Episode8 マネージャーをするような女

 最近の南(みなみ)は、友人の朋華(ともか)と一緒にいることが苦痛となってきていた。

 朋華とはかれこれ幼稚園時代から十年以上の付き合いだ。

 進学先が限られている田舎――高校の数が都会ほどの選択肢がない田舎――のためか高校も同じなら、何たる偶然か、高校一年となった今はクラスまでもが同じである。

 さらに幾つかの共通点をあげるとするなら、お互いに一人っ子で、両親が共働きのため小学校の頃から”鍵っ子”であること、運動も得意ではなく、かと言って文化系の道に足を踏み入れる気も起らず、中学時代も高校入学後もずっと帰宅部を選択し続けてきたいうことだ。

 高校入学後も短いようで長い放課後の時間は、どちらかの家に立ち寄って、お菓子やジュースを手に”ダべる”のが平日の日課となっていたのだから。


 そう、日課だ。

 南が朋華との他愛もないはずであったお喋りを日課――定まった仕事――ととらえるようになったのは、高校に入学してからである。

 高校入学後、朋華が口に出す話題と言えば、同じ中学校から同じ高校へと進んだ同級生の宣子(のぶこ)の悪口一色に塗り替えられてしまったのだから。


「宣子ってさぁ、ますます男好きに拍車がかかってきたって思わない? 入学早々、サッカー部のマネージャーになるなんてさぁ」


「うちの学校のサッカー部ってさぁ、各学年の屈指のイケメンで俊足な男子が揃ってるじゃん。一年は金田くん、二年は銀田先輩、三年は銅田先輩って感じで。他のメンバーだって”まあまあ”な人らが揃ってるし。絶対にそのうちの誰か一人を狙ってるんだよ」


「なんかさぁ、宣子って自分のこと可愛いって思ってそう。『サッカー部の男子は全員、私にメロメロなんだから』とかね。でも、もっと可愛くて美人な人って、うちらの学年でもいっぱいいるじゃん。A組の松原さんとか、B組の竹原さんとか、C組の梅原さんとかさぁ」


「マネージャーをするような女ってさぁ、絶対に男目当てだよね。だって、それ以外に、自分の時間を割いてまで人の世話をする理由なんてないもん」


 朋華自身は、宣子の悪口を言いまくっているという自覚はきっとないだろう。

 南にとって宣子は、そう親しい仲でもなければ、そう険悪な仲でもない単なる同級生女子の一人だ。

 それは向こうだってそうだろう。

 顔を合わせれば普通に「おはよう」「バイバイ」と挨拶はするし、向こうだって挨拶は返してくれる。

 外見だってアイドル級の美少女ではないも、可愛いらしい雰囲気で、何よりもコミュニケーション能力に長けている宣子がスクールカーストの上位にいるのは当然と言えば当然だ。

 

 「宣子が羨ましいんでしょ? 宣子みたいになりたいんでしょ?」という言葉が、南の口からつい出そうになる。

 だが、実際にそれを一度でも口に出してしまったなら、朋華は顔を真っ赤にして怒り狂い、相当に面倒なことになるのは目に見えている。

 だからといって、「じゃあさ、朋華もどこか男子運動部のマネージャーに志願してみたら? ちょっと考え方が変わるんじゃない?」とアドバイスをしたとしても、朋華にそんな一歩を踏み出す勇気などあるはずがないのも明白だ。

 仮に、その勇気ある一歩を踏みだせたとしても朋華が門前払いされるであろう可能性は非常に高い。

 これは朋華だけじゃなくて、自分でも同じ結果になるだろう。


 自分たちと宣子は違うのだ。

 皆、平等なんてことはありえないのが学校社会だ。

 残酷だが、それが現実だ。

 キラキラと輝く少女漫画のような甘酸っぱい青春にいくら憧れても、それを経験できない者はいる。

 というよりも、実は経験できない者の方が多数派なのではないかとも南は密かに思っていた。


 しばらくして、南は手芸部に入部することになった。

 それほど手芸が好きなわけでも、興味があったというわけではなかったが、人数どころとしては小規模でおとなしめの女子部員だけのアットホームでおっとりとした空気は、南にはしっくりと合っていた。


 南は一応、朋華を手芸部に勧誘していた。

 しかし、朋華の返事は「やだよ。それって、単にチマチマ手を動かしながらお喋りするだけの部活でしょ? そんなことに時間を使いたくないもん。でも、よかったぁ。南が部活に入ったっていうから、どっかの男子部のマネージャーになったのかと思っちゃったよ。南がそんなことをしたなら、私、南のこと、”見損なう”とこだったよ」であった。

 こんなことを言われてしまったためか、南自身が手芸部での活動やそこで出来た友人との付き合いに重心を置き始めたこともあってか、朋華の家への足は次第に遠のいていった。



※※※



 高校も卒業し、それからもかなりの時間が経った頃、南は久しぶりに朋華の家を訪ねることになった。

 朋華本人に誘われたのではない。

 スーパーで朋華の母親に偶然会い、要約すると「最近の朋華はいろいろ上手くいかなくて落ち込んでいるから、旧友のよしみで顔を見せに来てくれないか」といったことを縋るような目で頼まれたからだ。


 お互いに同じ町内に住み続けていながらも、高校卒業後は連絡を取ったのはたった数回しかなかったはずで、もうとっくに疎遠となってしまっている間柄だ。

 けれども、手土産を手に朋華の家を訪れたのは懐かしさと興味半分だったのか、何よりも朋華の母親を哀れと思ってだったのかは、南自身にも分からない。


 そう、朋華の家を訪れるのは”本当に久しぶり”だ。

 時がそのまま止まったかのような朋華の部屋に南が足を踏み入れた時、他愛もないことを話し、ダべって笑いあっていた子ども時代の自分たちが、まだここにいるのではないかと錯覚するほどであった。


 小さなテーブルに向かい合って座った南と朋華。

 互いの近況報告――南は自身の家族について、朋華はアルバイトもパートもなかなか続かない愚痴――を話していたも、朋華の話題は”また”宣子のことに移ってしまった。


「こないだ駅で宣子を見かけたんだけどさぁ。三人の若い男と一緒にいて、膝の見えるスカート履いてキャピキャピしちゃって……もう見てられなかったわよ。宣子って、男に囲まれていないと死んじゃう病気なのかぁ?」


 その若い三人の男というのは、おそらく宣子の息子たちだ。

 宣子もずっと同じ町内で暮らしており、男の子三人の母親となったことは、南も噂で聞いていた。

 息子たちの正確な年齢までは知らないも、彼女は結婚が早かったため、一番上の息子はもう大学を卒業していてもおかしくはない年頃のはずだ。

 大きくなっても母親と一緒に出掛けることを嫌がらないなんて、いい息子たちだと思う。


 南自身も結婚し、娘二人に恵まれていた。

 娘たちも最近ちょっとませてきたみたいで、小学校五年生の長女、三年生の次女の二人ともが「やだぁ、親と一緒のとこなんか、友達とかクラスの男子に見られるの恥ずかしいもん」「そうだよ。ママは知らないかもしれないけど、私たちには私たちの世界があるんだよ」と言って、近くのスーパーに一緒に買い物に行くのですら嫌がるようになっているのに。


「宣子って根っからの男好きだからさぁ、絶対に狙って男ばかり三人産んだんだよね。家の中でも永遠に男たちのマネージャーでいたいんだよ。高校を卒業しても、紅一点が大好きな囲まれたお姫様体質が変わらないとか、”痛すぎ”っていうか」


 いくら”狙った”というより”願った”としても、子どもの性別ばかりは天任せだ。

 それに、母親として自分の子どもを育てることと部活のマネージャー業に従事することには、根本的に違っている。

 そもそも、高校を卒業しても変わってないのはどっちなのか?

 自分たちはもう五十歳を目前に迫り来ているのに、朋華は一体、いつの時代の話をし続けているのか?

 

 朋華の時は止まっている。

 自身が求めても経験できなかった青春のシンボルともいえる”宣子”という錨によって留められた、彼女の船は出港することはない。

 しかも、その錨はたまたま宣子であっただけで、他の女子が……もとい、他の元・女子が宣子の代わりになっていたかもしれない。


 朋華の話からすると、宣子に直接の嫌がらせを行っているわけではないようだ。

 けれども、怖い。

 不気味で気持ち悪い。


 やっぱり会わない方が良かった、と南が席を立とうとした時、部屋の扉がノックされた。

 朋華の母親が、二人分の紅茶と南が手土産で渡したパウンドケーキを持って来てくれたのだ。

 パウンドケーキは、綺麗に切り分けられていた。


「あ、あの、遅くなってごめんね。南ちゃんにいただいたパウンドケーキがとっても美味しそうだったから、南ちゃんにもお出ししようと思って持ってきたの。南ちゃん、今日は本当にありがとうね。久しぶりだと思うし……ゆ、ゆっくりしていってね」


 十代の南の記憶の中にいたはずの朋華の母親は、背が高くて、ちょっと性格がきつそうな感じの中年女性だった。

 しかし、先日はスーパーで再会し、今は目の前にいる朋華の母親は、背中は丸まり全身は縮み、何よりも疲れと諦め、苦痛がありありと滲み出している老婆にしか見えなかった。


 夫(朋華の父親)は十数年前に亡くなっており、碌に仕事も続かず、年相応の小皺やシミ、体のたるみや崩れを見せつつも、心はいまだにティーンエイジャーのままの一人娘と暮らし続けていくしかない老母。

 この老母は、自身の余生に対する不安などよりも、もっと大きな十字架を現在進行形で背負い続けているのだ。


 部屋の外で娘の話を聞いていたのかもしれない。

 いや、絶対に聞いていたに違いない。


 テーブルの上に置かれたパウンドケーキを、口にバクリと入れた朋華。

 まるで子どものようにそれをモグモグと頬張っていたかと思うと、紅茶で流して、ゴクリと飲み干した。

 

「……ねえ、お母さん。私、今、南にも宣子のこと話してたんだよ。やっぱりマネージャーをするような女ってさぁ、ずっと変わらないんだねって」



(完)

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