Episode7 世界に三人

 本作は、「2021年版 ルノルマン・カードに導かれし物語たちよ!」の

「Episode6-A 天使のくせに」(https://kakuyomu.jp/works/16816410413916009462/episodes/16816452220906155512)とリンクした世界でのお話です。



※※※


 ブルックスは青空を見上げ、ただただ考えていた。

 十五年しか生きられなかった己の運命を呪うべきであるのか、それとも”十五年も生きられたこと”に感謝するべきであるのか、と。

 いや、彼がどちらを選択したとしても、もう何も変わらないのだ。

 彼は死んでしまったのだから。

 それも自業自得の死亡事故と判断されるであろう状況で。


 肉体は滅び、魂だけの状態となっている彼の元に、一人の天使がふわりと降り立った。

 迎えの天使は男であった。

 それも「さすが天使!」と感嘆してしまうほど美しい男だ。


 だが、その男天使の顔を見たブルックスは、鳥が締めあげられたかのような悲鳴をあげて逃げ出そうとした。


「……どこに行く?」


 男天使に首根っこをガッと掴まれ、ブルックスの短すぎる逃亡はあっさりと終了した。

 上品で優美な容姿の男天使ではあるものの、「さすが我々の人智を超えた存在の者!」と畏怖するほどに、それはそれは凄まじい力であった。


 ブルックスはジタバタともがき、喚き、叫んだ。

 ”生きていた時と同じく”、誰も自分を助けてくれる者などいないと理解していた。

 けれども、”死へと続くレールを無理やりに歩まされた末路のそのまた末路でさえ、こいつから逃れられない”なんてあんまりだ。


「も、もうやめてくれ! こうして俺が死ぬ事態にまでなったんだから満足だろ?! な、な、なんでここまで苦しめるんだよ!? ”兄さん”!」


「……は?」


 男天使は、ブルックスの話を聞いてやることにした。

 全くの初対面のうえ血縁関係などあるはずがない人間の少年に「兄さん!」などと呼ばれる心当たりは皆無なのだから。


 目を伏せたまま――男天使の顔を直視しないようにしたまま――ブルックスは話し出した。

 話を要約すると、ブルックスは実の兄に命じられ、危険な場所での過激な自撮りに挑戦せざるを得なくなったとのことだ。

 その結果、高所から足を滑らせて転落死。


 兄はブルックスにこう言った。

 「証拠として動画をSNSにアップしろ。そうだな……お前がバズらすことでもできたら、俺はお前を弟として認めてやるからよ」

 「弟として認めてやる」と兄は言ったものの、そんなことは万に一つもないであろうことはブルックスは分かっていた。

 兄にとって、自分は血が繋がった弟(家族)ではなく、単なるストレス解消と嗜虐欲を満たすだけのサンドバックなのは変わらない。

 父も母も”その事実”を知っており、同じ家で暮らしていて気づいていないはずなどなかったわけだが、ブルックスを守ろうとも助けようともしてくれなかった。

 家の中だけでなく、外でもブルックスは孤独であった。

 それもそのはず、兄はハリウッド俳優もかくやというほどの美形のうえ、何でもそつなくこなせ、当然のようにハイスクールの頂点に立つ王者であったのだから。


 自撮りに挑戦しようがしまいが現実は何も変わらない、兄からの虐めは続くであろうと分かっていたブルックス。

 しかし、ついに事故死するまでの事態になった。

 兄や奴の取り巻きたちによって”死へと続くレールを無理やりに歩まされた”のだ。

 殺されたも同然だ。


 そのうえ、あろうことか虐げられ続けた末の非業の死を遂げた彼を迎えにきた天使は、兄と瓜二つの顔をしていた。

 俺は死んでもなお、”兄さん”は俺を苦しめようとするのか?!

 俺は死んでもなお、俺は”兄さん”から逃れることができないのか?!

 

 この哀れで孤独な一生を終えた少年から話を聞いた男天使は、重い息を吐かずにはいられなかった。

 この少年の兄(家族)として生まれる縁があった者は、ある意味、悪魔よりも悪魔らしい性根をしていたのだ。

 少年の話を聞いた限り、もはや矯正も改心不可能な魂だ。

 しかし、自分がこの少年を迎えにきたのは単なる偶然だ。

 さらに言うなら、自分が奴と同じ顔をしているのも偶然の一致でしかない。

 少年の死後までも苦しめ虐げようとして降り立ったわけではないし、仮にも天使である自分はそんな気など毛頭ないのだから。



「あ、あの……チェンジってできないんですか?」


 恐る恐る顔を上げたブルックスから発せられた問いに、男天使は眉を顰めた。

 どうやら、その表情までもが兄にそっくりであったらしく、ブルックスはさらにビクッと震えあがる。


「あ、あ、あなたは兄さんじゃなくて、全くの別人だってことはちゃんと分かっています! 声だって違うし、あなたの方が兄さんより少しだけ背が高いし。そっ、それに、そっくりな人は世界に三人いるっていうから、天使の中に兄さんと同じ顔の人がいたって不思議じゃないってことも……でも、最期の最期ぐらい俺は安らぎに包まれて逝きたいんです」

 

 ブルックスの”叫び”は、男天使にも痛いほどに伝わってきた。

 自分を幼い頃から虐め抜き、間接的にとは言え殺害までした兄と瓜二つの顔をした天使の手を取り、天国に行くなんて恐怖でしかないだろう。

 例えるなら、人間たちの大半が嫌って恐れている蛇という生き物を手掴みにしているようなものか。

 少年の”叫び”をこの手で握り潰して、天国へと強制連行するのはあまりにも気の毒だ。


 男天使はブルックスの願いを聞き入れた。

 自分ではない別の天使をここへと連れてくることにした。


「ごめんなさい……でも、本当にありがとうございます。……あ、あの、もう一つだけお願いといいますか……我儘だと思いますけど、出来れば女の人の天使がいいんです。俺は……ど、童貞のまま死んでしまったから、女の子とデートしたことも、女の子の手を握ったことすらなくて……」


 ブルックスは女天使を望んでいる。

 だが……と男天使は考える。

 声をかけられそうな女天使の知り合いは何人かいるものの、今この瞬間にも世界中で人は死んでいるのだ。

 皆、出払っているかもしれない。

 いや、一人だけ”あまりにも個性的であるがゆえに常に暇な状態”の女天使はいた。

 しかも、あの女天使は超絶世の美貌の持ち主だ。

 ブルックスのような思春期の少年なら、すでに血液の循環も呼吸も止まっているというか、魂の状態であるとはいえ、鼻血をブーッと吹き出し、呼吸困難を起こしてしまうのではないかと思うほどの……。



 数刻後、男天使はブルックスの元へと戻ってきた。

 傍らに一人の女天使を伴って。


 な、なんて綺麗な人なんだ……!!!


 ブルックスは女天使に見惚れずにはいられなかった。

 彼の頬は赤く染まりゆき、とっくに止まっている心臓が再びトクントクンと脈打ち始めるんじゃないかと思うほど、ただただ女天使の美しさから目を離すことができなかった。


 そう、女天使は美しかった。

 けれども、辛口評価をするなら、”月の裏側にまでその美貌の名声が届いているんじゃないかといったには絶世級の美貌には遠く”、町を普通に歩いている割と整った容姿の女性に数点の美点をプラスした程度でもあった。

 美人ではあるも美人過ぎはしない。

 もし、ブルックスがその人生を十五年で終えることがなければ、こんな女性にも出会えていたかもしれない。

 天使のくせに、どこか人間味のあるあたたかな美しさをこの女天使は持っていた。


「クローバー、後は頼んだぞ」


「ええ」


 この女天使の名はクローバーというらしい。

 ブルックスは男天使に向かって、深々と頭を下げた。


「あ、あの、本当にありがとうございます!!! ……今、この時が俺の人生で一番うれしい時かもしれません! あ……いや、俺の人生はもうすでに終わっちゃった後ですけど」


 男天使はブルックスに微笑み返し、去っていった。

 何も言えなかった。

 いや、天使と言えども、彼の兄そっくりな顔をした自分は彼の前から早々に引き上げる方が良いだろうと考えたのだ。

 哀れで孤独な一生を終えた少年の”一番うれしい時”が、その死後に訪れたなんて気の毒にも程がある。

 それに、クローバーになら後を任せても問題ないだろう。

 彼女も以前にたった一度だけバイク事故で死んだ十八歳の青年からチェンジをくらったことがあるらしいが、真っ当で品行方正な彼女は信頼のおける天使仲間なのだから。


 クローバーがブルックスに手を差し出した。

 ブルックスは頬を染めたまま、クローバーの手を取った。

 その手の美しいこと。

 そして、あたたかなこと。

 ブルックスの頬は、流れるはずのない涙で濡れていった。



 こうして、ブルックスが天国へと連れられた後も、地上の時間は止まることなく流れ続けた。

 ちなみに、”憎まれっ子世に憚る”ということわざが真実か否かは証明しようがないが、ブルックスの兄の元に”迎え”がやってきたのは、ブルックスの死から三十年後である。

 人間の寿命から考えると長寿のカテゴリーには入らないが、奴は自分が虐め抜いて死に追いやった弟の三倍以上の時間を悠々と生きていたこととなるだろう。


 さらに言うなら、弟ができなかった結婚や家庭を持つことも平然とやってのけていた。

 妻となる女は、美貌でも財力でもコミュニケーション能力でもなく、従順さと力の無さと自信の無さで選んだ。

 夫となる自分しか頼る者がいない。自分以外の誰にも頼れないし、一人で生きてもいけない。

 奴はそういった女を見つけ出す嗅覚が優れていた。


 子どもは四人産ませたが、その子どもたちも妻と同じく、虫の居所が悪い時のサンドバッグ代わりになっていた。

 なお、正確に言うと産ませた子どもは四人だが、妻の腹に宿った子どもは四人だけでない。

 さすがに四人以上は経済的に厳しいということで、妻には”産ませなかった”。


 中年期も後期に差し掛かり始めた、ある晴れた日のこと、奴は猟銃を手に森へとハンティングに向かった。

 そこで野生の熊に遭遇した。

 いくら、何でもそつなくこなせる奴とはいえ、熊と戦って勝てるはずがない。


 死闘の末、どうにか命だけは助かった。

 だが、顔面には大きな傷跡が残り、手足の一部も欠損し、奴は妻の介助なしではどこにも行けない体となってしまった。

 妻はなおも甲斐甲斐しく、奴の日常生活の面倒を見た。

 奴に長年虐げられ続けていたというのに、奴から逃げたとしても奴はもう追いかけてはこれない体となったというのに、さらに子どもたち四人は全員とも今こそが好機とばかりに速攻で逃げ出したというのに、自身の人生で夫となる縁があった者に対しての情ゆえか妻は奴の元に留まることを選択し続けた。

 そんな妻に向かってでさえ、奴は暴言を吐き続けた。

 慈愛の神のごとき献身で尽くし続けてくれる彼女を苛み続けた。


 そして、奴は妻に絞殺されるという最期を迎えた。

 完全に事切れた後も、ベッドの上で自分に馬乗りになった妻に首を絞められ続けた。

 赤く膨れた奴の頬に、妻の涙が飛び散っていた。

 天使も神も悪魔すらも恐れていなかった奴であるも、人間の心の奥深くの閉じられていた扉を開けさせたのだ。


 奴の元にも”迎え”はやってきた。

 ただし、三十年前、奴の弟・ブルックスの元にやってきた”迎え”とは異なっていた。


 迎えに来た者は男だ。

 しかし、”この男は絶対に天使などではないと一目で分かる風体”をしていた。

 自分にそっくりな人は世界に三人いるというが、”天使とは正反対に位置づけられている存在”の中に、若き日の自分に瓜二つの顔面をしている者がいたとは、何という偶然の一致なのか。


 迎えの男は奴を見てニタリと笑った。



(完)

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