・治癒・状態異常無効の効果が魔術付与されている逸品だ。


 そして引き出しの1段目を開ける。


 引き出しの中の海面を目視で確認、流しの前のディスプレイに目を移すと、『北西太平洋』と表示されている。


 縮尺はかなりの広域表示だ。かなりズームしなければならない。このまま引き出しに手を突っ込むと、下手をすると大型タンカー級の船舶ですら指で潰す惨事になりかねない。


 左手のペンデュラムでぶりの位置をダウジングし、特定した位置に向かってズームを繰り返す。

 引き出しの中へ目を向けると、ミニチュアのようだった海面の風景が、かなり寄ってリアルな海を感じられるぐらいになっていた。


 ディスプレイ表示を何度か切り替え、魚影が光って表示されるモードへ。

 魚影をよくよく観察する。間違えてホオジロザメに逆に噛みつかれた反省から、必ずミスリル手袋をして、魚影を何度もチェックするようにしているのだ。


 おそらくぶりに間違いはない、と判断し、ディスプレイを見つつ、春子は右手を引き出しに勢いよく突っ込んだ。


 ガッと掴んで、間髪入れずに引き抜く。


 掌で握ったときには1センチ程度の小ささだが、引き出しから引き抜く際の彼我空間間補正で、台所で春子が尾を握ってぶら下げると1メートル近い大きさだ。


 新鮮な食材、確保である。


 では、食材の声を聴かねばならない。

 見つめ合う春子とぶり。


 で、おとなしくまな板の上に横になるぶりを前に、一礼する春子。

 ハワイ帰りのせいか、ずいぶんと明るくファンキーなぶりは快く春子を受け入れてくれた。


 礼節をもって、介錯しなければならない。


 流しの下の戸を開けて、仕舞われている菊一文字を取り出す。

 鞘の鯉口を切り、居合いの構えに。

 ぶりが静かに目を閉じる。


 一閃――


「あ」


 ぱぁんっ。


 空振った春子に、ぶりが尾でツッコミを入れた。


 慣れない獲物は振るうべきではない、と反省する春子。兄から結婚祝いにと譲り受けて以来ちょいちょいと練習しているのだが、中々上達しないのだ。


 ぶりに謝罪して、改めて文化包丁を取り出す春子。

 改めて一礼。


 ゴッ。


 一刀で頭を落とし、流れるように三枚におろしてブロックに切り分ける。

 この間10秒程。


 満足げな春子。

 やはり慣れた獲物は良い。


 そして、使わないブロックは冷蔵庫へ。

 テンキー下の電源を入れると、1行ディスプレイに「Hello!」と表示されてから「71/999」と出たので、「72」と入力。

 引き戸が開き、ぶりのブロックを置く春子。

 キーを押すと戸が閉まり、ぶりが仕舞われていった。


 この新型冷蔵庫は、『温度を下げることで腐敗の進行を止める(遅くする)』のではなく、『分子運動を大幅に抑制することで物質を変化させない』という、発想の転換から生まれたものだ。

 要するに時間を止めているわけだ。

 確かに画期的だとは思うが、収納空間に直接手を入れることが出来ないので、使い勝手はイマイチだったりする。


 それはさておき、次は大根だ。


 こちらはぶりほどの難易度はない。

 流しの前のディスプレイ表示を『海』から『畑』に切り替えて、引き出しから大根を引き抜くだけだ。


 ……だったのだが、引き当てたのは中々に気むずかしい大根だった。

 アイコンタクトで意思疎通を図ったところ、自分がどのように捌かれ、調理され、どんな料理となるのか、その栄養価と自身の貢献度について、詳細な説明を春子は求められた。


 こんなこともあろうかと用意しておいたプレゼン資料を使って大根とミーティングを行い、30分後にようやくOKをとれた春子。

 思わずガッツポーズをとり、解体後のぶりの頭と成約の祝杯をあげた。


 で、一気に大根を桂むきに処す。


 ここまでくれば、と春子は一息ついた。

 電気ポットで湯を沸かし、茶碗と棗と茶杓と茶筅と袱紗を用意する。

 我流で自分用の略式、あくまでリフレッシュ用なので、茶釜や柄杓などは省略。

 在庫の干し柿を一つつまみ、さっと薄茶を点てて、一服。

 ふと、新型冷蔵庫へ振り返る。


「『冷蔵』庫とは?」


 ふぅと一息ついて、ラストスパートをかける春子。

 ぶりのブロックを切り分けて霜降りにする傍ら、大根を水から沸かして、沸騰したところに下処理したぶりを投入。

 まずは酒と砂糖で煮込み、その後に醤油を足して味を見てさらに煮込み、たまにボウルを使って具材の天地をひっくり返して味を均等に染み込ませる。


 ぶり大根、完成。


 一つ味見。

 良い感じに味が染みている。

 春子の頬が綻んだ。

 満足げにうなずいて、そして、春子は文化包丁を手に取った。


 春子の背後、フリーペーパーで作った食材置き場から漂う気配。

 時間が経ち、ゾンビ化し始めたぶりの頭と大根の皮が、ゆらりと立ち上がる。


 あの陽気なぶりが、あの厳格な大根が、ただただ虚ろな目を向けてくる。

 春子が包丁を構え直す。


 そう、残るは後始末だけだ……。




Result:

・ぶり大根

・ぶりのかぶと焼き←new!

・大根の皮のきんぴら←new!

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