五 蠱惑
真由美さんは、どういう心境で、〝Q州K村の〇〇〇〇様〟を書き上げたというのだろうか。
真実は、禁忌故に流布できなかった。真相は、伏せざるを得なかった。
だが、それでも、所詮は幻想譚に過ぎないと分かっていても書いたのは、やはり自身を救う為なのだろうか。
それが、限りなく無意味な行為に過ぎないとしても―――。
なんとも皮肉なことに、この〝Q州K村の〇〇〇〇様〟は、〝殿堂入り級の名作〟にカテゴライズされている通り、ネット上で有名なものとなっていた。二〇一〇年代に匿名掲示板に投稿された洒落怖の名作として、一定の知名度を得ており、〝怪異蒐集倶楽部〟だけでなく、他の似たようなホラー系のサイトでも必ず取り上げられていた上、ネット怪談や都市伝説を取り上げているオカルト本の類にも掲載されるほど、人気があるようだった。
〝Q州K村の〇〇〇〇様〟が、それほどの存在になったのは、真由美さんの筆力によるところが大きいのだろうが、もし、これが〇〇〇〇様だと伏せられずに、真実を、鏖魔蛾の忌み名をそのまま書き記していたならば……一体どういうことになったというのだろうか。
しかし、隠された真実に辿り着いている者は、誰一人としていなかった。
ネット上には、〇〇〇〇様がどういう存在なのかを考察している者や、K村が九州のどこにあるのかを考察している者、〇〇〇〇様の名前を解き明かそうとしている者が多数見受けられたが、そのどれもが的外れなものか、調べてみました!から始まり、いかがでしたか?で終わる、ただ話をなぞって紹介しているだけの無意味なものだった。
当の〝怪異蒐集倶楽部〟の記事コメント欄でも、似たような考察を熱心に語っている者たちはいたが、それよりも多く見受けられたのは、
〝こんなのが殿堂入り扱いになってるのが信じられない。明らかに2000年代後期の洒落怖名作のパクリじゃんか〟
〝田舎に行って、因習に巻き込まれて、化け物に取り憑かれて、寺の坊さんを頼って助かるとか、出尽くされたテンプレパターンなのに、よく人気出たよなあ〟
〝もうこの手のやつ、ありきたりじゃね?〟
〝最後とか、クサくて笑っちゃうよなww〟
〝あんな終わり方じゃ、しらけるわあ。誰が何の為に書いたんだよって話ww〟
という、小馬鹿にしたようなコメントばかりだった。
真由美さんが――鳳崎という男が語っていたことを、まざまざと見せつけられた気がした。
〝多くの人間が、怪異を知る。そして、大概の奴は信じねえし、怖がりもしねえ〟
誰も、知ることはないのだろう。
その小馬鹿にしている話の裏に、悍ましい真実が、とてつもない恐怖が、存在していることに。そして、それは恐らく〝Q州K村の〇〇〇〇様〟だけでなく……。
それを知っている僕は当初、憤りを覚えた。
偉そうにあれこれと垂れているが、もし、真実が流布されていたら、お前らは無事では済まなかっただろうと。身の毛もよだつ恐怖に襲われていただろうと。
真実を書き込んで、そういう目に遭わせてやろうかとさえ思った。鏖魔蛾の存在を認識して、軽々しく忌み名を口にして、穢されてしまえばいいと思った。
だが――そんなことはできなかった。
当事者である真由美さんが、どれほどの思いで、真実を流布することを堪えただろうか。胸に秘めざるを得なかっただろうか。
そう考えると、僕のような垣間見ただけの部外者が、一時の感情によって真実を流布するのは、とてつもなく下賤な行為のように思えた。
だから、僕にできたのは、その無粋な感想群から目を背け、そっとサイトを閉じることだけだった。
しかし―――。
その時、ふと、恐ろしい考えが頭をよぎった。
一体なぜ、真由美さんは僕に、真実を明らかにしたのだろうか。
一緒に村を出て行きませんかという僕の誘いを断るのは、簡単なことだったはずだ。他の適当な理由を付けて断ればいいだけの話なのだから。
僕のような部外者に真実を話す必要など、無かったはずなのだ。
なのに、なぜ、僕に真実を伝えたのか。
話す前に、あれほど逡巡していた上に、それがどれほど危険な行為なのか、身をもって理解していたというのに、なぜ。
それは……。
僕が真実を、禁忌を流布することを見越しての行動だったのではないのだろうか……。
もし、僕がそうしたとして、どうなってしまうのかは分からない。インターネットを介して、鏖魔蛾が天災のような事態を引き起こしてしまうのか。それとも、その存在をどうにか弱体化させることに成功するのか、定かではない。ある意味、とてつもない危険が伴う賭けだ。
真由美さんは、言わばその賭けを行う権利を、まったくの部外者、第三者である僕に託すことによって、一抹の希望を抱きたかったのではないだろうか。
いつの日か、自身を苦しめるこの穢れから逃れられる時が来るかもしれないという希望を。
そんな危うい行為に至った理由は、村で孤独に一生を過ごさなければならないという絶望から湧いた邪念によるものなのか。どうしても自身の手で流布することを躊躇った、もしくは自身の手を汚したくなかったからなのか。単なる諦観めいた気まぐれによるものなのか……。
―――それとも、まさか、それすらも、鏖魔蛾の呪いの範疇だとでもいうのだろうか。
鏖魔蛾は、自身の穢れに侵されている――言わば、支配下にある真由美さんに、真実を語らせることによって、その名を他者に流布することによって、より多くの人間を穢れに触れさせようと、より強大な存在になろうと、より多くの魂を掻き乱して呑み込もうと、引き込もうと、惹き付けようとしているとでもいうのだろうか―――。
結果として、僕は今も、真実をこの胸に秘め続けている。
仄かな恐怖と、複雑な思いと共に。
だが――あれからもう何年も経つというのに、僕は未だに、空を見上げる度、真由美さんのことを思い出す。
彼女も、遠い九州の地で、この空を見上げているだろうかと。
山と川と田んぼしかない、閉ざされた辺境の田舎で。
自身が生まれ育った、あの朽無村で。
将来の目標に据えるほど、出て行きたいと願っていたのに。
外の世界に、恋焦がれていたというのに。
それは永遠に叶わないものとなった。
それどころか、たった独り残されて、向き合うこととなった。
忌まわしき、過去の記憶と。
禁忌の存在たる怪異がもたらした、穢れと呪いに。
そう考えると、僕の胸は締め付けられたようにキリリと痛み、息苦しさを覚える。
真由美さんに、もう一度会いたいとさえ、思ってしまう。
だが、それは決して……。
僕の純然な想いによるものだと、
オウマガの蠱惑 椎葉伊作 @siibaisaku6902
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